■「お好み焼き」か「お好み焼」かを会議で議論
「経営会議で『お好み焼き』か『お好み焼』か、つまりお好み焼の『き』の字があった方が良いのか、ない方が良いのかを議論することもあるんです」
そう話すのは、「お好みソース」で圧倒的なシェアを誇るオタフクソースの佐々木孝富(たかとみ)社長だ。
西日本で根強い「粉もん文化」。その代表格であるお好み焼は、大阪と広島の二大拠点があり、双方のバトルは時折ユーモアを交えながらクローズアップされることがある。もはや双方の譲れない文化となったお好み焼の立場を向上させてきた立役者が、Otafuku(オタフク)グループだ。
1952年に「お好み焼用ソース」を発売した同グループの中核を担うオタフクソースでは、社内に「お好み焼課」を設けるにとどまらず、新入社員向けに「キャベツ研修」を行うなど、徹底してお好み焼に精通した社員を育成し、業界トップとして「食文化としてのお好み焼」の発展に貢献してきた。冒頭の発言は、同社のお好み焼に対する本気度が伝わるエピソードである。
佐々木社長に、なぜそこまでしてお好み焼にこだわるのか。そして、どのようにお好み焼の地位向上を果たしてきたのか、話を聞いた。
■業界最後発でもトップシェアに
Otafukuグループはもともと醤油類の卸と酒の小売から始まり、戦前は「お多福酢」のブランドで、醸造酢を手掛けてきた。戦後には1950年に「業界としては最後発」(佐々木社長)でソースの開発・販売を開始している。
一般的に、調味料は定番が強い先行有利な市場とされ、なかなか新参の商品は受け入れられにくい。そんな中、同グループが活路を見い出したのがお好み焼だった。戦後、広島では屋台文化が広まり、そこではラーメン・うどんなどとともにお好み焼がよく出されていたという「地の利」もあった。
「当社には現場・現物・現実を大事にする“三現主義”という精神があります。当時も、営業に苦戦しながらとにかくお客さまのところへ足を運ぶ中で、お好み焼店のみなさんがお困りの様子を見て、お好み焼ソースに勝機を見い出しました」(佐々木社長)
というのも、いまでこそお好み焼ソースが当たり前に存在するが、当時は専用のソースがなかった。お好み焼店の多くはさらっとしたウスターソースや、そこにケチャップを加えて粘度を高めていたものを使っていたという。そうした現場を巡りながら目にしたのが「お好み焼からソースがこぼれる」のほか、老若男女が食べられるように「辛みを抑えたものがほしい」といった悩みだった。
この課題を解消すべく1952年に誕生したのが「お好み焼用ソース」だ。現場に足を運んで浮かび上がった切実な声を基に生まれたソースは人気を博し、徐々にお好み焼のスタンダードとなっていく。
■取扱商品点数は2000を超える
それにしても、なぜ最後発だったソース業界でトップクラスのシェアを得られたのか。まず一つの要因として挙げられるのは、先ほど佐々木社長が同社の精神として紹介した三現主義だろう。
同社は一口にお好み焼用のソースといっても、スタンダードな「お好みソース」から「コクと旨味のお好みソース」に「お好みソース 大人の辛口」など、膨大なラインアップを展開している。
「商品全体のうち、7~8割と大半を占めるのが業務用で、その多くを個別仕様、要はオーダーメイド商品です。
BtoCではなかなか難しいですが、BtoBであれば、一人ひとりのお客さまと向き合い、商品を開発できます。対話を繰り返してオーダーメイド品を作り、そこから一般化した業務用商品を作り、さらに家庭向けに展開していく。こうしたサイクルの下、私たちが販売しているいずれの商品にもお客さまの声が反映されているのです」(佐々木社長)
とはいえ、向き合う相手は「お好み焼のプロ」たち。佐々木社長も「エビデンスがないと教えられない」と話す通り、社員には相応の知識が求められる。そのため、社員教育には力を入れている。
■新入社員はまずキャベツ畑に
例えば、新入社員向けに行っているキャベツ農場研修はその代表だ。オタフクソースに新卒入社した社員は、4月下旬から5月頭にかけて、本社から40分ほどの位置にある畑で、文字通りキャベツと徹底的に向き合う。
「お好み焼は、ジャンルとしてはキャベツ料理なんです。その真髄を学ぶには、やはりキャベツと向き合うのが一番でしょう。
キャベツ農場研修では土作りに始まり、畝をつくって苗を植え、より良いキャベツを栽培するにはどんな条件が必要なのかを身をもって学んでいきます。
その他、おいしいお好み焼を作るために使うべき豚バラ肉の厚みや、具材を重ねていく順番。さらに県下だけでも多岐にわたる種類があるというお好み焼の研究や、相性の良い食材など、お好み焼に関する情報はとことん集め、顧客に還元する。
メーカーにしかできないエビデンスを交えた活動や、社長自ら「誰よりもお好み焼を食べている自信がある」と語る姿勢が、最後発ながらシェアトップの座に輝く原動力となっている。
■広島の会社なのに「関西風」で売る
Otafukuグループではお好み焼をひとつの文化として捉え、その文化を伝え、広げていく目的で1998年に「お好み焼課」なる部署も作った。現在は正社員だけで20人弱、パート・アルバイトなどまで含めると50人規模の大所帯だ。生活者向けの体験教室や、お好み焼店を開きたい人を対象とした研修を実施している。
お好み焼という文化を広げるために、対立を煽られがちな「関西風」「広島風」にもこだわらない。その姿勢が顕著に表れているのが、1998年に発売した「お好み焼こだわりセット」だ。
お好み焼は、広島や大阪で違うのはもちろん、同じ広島でも県内でいくつもの食べ方があるほどバリエーション豊かな食べ物だ。しかし、バラバラなままでは文化として広げていくのが難しい。また、粉や天かすに青のりなど、いくつもの商品を買うのが面倒だという消費者のニーズも見えていた。
そこで、最大公約数として、お好み焼に必要なものをそろえたセットを発売した。
このとき、広島風お好み焼ではなく、あえて関西風のお好み焼のセットとしたことについて、佐々木社長は次のように話す。
「当時のキーワードは『超・広島』。なんだかんだいっても、世の中のお好み焼はほとんどが関西風ですから、広島にこだわらずやってみようと。とはいえ社内には『何で迎合しなきゃいけんの』という人もいたようですが(笑)」
■敵地で受け入れられた
「結果的にお好みソースと同じくシェアトップの商品に成長して、お好み焼を楽しむ方の裾野(すその)を広げられたと考えています。当時、広島風にこだわっていたら売り上げだけでも今の5分の1程度だったでしょうね」(佐々木社長)
こうした姿勢が評価され、今や広島発のお好みソースは“敵地”でも受け入れられて地域別の売り上げでは大阪が1位だという。
こうして、徹底的に顧客と向き合いながら「文化としてのお好み焼」を広げてきたOtafukuグループ。直近ではお好み焼課で焼そばの歴史や文化を研究し始めたという。海外の工場稼働も旺盛に増やしている中で、今後はお好み焼だけでなく、焼そばやたこ焼も日本の文化として輸出が進んでいくかもしれない。
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鬼頭 勇大(きとう・ゆうだい)
フリーライター・編集者
広島カープの熱狂的ファン。ビジネス系書籍編集、健保組合事務職、ビジネス系ウェブメディア副編集長を経て独立。飲食系から働き方、エンタープライズITまでビジネス全般にわたる幅広い領域の取材経験がある。
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(フリーライター・編集者 鬼頭 勇大)

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