スウェーデンにおける育児休業を取得した父親の割合は90%を上回る。だが、90年代なかばまでは、育児休業を取るのは女性が中心だった。
※本稿は、佐藤吉宗『子育ても仕事もうまくいく 無理しすぎないスウェーデン人』(日経BP)の一部を再編集したものです。
■ランニング用ベビーカーを押しながら走る男性
もう15年ほど前のことだろうか、日本からの視察団の通訳を務めたとき、日程の合間にストックホルム郊外の森を散歩する時間があった。1月半ばの平日の日中で、地面には雪が10センチほど積もっていた。それほど深くない森の散策を始めてまもなく、2人のスウェーデン人男性がそれぞれランニング用のベビーカーに子どもを乗せて押しながら、一緒にジョギングをし、私たちを追い越していった。
視察団の方々は三重の意味であっけにとられていた。まず、雪が積もっているのにジョギングをしていたこと。そして、そのジョギングに子どもを連れていたこと。さらに、男性が子どもの面倒をみていたこと。これらのどれをとっても、日本ではあまり見られない光景だった。
でも、男性が育休を取り、同じ時期に子どもが生まれた友人と子連れで一緒に散歩したり、お茶をしたり、0歳・1歳児向けのプール教室に通ったり、ジョギングをしたりするというのは、スウェーデンではよくある光景だ。
■長い間「育休を取るのは女性」だった
しかし、本書で詳しく触れたように、男性が積極的に育児や家事をするようになったのは、比較的最近のことだ。
1970年代に入って当時のパルメ首相が、男女平等のためには男性も家事や育児の責任を担わなければならないことを演説の中で強調した。そのうえで、74年の育児休業保険の改革によって、男性が育休を取り、国の社会保険からの育児休業手当を受け取ることが可能になった。しかし、制度上可能になったというだけでは、大きな変化につながらなかった。90年代に入っても育休のほとんどを女性が取り、家事の大部分を女性がするという状況が続いていた。
「夫婦が2人で稼ぎ、2人で家事・子育てをする社会」をつくり、男女平等な社会を実現するためには、男性にも積極的に育休を取らせる必要がある。しかし、機会を与えただけでは変化が起きない。そこで考えられたのは、育児休業保険のクオータ制だ。
■育児休業給付の制度を変えた
95年から育児休業給付の給付日数(当時は全部で450日)のうち30日、つまり1カ月分は父親もしくは母親のみしか受給できないようになった。この制限は、父親の育休取得を促進する目的で導入されたため、この30日(1カ月)は通称「パパの月」とか「パパ・クオータ(割り当て)」とも呼ばれている。2002年からは育児休業給付の給付日数が480日に延長されるとともに、このパパ・クオータも60日(2カ月)に延長された。さらに18年からは90日(3カ月)に延長された。
この政策の効果については様々な研究がある。制度が初めて導入された95年元日の前後に生まれた子どもの父親の育休を比べてみると、直前に生まれた子どもの父親は子どもが2歳になるまでに平均25日の育休を取ったが、制度導入後に生まれた子どもの父親は子どもが2歳になるまでに平均35日の育休を取ったという。つまり、父親の育休が95年元日を境に平均で10日増えたのである。
■「パパの月」延長で父親の育休の取得日数が増えた
また「パパの月」が2カ月に延長された02年の前後で同様の比較をしてみると、子どもが2歳になるまでの父親の育休の取得日数が40日から47日に増えたという。
ほんのわずかな増加だと思われるかもしれない。しかし、これらの数字はあくまですべての父親の平均だ。たとえば、パパ・クオータ制度がなくても育休を30日以上取ろうと考えていた父親は、制度が導入されても影響をあまり受けなかった。
一方で、それまで育休を全く取らない父親が多かった中卒・高卒の男性や所得の比較的低い男性は、制度が導入されたことで育休を取り始めたことが統計から明らかになっている。その結果、94年生まれの子どもの父親のうち育休を少しでも取得した割合は40%だったが、制度導入後の95年生まれの子どもの父親では、この割合が80%に急上昇する結果となった。
短期的な効果だけでなく、長期的な効果にも着目する必要がある。このパパ・クオータ制度は、政策として大成功だったことは政治の左派・右派を問わず、スウェーデンの多くの人々が認めるところである。というのも、男性に育休の取得を促すことで、スウェーデン社会をより男女平等な社会に近づけていくための好循環の引き金となったからだ。
