「若手社員が成長しない」と嘆く上司は多い。元トヨタ社員で戦略コンサルタントの山本大平さんは「こういう人ほど、部下の業務に干渉し、細かく管理しようとして組織と個人の成長を阻害している。
日本の組織にマイクロマネジメントが蔓延する原因は3つある」という――。(第2回/全2回)
※本稿は、山本大平『最強トヨタの最高の教え方』(クロスメディア・パブリッシング)の一部を再編集したものです。
■「心理的安全性=ぬるま湯」ではない
近年、多くの企業で「心理的安全性」の重要性が叫ばれるようになりました。社員が組織の中で安心して自らの意見を発言できる状態が、イノベーションや生産性の向上に不可欠であるという考え方です。
私はこの心理的安全性という言葉が、多くの組織である種の「誤解」と共に広まっていることを強く危惧しています。多くのリーダーは、心理的安全性を「誰も反対意見を言わない、波風の立たないぬるま湯のような職場環境」のことだと勘違いしているのです。
彼らは部下を傷つけないように厳しいフィードバックを避け、どんな意見に対しても「いいね」、「素晴らしい」と無条件の肯定を繰り返します。それは本当の意味での心理的安全性ではありません。単なる「知的怠慢」であり、成長のない「停滞」でしかありません。
■トヨタは本気でぶつかり合える組織
私がトヨタの現場で経験した、ときにはあの怒号が飛び交う、一見すると心理的安全性が低いように見える職場は、今から思えば、あそこには現代の多くの企業が失ってしまった本物の心理的安全性が存在していたように思います(第1回参照)。
なぜならば、そこには「我々は社会の未来を良くするという共通の目的に向かって議論している。だから、たとえ意見が衝突しても、それは個人に対する攻撃ではない」という揺るぎない信頼関係があったからです。

設計者も生産技術や品質管理の人間も、それぞれの立場から本気で「よい品」を作りたいと願っていました。その共通の目的があったからこそ、トヨタでは遠慮も忖度もなく、お互いのロジックを本気でぶつけ合っていたのではないかと思います。
議論が白熱して感情的になることはあっても、そこに個人的な恨みや足の引っ張り合いは存在しませんでした。これこそが、私が考える「心理的安全性」の本質です。
それは、「厳しい指摘や反対意見を述べても、この組織における自分の居場所が脅かされることはない」という組織と仲間に対する絶対的な信頼感に他なりません。
リーダーが「壁打ち相手」となり、部下の思考に対して、愛情を持って本気で厳しい問いを投げかける。その行為は、この本物の心理的安全性が担保されて初めて可能になります。
この健全な知的衝突を許容する文化こそが、組織をつねに学び、進化し続ける「学習する組織」へと変貌させる、最も強力なエンジンであったように思うのです。
■日本の組織に蔓延している「失敗恐怖症」
その一方で、私は戦略コンサルタントとしてさまざまな企業のマネジメント改革に携わる中で、現代の日本の組織が抱えるもう一つの根深い病理があると気づいています。
それは、「失敗」に対する過剰なまでの恐怖心です。
もはや「失敗恐怖症」とでもいうべきこの症状は、減点主義の人事評価や短期的な成果を求めるプレッシャーと結びつき、組織の隅々にまで蔓延しています。その結果として、組織から未来の成長の糧となる「挑戦」の文化を静かに、確実に奪い去っているのです。

コンプライアンス遵守が至上命題となり、あらゆるリスクを事前に、そして完璧に排除することが優秀な管理職の条件とされる現代において、今の日本の多くのリーダーは部下が失敗を犯すことを極度に恐れています。
・プロジェクトに少しでも遅延の兆候が見えれば、部下のリカバリー能力を信じて待つことなく、すぐに自らが介入して軌道修正を図ってしまう。
・部下が作成した顧客向けの提案資料に些細な誤字やデータの抜け漏れを見つければ、本人の気づきを促すための問いかけをすることなく、先回りして赤ペンで修正してしまう。
・部下が自らの能力を少しでも超えるような難易度の高いタスクに挑戦しようとすれば、「それはまだ君には早い」、「まずは足元の業務を完璧にこなせ」と安全な業務の範囲内に押し留めようとする。

