「クマ被害」をめぐる報道が連日のようにテレビを賑わせている。元関西テレビ記者で、神戸学院大学の鈴木洋仁准教授は「クマに関する報道は興味本位・面白半分なものが多く、あまりにも雑である。
■北海道では「クマ駆除」で200件以上の苦情
北海道福島町で7月12日未明、新聞配達中の男性がヒグマに襲われて死亡した。6日後に、ハンターが捕獲したところ、4年前の同町で人に危害を加えたクマと同じ個体だと判明した。
福島町、北海道警をはじめとする官民一体となった適正な対応だったにもかかわらず、北海道庁ヒグマ対策室などには200件以上の電話が殺到した。鈴木直道知事は、7月25日の会見で、次のように苦言を呈している。
ヒグマを殺すのはかわいそうだからやめてほしいということで、多数のご連絡をいただいておりまして、2時間以上、長時間に及んで、ご連絡を多数いただいておりまして、職員が対応に大変な時間を拘束されている状況であります(北海道庁ウェブサイト「知事定例記者会見 令和7年7月25日」)
福島町での対応を、北海道庁に延々と電話する。その時点で、自治体の管轄の違いを踏まえていない直情径行と言うほかない。鈴木知事が、この発言に続いて述べている通り、「ハンターの皆さんも命をかけて、捕獲に従事していただいて」いるにもかかわらず、その努力にも葛藤にも、想像が及んでいないのではないか。
■秋田・佐竹知事「攻めた発言」のワケ
北海道と同じく、クマの駆除をめぐり、抗議電話が秋田県でも相次いだ。同県の佐竹敬久知事は、2023年10月23日の記者会見で、抗議電話への対応を問われ、「最初から乱暴な態度でこられたら、これは『ガチャン』ですよ」と語っていた。この発言の真意について、ライターの伊藤秀倫氏によるインタビューで「抗議はほとんどが県外から」と明かした上で、次のように述べている。
やっぱり知事として職員を守るというか、理不尽なバッシングに晒されたままにしてはいけないという思いがある。
北海道でも秋田でも、行政のトップ(知事)が、こうまでしなければならないほど、「クマ」をめぐる世論は沸騰しているのかと思いきや、抗議の声は、当事者以外からのようである。北海道の鈴木知事も「むしろ道外の方からじゃんじゃん電話が来て、しかも1時間、2時間、と来るわけでありました」と述べているからである。
直接の関係がない人たちが、長時間にわたって電話をかけるとすれば、その発火点のひとつにマスコミ報道がある。すぐに身の危険が迫っているわけでも、噂話で聞いたわけでもない、そんな遠いところに住む人たちの怒りというか、正義感に火をつけたのは、メディアだろう。「クマ報道」は毎日のように続いているからである。
では、なぜ、ここまで熱をあげるのか。
■なぜテレビ局は「クマ」に熱を上げるのか
クマに限らず、動物ネタはテレビにとって鉄板である。フジテレビ系列の「めざましテレビ」の「きょうのわんこ」を見るまでもなく、情報番組では、ニュースに限らず、ほぼ必ず動物が出てくる。
いまの日本のテレビでは、朝から夜半まで、延々と食レポが流れているものの、動物もまた、グルメと並び視聴率を得やすい。すると「クマ報道」もまた、「数字(視聴率)が取れるから」という身も蓋もない、というか、面白味のない理由だけなのだろうか。
「クマ」が、ほかの動物と違うのは、命にかかわるところである。イヌやネコのようなペットには、もちろんできないどころではない。
こう考えると、「クマ報道」は、当事者以外にとっては、どこまでも他人事でいられるし、しかも、危険性を煽れる点で、格好のテレビ向きのネタなのではないか。
■「ヒグマ」も「ツキノワグマ」も一括り
もとより、「クマ」とかかわりがなく、日常の関心もない人たちにとっては、ヒグマとツキノワグマの区別すら怪しいはずである。北海道庁にあるのは「ヒグマ対策室」であり、秋田県の佐竹知事がモンスタークレーマーに送ると言ったのは「ツキノワグマ」と見られるが、抗議電話をかけた人たちは、どこまで、この2種類を分けていたのだろうか。
たとえば、2019年7月からの約4年間、北海道東部の標茶町や厚岸町で放牧中の乳牛66頭を襲った「オソ18」はヒグマである。一方、本州の市街地周辺に出没して話題になるクマは、ツキノワグマである。
どちらのクマも雑食で草木を主な食べ物とするものの、ヒグマはサケやシカ、さらには、先に触れた通り乳牛をも食べる。対するツキノワグマは本来、ほとんど動物を襲わないとされている。