■育休を少しでも取得した父親の割合は90%以上
直接的な効果はもちろん、育休を取る男性の数が増え、取得日数も増えていった。制度導入の結果、男性が多数を占め育休を取る従業員がほとんどいなかった職場でも先例ができ始めると、男性の育休取得に理解を示す職場が増え、男性でも育休が取りやすい雰囲気が職場で次第に生まれていった。
その結果、夫婦で受けた育児休業給付の合計日数のうち、父親が受けた日数の割合を見てみると、90年には7.1%だったのが、22年には30.9%にまで上昇してきた。また、育休を少しでも取得した父親の割合は今では90%を上回る。
では、派生的な効果は何だろうか。まず、家庭における家事分担の変化だ。子どもが小さいときに育休を取って子育てに深く関わった男性は、育休が終わった後も家事や育児をパートナーと分担するようになったという研究がある。
実際に子どもの世話をすることで子育てのスキルが身についたり、子育てに対して自信を持てるようになったり、仕事だけでなく子どもとの時間も大切だと考えるようになるなど人生観が変化したことが背景にあると考えられる。
■父親の家事・育児負担の割合が43%にまで上昇
実際のところ、平日における家事・育児負担の母親と父親の割合は、90・91年の調査では父親が30%でしかなかったが、00・01年の調査では37%、10・11年の調査では43%にまで上昇してきた。また、別の研究では、男性が家事や育児を積極的にする家庭では、結婚生活が長続きし、2人目や3人目の子どもを持とうとする傾向があることが明らかになっている。そのため、男性の育休は少子化対策にもなっている可能性がある。
そして、このように家庭で男女平等が進んでいったおかげで、女性が職場に復帰しやすくなったり、子どもを持ちながら仕事を続けたりするのが楽になったことも、パパ・クオータ制度がもたらした大きな効果だ。
■育休取得促進がビジネス面での男女平等につながった
その結果、これまで出産や子育てにともない女性が受けてきたキャリアへの悪影響が減ってきた。それに、父親も母親と同じくらい育休を取得するようになったことで、企業側が社員を雇うときに、女性は育休を取るだろうから避けたい、というようなことが減った。また、業種や職種により違いはあるものの、全体としてみるとかつては男性が多かった職場にも女性の社員が増えてきた。
また、同じ業種でも、女性従業員や女性管理職の割合が多い職場ほど、男性の育休取得が盛んだという研究結果がある。おそらく、女性が多い職場では、そもそも育休を取る女性が多いから男性従業員も取りやすいことや、従業員が育休を取る際にその人の担当業務をどのように他の社員や代替要員がこなすかなどの職場での対応の仕方が確立していること、女性の管理職は男性社員の育休取得により理解を示すことなどの要因が考えられる。
ということは、男女平等が進み、職場に女性社員や女性管理職が増えることで、同じ職場で働く男性社員がより育休を取りやすくなっているとも考えられる。
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佐藤 吉宗(さとう・よしひろ)
データサイエンティスト
1978年、鳥取県米子市に生まれる。京都大学経済学部に在籍中の2000年、交換留学生としてスウェーデンにわたりウプサラ大学で学ぶ。その後、同国ヨンショーピン大学にて経済学修士号、ヨーテボリ大学にて博士号を取得。さらに、ストックホルム商科大学・欧州日本研究所においてポスドク研究員を務める。18年より、スウェーデンのAIコンサルティング企業Combient MIXにデータサイエンティストとして勤務(同社は後にフィンランドのSilo AIに買収され、さらに米国半導体大手AMDの傘下となる)。在職中は、スカンディナヴィア航空(SAS)やスウェーデンの大手民間銀行SEBにおいて、外部コンサルタントとしてAIモデルの開発および実用化に従事した。
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(データサイエンティスト 佐藤 吉宗)
なぜ父親の割合が増えたのか。スウェーデンに住むデータサイエンティストの佐藤吉宗さんは「育児休業保険のクオータ制による効果が大きい」という――。
※本稿は、佐藤吉宗『子育ても仕事もうまくいく 無理しすぎないスウェーデン人』(日経BP)の一部を再編集したものです。
