タイで納豆人気が高まっている。最も売れている日本産納豆「ふくよか納豆」を製造している芳野商店では、今年春以降、出荷量が昨年と比べて6倍超に跳ね上がっているという。
なぜタイで納豆が流行しているのか。ノンフィクション作家の野地秩嘉さんがバンコクで取材した――。
■大きな陳列棚に納豆、納豆、納豆…
タイの首都バンコク。スーパーマーケット3店舗を回った。日系のフジスーパー、タイ資本のテスコロータスとビッグCである。
いずれの店にも納豆が置いてあった。しかも、日本のスーパーよりも大量の納豆が陳列されていた。なかでも多く並べられていたのがBTSプロンポン駅にあるフジスーパー1号店だ。納豆だけを置いた陳列ケースが3台もあった。スーパーにそれほど大量の納豆が並んでいる光景を見たのは生まれて初めてのことだった。
もちろん日本のスーパーには納豆がある。しかし、たいていは豆腐、油揚げの陳列ケースと同居している。
しかも、豆腐よりも多くの種類の納豆が並んでいることはない。しかし、フジスーパーには日本産、タイ産の納豆が所せましと並んでいたのである。
輸入品の日本産納豆の値段は日本の3倍以上だ(日本では1パック110円が平均=筆者註)。一方、タイ産納豆は日本で売られている納豆と同等の価格だった。いずれにせよ、高価な食品ではない。
「タイで納豆がバカ売れしている」と教えてくれたのは現地の食品専門商社だ。総合商社の駐在員として派遣された日本人が、タイが気に入って、同地で仕事を始めた。在タイ歴は33年。今では日本産の食品や飲料をタイ、東南アジア、中東に販売している。
■「できるだけ多く、納豆を輸入してくれ」
「今年(2025)の初めから急に問い合わせが増えました。11月までの実績では昨年の10倍量を輸入しています。それもこちらから『納豆を買ってください』と売り込んだわけではないのです。
地元の流通の人たちから『今、納豆が流行っている。できるだけ多く、納豆を輸入してくれ』と頼まれたんですよ。
そこで、わかりましたと請け負って日本の納豆メーカーに連絡したら、『輸出したいのはやまやまだけれど、多くは無理ですよ』と言われました。日本は少子高齢化でしょう。子どもの人数は少なくなったし、老人は食が細い。納豆を増産しようという工場は見つからなかった。今は4カ所の会社から納豆を確保して、冷凍してタイに持ってきています」
この商社がもっとも多くの量を買い付けているのは福岡県唯一の納豆メーカー、芳野商店だ。「タイ人はにおいの少ない納豆が好き」なのが理由だ。芳野商店が造る納豆は独特のにおいが希薄で、糸引きが少ない。タイでは水戸納豆のような本格的納豆よりもマイルドなそれが好まれている。確かに、慣れていない人にとっては水戸納豆や東北地方の納豆はハードルが高いかもしれない。
芳野商店の芳野信社長に聞くと、福岡における納豆の製法は東北の納豆とは少し違うと教えてくれた。

「うちの納豆は『ふくよか納豆』と言います。九州の人が食べる納豆ですから、関東・東北のようにしっかりと、大豆が黒くなるまで炊き上げるのではなく、においは控えめ、糸引きも控えめになるように造っています」
■タイ産の納豆の味やいかに
わたしはタイのスーパーで日本産の水戸納豆、芳野商店のふくよか納豆、タイ産納豆(ブランド名「社長さんの納豆」)の3つを買った。日本からの輸入品は冷凍で輸送されたもので、タイ産は現地で造ったものだ。3パックを買い、ホテルに戻り、部屋で試食したのである。納豆だけをぼそぼそと食べたわけではない。ルームサービスでガパオライスを頼み、タイ米にからませて食べてみた。
まず、水戸納豆と残りのふたつの納豆は見た目が異なる。水戸納豆は大豆を充分に煮込んであり、色は黒い。糸引きも盛んだ。一方、ふくよか納豆とタイ産納豆の見た目は茹で大豆のようだ。色は薄く、糸引きも少ない。だが、納豆独特のにおいはある。
ただし、きついにおいではない。
わたしの感想は次のとおりである。
「納豆のにおいや糸引きに慣れていないタイの人にとっては茹でた大豆の延長のような、ふくよか納豆、タイ産納豆が好まれる。一方、本格的な水戸納豆はタイの在留邦人とタイ人の納豆マニアが買うのだろう」
■「納豆の食べ方は?」現地で聞いてみると…
日本からの納豆輸出は果たして増えているのだろうか。2023年の数字になるが、東京税関が「納豆の輸出」と題した統計を発表している。
納豆が品目として追加された2017年以降、2022年までの6年間で全国の輸出数量、輸出金額ともに約1.8倍に増加している。東京税関管内でも数量と金額は過去最大で、納豆の輸出は右肩上がりに伸びていることがわかる。
国別に見ると、2022年は1位が中国(29.9%)、2位が米国(27.6%)となっているが、輸出金額で見ると1位が米国、2位が中国で、2カ国で拮抗している。特に納豆を食べるイメージのない米国への輸出量が多い理由を全国納豆協同組合連合会に聞いており、「米国では在留邦人及び日系法人に関わる人の需要が高い」そうだ。
この時の数字で日本産納豆のタイへの輸出割合は全体の3.1%だった。それを考えると、タイで納豆の消費が爆発的に伸びたのはこの統計以降のことと思われる。おそらく、タイへの輸出が伸びたのは2024年からだ。