■「人食いグマ」か「動物愛護の対象」か
しかし、環境省の資料(「令和6年度クマ類の出没状況等について」)では、「クマ類による人身被害の発生状況」として、一緒くたにしており、今年4月から7月末までの「クマによる被害」についてのニュースでも、ツキノワグマもまとめて報じられている(「クマ被害 過去最多と同水準に 全国でけがや死者55人に」NHKニュース、2025年8月7日5時4分配信)。
こう報じられていると、たとえ、環境省がまとめた「クマ類の生息状況、被害状況等について」(令和5年度)にあるように、2年前の時点で、「クマ類は34都道府県に恒常的に分布し、四国を除いたすべての地域で分布が拡大」しているとしても、ふだんクマと接しない人たちにとっては、ヒグマもツキノワグマも同じに見えるのではないか。
どちらも「人食いグマ」のような危険な存在だととらえるか、あるいは逆に、どちらの「クマ」も動物愛護の対象になりかねない。両極端に映る、この2つの立場はともに、ヒグマにもツキノワグマにも無関係な人たちが、「究極の他人事」ととらえている証拠ではないか。
■メディアに決定的に欠ける視点
むろん、他にもたくさんの見方がある。「クマとの共生」を訴えたり、クマの持つ文化的な側面を考えたりする立場があげられよう。この原稿を書くにあたって参考にした、増田隆一氏の編著による『ヒグマ学への招待 【自然と文化で考える】』(北海道大学出版会)や、中沢新一氏の『熊から王へ カイエ・ソバージュII』(講談社選書メチエ)といった本は、目先の短兵急な対策への戒めになろう。
とはいえ、それだけに、事態は一刻を争う。
秋田大学大学院医学系研究科救急・集中医療学講座教授の中永士師明氏の編んだ『クマ外傷 クマージェンシー・メディシン』(新興医学出版社)に掲載されているのは、目を背けたくなるほどの、おどろおどろしいクマによる被害である。
こうした被害が相次いでいるにもかかわらず、一見すると悠長とも言えるような議論が有益になると思われるほど、「クマ報道」が、あまりにも雑ではないか。「クマに遭ったらどうすればいいか」といった、興味本位、面白半分の報じ方ばかりで、いま本当に何が起きて、何を考えなければいけないのか、その視点が欠落しているのではないか。
代表的なのが、9月1日から導入された「緊急銃猟」をめぐる動きである。この制度について北海道では、クマの駆除を担う猟友会から反発の声が上がっていると、毎日新聞が報じている(「猟友会が反発、自治体は不安…クマへの新対策、見切り発車で開始」毎日新聞、2025年9月2日8時43分最終更新)。
■市の要請で「クマ駆除」の男性が書類送検
2018年に北海道砂川市の要請を受けてヒグマを銃で駆除したハンターの男性(猟友会所属)が、その翌年、「家のある方向に撃った」として、鳥獣保護管理法違反などの疑いで書類送検された事件が背景にある。
男性は起訴猶予となったものの、北海道公安委員会が猟銃の所持許可を取り消す。男性は、この取り消しの無効を求めて提訴し、1審では認められたものの、昨年10月の2審では退けられ、現在は最高裁判所で争っている。
この事件について、北海道新聞の内山岳志記者は、「そもそも猟友会は、ハンティングを行う趣味の団体」とした上で「市民の生命財産を守るのが警察の使命であるなら、ヒグマの駆除を警察官自らが行なってもいいはずです」と書いている(内山岳志著・北海道新聞社編『ヒグマは見ている 道新クマ担記者が追う』北海道新聞社、2023年、83ページ)。
こうした事情は、「クマ報道」でどこまで共有されているのだろうか。「クマとの共生」は理想だが、駆除しようにも担い手となる猟友会に納得してもらわなければ、抗議の電話以前に、クマを野放しにするほかないのではないか。
■「クマ報道」に求められるもの
話題の漫画『絶滅動物物語』(うすくらふみ著、今泉忠明監修、小学館)が描くように、人類の歴史は、あまたの動物を死に絶えさせてきた歴史にほかならない。「動物の権利」や「人間と動物はどう違うのか」といったテーマについて、倫理学者のピーター・シンガーや哲学者のジャック・デリダといった世界を代表する知性たちが、深く、そして、根源的な思考を繰り出してきた。
