2025年9月に、プレジデントオンラインで反響の大きかった人気記事ベスト3をお送りします。朝ドラ部門の第3位は――。
▼第1位 カミさんに看取られるはずだったのに…闘病6年の末に死期を悟ったやなせたかしの妻、暢が秘書に残した言葉
▼第2位 「あんぱん」で河合優実演じる蘭子のモデルは向田邦子か…やなせたかしが慕った女性脚本家との知られざる関係
▼第3位 ばいきんまんでもバタコさんでもない…やなせたかしが「大好きな母の面影」を感じたアンパンマンの人気キャラ
やなせたかしとその妻をモデルに描いたドラマ「あんぱん」(NHK)がいよいよ完結を迎える。ライターの村瀬まりもさんは「嵩(北村匠海)と身勝手な実母(松嶋菜々子)の関係が面白かった。アンパンマンには、やなせが母のイメージを重ねたキャラもいた」という――。
■最終週で描かれた嵩と実母の「和解」
嵩(北村匠海)「母さんはずるく生きたつもりだった?」
登美子(松嶋菜々子)「少なくともあなたの100万倍、ずるく生きてきたわ」
嵩「あんまりうまく……いかなかったんじゃないかな……」
登美子「生意気言って……」
連続テレビ小説「あんぱん」第26週「愛と勇気だけが友達さ」125話
いよいよ最終週に突入した朝ドラ「あんぱん」(NHK)。これまで半年にわたって、絵本作家・漫画家のやなせたかしとその妻・暢をモデルにした人間模様を描いてきたが、やなせが70歳を迎えようとしていた頃、ついに絵本『あんぱんまん』シリーズがアニメになる段階を描く。
やなせがモデルである嵩(北村匠海)は、実母の登美子(松嶋菜々子)から、たびたび「ずるく生きろ」と言われてきた。戦争で召集されて軍隊に入るとき、漫画家になったもののヒット作を出せずにいたとき、ずるくなって生き抜け、成功しろとプレッシャーをかけてきた。母の「ずるく生きなさい」という言葉は、やなせも実際にそう言われたと詩に書いている。しかし、やなせは正直で誠実な性格のまま、ついに成功をつかむのだ。
■アンパンマンを成功させたのは、あの悪役
実際に、国民的漫画『サザエさん』『ドラえもん』と同じようにTVアニメ化という成功のきっかけをつかんだのは、やなせがミュージカル「怪傑アンパンマン」(1976年)で、アンパンマンという物語に足りないものは悪役だと気づいたからだった。1979年、やなせは『あんぱんまんとばいきんまん』という絵本を出し、そこでばいきんまんが初登場する。
「たべるものをくさらせて、せかいじゅうのこどもをはらいたにしてやるんだ」と企むばいきんまんは、雷ショックのような攻撃で空飛ぶアンパンマンを墜落させ、アンパンマンの顔はぺちゃんこに。
この絵本のように、初期のばいきんまんは、アニメとは違った姿だった。「やせていて羽が大きくボタンはふたつだった(編集部註:アニメ版はひとつ)。ツノには毛がはえていた。つまりぼくはハエからつくったのだ」とやなせは『アンパンマン伝説』(フレーベル館)に書いている。絵本ではばいきんまんが「おれさま」とは言っているが、まだ「ハヒフヘホー」「バイバイキーン」の決めゼリフは出てこない。
■息子に意地悪をする実母は、ばいきんまん?
