働くことの意味とはなにか……ソニーで激動の32年を過ごし常務取締役まで上り詰め、退職後68歳にして人材紹介会社を起業した郡山史郎さんは「働く理由は年代とともに変わる。老いて要介護となり人の時間を奪わない意味でも、働き続けることは重要だ」という――。

※本稿は、郡山史郎『君の仕事は誰のため?90歳現役ビジネスマンが伝えたい「自分を活かす」働き方』(青春出版社)の一部を再編集したものです。
■働く理由は年代とともに変わる
「なぜ、働き続けるのですか?」
初対面の方からよく受ける質問だ。しかし正直に言うと、つい最近まで私自身にも明確な答えはなかった。いや、答えがあると思い込んでいただけかもしれない。
改めて振り返ってみよう。1958年、大学を卒業して伊藤忠商事に就職した。ところが海外勤務への憧れを諦めきれず、1年で転職してしまう。転職先は、まだほとんど無名だったソニー。
ソニーでの32年間は、日本経済の高度成長期、バブル期、そしてバブル崩壊後を経験し、まさに激動の時代だった。
スイスやアメリカに駐在し、帰国後は厚木工場で事業責任者となり、最終的には本社で常務取締役まで務めた。ソニーを去ったあと、66歳で人材派遣会社の「新入社員」となり、68歳で人材紹介会社を起業した。以来21年間で約5000人を超える方々の転職をサポートしてきた。

70年近いビジネス人生を振り返ると、面白いことに気づく。私が働く理由は、年代とともに大きく変わってきたのだ。この変化こそ、長く働き続けることの本質を表しているように思える。
■仕事は最高の認知症予防法
「会社で仕事する」という表現には、考える・話す・聞く・歩く・乗る……等々の動詞がたくさん含まれている。この動詞群を毎日やり続けることは、老化を遅らせ、病気への耐性を高めてくれるだろう。
60歳になった頃に、軽度の認知症だと診断されたことがある。脳検査を受けた際に見つかったのだ。それ以来、毎年の検診で経過を診てもらっているが、ほとんど進むことなく、30年が経過した。自分では働き続けた効用だと思っている。
最初に診てくれた先生は、「仕事を続けることは症状を遅らせる効果が期待できる」と言って、認知症になってもできるだけふつうに暮らすことを推奨した。確かに、働いていると毎日違う事象に出くわし、刺激に事欠かない。
仕事に限らず、社会活動への参加は認知症予防に有効だといわれる。
先日、軽度な認知障害をMCI(Mild Cognitive Impairment)と呼ぶことを知り、少し調べてみた。国としては「認知症との共生社会」をつくることに力を入れているようで、厚生労働省からいろいろな啓発資料が発行されている。
そのなかに『あたまとからだを元気にするMCIハンドブック』があると教わり、さっそく読んでみた。頭を使う活動、人との会話や交流、外出などは、心身の健康状態や社会生活を営むための機能と深く関連していると書かれてあった。
■働くことで心身の健康を保つ
何でも完璧にやろうとすると、自分にできないことは避けたくなり、外出もおっくうになる。しかし年齢を重ねるほど、できないことが増えると思っておけば、いままでと同じことができただけで達成感が得られる。
私自身、会社に出勤することが一番の健康法だし、仕事で脳に刺激を与えれば認知症予防になると考えている。朝の身支度におけるルーティンは30個ほどあって、順番に思い出すだけでも頭を使う。同じ手順を守ることで、抜けや漏れを防ぐこともできる。
会社に着くと、あれこれと打ち合わせが入り、スタッフやお客さまとメールでやりとりする。電車通勤だから自宅と駅、職場と駅の往復で歩くのは適度な運動になる。おかげで食欲はさほど衰えないし、夜はぐっすり眠れる。
健康的な生活習慣が維持できている。
働くことで心身の健康を保てれば、家族に介護などで迷惑をかけることも少ないだろう。認知症は誰もがなり得る病気だ。認知機能の維持に効く可能性があることは、できるだけ何でもやっておきたい。予防の一助になるとわかっていれば、働かない手はないだろう。
■介護はしても、されてもいけない
長く生きれば、老化は誰にでも訪れる。体力が落ち、できることが減っていく現実からは逃げられない。しかし「できないこと」を数えるより、「自分にまだできること」を維持するほうが、結果として家族に迷惑をかけずにすむ。
働くことはそのための大切な習慣でもある。
晩年の父は足腰が弱り、車椅子生活を経て寝たきりになった。病気は不可抗力だとしても、もし毎日きちんと外出していれば、もう少し長く自分の足で歩けたのではないか――そんな思いがいまも残っている。
父は外科医だった。
母が他界したあと、「手術ができないなら医者を続けるべきではない」と考え、60代になったばかりで自ら退職した。しばらくは釣りや盆栽を楽しんでいたが、次第に家にいる時間が長くなり、横になる時間も増えていった。
90歳まで働いてきて痛感するのは、「定年までは人生の前半戦に過ぎない」ということだ。前半戦は競争が基準になる。スピードや成果が求められ、決められたレールの上をひたすら走る。しかし、後半戦はまったく違う。体力も環境も千差万別で、誰かと比べても意味がない。自分で決め、自分のペースで進むしかない世界だ。そこには、ほどよい気楽さがある。
■義理やしがらみは断る
私自身は「楽しいこと、意義を感じることはやる。義理やしがらみは断る」という基準をつくった。後半戦を快適に生きるための、自分なりのルールである。

もしリタイア直前の父に会えるなら、「手術だけが外科医の仕事ではない。他人を助ける道はほかにもある」と伝えたい。前半戦とは違う働き方がきっとできたはずだ。
父は最終的に、子どもの力を借りる形になった。それは父にとって不本意だっただろう。
だからこそ私は、自分の子どもたちに負担をかけたくない。その思いが、いまも会社に通い続ける理由の一つになっている。いつまでも自分のことは自分でできるようにするための“訓練”を続けている。
現在の私は、毎日の生活がとても楽しい。理想をいえば、仕事机のキーボードに突っ伏して最期を迎えたいくらいだ。そのためにも健康管理は怠らない。若い頃はよく無理をしては風邪をひいたが、いまは衰えを自覚しつつ、できる範囲で最大値を狙う方法を覚えた。

もちろん、私もいつどうなるかはわからない。しかし「介護される側」にならないための努力はできる。
その一つが、働き続けること。働くことは現在の家庭内を安全に保つだけではない。未来においても家族の時間を奪わないための最良の備えである。

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郡山 史郎(こおりやま・しろう)

CEAFOM社長

1935年生まれ。一橋大学経済学部卒業後、伊藤忠商事を経て、1959年ソニー入社。1973年米国のシンガー社に転職後、1981年ソニーに再入社、1985年取締役、1990年常務取締役、1995年ソニーPCL社長、2000年同社会長、2002年ソニー顧問を歴任。2004年、プロ経営幹部の派遣・紹介をおこなう株式会社CEAFOMを設立し、代表取締役に就任。人材紹介のプロとして、これまでに3000人以上の転職・再就職をサポート。著書に『定年前後の「やってはいけない」』『定年前後「これだけ」やればいい』『井深大と盛田昭夫 仕事と人生を切り拓く力』(いずれも青春新書)などがある。

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(CEAFOM社長 郡山 史郎)
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