※本稿は、右田裕規『「酔っぱらい」たちの日本近代』(角川新書)の一部を再編集したものです。
■日本で大衆にビールが普及したのは20世紀前半
まず、ビール普及の沿革を、ごく簡単に紹介しておこう。
居留地を拠点に、ヨーロッパのビールとビール醸造技術が輸入され、国内のエリート層に好んで飲まれはじめたのは、19世紀の半ばから後半においてである。続く19世紀末から20世紀前半の時代には、代表的な国内メーカーが次々に登場し、国産ビールの量産化が急速に進められることになる(『ビールと日本人』、『大日本麦酒株式会社三十年史』)。
とくにメーカーが激しい価格競争を繰り広げた20世紀前半には、一般の人びとにとっても、ビールは比較的身近な酒類の1つとして成立する。戦後の国税庁が出した数字によると、1934年~36年度において、最も年間出荷量が多かった酒類は清酒で73万キロリットル、次に多いのがビールで19万キロリットルだった(『酒のしおり』1960年度)。
■都市部の飲食店で愛されたビール
この普及初期において、ビールをとくに好んで飲んでいたのは大都市の勤労者たちだった。生産されたビールの多くが、いわゆる「六大都市」を擁する府県で、集中的に消費されていたのはそのためである。東京工業大学調査部によると、1935年度において、東京・神奈川・愛知・大阪・兵庫・福岡の6府県で消費されたビールの総量は、全体の68%にのぼっていた(『日本工業分布の調査研究』)。
なかでもビール消費の拠点となったのは、給料生活者を中心の顧客とした、街区の酒場であった。カフェーと呼ばれたそれらの酒場には、自社ビールを扱うことを条件に、ビール会社の出資をうけた店舗が、非常に多かった(『ビールと日本人』など)。1930年、日本麦酒鉱泉の支配人・田口邦重が語ったところでは、当時の「ビールの消費率は、バー、カフェー等の飲食店で使用されている量が、全体の約六割五分」に及んでいた(田口邦重「大衆愛飲家の獲得を目指して」)。
■戦時中はビールの生産量も大きく減った
物資統制がしかれた時代(太平洋戦争前後の時代)には、ビールも生産量を大きく減らされた。ただ、契約農家が栽培するビール専用の大麦を主原料とした関係上、ビール会社に対して出された減産指示は、清酒メーカーと比べると緩やかだった。サッポロビールの社史は理由をこう説明する。
ビール大麦は食用の大麦や製粉用の小麦など一般麦類と異なり、本来はビールやウイスキーの原料専用である。〔略〕〔ビール会社から大麦栽培を委託された〕農家は水田の裏作あるいは畑の冬作として耕作しているので、基本食糧としての米の需給に影響を与えることは少なかった。
ビール会社の原料不足が深刻化したのは、ビール大麦を契約農家から直接買い入れできなくなり、また専用大麦の作付面積も規制されはじめた、1944年度以後のことだという(『サッポロビール120年史』)。
減産措置の以上のような(相対的)緩慢さから、酒類全体の生産量に対してビール生産量が占める割合は、戦争時代にむしろ大きく伸びていた。1937年度は23万キロリットルで19%だったのが、1945年度は9万キロリットルで30%に達していた(『酒のしおり』1960年度)。
■高度経済成長期にビールの消費量が激増
年間の酒類別消費量において、ビールが清酒を追い抜いたのは1959年度である(清酒65万キロリットル、ビール71万キロリットル)。以来、両者の差は開き続けることになる。
1970年度には、清酒の消費量153万キロリットルに対して、ビールの消費量は291万キロリットル。20年後の1990年度になると、清酒137万キロリットルに対してビールは646万キロリットル(同年の酒類総消費量の7割に相当する)と、5倍に近い差が生まれていた(『国税庁五十年史』)。
大都市では、ビールの消費量・販売量が清酒を追い越したのはもっと早い。『国税庁五十年史』によると、1951年度にはすでに、東京都の酒類別年間消費量は、清酒が2万キロリットル、ビールは4万キロリットルと、ビールが清酒を上回っていた。
高度経済成長期を通じて、さらにこの差は大きくなる。1970年度の都内のビール販売量は49万キロリットルで、酒類の総販売量の約7割を占め、清酒(15万キロリットル)の3倍強に及んでいた(『東京都統計年鑑』1970年度)。
■「悪酔いしない滋養飲料」のイメージが定着
かくて都市の酒場を起点として普及をはじめたビールは、戦後に至り急速な大衆化を進め、酒類市場の覇権を掌握する。このビール人気の高まりの理由はあきらかに、その労働順応的なイメージに所在した。
いいかえると、20世紀の都市勤労者たちが共有した、労働従属的な飲酒様式に似つかわしいイメージを、この外来の酒は強くまとっていた。飲んでも酔わず、理性を保持することができ、しかも健康的な滋養飲料、というイメージである。この点で、アルコールの労働補完作用に対する信仰が、ビールの覇権時代において定着したことには、一定の必然性が認められる。
