行列も広告もない。にもかかわらず、年間1億5000万円を稼ぐケーキ店が東京都内にある。
店名は「スイーツスタンダード」。一見ごく普通の“街のケーキ屋さん”だが、厨房ではシュークリームの皮やタルトの土台といった“未完成のスイーツ”が次々と焼き上げられている。完成品ではなく、あえて“途中まで”つくる理由とは。フリーライターの山本ヨウコさんが、この“異色のケーキ店”の秘密を取材した――。
■“未完成のスイーツ”をつくり続けるパティスリー
シュークリームの皮だけ、タルトの土台だけ、パイの生地だけ……。
東京都大田区雪が谷大塚に、スイーツの一部分を次々につくり、いわば“未完成”の状態で取引先に納品しているパティシエがいる。「スイーツスタンダード」の小澤幹(もとき)さん(46)だ。小澤さんは店舗でナチュラルスイーツを製造・販売しながらコンサル事業とOEM事業を展開し、年商1億5000万円を達成している。
年商の8割を占めるのが、OEM事業。OEMとはOriginal Equipment Manufacturingの略で、他社ブランドの商品を代わりに製造することだ。自動車業界や家電業界、アパレル業界などで盛んにおこなわれているが、コンビニでも製造業者にお弁当やスイーツの製造を委託し、自社ブランドの商品として店頭で販売している。
冒頭に登場した“未完成”のスイーツもOEM商品だ。
パティスリーの厨房では毎日5~6人のスタッフが店頭販売するケーキや焼き菓子と並行して、1日2000個前後の他社商品をつくっているのだという。
「創業以来、スイーツで地域活性化のお手伝いをしています。日本各地にある素材を生かしたスイーツを現地の人たちと開発し、その一部をうちの厨房でつくっているんです」
地域の素材を使ったスイーツのOEM製造をおこなうメーカーは多数あるが、包装まで施した完成品を納品するケースがほとんどだろう。なぜスイーツスタンダードでは、スイーツの一部分だけをつくり、“未完成”の状態で納品しているのだろうか。
「地域活性化の取り組み」と「“未完成”スイーツの受託製造」を組み合わせた、スイーツ業界でも珍しいOEM事業。パティシエとして奮闘する理由を小澤さんの軌跡から紐解く。
■「スイーツの知識と技術を生かしたビジネスがしたい」
1979年、小澤さんは長野県でデザイン会社を営む両親のもとに生まれた。パティシエの道に進んだのは19歳のとき。獣医を目指していたが、パティシエ志望の知人と話したのを機に、形あるものを創り出すお菓子づくりに強く惹かれ製菓専門学校に入学した。
専門学校でお菓子づくりの基礎を学び、島根県と鳥取県で複数店舗を展開する老舗「リビドー洋菓子店」で実務経験を積む。製菓技術の習得だけでなく、店長として商品開発や店舗の運営、スタッフのマネジメントなどにも携わった。
リビドー洋菓子店で働きはじめて8年が経つころ、転機が訪れる。
パティシエとしての新たな可能性を探るため、28歳で世界的パティシエが代表を務める会社に転職した。スイーツに関連した商品・ビジネスプロデュースをおこなう会社だ。
なぜパティスリーではなく、スイーツ事業を展開する会社に入ったのか。
「専門学校に入る前は進学校に通っていたので、高校の同級生は医師や一級建築士といったエリートが多くて。そのなかで普通のパティスリーを目指してもつまらないから、スイーツの知識と技術を生かしたビジネスがしたいとずっと考えていたんです」
入社後、小澤さんは前職での経験を評価され、和スイーツブランド「和楽紅屋」や豆スイーツブランド「フェーヴ自由が丘」のブランディングや商品開発、製造責任者を任された。上品な甘さの和三盆糖を使った和ラスクや、サプリ感覚で手軽に楽しめる豆菓子などを次々に開発。健康志向ブームも追い風となり、約1億5000万円だった会社の年商は3年間で7億円に急成長した。
■日本には埋もれた素晴らしい素材がたくさんある
工場が拡大し人員も増えたことで、製造責任者として組織のマネジメントや業務を効率化する仕組みづくりに奔走。目まぐるしい日々を送りながら、並行して商品開発もおこなっていた。新たな和素材を求めて日本各地を回り、地域の生産者やメーカーの担当者と接する機会が増えていった。ある日の会話が、小澤さんの人生の転換点となる。
「この地域にはこんなにいい素材があるのに、生かされていなくてもったいないよね」
この言葉を聞き、日本各地には人知れず埋もれてしまっている素材があることを知った。