■ランニング用ベビーカーを押しながら走る男性
もう15年ほど前のことだろうか、日本からの視察団の通訳を務めたとき、日程の合間にストックホルム郊外の森を散歩する時間があった。1月半ばの平日の日中で、地面には雪が10センチほど積もっていた。それほど深くない森の散策を始めてまもなく、2人のスウェーデン人男性がそれぞれランニング用のベビーカーに子どもを乗せて押しながら、一緒にジョギングをし、私たちを追い越していった。
視察団の方々は三重の意味であっけにとられていた。まず、雪が積もっているのにジョギングをしていたこと。そして、そのジョギングに子どもを連れていたこと。さらに、男性が子どもの面倒をみていたこと。これらのどれをとっても、日本ではあまり見られない光景だった。
でも、男性が育休を取り、同じ時期に子どもが生まれた友人と子連れで一緒に散歩したり、お茶をしたり、0歳・1歳児向けのプール教室に通ったり、ジョギングをしたりするというのは、スウェーデンではよくある光景だ。
■長い間「育休を取るのは女性」だった
しかし、本書で詳しく触れたように、男性が積極的に育児や家事をするようになったのは、比較的最近のことだ。
1970年代に入って当時のパルメ首相が、男女平等のためには男性も家事や育児の責任を担わなければならないことを演説の中で強調した。そのうえで、74年の育児休業保険の改革によって、男性が育休を取り、国の社会保険からの育児休業手当を受け取ることが可能になった。しかし、制度上可能になったというだけでは、大きな変化につながらなかった。90年代に入っても育休のほとんどを女性が取り、家事の大部分を女性がするという状況が続いていた。
「夫婦が2人で稼ぎ、2人で家事・子育てをする社会」をつくり、男女平等な社会を実現するためには、男性にも積極的に育休を取らせる必要がある。しかし、機会を与えただけでは変化が起きない。そこで考えられたのは、育児休業保険のクオータ制だ。
■育児休業給付の制度を変えた
95年から育児休業給付の給付日数(当時は全部で450日)のうち30日、つまり1カ月分は父親もしくは母親のみしか受給できないようになった。この制限は、父親の育休取得を促進する目的で導入されたため、この30日(1カ月)は通称「パパの月」とか「パパ・クオータ(割り当て)」とも呼ばれている。2002年からは育児休業給付の給付日数が480日に延長されるとともに、このパパ・クオータも60日(2カ月)に延長された。さらに18年からは90日(3カ月)に延長された。
この政策の効果については様々な研究がある。制度が初めて導入された95年元日の前後に生まれた子どもの父親の育休を比べてみると、直前に生まれた子どもの父親は子どもが2歳になるまでに平均25日の育休を取ったが、制度導入後に生まれた子どもの父親は子どもが2歳になるまでに平均35日の育休を取ったという。つまり、父親の育休が95年元日を境に平均で10日増えたのである。
■「パパの月」延長で父親の育休の取得日数が増えた
また「パパの月」が2カ月に延長された02年の前後で同様の比較をしてみると、子どもが2歳になるまでの父親の育休の取得日数が40日から47日に増えたという。
ほんのわずかな増加だと思われるかもしれない。しかし、これらの数字はあくまですべての父親の平均だ。たとえば、パパ・クオータ制度がなくても育休を30日以上取ろうと考えていた父親は、制度が導入されても影響をあまり受けなかった。
一方で、それまで育休を全く取らない父親が多かった中卒・高卒の男性や所得の比較的低い男性は、制度が導入されたことで育休を取り始めたことが統計から明らかになっている。その結果、94年生まれの子どもの父親のうち育休を少しでも取得した割合は40%だったが、制度導入後の95年生まれの子どもの父親では、この割合が80%に急上昇する結果となった。
短期的な効果だけでなく、長期的な効果にも着目する必要がある。このパパ・クオータ制度は、政策として大成功だったことは政治の左派・右派を問わず、スウェーデンの多くの人々が認めるところである。というのも、男性に育休の取得を促すことで、スウェーデン社会をより男女平等な社会に近づけていくための好循環の引き金となったからだ。
■育休を少しでも取得した父親の割合は90%以上
