■「持ち家+貯金1800万+年金月16万」でも足りないワケ
工藤恭平さん(仮名)は大学中退後20年以上ひきこもっており、今まで働いたことはありません。父親はすでに死亡し、現在は高齢の母親と二人で暮らしています。収入は母親の公的年金のみ。
そのような恭平さんの境遇を心配した母親は、筆者のもとへ相談に訪れました。
■家族構成
工藤恭平さん(48、一人っ子)
母親(80)
父親は1年前に死亡
■収入(月)
母親の年金収入(老齢年金および遺族年金)16万円
恭平さん 収入なし
■支出(月)
基本生活費 15万円
住居費 固定資産税 1万円
■財産
預貯金 1800万円
自宅(持ち家)
幼少期の恭平さんは恥ずかしがり屋で、人の前に出ることを嫌がっていたそうです。
勉強も運動もあまり得意ではなかったため、父親の計らいで小学4年生から塾に通うことになりました。しかしその成果が表れることはなく、成績はまったく伸びませんでした。そのため父親から「なんで勉強ができないんだ? 努力が足りない。そんなんじゃ大人になってから生きていけないぞ!」とよく叱られていたそうです。
それでも何とか大学まで進学した恭平さん。しかし大学の授業に出てもその内容がさっぱり理解できず、親しい友人もできなかったため、次第に大学から足が遠のいてしまいました。結局大学には6年間在籍していましたが卒業することはできませんでした。
これに業を煮やした父親は「お前いい加減にしろ! 学費が無駄になるから大学は辞めてしまえ。今から働け!」と恭平さんを叱り飛ばしました。
恭平さんは父親の言う通り24歳で大学を中退した後ハローワークに通いましたが、いずれも採用までには至りませんでした。
なかなか仕事に就けない恭平さんは、父親から「お前これからどうするんだ? 仕事をしないなら今すぐこの家を出ていけ!」と毎日のように怒鳴られていたそうです。
恭平さんも将来への不安があり、心が不安定になっていたのかもしれません。
父子二人が顔を合わせるたびに、言い争いや掴み合いのけんかをするようになってしまったのです。
仕事が決まらず無収入の恭平さんは生活の目途が立たないので実家を出ていくことができません。そこで父親と顔を合わせまいと一日のほとんどを自室で過ごすようになってしまいました。
当初父親は、自室にひきこもった恭平さんに聞こえるような大声で「あんな奴は社会に必要ない。
そして父子の関係が改善しないまま、恭平さんは自室からほとんど出て来ない生活を20年以上続けてきました。
■「死んでも死に切れない」
そのようななか父親が1年前に死亡。
母親は「父親が亡くなったことで、恭平にも何かしらの変化が表れることだろう。ひょっとしたらひきこもりから脱してくれるかもしれない」
と考えたそうです。
しかしそのような淡い期待とは裏腹に、恭平さんは社会との接点を持たずにひきこもったまま。何も変化はありませんでした。
この状況に不安を抱えた母親は、ひきこもりの子を持つ親の会に参加するようになりました。
月に1回の勉強会に参加し続けたところ、ある日、障害年金の存在を知りました。
「ひょっとしたらうちの子は発達障害なのかもしれない。障害年金が受給できるのかもしれない」
母親はそのように感じました。
とはいえ、恭平さんは今まで精神科や心療内科を受診したことはなく、発達障害の検査を受けたこともありません。母親は恭平さんに受診するよう説得をするきっかけがつかめず、ただ時間だけが過ぎていきました。
そんな折、母親にがんが見つかったのです。幸いにも発見が早かったので余命宣告を受けることはありませんでした。ですが、母親は自分の死というものを意識せざるを得ませんでした。
「今までこの子のために何かしてあげることはなかった。せめて私の命が尽きてしまう前に、この子のためにできることは何かないか?」
母親は自問自答を繰り返しました。
今の状況では、残念ながら恭平さんのために多くの財産を残すことはできそうもありません。でも、このまま何もせずにいたら、私は死んでも死に切れない。
そう思った母親は、恭平さんが障害年金を受給できるよう行動を起こすことに決めました。
とはいえ、母親一人で行動を起こすには不安があります。そこで社会保険労務士で、ひきこもりの子を持つ家庭の家計相談にものっている筆者に相談することにしたそうです。
