■市長になった日のこと
7月28日、この日が市長選の投開票日だ。
午後8時に投票が締め切られ、鎌ケ谷市民体育館で開票作業(※1)が行なわれる。私は妻と娘とともに、選挙事務所脇の控え室で開票結果を待つことになった。
もうできることは何もない。妻との会話もなく、自分が宙ぶらりんになった気分のまま、手持ち無沙汰に時間がすぎていく。
深夜0時を回ったころ、勢いよく支援者が控え室に駆け込んできた。
「清水さん、勝ったよ!」
開票所から電話が入り、選挙管理委員会の発表で私の当選が確定したという。
喜びよりも、落ちなくてよかったという安心が勝った。ほっとして全身から力が抜けていった。
「おめでとう。これで路頭に迷わなくて済んだね」
妻がにっこりと笑って握手を求めてきた。さっきまでウトウトしていた娘も事務所の喧騒に目を覚ましてあたりを見回している。
そのまま支援者に促され、みんなが待つ大部屋に行く。部屋に入ると支援者たちが大きな拍手で迎えてくれた。
用意されたクス玉を割る。紙吹雪が舞い散り、それを見た娘が嬉しそうにはしゃいだ。
結果は、私が1万2977票、最有力と見られた前市議会議員X氏は1万2214票。わずか763票差という大接戦だった。
私は41歳。千葉県内では最年少市長、全国でも6番目に若い市長となった。
※1 開票作業……陣営が派遣した偵察班が開票所に行き、オペラグラスで集積台に積み上げられた投票用紙を数えて、逐一、携帯電話で選挙事務所に票数の連絡を入れてくる。支援者が時折、控え室に来ては票数がどう動いているかを知らせてくれた。
■市長の椅子の座り心地
投開票日の翌29日が初登庁となる。
当選の余韻で神経が高ぶり、明け方に布団に入ってもほとんど眠れなかった。
朝、UR公団住宅の1階まで迎えに来てくれた公用車に乗り込み、初めての登庁。到着すると、思いもよらないことに多くの支援者が市庁舎の玄関前で待っていてくれた。支援者も昨晩遅くまで居残っていたのに、わざわざ出迎えをしてくれたことに嬉しいような、申し訳ないような気持ちになった。
玄関前で女性職員から花束贈呈のセレモニーがあり、テレビ、新聞がその様子を撮影(※2)する。それが終わると、玄関で待機していた秘書課の課長が市長室のある3階まで案内してくれた。
市役所市長室に入った私を報道陣がぞろぞろと追いかけてきた。
「市長室に入り、市長の椅子に腰かけた感想はいかがですか?」
記者から質問が飛んだ。なんのコメントも用意していなかった私は焦った。市長の椅子といったって、座り心地が違うわけでもない。報道陣は私が何か面白いことでも言わないかと期待している。
「インドの日本大使館の大使室のほうがはるかに広かったので、そんなに驚くこともありませんけど……」
思いつくままにそうコメントした。報道陣はなんのリアクションもない。
あとから、新市長は生意気なやつだと、対抗馬を応援した議員たちの怒りが増幅したと聞かされた。
※2 テレビ、新聞がその様子を撮影……初登庁の日、市役所玄関に詰めかけた大勢の支援者に歓迎されながら私が花束を受け取る場面の写真が、翌日の新聞に掲載された。その新聞は今でも記念に保存してある。
■「初の市議会」緊張で手が震えた
最初の関門は、議会だった。
私は市議会というものを生で見たことすらない。議場内の慣習や作法(※3)も何もわからない。それがそのまま議場の執行部席のど真ん中に座ることになるのだ。
最初の市議会が開催されたのは9月6日。議会の開催初日は、市長による所信表明演説が行なわれる。
議会の勢力は自民党系の会派が過半数を占め、私を推薦してくれた民主党系の議員は少数派、つまり議員席の大半が批判勢力だった。
壇上にあがると、議員席から値踏みするような視線が突き刺さるのを感じ、緊張でのどがひりついた。落ち着こうと、演台に置いてある水差しに手を伸ばすと自分の手がブルブルと震えていることに気づいた。震える手でコップに水を注ごうとしたときだった。
「それは酒だぞ!」
議員席から冗談半分の野次が飛び、それを受けて笑い声があがった。
「まじめにやれよ!」
