「いい人」だがイノベーションを起こせない組織内管理職が増えてはいないか。ベストセラーシリーズ最新刊『1日1話、読めば心が熱くなる365人の人間学の教科書』の編集を担当した小森俊司さんは「マネージャーとリーダーの混同があるのではないか。
今回、雑誌『致知』47年間のリーダーの言葉をたどり、本物のリーダーには逆境を突破する“覚悟”があると学んだ」という――。(第1回/全3回)
■力を失う「リーダーの言葉」
リーダーという言葉には、読んで字の如く、「導く」という意味がある。
ではいったい、何によって人を導くのか。その最たるものの一つは、リーダー自らが発する「言葉」だといえるだろう。
しかしいま、組織を導いていく立場にある人が、最初から「できないかもしれない」と弱音を吐いたり、言い逃れをしたり、はたまた発言そのものを撤回したりと、言葉に向き合う姿勢そのものが軽んじられているケースをよく見かける。
そうした傾向は、リーダー自身による「覚悟のなさ」に起因するといえるのではないだろうか。
■あなたの言葉に「覚悟」はあるか
このたび刊行した『1日1話、読めば心が熱くなる365人の人間学の教科書』では、じつに47年もの長きにわたり、すべてを引き受ける覚悟を持って難局に相対したリーダーたちが発した数々の名言を網羅している。
リーダーとは、組織から与えられた肩書のことではない。自らの発する言葉でその覚悟を示すとともに、人の心を鼓舞し、行く道を指し示し、運命を開発していった「先導者」にほかならない。
さて、いま組織の長を務める人は、自らの言葉にどれだけの覚悟を込められているだろうか。その覚悟が周囲にも伝わり、人を感化しているだろうか。
この問いに対し、「自分はできている」、また、「自分はそうなれる。
そうなる」と断言できる人のみが、真のリーダーたりうる。
本稿では同書の中から3人のリーダーの言葉を紹介する。ぜひご自身に置き換えてお読みいただきたい。
■「警備保障」という言葉に学んだ“使命感”
一人目は、日本初の警備保障会社「セコム」を立ち上げた飯田亮さんである。1996年、飯田さんが63歳の頃のインタビューだが、その言葉が持つ迫力は圧倒的だ。
当時(1956年頃)、日本にはセキュリティー事業というのはなかった。だから、すべて自分でやり方を見つけ、自分の生き筋を見つけていかなければならなかった。すべて白紙からのスタートです。契約書を作るにも用語がなく、用語作りから始めました。
「警備保障」という言葉自体も、最初、電話帳で引きやすいように「夜警社」という名前を考えたんだけど、これじゃカッコ悪い。その頃、日米の安全保障が問題になっていたので、そうかわれわれは警備をして安全に責任をもつんだから、警備の下に保障をくっつけちゃえ、と。
言葉は大事だと思います。
言葉をおろそかにしちゃいけない。保障とつけたからには、なんとしてもお客さんの安全を守らなければいけないという気概みたいなものが生まれてきましたからね。
その言葉はそのうちに当たり前の言葉になってきて、そういう気概も消えてしまうんだけど、その気概が消える頃にはちゃんと会社の態勢ができているんです。

■経営者にとって重要な「不屈の精神」
飯田さんがセコムを創業したのは29歳の時のことだった。
社名を決める際の逸話もユニークだが、創業期には「3カ月分前金」という原則を打ち出し、それを貫いたというのも常識を超えた発想である。
ところが初めは行く先々で「そんな厳しい条件では頼めない」と断られ、3カ月近くも仕事が取れなかったという。
それでも、飯田さんは「事故があった時に補償できない」と突っぱね、この前金制度を貫いたと語っている。そして、この制度が後に功を奏し、財務体質を安定させることになったのだという。
ぼくは妥協すること、つまり「客におもねる」ということは、事業をやっていく上で最もマイナスだと思うんです。何事にも妥協しないという不屈の精神は経営者にとって大変重要な要素だと思います。
自分の決めた方法通りにやる。それを言い通せば、必ず実現するんですよ。
ただ、途中で変な欲があると、グラッとしますけどね。
その意味では、ぼくは簡単に売れる方法というものを避けてきたような気がする。

