■自治体に丸投げの「おこめ券」
わたしたちの主食である、コメの価格の上昇に歯止めがかからない。物価対策を重視する高市政権は、消費者支援策の一つに“おこめ券”を発行する方針という。
政府の狙いは、おこめ券の配布で家計がコメを買いやすくし、生活費の負担を軽減することだろう。
実際のおこめ券の扱いは、自治体に委ねられている。大阪府交野市や東京都中野区などは、おこめ券配布のコストなどを理由に発行を見送った。「実際の業務は自治体に丸投げ」との指摘もある。また、「鈴木憲和農相の政策実行に逆風が吹いた」との見方も多いようだ。
確かに、おこめ券の発行が行われる地域で、一時的に、コメが買いやすくなったと感じる人は増えるだろう。ただ、おこめ券は使ってしまうとそれで終わり。長い目で見た効果は期待しづらい。
■本当に物価を下げる気があるのか?
むしろ、複雑な流通経路の効率化で、コメの価格を安定的に引き下げる取り組みのほうが重要との指摘は以前からあった。今回の高市政権の政策では、そうした施策は見られない。政権に、どれだけ本気で物価高を抑える意識があるのか、疑問視する専門家もいる。
政府は、長い目で見て、コメの供給制約を緩和するため、より効率的な収穫を可能にする農機具の購入を奨励するなどの方策を取ることも検討すべきだ。

いずれにしても、一時しのぎの政策に多額のコストをかけるのは、効率的な政策運営とは言えない。今後、政府は、本気で物価上昇に歯止めをかけることを考えてほしいものだ。
■小泉備蓄米の効果は長続きしなかった
近年、わが国のコメの販売価格は一貫して上昇傾向にある。2025年6月中旬から7月下旬にかけて、小泉進次郎前農相の備蓄米放出拡大策で、ブレンド米の流通割合が過半数を占めるまでになった場面はあったものの、その効果は一時的にとどまっている。
当時の小泉農相は、備蓄米の放出方法を一般競争入札から、随意契約に切り替えた。それにより、コメの供給量は一時的に増加した。一時、5キロ当たり3500円台までコメの価格は下落した。
ただ、その効果は長続きしなかった。その後、コメの販売価格は再度、上昇が鮮明化した。12月上旬の時点でも、依然として上昇基調にある。農林水産省のデータによると、12月1日から7日の週、全国平均の販売価格は5キロ当たり4321円だった。高市政権が発足した週と比較すると2.6%ほど高い。