それからアニメ化を経て、ばいきんまんのキャラクターは徐々に完成し人気を得ていくのだが、悪者だけれど、どこか憎めず、間抜けなところもあり、アンパンマンにアンパンチでやられてしまっても、懲りずにまた意地悪をしかける。そんなばいきんまんは、究極のツンデレだ。本当はアンパンマンのことが好きで、構ってほしいのではないか。
「あんぱん」では、ばいきんまんに、松嶋菜々子が演じる嵩の母・登美子を重ねているようだ。
既にキャストのインタビューなどで、今田美桜演じる“のぶ”はドキンちゃん、その妹の蘭子(河合優実)はロールパンナ、末の妹・メイコ(原菜乃華)はメロンパンナちゃんをイメージし、それぞれオレンジ、ブルー、グリーンの色の衣装を着ることが多いことが明かされている。
登美子は嵩の父である夫・清(二宮和也)に死なれ、再婚するため嵩を伯父、つまり清の兄である医師の寛(竹野内豊)に預けた。そして、幼い嵩がはるばる遠くの町まで会いに行っても突き放した。それなのに再婚が破綻してからは悪びれず伯父の家に押しかけてきて居候し、勉強の苦手な嵩を無理矢理、医者にしようとした。
■ドラマでは干渉する母親を息子が拒否
ところが、嵩が受験に失敗すると、嵩の弟・千尋(登美子の実子だが、先に寛の家に養子に出していた)に責められたこともあって、東京へ。そこでちゃっかり地位のある軍人と再々婚する。その3人目の夫からは、立派な茶室のある屋敷を相続した。
嵩は大人になるまでは、自分を捨てた登美子の愛を一心に求めていたが、のぶ(今田美桜)という妻を得てからは強く出られるようになり、就職した百貨店を辞めるなと要求してくる登美子を「もうぼくらの人生に立ち入らないでくれ!」と言って、ついに拒絶した。
のぶは、そんな母子の間をつなぐように、登美子に茶道を習い始める。ちなみにやなせの母が茶の湯をたしなんでいたというのは史実で、母はもともと高知の豪農の娘だが、未亡人となってからは自活するために数々のお稽古事に励んだ。
やなせはこう書いている。
(母親は)残された財産を使い果たさないうちに何とか自活しなければいけない、というせっぱつまった考えからでした。
実家とはトラブルがあって、帰りにくい事情があったようです。
B型の派手な性格だから、あれこれやっているうちに広がりすぎて全くとりとめがなくなり、何とか後年ものになったのは生花と茶の湯のみ。
やなせたかし『ボクと、正義と、アンパンマン なんのために生まれて、なにをして生きるのか』(PHP研究所)
■半年間、母子の確執を描いてきた「あんぱん」
しかし、「あんぱん」では、嵩が登美子への思いを込め、母を失った赤ちゃんライオンと子を失った母犬の物語『やさしいライオン』を作っても、登美子は「あんな甘ったるい話」と評価しない。ついに、のぶの母・羽多子が面と向かって「あんたは自分の都合で、嵩さんの気持ちを踏みにじってきたがやろ!」「自分のミエと体裁だけやないですか」と説教。登美子は羽多子とにらみ合ってバチバチと火花を散らすが、結局、嵩とは和解できず、「だから、その歳になっても代表作がないのよ」「もう、漫画家なんかやめちゃいなさい」と捨てゼリフを吐いた。
その後も、登美子は素直になれず、ミュージカル「怪傑アンパンマン」も劇場に見に来ていたのに、嵩には会わずに帰っていった。そんなツンデレで、素直ではないところが、ばいきんまんに重なる。
そんな風に最初から最後まで描かれた嵩と登美子のすれ違いは、「あんぱん」というドラマの重要なスパイスであり、ともすると嵩とのぶ夫婦の関係よりもドラマティックだったが、物語が戦後に入ってからは、母親の出る場面はほとんど脚色であり、史実ではない。
■やなせたかしは母親を恨んでいなかった
実際のやなせたかしは、7歳で母親に置いていかれたが、それをさびしくは感じても母を恨んだり、大人になってから拒絶したりしたことはないと思われる。いくつかある自伝などで、母に対する気持ちを書き残しており、「母」という詩には、こうある。
母はずいぶん悪口を言われた人でした。
「お化粧が濃く派手好きで
自分の子供を捨てて再婚した」
(中略)
僕はちっとも恨んでいなかったのです。
やなせたかし『やなせたかし詩集 てのひらを太陽に』(河出文庫)