にもかかわらず、そうした深淵な議論とは裏腹に、「クマ報道」は、ますますセンセーショナルになるばかりである。かといって、ここでのお説教には何の効果もない。抗議の電話をかける人は止まらないだろうし、「クマ報道」も続くだろう。
私たちに求められるのは、こうした愚かさを受け入れることではないか。ヒグマとツキノワグマの違いは覚えにくく、「緊急銃猟」の条件は込み入っている。
「究極の他人事」となっている「クマ報道」には、こうしたいくつもの落とし穴がある以上、私たち、というか、世論が賢明な判断をくだすのは難しい。何より、私たち人類は、多くの動物を追いやってきたのだから、「クマとの共生」は、さらに難しい。
だからこそ、事情を知らないなら、せめて知ろうとする謙虚さを持たなければならない。脊髄反射で結論や教訓めいたものを引き出して一件落着とするような、そんな安直な態度を捨てなければならない。「クマ報道」に求められるのは、そうした、愚かさへのあきらめではないか。
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鈴木 洋仁(すずき・ひろひと)
神戸学院大学現代社会学部 准教授
1980年東京都生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程修了。博士(社会情報学)。京都大学総合人間学部卒業後、関西テレビ放送、ドワンゴ、国際交流基金、東京大学等を経て現職。専門は、歴史社会学。著書に『「元号」と戦後日本』(青土社)、『「平成」論』(青弓社)、『「三代目」スタディーズ 世代と系図から読む近代日本』(青弓社)など。
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(神戸学院大学現代社会学部 准教授 鈴木 洋仁)
クマが『究極の他人事』になっているのではないか」という――。
■北海道では「クマ駆除」で200件以上の苦情
北海道福島町で7月12日未明、新聞配達中の男性がヒグマに襲われて死亡した。6日後に、ハンターが捕獲したところ、4年前の同町で人に危害を加えたクマと同じ個体だと判明した。
福島町、北海道警をはじめとする官民一体となった適正な対応だったにもかかわらず、北海道庁ヒグマ対策室などには200件以上の電話が殺到した。鈴木直道知事は、7月25日の会見で、次のように苦言を呈している。
ヒグマを殺すのはかわいそうだからやめてほしいということで、多数のご連絡をいただいておりまして、2時間以上、長時間に及んで、ご連絡を多数いただいておりまして、職員が対応に大変な時間を拘束されている状況であります(北海道庁ウェブサイト「知事定例記者会見 令和7年7月25日」)
福島町での対応を、北海道庁に延々と電話する。その時点で、自治体の管轄の違いを踏まえていない直情径行と言うほかない。鈴木知事が、この発言に続いて述べている通り、「ハンターの皆さんも命をかけて、捕獲に従事していただいて」いるにもかかわらず、その努力にも葛藤にも、想像が及んでいないのではないか。
■秋田・佐竹知事「攻めた発言」のワケ
北海道と同じく、クマの駆除をめぐり、抗議電話が秋田県でも相次いだ。同県の佐竹敬久知事は、2023年10月23日の記者会見で、抗議電話への対応を問われ、「最初から乱暴な態度でこられたら、これは『ガチャン』ですよ」と語っていた。この発言の真意について、ライターの伊藤秀倫氏によるインタビューで「抗議はほとんどが県外から」と明かした上で、次のように述べている。
やっぱり知事として職員を守るというか、理不尽なバッシングに晒されたままにしてはいけないという思いがある。
私があえて強い表現をすることで、職員が毅然とした対応を取りやすくなる(〈モンスタークレーマーには「クマ送る」…秋田・佐竹敬久知事がぶちまけた「悪質抗議電話」への“怒りの60分”〉プレジデントオンライン、2024年12月26日9時配信)
北海道でも秋田でも、行政のトップ(知事)が、こうまでしなければならないほど、「クマ」をめぐる世論は沸騰しているのかと思いきや、抗議の声は、当事者以外からのようである。北海道の鈴木知事も「むしろ道外の方からじゃんじゃん電話が来て、しかも1時間、2時間、と来るわけでありました」と述べているからである。