小澤さんは東京に戻ると、地域の人たちが言う「もったいない」を実感するようになる。
ちょうどそのころは、インバウンド客が増えはじめていた時期。小澤さんが任されていた2ブランドは都内の百貨店や駅ビルなどに入っていたため、周りの店舗で日本らしいとは言い難いお土産が飛ぶように売れていく様子をよく見かけるようになったのだ。
たとえば東京と銘打ちながらも、東京の特産品ではなく多くの人が好む食材を使ったスイーツが飛ぶように売れていく。小澤さんはその様子を眺めながら「日本の地方にはいい素材を使ったスイーツがたくさんあるのに」と、もどかしい思いを強くした。
また地方の観光地で売られているお土産に、まったく異なる地域の素材が使われているケースが多いことにも気づきハッとした。
パッケージの裏側の食品表示を見ると、たとえば長野県でそば菓子を買ったのに、製造地には埼玉県と書かれているときがある。その場合は長野県の原料を使っているのかすらわからない。地域外の原料を使っているのであれば、お土産売り場は儲かっても地域の生産者は収入を得られないということになる。
■スイーツで地域経済を変えたい
日本各地にその土地ならではの素晴らしい素材があるのに、その魅力をうまく活用できていない。そうした地域の実情を知った小澤さんは「スイーツで地域経済の構造を変えられたら」と考えるようになった。
「ただ、ひとつのスイーツ店が地域の原料を仕入れてスイーツにしたところで、地域経済には大きなインパクトを与えられないと思っていたんです。
儲かるのは原料の生産者さんと、販売するスイーツ店だけですから」
地域をもっと活性化させるために、自分になにができるのだろう。考えた末に導き出した答えが、日本各地に埋もれている素材に光を当てたスイーツビジネスだ。パティシエとして培ってきた技術や知識、経験を生かし、地域の素材を用いたスイーツをつくって世のなかに広く発信していく。つくり方や売り方を工夫し生産量が増えれば雇用も生まれ、ひいては地域が抱える問題の解決につながるかもしれない。
2018年3月、小澤さんは「地域経済にインパクトをもたらすスイーツビジネスをすること」をミッションに掲げ、スイーツスタンダードを立ち上げた。
■「うちで土台となるタルト生地だけつくりましょうか」
スイーツスタンダードは、自社運営のパティスリーと、コンサル事業を展開する株式会社としてスタートした。最初からOEM事業をおこなっていたわけではない。
最初のコンサル依頼者は高知県の地域商社「四万十ドラマ」で、事業拡大に向けた新工場設立と新商品の開発、既存商品のブラッシュアップに携わった。新たに開発した国産栗使用の「焼きモンブラン」は、濃厚なモンブランクリームとサクサクのタルト生地が評判となり、たちまち大ヒット。注文が殺到し、量産体制を整えた新工場でも製造が追いつかなくなった。
うれしい悲鳴だが、そのままだと売り上げは頭打ちとなる。小澤さんはさらなる売り上げアップを目指し「うちで土台のタルト生地だけつくりましょうか」と提案した。
それを機にOEM事業がはじまる。
なぜ商品の一部分だけを受託製造することにしたのか。それは、いくら現地で獲れた原料を使ったとしても、スイーツスタンダードですべての製造を請け負ってしまったら地域経済の構造を変えることにはならないからだ。現地でタルト生地の上にモンブランクリームを絞り、焼き上げて袋詰めすることで賃金が生じ雇用につながっていく。
「25年ほどお菓子づくりの経験を積み上げてきているので、引き出しがたくさんあります。そのうえで1回すべてをバラバラにして、どう組み合わせるかという発想で商品開発をしてます。製菓理論を理解しているから、固定観念に縛られない発想でお菓子づくりができる。少量のときはこの方法でできるけど、効率的に量産するにはこれで正解なのかと考えながらやってるんですよ」
“未完成”のまま納品し現地で完成させる独自のOEMを実現できるのも、知識と経験に裏打ちされた高度な技術があるからこそなのだろう。
■独自のOEMで消えたお菓子を蘇らせる
独自のOEMが確立したことで、一度は姿を消した地域の銘菓復活にも貢献できた。
2023年の春、小澤さんは宮城県気仙沼市にいた。明治19年創業の老舗菓子屋「コヤマ菓子店」五代目店主・小山裕隆さんと新商品の企画を練るためだ。打ち合わせで小澤さんが「昔は製造していたけど、今はもう販売していない商品はありますか」と聞くと、2018年に販売を終えた土産菓子「さんまパイ」が浮上した。

