■平日カット690円が登場
全国に約27万軒。これが、今日本に存在する美容室の数である。床屋と呼ばれる理容室を含めれば、その数は更に膨れ上がる。都心部と地方では価格差があるとはいえ、業界全体を覆う影は濃い。倒産件数は過去最高を更新し続け、オーバーサロン状態の中、淘汰の嵐が吹き荒れている。
そんな中、加速の一途を辿るのが「二極化」だ。富裕層向けの高級サロンと、激安カットの店――その両極端が、今、この業界の未来を象徴している。
1996年に一号店をオープンし、29年目に突入した「QBハウス」が激安カット業態を確立して以降、その波は止まらない。最近では、株式会社ハクブンが運営する「ヘアーサロンIWASAKI」が、一部店舗で平日タイムサービス690円という、QBハウスの半額近い超低価格を打ち出した。理美容室のカット料金の全国平均が約3600円(出所=総務省統計局「小売物価統計調査結果 2023」)であることを考えれば、これは価格破壊に、さらに拍車をかける衝撃的な数字だ。
■10万円でも予約が取れないサロン
その世界とは対極をなすサロンがある。
「5年以上前から、新規のお客様は一切受け付けていません」
そう語るのは、美容家の土屋雅之氏。顧客リストには、誰もが知る日本を代表する経営者、トップアスリート、そして名だたる芸能人ばかりが名を連ねる。「名古屋巻き」の産みの親としても知られる彼は、一応カット料金を3万円~と設定しているが、それはあくまで「一応」の話だ。
「10万円お支払いしますから、何とかカットしていただけませんか?」
そんな懇願の声が、しばしば届くという。だが、土屋氏の答えは変わらない。これは金額の問題ではない。一度来店した人はほぼ確実にリピートするため、現実的に、もう新規はとれないのだ。
■「初回30分の1万円カウンセリング」衝撃の内容
では、他の美容室と何が違うのか。すべては、初回の30分・1万円のカウンセリングから始まる。
「あなたは、世界に一人しかいない」
挨拶代わりに交わされるこの言葉から、土屋氏のカウンセリングは静かに幕を開ける。お客様が自分の髪に対してどのような価値観を抱いているのか――じっくりと、丁寧に、そして深く耳を傾ける。
「ここに来たということは、何か理由があったはずです」と土屋氏は、柔らかく問いかける。
「今まで通っていた美容室で、何か嫌なことがあったのかもしれませんね。裏を返せば、あなたが理想とする美容師に、まだ出逢えていないということなのかもしれません」
ソフトタッチな会話の中から、自然と本音が溢れ出す。
「今まで、いろんな美容師さんに会ってきました。自分の理想を一生懸命伝えようとしても、この感覚、このイメージを、なかなか理解してもらえなくて……」
そう語りながら、涙を流すお客様もいるという。
「でも、このカウンセリングを受けている間に、その悩みが一瞬で消えたんです。初めて、わかってもらえたと思いました」
そして、このカウンセリングを受けた人は、例外なく、生涯顧客になる。
■完全カスタマイズのスペシャルオーダー
このさりげない会話の中には、お客様には見えない仕掛けがある。
心理学×圧倒的知識×圧倒的技術――それらが緻密に絡み合い、5年後、10年後、髪質や癖が年齢とともに変化していくことまでをシミュレーションに入れたプレゼンテーションが、静かに展開されているのだ。
土屋氏の頭の中には、業界に蔓延するマニュアルや「基本」といった概念は一切存在しない。
「お客様は、十人十色、百人百色です。
では、彼が追い求める「美」とは何か?