議場後方の傍聴席から声があがった。私の支援者たちも初議会の傍聴に駆けつけてくれていたのだ。
「なんだと⁉」
野次を飛ばした議員が傍聴席を振り返り、威圧するように言うと、「なんだとはなんだ!」と傍聴人が言い返す。これをきっかけに議場と傍聴席のあいだで言い争いが起こる。私は壇上でオロオロと立ち往生することになった。
※3 議場内の慣習や作法……たとえば、壇上にあがる際には一礼をする。それを知らず、そのまま壇上にあがろうとした私に議場から「おいっ、礼をしろよ」という野次が飛んだ。その後、自席から立ちあがる際に一礼すると、「そんな礼はしなくていいんだよ」という野次が飛んできた。
■始まりは反市長派の追及
その後も私が答弁するたび、お辞儀の作法や回数などについて、議員席からあれこれと野次が飛んだ。議会は私にとって敵地へ乗り込むようなものであり、議会が開催される日は朝から憂うつな気分になった。
憂うつな私にさらに衝撃的な知らせが入ってきた。議会で、ある議員が私の“経歴詐称疑惑”についての質問をするという。
定例議会において市議会議員は「市政に関する一般質問」を行なうことができる。「一般質問」の内容は、質問者によって議会開会日の3日前までに議長に文書で通告しなければならない。質問者側が事前に質問内容を通告することで、担当する各課長が事前に答弁を作成(※4)しておくわけだ。
保守系議員の長老・豊臣議員によると、私が選挙戦中に配ったチラシにある経歴「在インド日本国大使館一等書記官」が虚偽であり、経歴詐称(※5)だということを「一般質問」で問うという。
※4 事前に答弁を作成……こういう事前のやりとりを出来レースではないかと批判する向きもある。しかし、事前にある程度のすり合わせをしていないと答弁する側もすべてアドリブで答えられるという種類のものではない。議会において有益な議論をするために必要なプロセスなのだ。
※5 経歴詐称……公職選挙法235条は、「当選を得る目的で候補者の身分、職業、経歴などに関して虚偽の事項を公にした者は2年以下の禁固または30万円以下の罰金に処する」と規定している。
■「ローカルランク」を記載した
私は鎌ケ谷市長選挙に立候補する前、インドの首都ニューデリーで日本国大使館の一等書記官だった。それはチラシにも記載した。
ただ、この「一等書記官」というのはちょっとややこしい。
「ローカルランク」というやつなのだ。ローカルランクというのは、海外の大使館や総領事館といった在外公館に勤務する者に対し、相手国との外交上の必要性などから外務大臣の承認を受けて、実際の等級より1階級上の呼称を使用してよいというルールである。三等書記官なら二等書記官、二等書記官なら一等書記官、一等書記官なら参事官と名乗ってもいいのだ。
私はもともとの等級は二等書記官であったが、ローカルランクが適用されて対外的に一等書記官を名乗っていたし、名刺にも「一等書記官(First Secretary)」と記載されていた。
きっと誰かがこれに気づき、豊臣議員にご注進に及んだのであろう。
■下心があったことは否定できない
反対派陣営は外務省まで行って職員録を調べた。その職員録には、私の在インド日本国大使館での等級として「二等書記官*」と表記されている。
脇に*マークがつき、その注釈として「ローカルランクを付与」と記されているわけだが、注釈は職員録の端に小さな文字で書いてあるだけなので、反対派陣営はそれに気づかず、“経歴詐称”だとして鬼の首を取ったように喜んだのだ。
答弁の担当部署である企画課の課長から「質問通告」の内容を告げられて、私は一瞬たじろいだ。
なんら後ろめたいことはないとはいえ、ローカルランクでない一等書記官とローカルランクの一等書記官がまったく同じかといえば、そうではない。それに、私もできるだけ見栄えの良い経歴をチラシに記載したいという下心があったことは否定できない。
■経歴の具体的物証
このローカルランクについて議場でみんなを納得させる説明ができるかと考えると、だんだんと心配になってきた。