元祖「さんまパイ」は昭和60年代にコヤマ菓子店の先代社長が旗振り役となり、気仙沼菓子組合の有志と開発した商品だ。当時はさんまの水揚げ量が多く、気仙沼はさんまの町として活気に満ちあふれていた。
元祖「さんまパイ」は「仕送りと一緒に段ボールのなかに入っていた」「仏壇にいつもお供えしていた」というエピソードが聞かれるほど、気仙沼市民の生活に根ざした郷土菓子だった。しかし売上不振に伴い販売店が年々減少。2018年に惜しまれつつ姿を消した歴史がある。
「これほど素晴らしいストーリーのある商品を眠らせておくわけにはいかない」と考えた小澤さんは「さんまパイを復活させましょう」と提案。“かつて、さんまで賑わった町”という記憶を後世に伝えるべく、復活に乗り出した。
コンセプトは「伝承さんまパイ」。気仙沼菓子組合の承諾を得て、意気込んで商品設計にとりかかるも、いきなり問題に直面する。小山さんが「気仙沼産のさんまパウダーは数が少なくてもう無理です」と現状を打ち明けたのだ。しかし気仙沼のさんま要素を入れないと、コンセプトが成り立たない。
■復活した「さんまパイ」
「さあどうするか」。商品開発を進めながら別の方法も検討しはじめていたある日、地元の水産加工業者が新たにさんま節をつくり出したという情報が飛び込んできた。
「よし、最高の素材が手に入った!」
思わぬ朗報に驚きつつもガッツポーズ。絶妙なタイミングで入手できたさんま節を丁寧に削り、パイ生地に混ぜ込むことにした。企画立案から商品化まで約半年。ついに「さんまパイ」が復活を果たす。
うなぎの名産地として知られる静岡県浜松市には「うなぎパイ」という銘菓がある。同じパイ菓子ということで比較される可能性が高いため、小澤さんは商品の差別化を図った。
こだわりのひとつが、食感だ。発酵バター100%のパイ生地と、ブルターニュ地方で愛される焼き菓子ガレットブルトンヌを合体。「あまり一般的な製法ではない」そうだが、これにより今までにないザクザクとした食べ応えといつまでも続く食感を実現した。
そのパイ生地は、スイーツスタンダードで製造する。「『さんまパイ』をつくるには新しい機械を導入する必要があったので、最初からOEM前提の商品開発だったんです」と小澤さん。そのためできるだけ製造の手間を省けるよう、スイーツスタンダードでパイ生地を伸ばして棒状に丸めた状態で納品し、現地では切り分けて焼くだけの状態にしたのだという。
■納品するのは「棒状の生地」
また、それまで営業したことのない小山さんに、自ら営業活動をおこなってもらった。販路を広げるためのミーティングを半年続け、小山さんを後押し。その地道な活動が実を結び、2025年9月には仙台駅直結の商業施設「エスパル仙台」に常設店をオープンした。
スイーツスタンダードで受託製造している棒状の「さんまパイ」は、ひと月5000枚分。新店舗の売り上げは順調で、これからも増える見込みだという。
小山さんに、小澤さんの仕事ぶりと強みを聞いてみた。
「小澤さんは数字で語るんですよ。いつまでにどれくらい生産して、どれくらい売るつもりですか、どれくらい利益を出すつもりですかというところからスタートする。パソコンに入力しながら『じゃあ、いくらぐらいですね』と言われるんだけど、それがだいたい合ってるんです。お菓子屋って年間で一定の売り上げがあるわけじゃないのに。携わってきたプロジェクトがたくさんあるから、地域ごとの需要の変化をだいたい把握してる。そのストック量は彼の強みだと思いますよ」(小山さん)
コヤマ菓子店は東日本大震災で店舗を流出したものの、多くの人々に支えられ2019年11月に元の地で再建した。その恩に報いるべく、2034年までに灯台型の観光店舗「うみねっこーランド」を気仙沼に建設し、世界中から気仙沼に観光客を呼び込むという目標がある。
その目標達成に向けて第2工場建設の予定もある。小澤さんは四万十ドラマの新工場立ち上げ時のノウハウを生かし、コヤマ菓子店の目標達成に向けてサポートする予定だ。
■「ただの下請け工場にはなりたくない」
地域に埋もれた素材に光を当て、柔軟な発想で素材の魅力や生産者の思いを未来につないでいるスイーツスタンダード。コンサルと連動したOEMは、生産者やメーカーの「これができたらいいのに」を丁寧にすくい上げ、実現し、スイーツで地域の経済を循環させる仕組みづくりにつなげている。
現在は大手製菓メーカーからの大口案件も増え、取引先が小規模から大規模へと変わっている段階なのだそうだ。それに伴い別の場所に工場をもつことも視野に入れつつ、スイーツスタンダードは大量生産に移行していく。
「でも」と、小澤さんは話すスピードをわずかに上げて言った。
「ただの下請け工場にはなりたくないんですよ」
スイーツスタンダードの使命は「お菓子づくりを通じて、産地と生産者と生活者が笑顔になれる新しい経済のスタンダードを創る」こと。これはどんなに会社が成長しても変わることはない。
「これからも他社ではできない難しい課題に挑戦し『スイーツスタンダードだから頼みたい』と思ってもらえる会社にしていきたいですね」
今後は海外に工場を設け、ジャパンクオリティの商品を世界に流通させる計画もあるという。「まだお話ししていない計画がたくさんあるんですよ」と弾んだ声で教えてくれた。

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山本 ヨウコ(やまもと・ようこ)

フリーライター

1978年生まれ、千葉県在住。人材業界での勤務を経て、2016年から地域情報誌の編集・ライターとして活動。2020年に独立。現在は生き方や働き方、キャリアに関するインタビュー記事を中心に、Webや雑誌、書籍、企業のオンドメディアなどで幅広く執筆中。誰かの行動のきっかけになるような記事を生み出すため、日々取材をおこなっている。

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(フリーライター 山本 ヨウコ)
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