原発事故が起きた時、周辺住民がどうやって避難するかについては原発避難計画で定められている。しかし、計画策定の過程はほとんどが非公開で、実効性にも重大な課題があるという。
調査報道記者・日野行介さんの著書『原発避難計画の虚構 公文書が暴く冷酷な国家の真意』(朝日新聞出版)より、東京女子大学の広瀬弘忠名誉教授との対談を紹介する――。
■“秘密勉強会”で議論されていたこと
【広瀬】さっきまでこうして日本の地図を見ていたんですが、どこも事故が起きたら危険で、原発ができる場所がない。それでも造ろうと思えば、嘘をつかざるを得ない。日野さんは、そこの部分に情報公開(請求)というメスで迫ったわけですね。
【日野】本書の取材を始めたきっかけは今から3年前に遡ります。前著『原発再稼働 葬られた過酷事故の教訓』(集英社新書)で、数ある避難計画の課題のうち「避難先の確保」に狙いを定め、避難計画が再稼働を正当化するためのハリボテであると指摘しました。
その後、2年がかりの不服審査請求が認められて茨城県の“秘密勉強会”の資料800枚が開示されました。そこでは「バスの確保」「安定ヨウ素剤の配布」「避難退域時検査」などの課題を巡っても、公表する情報を絞って、住民に受け入れさせる方策を検討していました。
「避難先の確保」や東海第二原発だけではなく、全国の原発の避難計画が全て再稼働を正当化するだけの虚構なのではないかと疑いを持ちました。
■各地の避難計画は「テンプレート」?
【広瀬】その考えは重要ですね。どこの原発の避難計画も、自治体や道路、施設の名前を変えただけで、判で押したように同じ内容です。
【日野】広瀬先生は以前から「内閣府がテンプレートを作って道府県に下ろしているだけ」と見破っていました。
今回の取材で開示された議事録の中に、実務担当者が集まる(原子力防災協議会)作業部会で内閣府が「読後廃棄」と印字した資料を配っていたという記述を見つけました。もちろんそんな資料は公表されていません。
あちこちに情報公開請求したところ、静岡県から「読後廃棄」と印字された資料が開示されました。この資料は、他所の原発の緊急時対応のパワーポイントを静岡県の地名に書き換え、あちこちを●●●で仮置きしただけの内容でした。
なぜ、これを「読後廃棄」と印字してまで隠すのか最初は分かりませんでしたが、国がこんな資料を配って●●●を穴埋めするよう自治体に求めていたことが知られると、「避難計画は地域の実情を知る自治体が策定する」という建前が嘘と分かってしまうからだと気づきました。
■国民の命に関わる問題が密室で決まる
【日野】そもそも原発の運転で直接に利益を受けるのは電力会社です。自治体が避難計画を作らなければならない筋合いはない。それなのに、原発事故を自然災害と同じように扱い、「地域の実情を知っているから」という建前で自治体に作らせています。「読後廃棄」資料は政策の根幹にある嘘をあぶり出しています。
【広瀬】ちょうど今、新潟県が東京電力柏崎刈羽原発の再稼働に傾きかけているように見えます。再稼働に際して、首長は一応渋ったようなポーズを見せますが、交付金などの恩恵が魅力なので、最終的には必ず受け入れます。国はアメとムチの使い分けで自治体をコントロールしている。
こういうところを透明にしていかないと原発行政を改めることは難しいでしょう。
【日野】非公開の会議では自治体側も国に厳しく指摘しています。ただ、これは問題が発覚した際に備えて「我々も裏では抵抗しているんですよ」というアリバイ、責任逃れの面があります。公の場で指摘してきたのは新潟県の泉田裕彦元知事ぐらいでしょう。
しかし皮肉なことに、自治体のアリバイ的な抵抗を記した議事録を情報公開請求で入手したことで、原発避難計画の中に潜む矛盾や欠落を把握することができました。
【広瀬】日本の行政機構は誠実に理由を説明することをしない。国民から遠くかけ離れたところで、何も知らせないうちに全てを決めてしまう。そういうやり方をずっとやってきたわけですから、これは簡単には直りませんね。
■住民避難に使うバスを誰が運転するのか
【日野】本書に収めた数多くのエピソードの中で、私自身が最も衝撃を受けたのはバス運転手の1ミリシーベルトの問題です。
全ての住民が自家用車で避難できるわけではないので、バスと運転手を確保できなければ避難計画は成り立ちません。多くの道府県が既に1ミリシーベルトの上限を定めた協力協定を地元のバス協会と結んでいます。ところがUPZ(5~30キロ圏)の避難基準であるOIL1は毎時500マイクロシーベルトなので、単純計算だと2時間で超えます。

