アメリカのトランプ大統領は、なぜ強い支持を集められるのか。ジャーナリストの池上彰さんは「アメリカ国民の8000万人が信じているというキリスト教福音派の存在が大きい。
彼らは聖書を絶対的な真実だと信じ、進化論や多様性を否定している。それらを推進する民主党を憎んでいるのだ」という――。(第2回)
※本稿は、池上彰『ぼくはこんなふうに本を読んできた』(SBクリエイティブ)の一部を再編集したものです。
■国民の4分の1が“聖書はすべて真実”と考えている
トランプ氏再選の背景で、考えなければいけないのが福音派の存在です。キリスト教徒が多いアメリカは、国民のおよそ4分の1が福音派だといわれています。
福音とは、良い知らせのこと。『新約聖書』に4つの福音書が入っていることはご存じでしょう。福音派と呼ばれるのは、『聖書』は「神の霊感」によって書かれたもので、そこに記されたことは一字一句すべて真実だと考える人たちです。そういう人が今のアメリカには国民の4分の1もいます。アメリカの人口が約3億3000万人ですから(国際連合の推計2019年)、ざっと8000万人は『聖書』を文字通りに解釈して、書かれていることはすべて真実だと考えているわけです。
『旧約聖書』の冒頭は「創世記」です。ここには、神がアダム(男)とイブ(女)をお造りになり、その上で「男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる」と書かれています。
すると、この記述をその如く信じる限り、同性同士の結婚はあってはならないことになり、LGBTQも論外となって、いわゆる多様性は否定されます。
また「創世記」によると、神は人間たちに「産めよ、増えよ、地に満ちよ」と言われました。これは子どもをたくさん産み増やせという神のご命令ですから、人工妊娠中絶は許されないということになります。
■“人間がサルから進化したなんてありえない”
こういう考え方からすると、「同性婚を認めよう」「LGBTQを認めよう」「人工妊娠中絶の自由を認めよう」と言っている民主党は神を信じない人たちの集まりであり、福音派の人ならごく自然に「あんな連中を選挙で勝たせてはいけない」という思いになるのです。
トランプ氏はまさにこういう人たちの支持を得て大統領に上り詰めました。それはつまり、『聖書』を一字一句すべて真実だと考える約8000万の人たちがアメリカ社会を動かしているということです。
私たち日本人の感覚ではなかなか理解しがたいことですが、福音派の人たちはダーウィンの進化論を信じていません。神がアダムとイブをお造りになったのであって、人間がサルの仲間から進化したなんてあり得ないというわけです。
アメリカの南部では、20世紀になって進化論禁止法ができた州がいくつもありました。進化論は誤りであるから、そういう考え方を公立学校で教えてはいけないという法律です。
テネシー州で高校の理科の先生が進化論を教えたために、裁判で有罪判決を受けるという事件もありました。これは1925年のことで、スコープス裁判として有名です。
そんな時代もあったのですね。さすがに今はそういうことはなくなり、進化論禁止法も廃止されました。
■教育委員を決めるのも選挙で
それでも、とにかく進化論は教えたくない、教えさせたくないと思っている人たちが大勢います。それによって何が起きたかというと、教育委員の選挙にこの問題が持ち込まれたのです。
アメリカという国は何でも選挙で決めたがり、教育委員も選挙で選びます。第二次世界大戦後、連合国軍によって占領された日本でも、最初はアメリカ風に教育委員を選挙で選ぶという方法が採用されました。ところが、これを実行したところ、教育内容をめぐって左右のイデオロギー対立が起きてしまいました。このため、日本が独立を果たした後は、教育委員は首長が指名し、議会が承認するやり方に改められました。
一方のアメリカは、教育委員の決定方法はいまだに選挙です。直近の大統領選挙があった2024年11月5日には、上院議員と下院議員の選挙に加えて全国各地で教育委員の選挙も行われました。
