※本稿は、郡山史郎『君の仕事は誰のため?90歳現役ビジネスマンが伝えたい「自分を活かす」働き方』(青春出版社)の一部を再編集したものです。
■人生の後半で幸せになる一番簡単な方法
まわりのために、自分という人間を活かす。そうして他人を喜ばせることが、自分自身の喜びになっていく。仕事の中身や報酬を超えた「働くこと」の本質に気づいたいまは、会社に行くだけで幸せな気持ちになれる。
ここで断言しよう。
人生の後半戦で幸せになるために、一番簡単な方法は「働く」ことだ。働くことで、人は誰でも幸せになれる。
なぜかといえば、働くということは社会や他の人の役に立つことであり、人間は誰かの役に立つと幸福感を味わうようにできているからだ。
私自身のことを振り返ると、いつの頃からか働くこと自体が楽しくて仕方なくなった。
それはやはり、誰かの役に立ち、社会に貢献している実感があるからだ。
楽しさは幸せに直結するのだから、幸せになりたいなら働くことが近道だという私の考え方は、きっと間違いではない。
■なすべき仕事は自分自身で決める
年を取れば誰でも知力や体力は低下していく。足腰が痛い、字が見えない、ものをつかめば落とす、やろうと思っていたことを忘れる……できないこと、不便なことのオンパレードである。ここまで書いてきたように、老いは生物としての人間の宿命なのだから逆らうことはできない。
それはそれで受け入れるとして、ではそうして衰えていくなかでも、楽しく、面白く生きる方法はないかと考えたとき、私のなかに確固たる自信とともに浮かんできたのが、「働く」ことなのである。しかも、人生の前半戦と比べて、後半戦で「働く」ことははるかに大きな幸福をもたらしてくれることを実感している。
理由はいろいろ考えられる。
たとえば、定年後は現役時代のような責任や義務がなくなるし、失敗して上司から怒られることもない。そもそも、仕事に関して断る選択肢がないような命令を受けることはなく、目の前の仕事をやるかやらないかは自分で決められる。なすべき仕事を自分自身で決められるだけで、人は幸せを感じるものだ。
言い換えれば、現役時代は自分の幸せも会社任せの部分が大きかった。いわば会社に幸せにしてもらっていたようなものだ。
しかし定年後の高齢者は、自分の幸せを誰にも任せず、委ねず、自らの判断でつかみ取れる。
■働かざるもの食うべからず
人生の後半戦で「働く」ことで高齢者が幸せになれる理由はいろいろと挙げられるが、突き詰めていくと、人間という生物が本能的に身につけている要素に行き着く。
聖書にも「働こうとしない者は、食べることもしてはならない」と記されているように、人は古代から「働く」ことに重きを置いていたわけだが、さらにさかのぼると、「働く」ことは人間の本質なのだと思わされる。
人間は集団行動をする生き物であり、集団に属する全員がつつがなく暮らせるようにという「共存」の意識と、集団の役に立っているという安心感は、生活における最大のモチベーションであり、喜びの源泉なのだ。
そこから社会が発展し、人は社会のために役立つ仕事に価値を見出すようになった。時代がいくら変わったとしても、その本質的な部分はそれほど変わらないだろう。
だからこそ現代でも、人のため、社会のために働き、誰かの役に立っている実感を得ることで、人間は幸福を覚えるようにできているのだ。
■重要なのは「人のため」という心もち
たとえば、電車で席を譲ってもらったとき。私としては素直に受け入れて座りたくはないという思いから、辞退したい気持ちが湧いてくるのだが、あるとき妻に「せっかく譲ってもらったのだから、気持ちよく譲られたほうが相手のためになる」と言われ、まさにそうだと実感した。
いわゆる賃金労働ではないものの、日常生活の一場面でも「自分のため」ではなく「人のため」に行動することで、結局は幸せになれる。電車の座席の例で言うなら、譲った側も、それを受け入れた側も、「人のため」の行動だと考えれば幸福になれるわけだ。
定年後の人生では、前項でも書いたように、自分自身や会社の勝ち負けではなく、他人のため、社会のため、勝ち負けを意識せずに働けるようになる。
ぜひ世の中のために働くことで、人類が数百万年育み続けた本能の喜びを味わい、より大きな幸せをつかみ取ってほしいと願う。
■幸せとは「好きな仕事」に就くことではない
好きなことを仕事にしたいと思っている人は多い。しかし、人生の喜びは「やりたいこと」ではなく、「やらなければならないこと」のなかにある。その「やらなければならないこと」こそが、あなたの仕事なのだ。
昨今は、「好きな仕事」をやることで幸せになれるという価値観がもてはやされている。私がここであえて言いたいのは、はたして本当にそうなのかということだ。
私の考えでは、幸せになる条件は「好きな仕事」「やりたい仕事」ができるという自由のなかにはない。
むしろ、語弊はあるが「やらなければならないこと」のなかにあると考える。
私自身の経験でも、たとえば現在は「一人でも多くの人に仕事を紹介したい」という思い、言い換えれば「自分がやらなければならない」という使命感から人材紹介の仕事に取り組んでいる。
それは私がやりたいこと、好きなことではなく、あくまでもやらなければならないと感じていることであって、しかも「やらなければならないこと」だからこそ、大きな幸福を実感しながら日々仕事に取り組んでいる。
■仕事は社会における自らへの“天命”
問題は、その「やらなければならないこと」が、会社や他の人から与えられたものなのか、それとも自分の意思でおこなおうと決めたものなのかということだ。
あくまでも自分の意思で「やらなければならない」と受け入れ、やることを決断した仕事であれば、人は幸せになれる。
だからこそ私は、仕事は選り好みせずにはじめてみるべきだと考える。どんな仕事であっても、まずは「これは自分がやらなければならないことだ」と捉えれば、社会における自分の役割を一種の“天命”として受け入れたことになり、「世の中の役に立つ」という思いを満たして幸福を感じるようになるわけだ。
繰り返すが、大切なのは「好きなこと」「やりたいこと」ではない。
好きな仕事ややりたい仕事であったとしても、実際に働いてみて、自分が思い描いていた仕事とは違う、あるいは想像していたほど自分の思いどおりにできない、といった事態に遭遇した場合、その仕事への興味を一気に失ってしまう可能性が高い。それは仕事のモチベーションがあくまでも「自分のため」であって、「人のため」「社会のため」ではないからである。
人のため、社会のためと考えれば、いま目の前にあり、「やらなければならない仕事」のなかに幸せを見出せるはずだ。逆にいえば、「やってもやらなくてもいいが、自分の好き勝手にできる仕事」のなかに、人は幸福感を見出せない。
もちろん、やらなければならない仕事を遂行していくのには苦労が付きまとう。なぜ定年後の人生後半戦に入ってまで、そうした苦労をしなければならないのかと疑問に思う人もいるかもしれない。
しかし不思議なことに、一方で、人間は苦労のなかに面白さや楽しさを見出す生き物でもある。
あなた自身を振り返れば、順風満帆でやり遂げた仕事より、苦労に苦労を重ねて結果を出した仕事のほうが深く記憶に残っていないだろうか?
定年後の仕事も同じように、「やらなければならないこと」、そしてそこに伴う苦労のなかに、きっと絶大な幸せを感じることができるはずだ。
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郡山 史郎(こおりやま・しろう)
CEAFOM社長
1935年生まれ。
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(CEAFOM社長 郡山 史郎)

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