「曲線は、自然界に最も多く存在します」
土屋氏が考える本物の『美』は、自然界の中に宿っているのだという。この「自然」というキーワード――それは、お客様が最も自然な状態で輝く姿を見据えるということでもある。
「ファッション業界で、究極の曲線の美を表現できるデザイナーの一人が、ヴァレンティノ・ガラヴァーニです。彼は、自然が生み出す曲線の本質を深く理解している」と語る。
カウンセリングが終わると、土屋氏は次のステージへと進む。お客様の頭蓋骨の形を観察し、顔の輪郭を読み解き、イメージを固める。毛穴の始まりの点と終わりの点を見極め、お客様の特徴を完全に理解してから、初めてハサミが動き出す。
これは外科医でもなく、皮膚科医でもない。美容家・土屋氏だけの独自の視点である。
その結果、お客様は驚愕する。
「今まで行っていた美容室とは、まったく違う角度からのアプローチでした。こんな世界があったなんて……」
初めて来店した女性のお客様から、よく聞かれる質問がある。
「私に似合う髪の長さって、どのくらいですか?」
土屋氏は、微笑みながら答える。
■「私に似合う長さは?」へのカリスマの回答
「どんな長さでも、あなたに似合う髪型は如何様にもあります」
カットが終わった後、土屋氏はライフスタイルに合わせた仕上げを施す。
「あなたは左側を向いて寝る癖があるので、右サイドを2mm長めにしておきますね」
「月曜の朝は忙しいでしょうから、5分で整えられるようにしておきます」
それだけではない。この先の予定やシーンに合わせて、カットの設計図を描くこともできる。10日後にピアノの発表会があれば、そこをベストに持っていける。新たに挑戦したいことがある時は、その想いを形にすることも自由自在だ。
初回のカウンセリングとカットを終えると、もう後戻りはできない。今まで通っていたサロンには、絶対に戻れない。
■2回目以降は誰もが「お任せ状態」になってしまう
2回目以降、お客様の大半は雑談をしているだけで、「土屋さんにお任せ」状態になる。現に私も25年間、毎月通い続けているが、「こうしたい」「ああしたい」と依頼をする前に、気がつけば、勝手に手が動いて、仕上がっていく――そんな不思議な感覚に陥るのだ。
そしてリピーターになれば、お客様のほうから尋ねる。
「土屋さん、今日はどぉなるの?」
不思議な世界へと、誰もが導かれていく。
お客様の中には、大事な会議の前には必ず来店する経営者もいれば、「2mm伸びたら来る」という女優さんもいる。そんな髪への拘りが強い人たちでさえ、土屋氏にかかると、なぜか全員「お任せ」になるという。
実に不思議な光景である。まさに土屋氏が目指す生涯顧客ばかりだから、予約も取れないのだ。
お客様からの最高の褒め言葉は、こうだ。
「私より先に、死なないでね」
まさに、プレタポルテではなく、究極のオートクチュールの勝利である。
■「サロン」は美容室を超えたVIPの社交場
土屋氏とともに「Aio-N GINZA」を運営するのが色で勝負するカラリエータ、NOBU miyamoto氏だ。
NOBU氏は、東京で6年のキャリアを積んだ後、ちょうど今から25年前、米国で勝負することを決意した。
向かった先は、ニューヨーク。
そこには、セレブリティたちのオアシスと呼ばれる、世界でも名高い高級サロンがあった――ルイス・リカーリ。
ダスティン・ホフマン、アル・パチーノ、ジェニファー・アニストン――ハリウッドスターから米国大統領のご息女まで。中東からプライベートジェットで訪れる顧客もいるという、まさに伝説のサロンだ。
ルイス・リカーリは、カッターリストよりカラーリストのほうが多いという異色のサロンである。それもそのはず、オーナーのルイス・リカーリ氏は、カラーリストの魔術師として「King of Color」と称される凄腕だったからだ。
当時のニューヨークでは、10ドル(最安値)でカラーができる店がある中、ルイス・リカーリは1000ドル近い。実に100倍だ。
世界のトップ富裕層――彼らはあらゆるブランド品を手にし、この世のすべてを所有しているかのように見える。だが、そんな彼らにも、まだ語られていなかった「ステータス」があった。