親戚や近所の人が母を悪く言っても、心の中でけなげに母親の味方をしていたのだという。おそらくやなせは、夫に死なれたという弱い立場である母に同情していたのだろうし、美人で「ぼくにはないじゅうぶんに社交的な華やかな雰囲気を持って」いた彼女にあこがれていたのだろう。「母の美しい眉」「長いまつげ」は、自分に遺伝しなくて残念だったとも書いている(同詩集「感謝」)。
快活で社交的、積極的で、眼の大きい南国美人の面影をもつ母をボクはとても好きでした。
やなせたかし『ボクと、正義と、アンパンマン』(PHP研究所)
■母は過去のあやまちを「許してね」と謝った
やなせが母親と疎遠になった時期も特になかったようだ。東京のデザイン学校(東京工芸高等学校)に通っていた頃は、母が再婚して住んでいる家に下宿して学校に通い、戦争時に召集されて命からがら帰国したときも、高知の伯父の家に戻りつつ、実母とも会った。詩「母」はこう結ばれている。
戦争から帰ってきたとき
ぼくは母のひざまくらで
眠りました
熱いものが
落ちてきたので
目をさますと
母の顔がありました
「許してね」
母はひとこといいました
やなせたかし『やなせたかし詩集 てのひらを太陽に』(河出文庫)
このくだりは『ボクと、正義と、アンパンマン』にも書かれているので、本当にあったことのようだ。このとき、母が子供を置いて再婚したことを「許してね」と謝ったから、やなせは母を恨まなかった。誰もが、この戦争を生き延びられただけでよかったと思った時代でもあった。
■ドラマの登美子は、あくまで謝らない「悪役」
一方、「あんぱん」では羽多子が登美子に、嵩に向かって「許してくれ」と頭を下げて謝るべきだと主張したが、登美子は「私は謝らなきゃならないようなことは一切しておりません」と突っぱねて謝らなかった。そこが史実とドラマの大きな違いだ。
やなせが母親と家族として暮らした時間は短かった。ただ、だからと言って親子であることを母親が否定したり、やなせの進路などに干渉したりすることはなかったようだ。
登美子はあくまで創作されたキャラクターであり、ばいきんまんのように嵩に憎まれ口を言い、意地悪し続けることでドラマを盛り上げてきた。このあたりは松嶋菜々子主演の「やまとなでしこ」などで、キャラ立ちした人物描写を見せてきた脚本家・中園ミホの真骨頂だ。
やなせは母の晩年については多くを語っていないが、こう書き残している。
母はボクとはちがった姓の墓石の下でいまは眠っています。それは少し淋しいことですが、母は一生けんめい生きたのだからそれでいいと思います。
やなせたかし『ボクと、正義と、アンパンマン』(PHP研究所)
ところで、筆者がやなせの著書・インタビュー記事を確認したかぎり、やなせの母とばいきんまんが似ているという記述はない。代わりに、こんな印象的な一節があった。
■ドキンちゃんには「母親の面影がある」
アンパンマンをかきはじめたとき
何か不思議ななつかしさをおぼえた
どこがぼくの弟に似ている
ドキンちゃんはなぜか
ぼくの母親の面影があり
性質は妻に似ている
やなせたかし『やなせたかし詩集 てのひらを太陽に』(河出文庫)
ドキンちゃんはアニメでおなじみ、ばいきんまんの仲間の女の子。わがままで怒りんぼ、自分のことを世界で一番かわいいと思っている。大きな瞳と小悪魔的なキャラクターで人気だ。
(母は)なにしろ頼り甲斐があります。強い気性で、眉は太くきりりと吊り上がっていました。
やなせたかし『ボクと、正義と、アンパンマン』(PHP研究所)
■「あんぱん」が愛される朝ドラになったワケ
ばいきんまんやアンパンマンが迷惑していても、わがままを押しつけ、ばいきんまんを困らせ、大好きなしょくぱんまんが他のキャラクターと仲良くしていると、嫉妬で怒りまくる。そんなドキンちゃん。
やなせは母について若い頃は「瞬間的低気圧」になることもたびたびあり、「母はときどきヒステリーを起こしました。このわけのわからない嵐のような荒れ方は、現在のボクには理解できますが、当時はわかるわけがありません。祖母とボクはおびえながら、おさまるのを待つよりしかたがありませんでした」(『ボクと、正義と、アンパンマン』)と振り返っている。