そこまで話を伺った筆者は、障害年金について1つずつ確認をしていくことにしました。
まずは「その障害で初めて医師等の診療を受けた日(初診日)がいつなのか?」というところから始めます。
これを恭平さんに置き換えると「発達障害で精神科や心療内科を初めて受診した日はいつなのか?」ということです。
恭平さんは今まで精神科などを受診したことがないので、初診日はこれから発生することになります。
恭平さんは現在48歳で国民年金に加入中です。
初診日の時点で国民年金に加入中であれば、障害基礎年金を請求することになります。
母親が持参した恭平さんのねんきん定期便を見る限り、学生納付猶予、納付、全額免除をしてきたので、未納期間が多すぎるといったことはありません。よって、恭平さんは障害基礎年金の請求権利が発生します。
■障害基礎年金なら7万4758円、国民年金なら5万7290円
障害基礎年金には1級と2級があり、より障害状態が重い方が1級となります。
仮に恭平さんが障害基礎年金の2級を受給できたとすると、金額は次のようになります。
障害基礎年金 6万9308円
障害年金生活者支援給付金 5450円
合計 7万4758円
※いずれも月額換算で2025年度の金額
ここまで確認したところで母親は疑問を口にしました。
「もし長男が障害基礎年金を受給できなかったとしたら、長男の国民年金はどのようになるのでしょうか?」
「65歳になった時に老齢基礎年金を受給することになります。
筆者はそう言い、概算することにしました。
恭平さんの国民年金の加入歴は次の通りとします。
20歳から24歳まで 学生納付特例(納付猶予)
24歳から46歳まで 納付
46歳から60歳まで 全額免除
以上をふまえると、恭平さんが65歳から受給できる老齢年金等は次のようになります。
老齢基礎年金 5万249円
老齢年金生活者支援給付金 7041円
合計 5万7290円
※いずれも月額換算で2025年度の金額
母親はさらに質問をしてきました。
「障害基礎年金を受給してきた人が65歳になったら老齢基礎年金も発生しますよね? 障害基礎年金と老齢基礎年金は一体どのようなもらい方になるのでしょうか?」
「障害基礎年金と老齢基礎年金はふたつ一緒に受給することはできません。どちらか一つを選ぶことになります。恭平さんの場合、障害基礎年金の方が金額は大きくなるので65歳以降も障害基礎年金を受給することになるでしょう」
「どちらか一つを選ぶということですが、どのような手続きが必要になるのでしょうか?」
「老齢基礎年金の請求をする際に『年金受給選択申出書』という書類を別途提出するだけで大丈夫です。書類は年金事務所に置いてありますし、書き方も教えてもらえます。手続き自体はそんなに難しくはありません」
「そうなのですね。それを聞いて安心しました」
「せっかくなので、障害基礎年金と老齢基礎年金を比較してみましょう。仮に恭平さんが平均余命の82歳まで存命だったとした場合、障害基礎年金と老齢基礎年金の比較はこのようになります」
老齢基礎年金
年金月額 5万7290円
総受給額 65歳から17年間 約1168万円
障害基礎年金
年金月額 7万4758円
総受給額 50歳から32年間 約2870万円
※1 障害基礎年金は初診日から1年6カ月後に請求できるため、仮に恭平さんが50歳になったときから受給できるものとしています。
※金額はいずれも2025年度のもの
■「実はね……お母さんにがんが見つかったの」
金額を確認した母親は言いしました。
「やはり障害基礎年金の方が総額は多くなりますね。それで長男は障害基礎年金が受給できそうでしょうか?」
「障害基礎年金が受給できるくらいの障害状態にあるかどうかは、主に医師の作成する『診断書』とご本人またはその代理人が作成する『病歴就労状況等申立書』の記載内容で判断されます。医師に診断書を作成してもらうためにも、まずは恭平さんが受診をするところから始めなければなりません」
そうですよね……とつぶやいた母親は暗い表情になりました。
「長男は重度のひきこもり状態にあり、20年以上外出をしてきませんでした。たとえ私が付き添ったとしても、病院まで連れて行くことは難しいかもしれません。何かよい方法はありませんでしょうか?」