「サロン」という言葉には、単なる美容室という意味を超えた、社交場としての響きがある。ここは髪を整える場所であると同時に、VIPたちが集い、交わり、つながりを深める特別なコミュニティだった。
■誰にカラーしてもらうかがステータス
当時、美容の世界には「ブランド」という概念がまだ存在していなかった。そんな時代に、彼らの間で交わされた会話がある。
「ねえ、誰にカラーしてもらっているの?」
たったそれだけの問いが、新たなトレンドを生み出していた。髪を誰に任せているか――それ自体が、ステータスの証だったのだ。
ルイス・リカーリは、ニューヨークだけでなく、ハリウッドにも店を構えていた。ハリウッドスターたちは、アカデミー賞の晴れ舞台に向けて、ニューヨークとハリウッドのサロンを使い分けていたという。東海岸と西海岸、二つの輝かしい社交場――その中心にあったのは、紛れもなく「ルイス・リカーリ」というブランドだった。
それは、美容室の名前ではない。一つの時代を象徴する、誇りであり、特権であり、そして何よりも――信頼の証だったのである。
NOBU氏は、そのルイス氏のメインアシスタントを担当した。
■マニュアルを超えた創作の世界
東京と違い、ニューヨークでは金髪の顧客が多い。
「日本人は、欧米人は皆、金髪だと思っている人が多いんです。でも、純然たる金髪は10%程度。皆さん、カラーをしているんですよ」
NOBU氏は、そう教えてくれた。
ルイス・リカーリで、いかに美しく自然なブロンドを作るか――その秘訣は、根元を明るくしすぎず、毛先のほうに色を明るく入れていくことだという。そうすることで、自然に、そして美しく仕上がる。
ここでも、キーワードは「自然」だ。
日本で教科書通りにハイライトを入れるなら、「3mmと7mm」というマニュアル的な手法があるが、そんなものは完全に無視する。
NOBU氏もまた、唯一無二のお客様のために真摯に向き合い、髪の毛の質によってはダメージを与えてしまう要素も考慮しながら、色を創作し、そっと入れていくのだ。
今、ルイス氏も高齢となり、店をクローズしている。NOBU氏は東京に戻り、サザビーリーグの「TAACOBA」プロジェクトにジョインした後、土屋氏と出逢った。
そして、「Aio-N GINZA」が誕生したのだ。
■美容サロンとは何なのか
美容サロンとは、一体何なのだろうか。
それは単なる「髪を切る場所」でも、「髪を染める場所」でもない。
美容サロンとは、人生を変える場所である。
自分自身を見つめ直し、自分の価値を再発見し、自分がどう在りたいかを問い直す――そんな深遠な対話が交わされる、唯一無二の聖域なのだ。
ある人にとっては、ここは「戦場に向かう前の武装の場」であり、ある人にとっては「自分を取り戻すための避難所」であり、またある人にとっては「新しい自分に生まれ変わる儀式の場」である。
髪は、ただの装飾ではない。それは、自分という存在を世界に示す旗であり、自信という名の鎧であり、未来への希望を纏うマントなのだ。
だからこそ、人は美容サロンに足を運ぶ。
そして、本物の美容家は知っている――髪に触れることは、その人の人生に触れることだと。
土屋氏とNOBU氏が創り上げた「Aio-N GINZA」は、まさにその究極の形である。ここは、髪を通じて人生を輝かせる、奇跡の場所なのだ。
■究極のサービスを成立させる3大要素
最後に、私がマーケッターとして述べたいのは、異業種でも同じような二極化の構造変化が起こっているということだ。重要なのは、「誰に、何を、どう届けるのか」――その解像度の高さだ。
「Aio-N GINZA」モデルが示す3大要素の1つ目は「初回カウンセリング」という投資概念。
これは、単なる「ヒアリング」ではない。お客様の人生観、価値観、そして未来像を深く理解し、生涯顧客へと転換させる「戦略的投資」である。この考え方は、不動産、保険、教育、医療、ウェディング、他、あらゆる「人生の重要な意思決定を伴うビジネス」に応用できる。
2つ目は「完全カスタマイズ」という究極の差別化である。