問題は、この教育委員の選挙に「私が教育委員になったら学校で進化論は教えさせない」という公約を掲げて立候補する人がいることです。当選すれば彼らが学校を指導するわけで、反進化論を信条とする教育委員が多数を占めた学区では、進化論を教えられないところも出てきます。
実は、こういうことが今でも続いています。
■“正反対”の民主党に憎しみを抱く構図
結局、福音派の人たちは『聖書』しか読んでいないのです。他のいろいろな本を読むことをしない。それは純粋な信仰の表れだと言うこともできるでしょう。でも、本を読まなくていいのかというのが私の疑問です。
自然科学や社会科学の知識、考え方を身に付けた上で、『聖書』は聖なる書物ではあるけれども、これは物語や神話、あるいは胸を打つさまざまなエピソードの集積だと思えるかどうかです。
日本でも『古事記』や『日本書紀』には国産みの話が登場します。イザナギノミコトとイザナミノミコトが日本列島を誕生させたことになっていますが、それを本当にあった出来事だと考えている人はほとんどいませんよね。大部分の人は神話として相対化して受け止めています。もちろん神話だから価値がないということではなく、神話だとしても、その中に現代に生きる私たちにも通じる教訓やエピソードが含まれていると思って読むわけです。
ところが、『聖書』しか読んだことがない人は、このように相対化して読むことができません。書かれたことすべてが真実だと考えてしまう。
その結果、同性婚やLGBTQや人工妊娠中絶を認め、進化論も学校でちゃんと教えようという民主党に憎しみを抱くという残念な構図が生まれてくるのです。
■「アメリカの大学」は認可なしに誰でも作れる
「アメリカにはハーバード大学やMIT(マサチューセッツ工科大学)をはじめ世界トップクラスの大学がたくさんあり、ノーベル賞受賞者の数も世界一だというのに、進化論を信じない人が多いってどういうこと?」と思った人はいませんか。
日本では、進化論を否定する教育をしている大学があるとは聞きませんよね。大学で学んだ人なら進化論を受け入れている人が圧倒的に多いはずです。でも、アメリカは違うのです。
アメリカの大学は千差万別で、教育内容もバラバラです。自由を尊重する国らしく、誰でも大学を作ることができて国や州の認可は必要ありません。
日本で大学を作ろうとすれば、文部科学大臣の認可が必要です。認可の条件は、大学設置・学校法人審議会の審査に合格すること。本当に大学にふさわしい教育が行われるのか審議会が厳しいチェックを行い、審査に合格して初めて大学として認められます。
アメリカの場合、誰でもユニバーシティやカレッジを名乗れるため、5000を超えるユニバーシティやカレッジがあります。中にはお金さえ払えば学位を与える大学もあります。
これはディプロマ・ミルと言って、日本でも以前、そういうところから博士号をもらった人がいて問題になりました。
■「進化論は間違いだ」と教える大学も
宗教系の大学もたくさんあります。福音派の人向けには福音派の大学があり、そこに入って学べば、聖書がいかに正しいか、進化論がいかに間違っているかということを教えられるわけです。
読者の中に、もしアメリカの大学への入学を考えている人がいたら気をつけてください。大学と名乗っているから大丈夫だろうと安心するのは危険です。アメリカには何千という数の大学があり、中にはとんでもないところもあるからです。
問題は大学の選び方です。アメリカでは一定のレベル以上の大学とそうでない大学を区別できるように、きちんとした大学同士でお互いに教育内容をチェックしています。具体的には6つの地域ごとに大学基準協会を置き、それぞれの協会内で加盟する大学がお互いに教育内容をチェックして教育の質を保っています。裏を返せば、協会に加盟していない、もしくは加盟できない大学は、提供する教育に十分な質が伴っていない可能性があるのです。
ハーバード大学、スタンフォード大学、コロンビア大学、イェール大学、プリンストン大学など日本でもよく知られた大学は、いずれも大学基準協会の加盟校です。入学を希望する人は、自分の行きたい大学が各地域の大学基準協会に入っているか、その大学のホームページなどで調べてみるとよいでしょう。