実際、20世紀後半のビール需要の劇的な伸びが、この飲料がまとった生産的なイメージにささえられていたことは、ビール会社の歴代の社長が一様に語っている。
「大衆の消費傾向は健康的な軽アルコール飲料のビールに向っている」(朝日麦酒社長・山本為三郎。『新日本経済』22巻1号、1958年)、「これほど安くうまく、健康的な大衆飲料はほかにないので、まだまだ伸びますね」(サッポロビール社長・内多蔵人。
■酒ではなく、疲労回復剤に近い売り出し方
そもそも日本社会において、ビールの労働順応的なイメージがひろまる始点となったのは、かれらビール業者の宣伝活動であった。「薬効」についての広告規制のゆるさもあいまって、20世紀前半のメーカー企業が自社ビールに付与したイメージは、酒というよりは、疲労回復剤や栄養剤のそれに近いほどだった。
大正・昭和初期の広告コピーから、いくつか引いてみよう(『応用自在現代広告文句辞林』、『広告実務講座並広告文案資料』、『広告年鑑』)。
「ビールに宿酔なし ビールは滋養に富む」(ヱビス・サッポロ・アサヒビール)
「純良なる麦酒は「飲む」に非ずして「食う」也 一杯のビールの滋養は同量の牛乳に等しく四合のビールは牛肉三十匁の効力に匹敵すと」(キリンビール)
「一杯のビール良く労を忘れ元気を恢復す」(カスケードビール)、「湧き出ずる活力 あふるる生気」(サッポロビール)、「健康は何よりの資源 アサヒの一杯 活力の源泉」(アサヒビール)
■都市部の労働者にとってビールは「健康」
太平洋戦争期になると、ビールもまた「産業戦士」の回復剤として特別配給されていた。この時期には、ビールの年間消費量の数割は、軍需関連部門の勤労者への特配分にあてられていた。ビールの労働補完的なイメージを日本社会にいっそうひろめたのは、この配給制度であったと、麒麟麦酒の社史は述べている。
配給制の下に〔略〕あるいは軍用に、あるいは重点産業用に特配されたから、ビールの味を知り、ビールを愛好する消費層は、戦前には考えられぬ程の広さと厚みを持つようになった。しかも、戦時から戦後へかけて、世界的な傾向として、ビールの味は淡白を好む方向にむかってきたので、戦前のいわゆる致酔飲料としてのビールが、転じてむしろ衛生的なアルコール含有清涼飲料としてのビールと考えられるようになり、婦人層、青年層をも需要の対象に加えることになった。
(『麒麟麦酒株式会社五十年史』)
事実、特配制度の終盤期になると、ビールが労働的身体の保全に役立つという信仰は、都市男性を中心に相当程度ひろまっていた。
1956年、麦酒酒造組合が「ビールという飲みものは健康的な飲みものだと思いますか」と、全国の20歳以上の男女7859人に聞いている。
この種の信仰は、その後も、都市の男性勤労者の間で長らく保たれ続けることになる。2003年、宝酒造が、「健康によいイメージのお酒」はどの酒類か、飲酒習慣のある「男性ビジネスマン」600人に聞いている。最多は赤ワインで39%、次にビール23%という順だった(『外食産業統計資料集』2004年版)。
■労働者には「飲みやすく、酔いにくい」がウケた
普及期のビール党が、つぶれるまで飲むことをきらう、労働配慮型・理性志向型の飲み手であったのもたしかである。かれらの多くは、ビールであってもさほどは飲まない、節酒派の人びとからなっていた。
雑誌『実業之世界』による飲酒アンケート(1916年)から、具体例を見てみよう。「晩酌」時の平均酒量についての、実業家たちの回答である。「ビールならば一本」(共同火災保険専務・村上定)、「折々五勺位日本酒又は小壜のビール位」(日の出生命保険取締役・久米民之助)、「ビールの小瓶を一本」(丸善支配人・小柳津要人)。
「ビールに宿酔なし」という宣伝文句の確からしさを生み出していたのは何よりも、こうした飲み手たち自身の自制的な態度なのである。
戦後の調査では、よりはっきりとビール党の節酒志向が認められる。
20世紀後半の酒宴の労働的なありようからしても、度数が軽いビールは都市勤労者たちにとって、非常に相性のいいアルコール飲料であった。
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右田 裕規(みぎた・ひろき)
山口大学准教授
1973年、島根県生まれ。京都大学大学院文学研究科博士後期課程研究指導認定退学。博士(文学)。山口大学時間学研究所講師を経て、現在は准教授。専門は社会学。近代社会固有の時間経験・知覚について、社会学的な視座から研究を続けている。著書に、『夜食の文化誌』(共著、青弓社)、『現代社会と時間』(共著、恒星社厚生閣)、『夜更かしの社会史』(共編著、吉川弘文館)などがある。
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(山口大学准教授 右田 裕規)

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