非公開会議の議事録には、佐賀県の担当者が「OIL1をどう書くか悩んでいる」と吐露する場面が収められていました。どう書いても嘘にしかならないけど、できるように書かなければならないので困ったのです。
私がある自治体の担当者に「本当にOIL1を超えた場合の避難を想定しているんですか?」と尋ねたら、「そんなのできるわけないじゃないですか」と笑われてしまいました。最初からフィクションなんです。
■多くの住民が放射能の中に取り残される
【広瀬】元々バスを使うという発想自体が貧弱ですよね。バスには運転手が必要だし、運転手が納得しなければ行かない。1ミリシーベルトを超える被ばくをあえて引き受けてまで出動しなければいけない理由はありません。
【日野】規制委は2022年にバス会社が独自に被ばく限度の指標を設けられるよう原子力災害対策指針を改定しました。これを本当に実行させれば、バス運転手の被ばく限度が50ミリあるいは100ミリシーベルトに引き上げられるので問題が解決するように見えます。
ところが規制委は協定を作り直すよう道府県に指示をしていないし、そもそも指針改定を周知すらしていません。つまり本当に実行させるつもりがない。こんな無意味な指針の改定をした理由は、国会や裁判で「1ミリシーベルトの上限があるからバスは駆けつけられない。
こんな避難計画には実効性がない」と指摘を受けた際に、「指針を改定したので大丈夫です」と言い逃れるためです。
実際、山本太郎さんの質問主意書に対して、規制委は改定指針の文言を丸写しで返してきました。「やってるふり」「できるふり」の指針改定です。これでもし再び事故が起きればどうなるか。バス会社は「1ミリシーベルトが上限なので出動させられません」と言うでしょうし、規制委は「指針を改定して手当て済みの問題です」と言い訳をするだけで、多くの住民が放射能の中に取り残されます。
■「デタラメ」ではなく「インチキ」
【広瀬】実は今回、この本をチャットGPTに要約してもらいました。「問題の本質から見える矛盾の露呈」、「法的根拠の欠如と責任転嫁への批判」など、かなり的確な要約が出てきました。難しい内容だけれども論理構成がよくできている証明です。
【日野】書きたいこと、書かなければいけないことが多すぎてまとめるのに苦労しました。一本筋を通して、テーマを透徹しなければ、説得力を持って読者を引き込むことができません。何とか貫き通すことができたのかなと思います。
【広瀬】この本に通底する基本的なテーマは行政の欺瞞ですね。
「デタラメ」ではなく「インチキ」であると。
【日野】その通りです。新型甲状腺測定器の開発失敗について、規制委の伴信彦委員が「見込み違いだった」と釈明する場面があります。しばしば役所の担当者は「間違えました。すいません」と言って、問題を「ミス」や「デタラメ」にすり替えます。でも実際には国民を欺くのが目的の「インチキ」「イカサマ」です。
■行政の責任を明らかにする情報公開請求
【広瀬】原子力行政に限らず、日本は企業も含めた全体的な枠組みがインチキでもっているのではないかと思います。騙されて喜ぶ人もいるのでなかなか無くなりません。
【日野】そこで情報公開請求がカギになると思っています。情報公開請求の意義は、行政が本来果たすべき証明責任を行政に負わせることにあります。この分野に多少なりとも関心がある人なら原発避難計画に実効性が無いことは分かっています。
しかし「絵に描いた餅」「机上の空論」といくら訴えても、役所は「避難計画に終わりや完璧はない。
これから頑張ります」と言い返して、水掛け論に持ち込んでしまう。実効性があることを証明しなければならないのは役所のはずなのに、「お前たちが証明しろ」と住民に責任転嫁しています。それが情報公開請求によって役所に証明責任を押し返すことができます。
【広瀬】日野さんがやっているような調査報道はジャーナリズムの根幹にあるべきです。しかしそれが片隅に追われて、どこも金太郎飴のような報道ばかりです。みんなが日野さんのように情報公開請求をすれば大きく変わると思います。
■避難計画を成り立たせるための“仕掛け”
【日野】広瀬先生から以前にお聞きした「日本の原発行政は非人道的である」という言葉は、私が原発避難計画を検証していくうえで座標軸になりました。
特にそう感じたのが「安定ヨウ素剤」と「避難退域時検査」の目的です。規制委が頑(かたく)なにUPZの緊急時配布の原則を変えない目的は、「避難する前に一時集合所に寄って安定ヨウ素剤を受け取らなければいけない」と思い込ませることにあります。