場合によっては反対派陣営につるし上げられるかもしれない。野次を浴びせられて議場で立ち往生してしまったらどうしよう。……良からぬ想像が果てることなく湧いてくる。じっとしていると心配は無限に増殖していくものなのだ。
居ても立ってもいられなくなった私は選挙で応援してくれた市議に相談を持ちかけた。
「在インド大使館時代の『一等書記官』を証明するものは何かないの? こういうときには具体的物証を提示するのが一番効果的だよ」
言われてみれば、私には「外交旅券」がある。外交旅券というのは外交官に対して外務大臣が発給するパスポートで、その中に「官職」として「一等書記官」という記載があるのだ。そう言うと、「そりゃいい。外務大臣のお墨付きなら、彼らも納得せざるをえんでしょう」
市議にそう言われ、少しだけ安堵した。
■満員の傍聴席
豊臣議員の議会質問の日を迎えた。
この数日前から、新市長に経歴詐称疑惑が持ち上がっているという噂が市内を飛び交った。議会は注目を集め、その様子を見ようと大勢の市民が駆け付けた。傍聴席は満員(※6)になり、入りきれない人は市役所1階の議場の様子を映すモニターテレビの前に陣取った。私は、市議のアドバイスどおり、有効期限切れの外交旅券(※7)をお守りのように背広の内ポケットに忍ばせていた。
※6 傍聴席は満員……反市長陣営からの情報提供で、鎌ケ谷警察署刑事課の刑事2名が傍聴席に紛れ込んでいた。このことはあとから、与党側議員の一人から教えられたのだが、もし事前に知っていたら、本番の議会中はもっと緊張していたことだろう。知らなくてよかった。
※7 有効期限切れの外交旅券……私の外交旅券の有効期限は「2005,Sep,14」と印字されていたが、外務省を退職した日に同旅券に「VOID」(失効の意)のハンコが押され、無効を示すパンチ穴が開けられていた。
■「一等書記官」の肩書は削除した
重々しい、緊迫した空気の中、豊臣議員の質問がスタートした。
「外務省の職員録に、清水聖士は二等書記官という記載があります。にもかかわらず、選挙中のチラシには一等書記官とある。これは経歴詐称に該当するのではないでしょうか?」
豊臣議員は朗々とした口調で質問を読み上げる。それを聞いているうちに冷や汗がにじんできた。「落ち着け、落ち着け」と何度も自らに言い聞かせ、私は壇上にのぼった。
外務省の制度について説明し、懐ふところから外務大臣が発給した外交旅券を取り出し、議場に示しながら補足した。答弁の後半には野次も鎮まり、私の説明が一定の説得力をもって受け取られた手ごたえを感じた。
豊臣議員は納得せず、追加の質問を行なったものの、一般質問の制限時間60分に達し、そのまま時間切れ(※8)となった。私はどうにか難局を乗り切った。
反対派の議員もこれ以上追及しても勝ち目はないと判断したようだ。この問題がこれ以降の議会で蒸し返されることはなく、いつのまにか立ち消えになった。
この一件で懲りた私は、念のため自分の経歴から「一等書記官」を削除し、「在インド日本国大使館書記官」とのみ書くようになった。
※8 時間切れ……豊臣議員は一般質問終了後、「今後も追及する」と息巻いていたが、1人の議員が一定例会で一般質問ができるのは1回きりだ。議場で追及するとなると次回(12月)の議会を待たねばならず、私にとっては好都合だった。
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清水 聖士(しみず・きよし)
元鎌ケ谷市長
1960年、広島県生まれ。麗澤大学客員教授。早稲田大学卒業後、米ウォートンスクールMBA、伊藤忠商事を経て、外務省へ。2002年、前市長逮捕により行なわれた鎌ケ谷市長選挙に選挙権もないままインドから落下傘候補として出馬。763票差という大激戦を制し、市長に就任。以来、5期19年にわたって同市市長、千葉県市長会会長も務める。2021年、任期途中で市長を辞し、衆院選に出馬するものの落選。
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(元鎌ケ谷市長 清水 聖士)