直接的な効果はもちろん、育休を取る男性の数が増え、取得日数も増えていった。制度導入の結果、男性が多数を占め育休を取る従業員がほとんどいなかった職場でも先例ができ始めると、男性の育休取得に理解を示す職場が増え、男性でも育休が取りやすい雰囲気が職場で次第に生まれていった。
その結果、夫婦で受けた育児休業給付の合計日数のうち、父親が受けた日数の割合を見てみると、90年には7.1%だったのが、22年には30.9%にまで上昇してきた。また、育休を少しでも取得した父親の割合は今では90%を上回る。
では、派生的な効果は何だろうか。まず、家庭における家事分担の変化だ。子どもが小さいときに育休を取って子育てに深く関わった男性は、育休が終わった後も家事や育児をパートナーと分担するようになったという研究がある。
実際に子どもの世話をすることで子育てのスキルが身についたり、子育てに対して自信を持てるようになったり、仕事だけでなく子どもとの時間も大切だと考えるようになるなど人生観が変化したことが背景にあると考えられる。
■父親の家事・育児負担の割合が43%にまで上昇
実際のところ、平日における家事・育児負担の母親と父親の割合は、90・91年の調査では父親が30%でしかなかったが、00・01年の調査では37%、10・11年の調査では43%にまで上昇してきた。また、別の研究では、男性が家事や育児を積極的にする家庭では、結婚生活が長続きし、2人目や3人目の子どもを持とうとする傾向があることが明らかになっている。そのため、男性の育休は少子化対策にもなっている可能性がある。
そして、このように家庭で男女平等が進んでいったおかげで、女性が職場に復帰しやすくなったり、子どもを持ちながら仕事を続けたりするのが楽になったことも、パパ・クオータ制度がもたらした大きな効果だ。
■育休取得促進がビジネス面での男女平等につながった
その結果、これまで出産や子育てにともない女性が受けてきたキャリアへの悪影響が減ってきた。それに、父親も母親と同じくらい育休を取得するようになったことで、企業側が社員を雇うときに、女性は育休を取るだろうから避けたい、というようなことが減った。また、業種や職種により違いはあるものの、全体としてみるとかつては男性が多かった職場にも女性の社員が増えてきた。
また、同じ業種でも、女性従業員や女性管理職の割合が多い職場ほど、男性の育休取得が盛んだという研究結果がある。おそらく、女性が多い職場では、そもそも育休を取る女性が多いから男性従業員も取りやすいことや、従業員が育休を取る際にその人の担当業務をどのように他の社員や代替要員がこなすかなどの職場での対応の仕方が確立していること、女性の管理職は男性社員の育休取得により理解を示すことなどの要因が考えられる。
ということは、男女平等が進み、職場に女性社員や女性管理職が増えることで、同じ職場で働く男性社員がより育休を取りやすくなっているとも考えられる。
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佐藤 吉宗(さとう・よしひろ)
データサイエンティスト
1978年、鳥取県米子市に生まれる。京都大学経済学部に在籍中の2000年、交換留学生としてスウェーデンにわたりウプサラ大学で学ぶ。その後、同国ヨンショーピン大学にて経済学修士号、ヨーテボリ大学にて博士号を取得。さらに、ストックホルム商科大学・欧州日本研究所においてポスドク研究員を務める。18年より、スウェーデンのAIコンサルティング企業Combient MIXにデータサイエンティストとして勤務(同社は後にフィンランドのSilo AIに買収され、さらに米国半導体大手AMDの傘下となる)。在職中は、スカンディナヴィア航空(SAS)やスウェーデンの大手民間銀行SEBにおいて、外部コンサルタントとしてAIモデルの開発および実用化に従事した。
25年6月、SEBに移籍し、シニア・データサイエンティストとして現在に至る。スウェーデンで知り合った日本人のパートナーとともに共働きで2人の子どもを育てている。共著に『スウェーデン・パラドックス』(日本経済新聞出版)、訳書に『沈黙の海』(新評論)、『スウェーデンは放射能汚染からどう社会を守っているのか』(合同出版)がある。
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(データサイエンティスト 佐藤 吉宗)
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