「それなら訪問診療を検討してみましょう。この方法なら、ご長男は自宅の外に出ることもなく、精神科医の受診を受けることができます。ご長男の同意が取れれば、私も訪問診療先を探してみることができます」
「それは助かります。私だけではどうすることもできませんので。ぜひご協力ください」
「何はともあれ、まずはご長男が受診に同意し、受診を続けてくれるかどうかです。それが一番の難関なのですが……」
「長男の受診については私のほうで何とかしてみます。長男の同意が取れたら、ご連絡差し上げます」
そう答える母親の目には強い覚悟が宿っていました。
筆者との面談後、母親は恭平さんに受診するよう説得をしてみました。すると恭平さんは顔を真っ赤にさせて怒りを露わにしました。
「何で俺が病院を受診しなくちゃならないんだよ! 俺はもう何十年も外に出でいないし、いまさら病院に行くことなんてできるわけないだろ?」
あまりの剣幕に母親は圧倒されてしまいました。ですが今度ばかりは引き下がるわけにもいきません。母親は説得を続けることにしました。
「わざわざ病院に行かなくてもいいのよ。今は訪問診療というものもあって、お医者さんが自宅に来てくれるの。それを続ければ障害年金の請求ができるのよ」
「はぁ? ふざけんな。俺がこうなったのもお前らのせいだろ? 何で医者に会わなきゃならないんだよ。もういい加減にしろよ!」
普段ならここで母親は引き下がっていたかもしれません。ですが、母親にはもう猶予がありません。何度か深呼吸を繰り返した後、静かに言いました。
「実はね……お母さんにがんが見つかったの」
「えっ?」
恭平さんは目を大きく見開き、口をぽかんとさせたまま二の句が継げませんでした。
「お母さんもずっとあなたのそばにいたいと思うんだけど、いずれそれができなくなってしまうの。これからお母さんのがんの治療費もかかるだろうし、お金の対策でできることはしておきたいの。だからお願い。訪問診療を受けて障害年金を請求してみない?」
しかし母親の懇願に恭平さんは何も答えず、自室に戻ってしまいました。
それから数日間、恭平さんは母親と顔を合わせることもなく、沈黙を貫いていました。
「やっぱりだめだったか……」
母親が意気消沈していると、そこに恭平さんがふらりと現れました。
「この間は悪かったよ……訪問診療でいいなら受診してみる」
恭平さんはばつが悪そうな顔でそう言いました。
「そう、よかった。わかってくれてありがとう」
母親は涙声になっていました。
■48歳息子は母の他界後もサバイバルできるのか
恭平さんから受診の同意が得られたので、さっそく母親と筆者は訪問診療をしている病院を探すことにしました。めぼしい病院が数件見つかったため、恭平さんと母親で各病院のサイトを見比べてもらいました。そして恭平さんが「ここにしてみる」と言った病院に決めました。
さっそく母親がその病院に電話で受診の予約を入れたところ、1カ月後に受診することが決まりました。
そして受診当日。恭平さんは朝から家の中を行ったり来たりし、ソワソワして落ち着きがありません。自宅に訪れた医師や看護師と対面しても、恭平さんは緊張のあまり言葉がでてきませんでした。そこで母親が代わりに状況を説明することになりました。
医師は長年ひきこもっていた恭平さんに理解を示し、優しく接してくれました。
そのおかげで、恭平さんは受診の最後に「これからも受診を続けたいです。障害年金の請求をしたいです。どうぞよろしくお願いします」と言い、月に1回程度の訪問診療を受ける約束をしました。
障害年金(障害基礎年金および障害厚生年金)は、原則、初診日から1年6カ月を過ぎた日以降に請求することになっています。
恭平さんが障害基礎年金を請求できるまで、まだまだ時間はあります。
そこで、その間に病歴就労状況等申立書の作成を進めていくことにしました。
発達障害の特性は幼少期から現れているとされるため、病歴就労状況等申立書は幼少期から現在までの状況をできるだけ詳しく記載するルールになっています。恭平さんの場合、次のような区分けで記載していくことになります。
・小学校入学前
・小学校
・中学校
・高校
・大学
・大学中退後から初診まで(※)
※この期間は長期にわたるので、概ね5年ごとに分けて記載する必要があります
・初診から現在まで
病歴就労状況等申立書は、次のような流れで作成することにしました。