では、タイの人たちはどうやって納豆を食べているのか。わたしはタイに住む日本人3人に頼んで、タイ人がどうやって食べているかを聞いてもらった。3人とも、律義にタイ人に質問したという。そして、返ってきた答えはいずれも同じ内容だった。
「ご飯の上に載せて食べる」
■流行の発端は「日本人は肌がきれい」
日本人の食べ方とまったく同じだった。ただし、タイ人の場合、華僑はご飯茶碗と箸でご飯を食べる。しかし、一般のタイ人はご飯茶碗も使うが、それより皿にご飯(タイ米)を盛り、周囲におかずを配置して、少しずつ載せて食べる人が多い。そうすると、納豆もまたご飯の周囲に配置したおかずのひとつになる。たとえばバジルと豚ひき肉を炒めたガパオをご飯の周囲に置き、その横に納豆を添えたとしたら、両方をご飯に載せて食べる。日本人は白いご飯に納豆を載せる人がほとんどだが、タイ人のように、さまざまなおかずとミックスさせる手もある。
また、「サラダに入れて食べる」というタイ人もいた。ただし、レタスやトマトが入った野菜サラダに納豆を混ぜるわけではないようだ。
納豆とオクラ、納豆とひじきなどを混ぜたものを「納豆サラダ」と呼んでいる。
つまり、納豆の食べ方は日本人もタイ人もそれほど変わらないのである。
では、彼らはどうして納豆に目覚めてしまったのか。
結論から言えば健康志向だ。納豆は体にいい食品だから食べる。タイのある医師がSNSで「日本の納豆は体にいい」と広めたこともった。
また、日本の納豆を仕入れている商社では、社員のタイ人がこう言ったという。
「日本旅行したタイ人がSNSに『日本人が若く見えて、肌がきれいなのは納豆を食べるから』と上げたから」
コロナ禍が明けてから、年に2度、3度と日本観光するタイ人が出てきた。その人たちがホテルのビュッフェで納豆に出会い、それをインスタやTikTokで拡散したようだ。
いずれにしても、タイ人は「おいしいから」ではなく、体にいいから納豆に飛びついた。
■整腸作用、血液サラサラ、肌のハリを叶える最強食品
納豆が体にいいのは事実だ。納豆を作る納豆菌にはいくつもの効用があるとされている。まずは整腸作用。腸の働きを助ける。抗生物質が見出される以前は赤痢、腸チフス、病原性大腸菌などの増殖を抑制する作用があるとされた。腹痛や下痢の治療に用いられていたこともあった。
次が納豆に含まれるナットウキナーゼである。
「ナットウキナーゼには、血栓の主成分であるフィブリンに直接働きかけ分解(溶解)する作用、身体の中の血栓溶解酵素であるウロキナーゼの前駆体プロウロキナーゼを活性化する作用、さらに血栓溶解酵素プラスミンを作り出す組織プラスミノーゲンアクチベーター量(t-PA)を増大させる作用があります」(日本ナットウキナーゼ協会のホームページより)
要は血液がサラサラになる。次いでビタミンK2、アミノ酸類(ポリγ-グルタミン酸)も豊富だ。ビタミンK2とは聞き慣れないものだが、発酵食品や動物性食品に多い。骨、血管を丈夫にする栄養素だ。アミノ酸は筋肉量の維持、免疫力のアップ、肌のハリとつやを保つ……。こうしてみると、納豆は悪いところのないスーパー健康食品だとわかる。
また、冷凍して輸出できるのは納豆菌が強いからだ。
納豆菌は過酷な環境では芽胞(がほう)(耐久性の高い細胞構造)を作り、100℃の熱水から0℃以下の環境、胃酸のような強い酸、放射能や紫外線にも耐えられる。さらに、何十年も芽胞状態で生存できることから最強の菌と呼ばれる。
最強の納豆菌による納豆はスーパー健康食としてタイで普及したのである。
■今年の春から出荷量が6倍以上に
最後にタイでもっとも売れている日本産納豆、ふくよか納豆を製造している芳野商店の芳野社長に尋ねた。
同社は北九州市八幡東区にある納豆のメーカーで資本金は1000万円。創業は1931年で、地元向けにこんにゃく、納豆、ところてんを製造していた。しかし、納豆の引き合いが増えた2021年にこんにゃくとところてんの製造をやめた。今は納豆だけに専念している。
芳野社長は「タイからの注文に忙殺されています」と言った。
「うちは規模は小さいですが、地域に根ざして堅実な経営を行ってきました。今は納豆のみで営業していますが、年商(1億5000万円、2015年)の4割近くが輸出になりました。今年(2025年)の春になって、タイからの注文が急増しました。ここ数年、タイへの出荷は少しずつ増えていたのですが、この春から跳ね上がりました。春先まで月間500ケース(1ケース20パック)程の注文でしたが、5月頃から月間2000~3500ケースのご注文をいただくようになりました。