■「教育省を廃止する」と公約で掲げていた
そういう大学で取得した単位は、同じ基準協会の他の大学の単位としても通用しますし、日本の大学と協定を結んでいれば、日本でもそれを単位として認めるところがあります。自由を重んじる国アメリカでは、大学だろうと何だろうと勝手に作ることができてしまう。そこが日本との違いです。
トランプ氏は大統領選挙の最中に、大統領になったら教育省を廃止するという公約を掲げていました。当選後、起業家のイーロン・マスク氏とラマスワミ氏の2人をアメリカ政府を効率化する委員会の責任者に任命しましたが、このラマスワミ氏も教育省の廃止を主張していた人です。
政権が発足すると、委員会は政府効率化省(DOGE)と名付けられ、ラマスワミ氏は退きましたが、政府機関の縮小と人員削減に大なたを振るいました。そのやり方があまりにも乱暴で拙速だったので大騒ぎになりましたよね。
そして25年3月、トランプ大統領はまず約4100人いた教育省の職員を半減させると発表、続けて教育省を廃止するため州政府に権限を委譲するよう命じる大統領令に署名しました。
トランプ氏は教育省廃止を訴えて当選したわけですから、それを実行に移すのは当然と言えるかもしれません。でも、これは本当にビックリ仰天するような話です。
■本当に「廃止」の瀬戸際に立っている
そもそも日本で「私が当選したら文部科学省を廃止します」と言って選挙に出るなんて、あり得ないでしょう。百歩譲ってそういう候補がいたとしても、とても当選するとは思えません。ところが、アメリカではそのあり得ないことが現実となり、教育省は今、廃止の瀬戸際に立たされています。
なぜこうなったかというと、彼らは国が教育の水準を定めたり、学校で教えるべき内容を決めたりすることに反対なのです。子どもの教育には親が責任を持つべきで、教育省などという国の役所は必要ないと考えています。教育省を残したところで、国民の税金の無駄遣いになるだけというわけです。
ただし、教育省の廃止には議会の承認が必要です。トランプ大統領といえども議会を無視して勝手なことはできないので、廃止か存続かの決定は議会の判断に委ねられることになりそうです。
アメリカで教育省が設立されたのは1979年です。この時はカーター大統領でした。続くレーガン大統領時代の1983年、「危機に立つ国家」という報告書が公表されました。これはアメリカの若者の学力が年々低下しているというデータを示して、「このままでいいのか」と警鐘を鳴らしたものです。
■格差はますます広がる
報告書をめぐって全米で大きな騒ぎになり、学力を上げるにはどうしたらいいかという議論が活発になります。その時、日本では文部省(現・文部科学省)という国の役所が学習指導要領を作り、全国どこへ行っても必ずこれだけは教えるという内容を決めて、これによって日本の子どもたちの学力が保障されていることが注目を浴びました。
そこで、アメリカでも日本の学習指導要領を参考にして全国教育水準を定めるようにしました。
ところが、トランプ大統領やラマスワミ氏のような人は、これをとんでもないことだと考えます。子どもの教育に国が介入して、あれこれ命令するようなことはすべきでないという考え方です。
ということは、教育省が廃止されて全国教育水準がなくなると、格差はますます広がる恐れがあります。今は貧困などで教育環境の厳しい子どもがいても、最低これだけは学ばなければいけないということになっていますが、それがなくなれば、すべては自己責任です。果たしてそれでいいのかどうか。トランプ政権下でのアメリカの教育の行方が心配されるところです。

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池上 彰(いけがみ・あきら)

ジャーナリスト

1950年長野県生まれ。慶應義塾大学卒業後、NHK入局。報道記者として事件、災害、教育問題を担当し、94年から「週刊こどもニュース」で活躍。2005年からフリーになり、テレビ出演や書籍執筆など幅広く活躍。現在、名城大学教授・東京科学大学特命教授など。6大学で教える。『池上彰のやさしい経済学』『池上彰の18歳からの教養講座』『これが日本の正体! 池上彰への42の質問』『新聞は考える武器になる  池上流新聞の読み方』『池上彰のこれからの小学生に必要な教養』など著書多数。

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(ジャーナリスト 池上 彰)
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