クラスメイトや職場の同僚なら、一時期の悪いイメージでその人柄が固定されてしまうこともあるが、家族の場合は数十年、多くは半世紀以上の年月をかけて付き合っていくものだ。人間は変わる。やなせにとっても、子供の頃はドキンちゃんのような母親に振り回されたが、「許してね」と謝られた“みそぎ”を経て変化し、大人になってからは友好的な親子関係を築けたのだろう。
「あんぱん」はそんな母子の関係をじっくりと描いたという点でも、朝ドラらしく幅広い世代が共感できる作品になったのではないだろうか。
(初公開日:2025年9月23日)
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村瀬 まりも(むらせ・まりも)
ライター
1995年、出版社に入社し、アイドル誌の編集部などで働く。フリーランスになってからも別名で芸能人のインタビューを多数手がけ、アイドル・俳優の写真集なども担当している。「リアルサウンド映画部」などに寄稿。
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(ライター 村瀬 まりも)
▼第1位 カミさんに看取られるはずだったのに…闘病6年の末に死期を悟ったやなせたかしの妻、暢が秘書に残した言葉
▼第2位 「あんぱん」で河合優実演じる蘭子のモデルは向田邦子か…やなせたかしが慕った女性脚本家との知られざる関係
▼第3位 ばいきんまんでもバタコさんでもない…やなせたかしが「大好きな母の面影」を感じたアンパンマンの人気キャラ
やなせたかしとその妻をモデルに描いたドラマ「あんぱん」(NHK)がいよいよ完結を迎える。ライターの村瀬まりもさんは「嵩(北村匠海)と身勝手な実母(松嶋菜々子)の関係が面白かった。アンパンマンには、やなせが母のイメージを重ねたキャラもいた」という――。
■最終週で描かれた嵩と実母の「和解」
嵩(北村匠海)「母さんはずるく生きたつもりだった?」
登美子(松嶋菜々子)「少なくともあなたの100万倍、ずるく生きてきたわ」
嵩「あんまりうまく……いかなかったんじゃないかな……」
登美子「生意気言って……」
連続テレビ小説「あんぱん」第26週「愛と勇気だけが友達さ」125話
いよいよ最終週に突入した朝ドラ「あんぱん」(NHK)。これまで半年にわたって、絵本作家・漫画家のやなせたかしとその妻・暢をモデルにした人間模様を描いてきたが、やなせが70歳を迎えようとしていた頃、ついに絵本『あんぱんまん』シリーズがアニメになる段階を描く。
やなせがモデルである嵩(北村匠海)は、実母の登美子(松嶋菜々子)から、たびたび「ずるく生きろ」と言われてきた。戦争で召集されて軍隊に入るとき、漫画家になったもののヒット作を出せずにいたとき、ずるくなって生き抜け、成功しろとプレッシャーをかけてきた。母の「ずるく生きなさい」という言葉は、やなせも実際にそう言われたと詩に書いている。しかし、やなせは正直で誠実な性格のまま、ついに成功をつかむのだ。
■アンパンマンを成功させたのは、あの悪役
実際に、国民的漫画『サザエさん』『ドラえもん』と同じようにTVアニメ化という成功のきっかけをつかんだのは、やなせがミュージカル「怪傑アンパンマン」(1976年)で、アンパンマンという物語に足りないものは悪役だと気づいたからだった。1979年、やなせは『あんぱんまんとばいきんまん』という絵本を出し、そこでばいきんまんが初登場する。
「たべるものをくさらせて、せかいじゅうのこどもをはらいたにしてやるんだ」と企むばいきんまんは、雷ショックのような攻撃で空飛ぶアンパンマンを墜落させ、アンパンマンの顔はぺちゃんこに。
アンパンマンはなんとかジャムおじさんのパン工房へ帰還するものの、ショックで号泣してしまう。ジャムおじさんは激怒し、アンパンマンを巨大に作り直して、ばいきんまんを倒しに行かせる。
この絵本のように、初期のばいきんまんは、アニメとは違った姿だった。「やせていて羽が大きくボタンはふたつだった(編集部註:アニメ版はひとつ)。ツノには毛がはえていた。つまりぼくはハエからつくったのだ」とやなせは『アンパンマン伝説』(フレーベル館)に書いている。絵本ではばいきんまんが「おれさま」とは言っているが、まだ「ハヒフヘホー」「バイバイキーン」の決めゼリフは出てこない。
■息子に意地悪をする実母は、ばいきんまん?