【広瀬】安定ヨウ素剤を餌に使って、心理的にコントロールしようというのはとんでもない話ですね。
【日野】そうです。避難退域時検査も同様です。被ばくによる健康被害を防ぐためではなく、検査を受けなければ避難できないと思い込ませる狙いです。役所が重視していることは、自主避難を思いとどまらせて屋内退避を守らせる心理的抑止効果です。そうしなければ原発避難計画が成り立たないと考えているからです。
【広瀬】しかし関門があるから逃げられないと思い込ませようとしても、自主避難を防ぐことはできません。原発周辺の住民へのアンケート調査で、誰がどの時点でどう逃げるのかを尋ねました。UPZの住民は「PAZ(5キロ圏)の住民が逃げるなら私たちも逃げる」という答えでした。強制力はないので自主避難を防ぐことはできません。
■福島第一原発事故の教訓はどこへ
【日野】強制力がないことを役所もよく分かっています。だから勝手に逃げないよう仕向ける仕掛けをあれこれと作るわけです。その結果、原発避難計画の中身は「避難させない計画」になり、被ばくを防ぐという表向きの目的から考えれば不合理でしかないという矛盾が生じます。ところが、原発再稼働を後押しすることが目的で、実際に事故が起きることを考えていない前提から見れば実に合理的です。
【広瀬】何でも言いくるめれば済む、最後まで騙しきればいい、ということでしょう。人道を無視しているのは明らかですね。自然災害によって引き起こされる複合災害は、足し算ではなく掛け算になって巨大になります。自然災害は防げなくとも、原発事故は人間の手でなくすことができます。今は福島の事故が起きる前よりさらに危険な状態です。
【日野】最も効果があるのは原発の運転をしないことです。
【広瀬】その通りです。
【日野】これは福島第一原発事故が残した最大の教訓です。でも、これを守ったら再び運転はできなくなる。だから「再稼働に関係なく燃料が残っている限りリスクがある」という詭弁で避難計画を作らせている。避難計画の役割は原発再稼働を正当化する以外にはありません。こんなもので次の事故に対応できるはずもないし、役所の人間もそれを分かっています。矛盾の極みです。
【広瀬】行政の冷酷ですね。本来守るべき何十万、何百万の人命を軽視している。
■因果関係を認めなければ「完全犯罪」になる
【日野】健康被害は因果関係を認めなければいい、被ばくは証拠が残らない完全犯罪だ、と福島第一原発事故で味をしめたのだと思います。彼らはそこまで明確には自覚していないかもしれませんが、「国策に貢献している」と自分に思い込ませて、目の前のミッションをこなすというスタンスでなければ良心が保てないと思います。
【広瀬】集合的確信犯ですね。一人ひとりは自発的に参加しているつもりかもしれませんが、それが全体として一定の方向性を持ってしまう。これは人間の柔軟性、適応性の高さとも言えます。そうした性質があることで社会的つながりができたり、環境に慣れていくとも言えるのですが。
【日野】その通りです。一人ひとりは職責を全うしているだけで、避難計画の非人道性については明確に意識していない、考えていないけど、むしろ考えないことによってインチキな原発政策の共犯者になっていくということですね。こうしたインチキで非人道的な政策は結論だけを伝えても、多くの人は「陰謀論」としか受け取ってくれません。だから私は公文書という物証に基づいて導き出しました。
【広瀬】これだけ多くの証拠があるので説得力があります。原発行政がいかにインチキで非人道的かを実証的に追及していることは、この本の強みですね。

----------

日野 行介(ひの・こうすけ)

調査報道記者

1975年生まれ。元毎日新聞記者。社会部や特別報道部で福島第一原発事故の被災者政策や、原発再稼働をめぐる安全規制や避難計画の実相を暴く調査報道に従事。著書に『福島原発事故 県民健康管理調査の闇』(岩波新書)、『除染と国家 21世紀最悪の公共事業』『原発再稼働 葬り去られた過酷事故の教訓』(集英社新書)など。(近影撮影=加藤栄)

----------
----------

広瀬 弘忠(ひろせ・ひろただ)

東京女子大学名誉教授

1942年生まれ。東京大学文学部卒。東京大学新聞研究所助手を経て東京女子大学教授。2011年に定年退職して現職。専門は災害リスク学。株式会社安全・安心研究センター代表取締役。著書に『巨大災害の世紀を生き抜く』『人はなぜ逃げおくれるのか――災害の心理学』(いずれも集英社新書)など。

----------

(調査報道記者 日野 行介、東京女子大学名誉教授 広瀬 弘忠)
編集部おすすめ