サービス業や小売店などで問題となっている度が過ぎたクレーム、つまりカスハラ。カスハラ対策の専門家である弁護士の能勢章さんは「かつては日本企業の中に『クレームは宝の山』という認識があったが、2021年のある事件で世間の認識は変わった」という――。

※本稿は、能勢章『「度が過ぎたクレーム」から従業員を守る カスハラ対策の基本と実践』(日本実業出版社)の一部を再編集したものです。
■27年前の「東芝クレーマー事件」とは?
カスハラに対する世の中の見方は時代によって変化しています。世の中の見方の変化を示すものとして、東芝クレーマー事件とキッチンDIVE事件を取り上げます。東芝クレーマー事件はカスハラかどうか定かではありませんが、クレームに対する世の中の見方の変化を示す事例としてわかりやすいので取り上げます。
東芝クレーマー事件は、1998年12月に、ある顧客が東芝製のビデオデッキで不具合が生じ、東芝に対してクレームを出したところ、電話対応でたらいまわしにされたうえに、「お宅さんみたいのはね、お客さんじゃないんですよ。クレーマーっていうの」「お宅さん、業務妨害だからね」などと強い口調で言われ、後にそのやりとりが音声ファイルで「これが東芝の対応」としてHPで公開されたという事件です(「朝日新聞」1999年7月10日付夕刊掲載記事)。
東芝側としては、顧客のクレームに対して毅然とした対応を取ったのですが、マスコミに大きく取り上げられた結果、世の中から批判が集まって副社長が謝罪することになりました。東芝側の当初の対応は、確かに乱暴な物言いで好ましくない面はあるものの、インターネットが普及し始めた1998年ころの世の中の雰囲気は、企業が顧客のクレームに対して毅然とした対応を取ることに対して否定的なものであったため、厳しい批判にさらされました。
■2021年キッチンDIVE事件で世間は変わった
ところが、2021年のキッチンDIVE事件では、世の中の雰囲気は大きく変わりました。
2021年5月に、東京都内の弁当店「キッチンDIVE」に来店した男性2人組が弁当を温めるように求めました。当時、コロナウィルスの感染防止対策として一時的に電子レンジを撤去していました。そのため店舗側がこれを断ると、2人組は激高し、「こんな店炎上させてやるからな」「なんやコラ、ガキ」などと暴言を吐き、小銭を投げつけました。

同店では24時間店内の状況をYouTubeで配信しており、これらの行為もすべて動画に残っていました。同店が動画をSNSに載せたところ広く拡散されてしまい、マスコミにも報道されました。
店側の対応については、SNS上では好意的なものが多く、YouTubeでの配信などは結果的に従業員を守ることにつながるため、「DIVEさんの従業員を守ろうという姿勢には好感しかない」といった称賛コメントもありました。その後、加害者の一人は後日店舗に訪れて謝罪しましたが、そのまま警察署に連行され事情聴取を受けたとのことです。
この東芝クレーマー事件とキッチンDIVE事件の比較を表にまとめると次のようになります(図表1)。
■東芝は株を下げ、キッチンDIVは称賛された
東芝クレーマー事件とキッチンDIVE事件とでは、インターネット上に顧客とのやりとりが公開されたこと、クレームに対して毅然と対応したことなどで共通するのですが、世の中の評価は、前者の事件では企業の対応が批判され、後者の事件では企業の対応が称賛されるという、真逆のものになりました。
このように真逆の評価になってしまったのは、もちろん事案が違うこともありますが、それ以上に行き過ぎたクレームに対する世の中の評価がこの20年で大きく変わってきたことが原因だと思います。
近年は、カスハラ(カスタマーハラスメント)事件が起きると、カスハラ加害者に対してだけでなく、従業員を守らない企業に対しても批判が向けられることが多くなりました。昔なら顧客対応に集中するだけでよかったのですが、現在はそれだけでは足らず、従業員を適切に守らないと、それはそれで世の中から批判される状況になったのです。
■「クレームは宝の山」という時代ではない
従来は、企業のクレームに対する姿勢は、概ね次のようなものでした。
「クレームはお客様からの大切な指摘であり、製品やサービスの品質向上に役立つ企業の財産である」

「クレームに真摯に耳を傾け、お客様が納得するまで誠実に対応することで、そのお客様がお得意様になる」
このような姿勢のもとで、企業はどんなクレームに対しても誠実に向き合うことを現場の従業員に要求したのです。そのため、これまでは、単なるクレームにとどまらず、カスハラ加害者に対しても、お客様としてていねいに扱うべきという風潮があったかと思います。

確かに、クレームのなかには、企業にはわからない気づきをもたらしてくれるものもあり、それが商品開発やサービス向上のヒントになる事例もあるでしょう。私もそうした事例を否定するわけではありません。
しかしながら、現代においては、顧客の声を聴く手法は多様化しています。店舗やコールセンターなどで顧客から直接クレームを聴くだけでなく、アンケート、モニターの募集、SNSによって、顧客の声を分析し、商品やサービスの向上につなげることもできます。
■カスハラは離職率を上げ、サービスを悪くする
そもそも正当なクレームならともかくとしても、カスハラ加害者に誠実に対応しても、商品やサービスの向上に役立つことはありません。そうした対応で品質向上を目指すこと自体が離職率の増加という弊害をもたらし、結果的に製品やサービスの品質低下を招くのです。
また、インターネットやSNSの普及によって、顧客のクレームがSNSやインターネット上で拡散されやすくなり、誹謗中傷に発展するリスクが大きくなっています。こうした拡散された世間の声も顧客の声の一つと言えなくもありません。
しかしながら、大元のクレームから拡散された世間の声は、必ずしもその企業の製品やサービスを利用したものとは限りません。誤った情報に基づいて評価を下している可能性もあります。元のクレームはともかくとしても、元のクレームが拡散することで誹謗中傷に変容した場合に製品やサービスの品質に役立つことはまずないと思われます。誹謗中傷にまで至ると、むしろ企業の信用を侵害し、従業員の精神的な負担を増加させるものになりかねません。

■求められる「カスハラから従業員を守る姿勢」
そうしたなかで、企業としても、カスハラ加害者に対応して得られる意見はさして商品やサービスの向上に結びつかない、むしろ弊害ばかり目立つという認識に変わりつつあるのではないかと思います。しかも、他の手段で顧客の声を聴きサービスの品質を向上させることもできますから、わざわざカスハラに我慢してまで顧客の声を聴く必要はないと判断するのは合理的だと言えるでしょう。
今後、多くの企業において、必ずしも「クレームは宝の山」と捉えるのではなく、カスハラに我慢して対応することは害をもたらすこともあると認識し、「カスハラ加害者を丁重に扱う姿勢」から「カスハラから従業員を守る姿勢」にシフトしていくことが求められます。

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能勢 章(のせ・あきら)

弁護士

能勢総合法律事務所代表弁護士、「カスハラドットコム」運営者。コンプライアンス系の法律事務所に所属した後、2012年に独立して能勢総合法律事務所を設立。「カスタマーハラスメント(カスハラ)」という言葉がない時代から企業から多くの依頼を受け、度が過ぎたカスハラへの対応に従事。基本方針策定から現場での運用までの実務をカバー。

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(弁護士 能勢 章)
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