直接の関係がない人たちが、長時間にわたって電話をかけるとすれば、その発火点のひとつにマスコミ報道がある。すぐに身の危険が迫っているわけでも、噂話で聞いたわけでもない、そんな遠いところに住む人たちの怒りというか、正義感に火をつけたのは、メディアだろう。「クマ報道」は毎日のように続いているからである。
では、なぜ、ここまで熱をあげるのか。
■なぜテレビ局は「クマ」に熱を上げるのか
クマに限らず、動物ネタはテレビにとって鉄板である。フジテレビ系列の「めざましテレビ」の「きょうのわんこ」を見るまでもなく、情報番組では、ニュースに限らず、ほぼ必ず動物が出てくる。
いまの日本のテレビでは、朝から夜半まで、延々と食レポが流れているものの、動物もまた、グルメと並び視聴率を得やすい。すると「クマ報道」もまた、「数字(視聴率)が取れるから」という身も蓋もない、というか、面白味のない理由だけなのだろうか。
「クマ」が、ほかの動物と違うのは、命にかかわるところである。イヌやネコのようなペットには、もちろんできないどころではない。
サルやイノシシも、クマと同じく田畑を荒らす「獣害」をもたらすとはいえ、人を殺しはしない。さらには、おなじクマ科であるパンダのように愛くるしいかといえば、意見が分かれるに違いない。絶滅が危ぶまれる保護の対象でもない。
こう考えると、「クマ報道」は、当事者以外にとっては、どこまでも他人事でいられるし、しかも、危険性を煽れる点で、格好のテレビ向きのネタなのではないか。
■「ヒグマ」も「ツキノワグマ」も一括り
もとより、「クマ」とかかわりがなく、日常の関心もない人たちにとっては、ヒグマとツキノワグマの区別すら怪しいはずである。北海道庁にあるのは「ヒグマ対策室」であり、秋田県の佐竹知事がモンスタークレーマーに送ると言ったのは「ツキノワグマ」と見られるが、抗議電話をかけた人たちは、どこまで、この2種類を分けていたのだろうか。
たとえば、2019年7月からの約4年間、北海道東部の標茶町や厚岸町で放牧中の乳牛66頭を襲った「オソ18」はヒグマである。一方、本州の市街地周辺に出没して話題になるクマは、ツキノワグマである。
どちらのクマも雑食で草木を主な食べ物とするものの、ヒグマはサケやシカ、さらには、先に触れた通り乳牛をも食べる。対するツキノワグマは本来、ほとんど動物を襲わないとされている。
■「人食いグマ」か「動物愛護の対象」か
しかし、環境省の資料(「令和6年度クマ類の出没状況等について」)では、「クマ類による人身被害の発生状況」として、一緒くたにしており、今年4月から7月末までの「クマによる被害」についてのニュースでも、ツキノワグマもまとめて報じられている(「クマ被害 過去最多と同水準に 全国でけがや死者55人に」NHKニュース、2025年8月7日5時4分配信)。
こう報じられていると、たとえ、環境省がまとめた「クマ類の生息状況、被害状況等について」(令和5年度)にあるように、2年前の時点で、「クマ類は34都道府県に恒常的に分布し、四国を除いたすべての地域で分布が拡大」しているとしても、ふだんクマと接しない人たちにとっては、ヒグマもツキノワグマも同じに見えるのではないか。
どちらも「人食いグマ」のような危険な存在だととらえるか、あるいは逆に、どちらの「クマ」も動物愛護の対象になりかねない。両極端に映る、この2つの立場はともに、ヒグマにもツキノワグマにも無関係な人たちが、「究極の他人事」ととらえている証拠ではないか。
■メディアに決定的に欠ける視点
むろん、他にもたくさんの見方がある。「クマとの共生」を訴えたり、クマの持つ文化的な側面を考えたりする立場があげられよう。この原稿を書くにあたって参考にした、増田隆一氏の編著による『ヒグマ学への招待 【自然と文化で考える】』(北海道大学出版会)や、中沢新一氏の『熊から王へ カイエ・ソバージュII』(講談社選書メチエ)といった本は、目先の短兵急な対策への戒めになろう。
とはいえ、それだけに、事態は一刻を争う。
秋田大学大学院医学系研究科救急・集中医療学講座教授の中永士師明氏の編んだ『クマ外傷 クマージェンシー・メディシン』(新興医学出版社)に掲載されているのは、目を背けたくなるほどの、おどろおどろしいクマによる被害である。
こうした被害が相次いでいるにもかかわらず、一見すると悠長とも言えるような議論が有益になると思われるほど、「クマ報道」が、あまりにも雑ではないか。「クマに遭ったらどうすればいいか」といった、興味本位、面白半分の報じ方ばかりで、いま本当に何が起きて、何を考えなければいけないのか、その視点が欠落しているのではないか。