同じ週、銘柄米は4469円、ブレンド米(備蓄米などをブレンドしたコメ)は3969円だった。いずれも上昇傾向を辿っている。新米に関して、5キロ当たり5000円台で販売されているブランドも多い。
スーパーの担当者と話をすると「仕入れの価格は下がっていない。小売価格を引き下げることはかなり難しい」との声を耳にする。一部では、価格が高すぎ、相場調整リスクを警戒する業者もいるが、今のところ価格調整は実現していない。
■コメの流通構造は「複雑怪奇」
コメ価格上昇の要因の一つは、わが国のコメ流通市場の不効率性にある。5次にわたる重層的な卸売業者の存在をはじめ、わが国のコメ流通構造は複雑、非効率的だ。それに対して、高市政権は市場構造を抜本的に改革する姿勢を示していない。
高市政権はコメの増産にあまり積極的には見えない。農林水産省は、本年のコメの生産量の増加を反映し、2026年のコメ生産目安を711万トンに設定した。本年の見込み量(748万トン)を下回る。
そうした事態を「事実上の減反再開」と指摘する農業政策の専門家は多い。高市政権は、放出済みの備蓄米59万トンを買い戻す方針でもあるようだ。
供給制約が残る中、仕方なく価格上昇を受け入れる消費者は増えているようだ。家計調査による購入数量の推移を見ると、コメの需要が急減する状況にはなっていない。今年の新米発売開始時期の購入数量は、昨年よりも多かった。「多少高くてもいいから美味しいコメを食べたい」という意識は高まり、価格の追加的上昇を受け入れる消費者は増加傾向と考えられる。
■「うちは発行しない」と表明する自治体も
高市政権は補正予算で、地方公共団体に対する「重点支援地方交付金」を追加し、4000億円を食料品の価格高騰に対応する特別枠とした。交付金を受領した地方自治体は地域の実情に照らし、おこめ券の発行と配布などの給付策を実行する。
おこめ券を発行するか否かの意思決定権は自治体にある。想定される効果として、家計がおこめ券(コメ購入補助金)を手にすれば、一時的にコメの購入負担は減るはずだ。
ただ、影響の度合いは地域ごとにばらつくと予想される。配布を決定した自治体は、自ら券を調達し、利用可能な店舗も指定するなどして住民に届けなければならない。
一連の業務を外注する方法もある。
いずれの場合も、自治体のコスト、業務負担は大きく配布時期もばらつくだろう。スピードを重視し、おこめ券を発行しないと表明する自治体もある。
■JA全農、全米販の価格決定力が高まる?
おこめ券配布に関して、「政府はJA全農を優遇している」との批判も増えた。おこめ券は、主に贈答用を目的に全国農業協同組合連合会(JA全農)と、全国米穀販売事業共済協同組合(全米販、卸売業者の協同組合)が発行する。現在、1枚500円で販売し、購入者は440円分のおこめを購入できる。差額の60円は発行元の利益や事務コストに充てられる。
JA全農は批判に配慮して、必要経費だけを加算し、利益分は上乗せしないと公表した。転売も禁止し、有効期限を超えた未使用券に相当する金額は、自治体に返還する方針だ。
それにしても、初期の段階で批判が増えた影響は大きいだろう。発行しても、おこめ券の利用が増えない恐れがある。経済政策が成果を上げるためには、国民が政策に納得することが欠かせない。
その点で鈴木農相の肝煎り政策は躓いたとの指摘は多い。
政府が物価対策としておこめ券を活用し、実際に自治体が住民に配布を開始すると、発行元であるJA全農、全米販の価格決定力がこれまで以上に高まる恐れもある。おこめ券の配布で需要が上振れする展開を見越し、在庫を出し惜しみする業者も増えるのではないか。それは、コメの流通経路の改革に逆行するだろう。
■一時的なおこめ券より、根本的な解決策を
コメの価格高騰は、わが国経済における供給制約の深刻化と、それによる物価上昇の一因を表している。根本的な解消には、政府が供給サイドの改革を実行し需要を満たすことが重要だ。
おこめ券などの給付措置は、根本的な物価高対策とは異なる。高市政権の物価対策が、本当の意味でインフレ進行の歯止めになるとは考えづらい。当面、国内のコメ販売価格は上昇し、物価に押し上げ圧力はかかりやすいだろう。
コメに関して、外部要因の影響も大きい。その一つは肥料価格の上昇だ。
ウクライナ戦争が勃発して以降、世界の肥料供給は不安定化し価格は上昇した。
米国との対立が先鋭化し、わが国との関係も不安定化する中、中国は尿素系肥料などの輸出を停止した。中国は輸出規制によって世界の肥料、そして食料の供給不安をあおろうとしているとの指摘が多い。
■物価は下がらず、家計支援にはならない
円安も、輸入する肥料、その原材料価格の上振れにつながる。物価上昇により、トラクターやコンバインといった農機具も値上がりした。コメの生産者は、コスト増加分の新米などへの価格転嫁を急ぐだろう。
主食であるお米に代わって、パンや麺類の購入を増やす消費者は増えているものの、コメの需要が明確に減少するには至っていない。コメの需要が供給を上回る状況は簡単に変化しないだろう。
少なくとも、2026年の新米の生育状況、収穫量が明らかになるまでコメの価格は上昇、あるいは高止まりする可能性は高い。仮に、2026年の新米の生産が政府の予想を上回ると、コメの価格は幾分か落ち着くことが期待できるかもしれない。
コメの価格上昇は、わが国の消費者物価の上振れ要因になり、日本銀行の金融政策に影響する。おこめ券の配布で一時的に家計の負担が部分的に軽減されることがあったとしても、高市政権の物価対策がわたしたちの暮らしの改善につながるのは難しそうだ。

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真壁 昭夫(まかべ・あきお)

多摩大学特別招聘教授

1953年神奈川県生まれ。一橋大学商学部卒業後、第一勧業銀行(現みずほ銀行)入行。ロンドン大学経営学部大学院卒業後、メリル・リンチ社ニューヨーク本社出向。みずほ総研主席研究員、信州大学経済学部教授、法政大学院教授などを経て、2022年から現職。

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(多摩大学特別招聘教授 真壁 昭夫)
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