■ニクソン・ショック危機下の“覚悟”
続いて紹介したいのは、ウシオ電機創業者の牛尾治朗さんの体験だ。若手時代から、財界きっての論客として知られていたが、牛尾さんが日本青年会議所(JC)の会頭を務めていた1970年頃、松下電器(現・Panasonic)創業者の松下幸之助氏との質疑応答はじつに印象的なものであったと語る。
いまだに覚えているのが、JCの大会で会員から寄せられた質問を松下さんに聞いてみた時です。ニクソン・ショックによって円が急に高くなってきていると。これまで1ドル=360円で儲かっていたのに、200円になったらどうしましょうかといった質問があったんです。
その時松下さんは、「血の出るような努力をすることです」と答えられたんです。誰よりも経営者が、夜も寝ないで悩みに悩み、努力して、どうやって脱却するかを考えなければいけないと。会場はシーンと静まりかえりましてね。みんな感動して聴いているわけです。
松下さんは続けて、「そして血を流すところを社員に見せることですよ」と。
一人だけ部屋にこもっていないで、困って必死に考えている姿を社員に見せろと。そうしたら社員はついてくる。人間というのは信じていい、ということをおっしゃるんですよ。

その言葉を聞いた会場は割れんばかりの拍手だった、と牛尾氏は当時を述懐する。
23歳の時、パナソニックの前身である松下電器(松下電気器具製作所)を創業するも、敗戦、財閥指定、公職追放、借金地獄……と、幾多の試練を味わい、それを乗り越えてきた松下幸之助氏ならではの、実感がこもる言葉である。
■リオデジャネイロオリンピックで待っていた「試練」
3人目は、長年日本のアーティスティックスイミング界を牽引し、「メダル請負人」として名を馳せ、現在も指導者として活躍する井村雅代さんだ。
2016年、井村氏自身9回目の挑戦となったリオデジャネイロオリンピックでは、試合に臨む前から厳しい試練に立たされたという。選手村の環境が過去最悪で、トイレは詰まる、シャワーは途中から水になる、パンは粉のようにパサパサ、レタスは茶色、バナナは真っ黒……。
最もひどかったのが試合用のプールで、プールには藻が発生し、水がどんどん緑色になっていっただけでなく、バクテリアが発生し、水の中が見えない状態になっていたという。ただしそれがわかったのは、試合前日の夕方のこと。
近くにある別のプールの水を急遽ポンプで汲み出して移すことになったものの、試合当日になっても、水深3メートルのプールにまだ2メートルしか水が入っていない。そこで、他国のコーチたちと一緒に「試合前に1回でもいいから選手たちに練習をさせたいので、給水を急いでほしい」と組織委員会に訴えに行き、なんとか事なきを得たという。

■金メダルに必要な“不測の事態に崩れない心”
井村さんは、当時のことを次のように振り返る。
とにかく最悪の条件の中で臨んだオリンピックでしたが、そんな時、選手の前に立つ私が絶対にしてはいけないことは、愚痴を言うことです。「こんなオリンピックってないよ」と言ったら、皆も愚痴を言い始めます。
まずは、これがリオオリンピックなんだと認めること。そして私は選手たちに「この環境の中から金メダルは生まれるのよ」と言いました。条件はどこも一緒なんだと。
そこに至るまでに徹底的に仕上げてきた国は、何が起こってもやっぱり崩れないんです。崩れない国の第1番はロシアでした。2番目に崩れなかったのは、たぶん日本だったと私は思います。

■「本当に苦しい時は文句も出ない」
そして次のように言葉を加えている。
シンクロ(現アーティスティックスイミング)に限らず、文句ばかり言っている方というのはまだ力が余っています。本当に苦しい時はもう文句も出ません。
その現状を受け止めてどう乗り越えようかと考えるんです。
あの時の私がまさにそうでした。文句ばかり言っていることに気づいた時、自分にはまだ余力があると思ってください。本当に苦しくなる一歩手前なんだと思ってください。

その後、井村氏率いる日本代表チームは見事銅メダルを獲得し、日本中に勇気と感動を与えた。
「一国は一人を以て興り、一人を以て亡ぶ」という。国であれ、会社であれ、家庭であれ、あらゆる組織の盛衰は、リーダーのあり方いかんで決まるといえるだろう。
社長のみならず、部長、課長、係長……など、すべての「長」と名の付く人は、自身の発する言葉にどんな覚悟を乗せているだろうか。この新年に振り返ってみていただきたい。

----------

小森 俊司(こもり・しゅんじ)

致知出版社書籍編集部

1979年滋賀県生まれ。京都精華大学1年の時、文章を見てもらった某雑誌の副編集長から「君みたいな人間は、東京に行って潰されてきたらいい」と言われ、一念発起。在学中に執筆したダチョウ倶楽部とナインティナインの評論記事が、雑誌「日経エンタテインメント!」に掲載される。2004年致知出版社入社。月刊『致知』で10年間、企画・取材・執筆に携わり、2014年より書籍編集部へ。2020年に刊行した『1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書』(藤尾秀昭・監修)が31万部を突破し、ベストセラーに。「読者が選ぶビジネス書グランプリ2022」で総合グランプリ受賞。

----------

(致知出版社書籍編集部 小森 俊司)
編集部おすすめ