■「過保護」なリーダーは成長を邪魔する
これらの行為は、一見すると組織を不測のリスクから守り、部下を不要な困難や精神的負荷から保護するための責任感の強い親切なマネジメントに見えるかもしれませんが、その本質は部下の成長の可能性を信じない「過保護」であり、長期的に見れば組織の活力を確実に削いでいく行為に他なりません。
なぜならば人が最も深く、劇的に成長するのは安楽な成功体験からではなく、痛みを伴う失敗の経験からである……と私は数々の現場を見てきた経験から言えるからです。
座学でリスク管理について100時間学ぶよりも、一度自らの判断の甘さが招いた小さなプロジェクトの炎上を自分の手で鎮火させるために奔走する方が、リスクに対する嗅覚や対応力は何倍も鋭敏になります。
書籍でリーダーシップ論を10冊、100冊と読み込むよりも、一度自分の準備不足が原因でチームの士気を下げ、仲間からの信頼を失いかけるという苦い経験をする方が、リーダーとしての責任の重さや人を動かすことの難しさを何倍も深く、リアルに理解できるのです。
■日本人がマイクロマネジメントに陥る理由
もちろん、これは「部下を野放しにして無謀な失敗をさせろ」と言っているのではありません。
会社全体に回復不能な経営的損害を与えたり、お客様からの信頼を完全に失墜させたりするような取り返しのつかない失敗は、リーダーがその職を賭してでも絶対に防ぐ必要がありますが、リーダーが本当に果たすべき役割は失敗の可能性をゼロにすることではありません。
部下が成長の糧となる「良質な失敗」を経験できる「舞台」を意図的に設計して、そこに部下を送り出すことなのです。
マイクロマネジメントが、組織と個人の成長を阻害する「病」であることは論を待ちません。
そうであるにもかかわらず、なぜこれほどまでに多くの善良で有能な日本企業のリーダーたちが、この病に侵されてしまうのでしょうか。
それは、彼ら個人の資質の問題というよりも、日本の企業組織が歴史的に抱えてきたいくつかの「構造的な欠陥」にその原因があると私は分析しています。
■「自分と同じような人間」に育てようとする
【構造欠陥①】同質性の高い「ムラ社会」
第一の欠陥は、多くの日本企業が新卒一括採用と長期雇用を前提とした極めて同質性の高い「ムラ社会」として形成されてきたという点です。
同じような教育を受けて、同じような価値観を持つ人々が長年にわたって同じ組織に属し続ける。この「ムラ社会」は、かつて高度経済成長期の日本において、驚異的なチームワークと阿吽の呼吸による高い生産性を生み出す強力なエンジンとして機能しました。
そしてこの同質性は、裏を返せば「異質なものを許容できない」という深刻な副作用をもたらします。
「我々のやり方が唯一の正しいやり方だ」という暗黙の前提が組織の隅々にまで浸透し、それとは異なる考え方や新しいアプローチは「異物」として排除される傾向にあるのです。
このような環境下では、リーダーは部下を自分と同じ価値観、同じ思考様式を持つ「ミニミー」(小さな自分)として育てようとします。部下が自分とは違うやり方で仕事を進めようとすると、リーダーはそこに「間違い」や「非効率」を感じ、すぐに介入して自らの「正しい」やり方に修正しようとします。
これこそが、マイクロマネジメントの温床であると考えています。
■ミスをしない人が昇進するシステムの弊害
【構造欠陥②】「減点主義」の人事評価制度
第二の欠陥は、多くの日本企業がいまだに「減点主義」の人事評価制度を採用し続けているという点です。
減点主義とは、「失敗をしないこと」が最も高く評価される評価システムです。