当社は福岡県では唯一の納豆メーカーです。九州内でも納豆を食べるところと食べないところがあるのですが、近年は健康ブームのせいか、当社の商品は九州のなかでも売れるようになりました。みなさん、ご存じないけれど、福岡県は大豆の生産量が国内3位か4位なんです。おいしい大豆が採れるので、当社は主に福岡県産の大豆で納豆を造っています」
■タイ以外の海外向けにも対応したい
「当社は海外14カ国に輸出しています。タイだけでなく、どの仕向け先についても、年々増加しています。どこの国でも健康ブームなんでしょうか。これほど増えたのは、やはりローカルの人たちが食べてくれているのだろうと考えます、ありがたいことです。
タイの納豆の需要がこのまま続くのかどうかわかりませんが、さらに販路を開拓できれば良いと思ってます。現地にも行きました。販路拡大のためです。当社は工場設備の増設までは考えていませんが、OEMの提携先工場が建屋を増築しています。納豆の製造ラインを増やすと聞きました。私としてはタイ以外の海外向けにも対応できるように考えています」
わたしには納豆についての苦い思い出がある。二十数年前のこと、ニューヨークへたびたび旅行していた。その時、宿泊するのはニューヨークヒルトンと決めていた。なぜなら、そのホテルは朝食ビュッフェで納豆を出していたからだ。当時、ニューヨークで納豆が食べられるホテルはニューヨークヒルトンもしくは日系のキタノホテル(現ザ・プリンス・キタノ・ニューヨーク)の2館だけだった。キタノホテルは宿泊料金が高かった。ヒルトンも安くはなかったが、キタノより安かったし、納豆が食べたくて、そこに泊まった。
■もう「悪魔のにおいのする食品」とは言わせない
朝、ビュッフェレストランに行くと、納豆を食べるために泊まっていた日本人ビジネスマンがいた。われわれは朝食の時間が始まったとたん、われ先に銀の皿の上に盛り上げられていた納豆を確保した。そして、カリフォルニア米のご飯の上に納豆を山盛りにして食べたのである。しかし、周囲にいた現地の人たち、従業員、他の宿泊客には嫌われた。それは納豆独特のにおいがあったからだ……。
朝食をサービスする従業員はわたしに「なんで、こんなものを食べるのか?」「悪魔のにおいのする食品じゃないか」と難癖をつけてきた。
しかし、わたしや日本人ビジネスマンはそうした誹謗中傷をものともせず、納豆を食いまくってやった。朝食後、わたしがホテル内を歩くと、他の客たちは納豆のにおいをかいで顔をしかめた。人はわたしを避け、わたしが進むと、波が引くように人の姿が消えた。なんともせつない光景だった。それでも納豆のにおいを発散させながらマンハッタンへ出ていった。
だが、そんな納豆がタイで愛されるようになった。他の国でも間違いなく受け入れられる食品となるだろう。
童話作家のアンデルセンはこう言っている。
「われわれの空想の物語は現実のなかから生み出される」
かつて、わたしは納豆が世界各国に受け入れられる日が来ることを空想した。空想は二十数年たって現実となった。

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野地 秩嘉(のじ・つねよし)

ノンフィクション作家

1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『トヨタの危機管理 どんな時代でも「黒字化」できる底力』(プレジデント社)、『高倉健インタヴューズ』『日本一のまかないレシピ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヨーロッパ美食旅行』『京味物語』『ビートルズを呼んだ男』『トヨタ物語』(千住博解説、新潮文庫)、『名門再生 太平洋クラブ物語』(プレジデント社)、『伊藤忠 財閥系を超えた最強商人』(ダイヤモンド社)など著書多数。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。ビジネスインサイダーにて「一生に一度は見たい東京美術案内」を連載中。

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(ノンフィクション作家 野地 秩嘉)
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