テクノロジーの進化によって、大量のカスタマイゼーションが可能になりつつある。AIやデータ解析を駆使すれば、一人ひとりに最適化された提案を、スケールさせることも夢ではない。しかし、忘れてはならないのは、土屋氏のカスタマイゼーションには「人間の洞察力」が根底にあるということだ。テクノロジーは道具に過ぎない。本質は、「あなたを、誰よりも深く理解する」という覚悟である。
そして3つ目は「生涯顧客」という最強のビジネスモデルであるということ。
「私より先に、死なないでね」――この言葉が象徴するのは、究極の顧客ロイヤルティだ。LTV(顧客生涯価値)という概念は、マーケティングの世界では常識であるが、単なる数字上のLTVではない。「人生を共に歩むパートナー」としての関係性――それこそが、真の生涯顧客なのだ。
この関係性は、あらゆるビジネスにおいて再現可能である。例えば、フィットネス業界。多くのジムは、会員を「数」として扱う。しかし、もし一人ひとりの人生に寄り添い、その人の健康という「一生の旅」に伴走するトレーナーがいたら――その人は、絶対に離れない。
金融業界も同様だ。資産運用は、単なる「お金を増やす行為」ではない。その人の人生設計、家族の未来、そして夢の実現――それを共に描くパートナーシップこそが、真の価値である。
■二極化時代に求められる、新たな価値創造
二極化は、終わらない。むしろ、加速する。しかし、それは決して「安さ」と「高さ」だけの戦いではない。真の勝者は、「唯一無二の価値」を提供できる者だ。そして、その価値とは何か――それは、「あなたにしか、提供できないもの」である。
「あなたは、世界に一人しかいない」と。この言葉は、お客様に向けられたものであると同時に、すべてのビジネスパーソンに向けられたメッセージでもある。あなたのビジネスは、世界に一つしかない。あなたにしか提供できない価値がある。それを見つけ、磨き上げ、そして届け続けること――それこそが、二極化時代を生き抜く唯一の道なのだ。
私は、マーケティングプロデューサーとして、これからも問い続ける。「あなたのビジネスは、誰の人生を変えますか?」「あなたの商品は、誰にとっての『生涯の選択』となりますか?」「あなたの顧客は、あなたに向かって『私より先に、死なないでね』と言ってくれますか?」その答えが明確になった時、あなたのビジネスは、二極化の波を超えて、新たな世界にたどりつくのだ。
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西田 理一郎(にしだ・りいちろう)
価値共創プロデューサー、ディープルート 代表取締役
富裕層向けブランド体験の「物語」を紡ぐナラティブ・マーケティングをプロデュース。また、情報伝達を超えた行動を仕組化し、個の全盛時代において、ラグジュアリー市場での持続的成長を実現する知の「価値共創」戦略を構築する。プレミアムブランドの世界観を体現する戦略的プラットフォームの商品化を手がけ、ミシュラン・ガストロノミーから超高級ライフスタイルまで、文化的価値を経済価値に転換するマーケティング、ブランディングを専門とする。「to create a Real LIFE 敏腕マーケターが示唆するこれからの真の生き方とは」「Life is a Journey」「食と文化の交差点 ガストロノミーへの飽くなき情熱」などのメディア掲載・連載を通じて真のラグジュアリーとは「所有」ではなく「体験」であり、その体験に宿る物語こそがブランド価値の源泉である――という信念のもと、富裕層マーケティングの新境地を開拓し続けている。主要著書に『予測感性マーケティング』(幻冬舎)、『アフターコロナ時代のトラベルトランスフォーメーション』(ゴマブックス)、『GRAND MICHELIN ミシュラン調査員のことば[特別編集版]』(アンドエト)がある。個人サイト
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(価値共創プロデューサー、ディープルート 代表取締役 西田 理一郎)

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