新しいことに挑戦して、たとえ9つの成功を収めたとしても、たった1つの失敗を犯せばその人の評価は大きく下がってしまいます。逆に何も挑戦せず、言われたことをミスなく無難にこなしているだけの人の方が「安定感がある」として認識され、それなりの評価を得てしまうのです。
このような評価制度の下で、リーダーがどのような行動を取るようになるかは、火を見るより明らかです。彼らにとって最も重要なミッションは、「自分のチームから決して失敗を出さないこと」になります。部下の挑戦を促し、その成長を支援することよりも、部下が失敗を犯すリスクを徹底的に管理し、排除することが自らの評価を守るための最優先事項となるのです。
だからこそ、彼らはマイクロマネージャーと化します。
部下の行動を逐一監視し、少しでも失敗の兆候があればすぐに介入する。
部下に少しでも難易度の高い失敗する可能性のある仕事は、決して与えない。
すべては「減点」を避けるための合理的な自己防衛本能なのです。
この減点主義の文化がいかに組織から「挑戦」の気概を奪い、イノベーションの芽を摘み取っているか。その弊害は計り知れないのです。
■優秀な「現場の人」と優秀な管理職は別
【構造欠陥③】「プレイングマネージャー」という名の役割の混乱
第三の欠陥が、多くの日本企業でリーダーの理想像とされている「プレイングマネージャー」という役割の混乱です。

プレイングマネージャーとは、自らも一人のプレーヤーとして現場の第一線で高い業績を上げながら、同時にチームのマネジメントも行うリーダーのことを指します。
一見すると、非常に有能で理想的なリーダー像のように思えるかもしれませんが、私はこのプレイングマネージャーという役割こそが、マイクロマネジメントを生み出す最大の構造的要因の一つであると見ています。
なぜならば、プレーヤーとして優秀であることと、マネージャーとして優秀であることとでは、求められる能力が全く異なるからです。
■「俺の言う通りにやればうまくいく」
プレーヤーとしての成功は、個人のスキルの高さや専門知識の深さ、幅広さによってもたらされます。彼らは「自分がどうやって成果を出すか」の専門家といえますが、マネージャーの仕事は全く違います。
マネージャーの仕事は「自分ではなく、部下にどうやって成果を出させるか」を考えることです。そのために部下を動機づけ、その成長を支援し、チーム全体のパフォーマンスが最大化される環境を整える。それがマネージャーに求められる本質的な役割なのです。
多くの日本企業では、プレーヤーとして優秀だった人が、そのままマネージャーに昇進します。彼らはほとんどの場合、「マネジメント」という全く新しい仕事のための専門的な訓練を受けることなくマネージャーになります。
その結果、何が起きるか?
彼らは自分がプレーヤーとして成功してきた唯一の正解である「自分のやり方」を部下に押し付けようとするのです。「俺が若い頃はこうやって成果を出してきた。
だから部下たちも俺の言う通りにやればうまくいく」と考えて、部下と接してしまいます。
これはマネジメントではなく、単なる「ティーチング」です。
■部下の成長する機会が奪われてしまう
このティーチングが過剰に行われた時、それはマイクロマネジメントに、その姿を変えるのです。優秀なプレイングマネージャーであればあるほど、部下の仕事のやり方がもどかしく感じられ、非効率に見えてしまいます。
「ああ、俺がやった方が10倍速いのに」という衝動を抑えきれず、結局、自分で仕事を取り上げて片付けてしまいます。その瞬間、部下は成長の機会を奪われます。
リーダー自身も「マネジメント」という本来の仕事を放棄し、再び一人の「スーパープレーヤー」に戻ってしまうのです。
同質性の高いムラ社会、失敗を許さない減点主義、役割の混乱を招くプレイングマネージャー信仰。
これらの構造的な問題が複雑に絡み合った結果、日本の組織にマイクロマネジメントを蔓延させているというのが私なりの分析です。

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山本 大平(やまもと・だいへい)

戦略コンサルタント/データサイエンティスト

2004年に新卒でトヨタ自動車に入社し長らく新型車の開発業務に携わる。トヨタ全グループで開催されるデータサイエンスの大会での優勝経験を持つほか、副社長表彰・常務役員表彰を受賞する。その後、TBSテレビへ転職。『日曜劇場』『SASUKE』『レコード大賞』 などTBSの注力番組のマーケティングを数多く手掛ける。さらにアクセンチュアにて経営コンサルタントの経験を積み、2018年に経営コンサルティング会社F6 Design社を創業。トヨタ式問題解決手法をさらにカイゼンし、統計学を駆使した独自のマーケティングメソッドを開発。企業/事業の新規プロデュース、企業リブランディング、AI活用といった領域でのコンサルティングを得意としている。さらに近年では組織マネジメントや人材育成といった人事領域のコンサルティングにも注力。

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(戦略コンサルタント/データサイエンティスト 山本 大平)
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