それからアニメ化を経て、ばいきんまんのキャラクターは徐々に完成し人気を得ていくのだが、悪者だけれど、どこか憎めず、間抜けなところもあり、アンパンマンにアンパンチでやられてしまっても、懲りずにまた意地悪をしかける。そんなばいきんまんは、究極のツンデレだ。本当はアンパンマンのことが好きで、構ってほしいのではないか。
「あんぱん」では、ばいきんまんに、松嶋菜々子が演じる嵩の母・登美子を重ねているようだ。
既にキャストのインタビューなどで、今田美桜演じる“のぶ”はドキンちゃん、その妹の蘭子(河合優実)はロールパンナ、末の妹・メイコ(原菜乃華)はメロンパンナちゃんをイメージし、それぞれオレンジ、ブルー、グリーンの色の衣装を着ることが多いことが明かされている。
三姉妹の母・羽多子(江口のりこ)は名前からしてバタコさんだし、パン職人のヤムさん(阿部サダヲ)はジャムおじさん……とくれば、登美子がばいきんまんでもおかしくはない。
登美子は嵩の父である夫・清(二宮和也)に死なれ、再婚するため嵩を伯父、つまり清の兄である医師の寛(竹野内豊)に預けた。そして、幼い嵩がはるばる遠くの町まで会いに行っても突き放した。それなのに再婚が破綻してからは悪びれず伯父の家に押しかけてきて居候し、勉強の苦手な嵩を無理矢理、医者にしようとした。
■ドラマでは干渉する母親を息子が拒否
ところが、嵩が受験に失敗すると、嵩の弟・千尋(登美子の実子だが、先に寛の家に養子に出していた)に責められたこともあって、東京へ。そこでちゃっかり地位のある軍人と再々婚する。その3人目の夫からは、立派な茶室のある屋敷を相続した。
嵩は大人になるまでは、自分を捨てた登美子の愛を一心に求めていたが、のぶ(今田美桜)という妻を得てからは強く出られるようになり、就職した百貨店を辞めるなと要求してくる登美子を「もうぼくらの人生に立ち入らないでくれ!」と言って、ついに拒絶した。
のぶは、そんな母子の間をつなぐように、登美子に茶道を習い始める。ちなみにやなせの母が茶の湯をたしなんでいたというのは史実で、母はもともと高知の豪農の娘だが、未亡人となってからは自活するために数々のお稽古事に励んだ。
やなせはこう書いている。
(母親は)残された財産を使い果たさないうちに何とか自活しなければいけない、というせっぱつまった考えからでした。
実家とはトラブルがあって、帰りにくい事情があったようです。
B型の派手な性格だから、あれこれやっているうちに広がりすぎて全くとりとめがなくなり、何とか後年ものになったのは生花と茶の湯のみ。
やなせたかし『ボクと、正義と、アンパンマン なんのために生まれて、なにをして生きるのか』(PHP研究所)
■半年間、母子の確執を描いてきた「あんぱん」
しかし、「あんぱん」では、嵩が登美子への思いを込め、母を失った赤ちゃんライオンと子を失った母犬の物語『やさしいライオン』を作っても、登美子は「あんな甘ったるい話」と評価しない。ついに、のぶの母・羽多子が面と向かって「あんたは自分の都合で、嵩さんの気持ちを踏みにじってきたがやろ!」「自分のミエと体裁だけやないですか」と説教。登美子は羽多子とにらみ合ってバチバチと火花を散らすが、結局、嵩とは和解できず、「だから、その歳になっても代表作がないのよ」「もう、漫画家なんかやめちゃいなさい」と捨てゼリフを吐いた。
その後も、登美子は素直になれず、ミュージカル「怪傑アンパンマン」も劇場に見に来ていたのに、嵩には会わずに帰っていった。そんなツンデレで、素直ではないところが、ばいきんまんに重なる。
そんな風に最初から最後まで描かれた嵩と登美子のすれ違いは、「あんぱん」というドラマの重要なスパイスであり、ともすると嵩とのぶ夫婦の関係よりもドラマティックだったが、物語が戦後に入ってからは、母親の出る場面はほとんど脚色であり、史実ではない。
■やなせたかしは母親を恨んでいなかった
実際のやなせたかしは、7歳で母親に置いていかれたが、それをさびしくは感じても母を恨んだり、大人になってから拒絶したりしたことはないと思われる。いくつかある自伝などで、母に対する気持ちを書き残しており、「母」という詩には、こうある。
母はずいぶん悪口を言われた人でした。
「お化粧が濃く派手好きで
自分の子供を捨てて再婚した」
(中略)
僕はちっとも恨んでいなかったのです。
やなせたかし『やなせたかし詩集 てのひらを太陽に』(河出文庫)
親戚や近所の人が母を悪く言っても、心の中でけなげに母親の味方をしていたのだという。おそらくやなせは、夫に死なれたという弱い立場である母に同情していたのだろうし、美人で「ぼくにはないじゅうぶんに社交的な華やかな雰囲気を持って」いた彼女にあこがれていたのだろう。「母の美しい眉」「長いまつげ」は、自分に遺伝しなくて残念だったとも書いている(同詩集「感謝」)。
快活で社交的、積極的で、眼の大きい南国美人の面影をもつ母をボクはとても好きでした。
やなせたかし『ボクと、正義と、アンパンマン』(PHP研究所)