代表的なのが、9月1日から導入された「緊急銃猟」をめぐる動きである。この制度について北海道では、クマの駆除を担う猟友会から反発の声が上がっていると、毎日新聞が報じている(「猟友会が反発、自治体は不安…クマへの新対策、見切り発車で開始」毎日新聞、2025年9月2日8時43分最終更新)。
■市の要請で「クマ駆除」の男性が書類送検
2018年に北海道砂川市の要請を受けてヒグマを銃で駆除したハンターの男性(猟友会所属)が、その翌年、「家のある方向に撃った」として、鳥獣保護管理法違反などの疑いで書類送検された事件が背景にある。
男性は起訴猶予となったものの、北海道公安委員会が猟銃の所持許可を取り消す。男性は、この取り消しの無効を求めて提訴し、1審では認められたものの、昨年10月の2審では退けられ、現在は最高裁判所で争っている。
この事件について、北海道新聞の内山岳志記者は、「そもそも猟友会は、ハンティングを行う趣味の団体」とした上で「市民の生命財産を守るのが警察の使命であるなら、ヒグマの駆除を警察官自らが行なってもいいはずです」と書いている(内山岳志著・北海道新聞社編『ヒグマは見ている 道新クマ担記者が追う』北海道新聞社、2023年、83ページ)。
こうした事情は、「クマ報道」でどこまで共有されているのだろうか。「クマとの共生」は理想だが、駆除しようにも担い手となる猟友会に納得してもらわなければ、抗議の電話以前に、クマを野放しにするほかないのではないか。
■「クマ報道」に求められるもの
話題の漫画『絶滅動物物語』(うすくらふみ著、今泉忠明監修、小学館)が描くように、人類の歴史は、あまたの動物を死に絶えさせてきた歴史にほかならない。「動物の権利」や「人間と動物はどう違うのか」といったテーマについて、倫理学者のピーター・シンガーや哲学者のジャック・デリダといった世界を代表する知性たちが、深く、そして、根源的な思考を繰り出してきた。
にもかかわらず、そうした深淵な議論とは裏腹に、「クマ報道」は、ますますセンセーショナルになるばかりである。かといって、ここでのお説教には何の効果もない。抗議の電話をかける人は止まらないだろうし、「クマ報道」も続くだろう。
私たちに求められるのは、こうした愚かさを受け入れることではないか。ヒグマとツキノワグマの違いは覚えにくく、「緊急銃猟」の条件は込み入っている。
猟友会をはじめとする駆除の担い手不足は、一朝一夕には解決しない。
「究極の他人事」となっている「クマ報道」には、こうしたいくつもの落とし穴がある以上、私たち、というか、世論が賢明な判断をくだすのは難しい。何より、私たち人類は、多くの動物を追いやってきたのだから、「クマとの共生」は、さらに難しい。
だからこそ、事情を知らないなら、せめて知ろうとする謙虚さを持たなければならない。脊髄反射で結論や教訓めいたものを引き出して一件落着とするような、そんな安直な態度を捨てなければならない。「クマ報道」に求められるのは、そうした、愚かさへのあきらめではないか。
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鈴木 洋仁(すずき・ひろひと)
神戸学院大学現代社会学部 准教授
1980年東京都生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程修了。博士(社会情報学)。京都大学総合人間学部卒業後、関西テレビ放送、ドワンゴ、国際交流基金、東京大学等を経て現職。専門は、歴史社会学。著書に『「元号」と戦後日本』(青土社)、『「平成」論』(青弓社)、『「三代目」スタディーズ 世代と系図から読む近代日本』(青弓社)など。
共著(分担執筆)として、『運動としての大衆文化:協働・ファン・文化工作』(大塚英志編、水声社)、『「明治日本と革命中国」の思想史 近代東アジアにおける「知」とナショナリズムの相互還流』(楊際開、伊東貴之編著、ミネルヴァ書房)などがある。
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(神戸学院大学現代社会学部 准教授 鈴木 洋仁)
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