まずは筆者が母親に質問をメールします。それについて母親と恭平さんが回答を作成し、筆者にメールします。それをもとに筆者が下書きをし、恭平さんと母親で清書します。
母親は高齢でパソコンやスマホの操作が苦手だということなので、メールの返信は恭平さんに手伝ってもらうことになりました。
そのようなやり取りを通して、まずは恭平さんの幼少期の状況をまとめました。
以下、その一部抜粋になります。
〈発語が遅く、幼少期はしゃべり方がまどろっこしかった。恥ずかしがり屋で人前に出ることが苦手だった。幼稚園では友達と一緒に遊ぶこともなく、放課後も自宅で一人で絵本を読んだり積み木遊びをしたりしていた。幼稚園での歌の練習、お遊戯会、運動会などの団体行動が苦手で、幼稚園の先生から注意を受けていた。朝、幼稚園に行きたくないと大泣きし、母親を困らせることが多かった〉
恭平さん家族が幼少期の回答をまとめるまでに約3週間かかりました。かなり時間がかかってしまいましたが、恭平さんが障害基礎年金を請求できるようになるまでまだ1年以上の時間があります。
このペースでいけば就労状況等申立書の作成は間に合うことでしょう。
母親はメールで次のように伝えてきました。
「障害基礎年金が受給できたことを見届けるまで、何とか生き延びようと思っています。今はそれが私の生きがいです」
将来のことは誰にもわからないので、親亡き後のお金の見通しを正確に立てることは困難です。ですが、大まかな見通しであれば立てることはできます。
恭平さんの場合はどうなりそうか? 筆者は次のような条件で試算してみることにしました。
■条件
・恭平さんは50歳から障害基礎年金を受給するものとする⇒この時、母親は82歳になっている
・母親は90歳で死亡するものとする
・相続財産は預貯金900万円と自宅とする
以上をふまえ、筆者は大まかな試算をしてみることにしました。
恭平さんの一人暮らしにおける基本生活費および住居費は月13万円としてみます。障害基礎年金および障害年金生活者支援給付金の合計は月7万4758円。すると月の赤字は5万5242円になります。
母親が90歳で亡くなったとしたとき、恭平さんは58歳になっています。恭平さんが平均余命の82歳まで存命だったとすると24年間の赤字総額は5万5242円×12カ月×24年間=約1590万円になります。相続で預貯金を900万円受け取ったとしても1590万円-900万円=690万円足りません。
一方、恭平さんが50歳の時から、母親が亡くなると仮定した90歳までの8年間、障害基礎年金等を貯蓄できたとすると月7万4758円×12カ月×8年=約717万円になります。恭平さんが障害基礎年金を受給することができれば、赤字分は何とかカバーできる見通しが立ちました。
ただし、これは机上の計算であり、忘れてはならないのは母親ががんに罹患しているということでし。治療費や、転移などのリスクがあります。つまり、母親の残りの人生は長生きがマストになります。危険な綱渡りとならざるを得ませんが、「息子のために」という気持ちを糧に奮闘するしかありません。
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浜田 裕也(はまだ・ゆうや)
社会保険労務士・ファイナンシャルプランナー
平成23年7月に発行された内閣府ひきこもり支援者読本『第5章 親が高齢化、死亡した場合のための備え』を共同執筆。親族がひきこもり経験者であったことからひきこもり支援にも携わるようになる。ひきこもりのお子さんをもつご家族のご相談には、ファイナンシャルプランナーとして生活設計を立てるだけでなく、社会保険労務士として利用できる社会保障制度の検討もするなど、双方の視点からのアドバイスを常に心がけている。ひきこもりのお子さんに限らず、障がいをお持ちのお子さん、ニートやフリータのお子さんをもつご家庭の生活設計のご相談を受ける『働けない子どものお金を考える会』のメンバーでもある。
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(社会保険労務士・ファイナンシャルプランナー 浜田 裕也)

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