■母は過去のあやまちを「許してね」と謝った
やなせが母親と疎遠になった時期も特になかったようだ。東京のデザイン学校(東京工芸高等学校)に通っていた頃は、母が再婚して住んでいる家に下宿して学校に通い、戦争時に召集されて命からがら帰国したときも、高知の伯父の家に戻りつつ、実母とも会った。詩「母」はこう結ばれている。
戦争から帰ってきたとき
ぼくは母のひざまくらで
眠りました
熱いものが
落ちてきたので
目をさますと
母の顔がありました
「許してね」
母はひとこといいました
やなせたかし『やなせたかし詩集 てのひらを太陽に』(河出文庫)
このくだりは『ボクと、正義と、アンパンマン』にも書かれているので、本当にあったことのようだ。このとき、母が子供を置いて再婚したことを「許してね」と謝ったから、やなせは母を恨まなかった。誰もが、この戦争を生き延びられただけでよかったと思った時代でもあった。
■ドラマの登美子は、あくまで謝らない「悪役」
一方、「あんぱん」では羽多子が登美子に、嵩に向かって「許してくれ」と頭を下げて謝るべきだと主張したが、登美子は「私は謝らなきゃならないようなことは一切しておりません」と突っぱねて謝らなかった。そこが史実とドラマの大きな違いだ。
やなせが母親と家族として暮らした時間は短かった。ただ、だからと言って親子であることを母親が否定したり、やなせの進路などに干渉したりすることはなかったようだ。
登美子はあくまで創作されたキャラクターであり、ばいきんまんのように嵩に憎まれ口を言い、意地悪し続けることでドラマを盛り上げてきた。このあたりは松嶋菜々子主演の「やまとなでしこ」などで、キャラ立ちした人物描写を見せてきた脚本家・中園ミホの真骨頂だ。
やなせは母の晩年については多くを語っていないが、こう書き残している。
母はボクとはちがった姓の墓石の下でいまは眠っています。それは少し淋しいことですが、母は一生けんめい生きたのだからそれでいいと思います。
やなせたかし『ボクと、正義と、アンパンマン』(PHP研究所)
ところで、筆者がやなせの著書・インタビュー記事を確認したかぎり、やなせの母とばいきんまんが似ているという記述はない。代わりに、こんな印象的な一節があった。
■ドキンちゃんには「母親の面影がある」
アンパンマンをかきはじめたとき
何か不思議ななつかしさをおぼえた
どこがぼくの弟に似ている
ドキンちゃんはなぜか
ぼくの母親の面影があり
性質は妻に似ている
やなせたかし『やなせたかし詩集 てのひらを太陽に』(河出文庫)
ドキンちゃんはアニメでおなじみ、ばいきんまんの仲間の女の子。わがままで怒りんぼ、自分のことを世界で一番かわいいと思っている。大きな瞳と小悪魔的なキャラクターで人気だ。
その外見が、やなせの実母に似ているというのだ。
(母は)なにしろ頼り甲斐があります。強い気性で、眉は太くきりりと吊り上がっていました。
やなせたかし『ボクと、正義と、アンパンマン』(PHP研究所)
■「あんぱん」が愛される朝ドラになったワケ
ばいきんまんやアンパンマンが迷惑していても、わがままを押しつけ、ばいきんまんを困らせ、大好きなしょくぱんまんが他のキャラクターと仲良くしていると、嫉妬で怒りまくる。そんなドキンちゃん。
やなせは母について若い頃は「瞬間的低気圧」になることもたびたびあり、「母はときどきヒステリーを起こしました。このわけのわからない嵐のような荒れ方は、現在のボクには理解できますが、当時はわかるわけがありません。祖母とボクはおびえながら、おさまるのを待つよりしかたがありませんでした」(『ボクと、正義と、アンパンマン』)と振り返っている。
クラスメイトや職場の同僚なら、一時期の悪いイメージでその人柄が固定されてしまうこともあるが、家族の場合は数十年、多くは半世紀以上の年月をかけて付き合っていくものだ。人間は変わる。やなせにとっても、子供の頃はドキンちゃんのような母親に振り回されたが、「許してね」と謝られた“みそぎ”を経て変化し、大人になってからは友好的な親子関係を築けたのだろう。
「あんぱん」はそんな母子の関係をじっくりと描いたという点でも、朝ドラらしく幅広い世代が共感できる作品になったのではないだろうか。
(初公開日:2025年9月23日)
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村瀬 まりも(むらせ・まりも)
ライター
1995年、出版社に入社し、アイドル誌の編集部などで働く。フリーランスになってからも別名で芸能人のインタビューを多数手がけ、アイドル・俳優の写真集なども担当している。「リアルサウンド映画部」などに寄稿。
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(ライター 村瀬 まりも)
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