日銀が大規模緩和策から撤退できないのはなぜか。経済評論家の加谷珪一さんは「日本では大規模緩和策がうまく機能せず、物価だけが上がって賃金が上がらない状況が続いている。
ここで金利を上げてしまうと、様々な悪影響が及ぶことになる。もっとも影響が大きいのは住宅ローンで、返済が滞るケースが出てくる」という――。
※本稿は、加谷珪一『本気で考えよう! 自分、家族、そして日本の将来』(幻冬舎)の一部を再編集したものです。
■大規模緩和策が円安の根本的な要因
これまでの市場動向が大きく変わり、円安が進みやすくなっているのは、市場全体として日本の物価が上がりそうだとの予想が成立しているからに他なりません。
実際、私たちの生活は物価上昇でかなり苦しくなっており、こうした見通しは、かなり現実的になっているのではないでしょうか。
では、なぜ日本の物価が上がるという予想が成り立つのかということなのですが、最大の理由として考えられるのが日銀の金融政策です。
日銀は2013年以降、国債を積極的に購入することで市場に大量のマネーを供給する「大規模緩和策」を実施してきました。市場に大量のマネーを供給するということは、マネーを市場でダブつかせるということですから、カネ余りという現象が発生し、最終的にはお金の価値が下がっていくことになります。
お金の価値が下がれば、相対的にモノの値段は上がっていきますから、大規模緩和策というのは意図的に日本の物価を上げる政策だったと考えて差し支えありません。
日銀は市場に大量のマネーを供給する政策を10年以上続けた結果、約600兆円もの国債を抱えることになり、同額のマネーが市中にバラ撒かれました。結果として日本の物価は上がり始め、一連の動きを為替市場が察知して、円安ドル高が進んでいるという状況です。
つまり、今の日本で物価が上がって為替が円安に振れ、輸入品の価格が上昇しているのは、ある意味で、日銀が意図的に行ったものと捉えることができます。

私たちはいろいろなモノの値段が上がる一方、給料がなかなか増えないため生活が苦しくなっているわけですが、なぜ日銀がこのような政策を行ったのかというと、それはアベノミクスを遂行するためです。
アベノミクスというのは、よく知られているように安倍晋三元首相が提唱した経済政策で、物価を意図的に上げることによって景気をよくするという理論でした。
■肝心の賃金上昇や景気拡大につながらず
日銀が積極的に国債を購入して市場に大量のマネーをバラ撒けば、日本の物価は上がっていきます。物価が上がるとの予想が成り立つ場合、企業は現金を保有しているよりも、設備投資などに回した方がトクになるので、設備投資が増えるとの仮説が成り立ちます。
通常、物価が上がれば金利も上がっていくのですが、日銀が意図的に金利を低く抑えれば、企業はさらにお金を借りやすくなります。こうした作用が重なり、日本の景気がよくなり、私たちの賃金も上がっていくというシナリオを描いていたわけです。
しかしながら、筆者を含めて一部の専門家は、物価を意図的に上げても必ずしも企業が設備投資を増やすとは限らず、企業がそうした行動を取らなかった場合、物価だけが上がり生活が苦しくなるというリスクがあると指摘してきました。
しかしながら、当時は「アベノミクスを実施すれば日本経済は確実に復活する」といった論調で溢れかえっており、日銀は政府の方針に歩調を合わせ、国債購入を決めてしまった経緯があります。
残念ながら政府が考えたようには経済は動かず、マネーをバラ撒いた結果として物価が上がり、企業が設備投資を増やさなかったことから、私たちの賃金は伸び悩んだままという状態です。
アベノミクスの理論通り、日銀が国債を購入したことで物価が上がり、為替も円安に振れたのですが、肝心の賃金上昇や景気拡大にはつながらなかったというのが現実でしょう。
■アベノミクスはなぜうまくいかなかったのか
アベノミクスがうまくいったかどうかについては様々な議論が行われていましたが、2024年末に日銀がこれまでの金融政策を検証するレポートを出しており、この中において、物価は上昇したものの十分な効果は得られなかったとの結論を出しています。少なくとも日銀としては、大規模緩和策に十分な効果がなかったことを認める形になっています。

私は今、アベノミクスには経済をよくする効果がなかったと述べましたし、日銀もそうであったことを認めているのですが、アベノミクスと呼ばれる手法そのものが間違っていたわけではありません。
なぜなら米国など諸外国では、ほぼ似たような経済政策を実施し、それなりに効果を発揮したことで、賃金も上がっていたからです。つまり同じ政策を実施していながら、欧米はそれなりに効果を発揮し、日本だけがうまくいかなかったということになります。
この点についても、実は以前から何度も指摘されていたのですが、同じ大規模緩和策を実施した場合でも、国内経済の構造によっては、それがうまく作用しないケースが十分、考えられます。
日本はこれに該当する可能性が高いという指摘があり、実際、そうだったわけですが、アベノミクスをスタートする時点で、こうした意見が顧みられることはほとんどありませんでした。
つまり「経済理論としては正しかったものの、適用する状況を間違えたことから、日本ではうまく作用しなかったというのが正しい理解と考えてよいでしょう。
■日銀が大規模緩和策から撤退できない2つの理由
諸外国も同様の大規模緩和策を実施していますから、やはり日本と同じように物価が上昇しました。ではなぜ、日本の物価がさらに上がるという見通しが成立し、為替が円安に振れているのでしょうか。その理由は日本だけが大規模緩和策からの撤退を決断できずにいるからです。
諸外国は大規模緩和策を実施し、それなりの成果を上げてきたことから、金融政策を元の状態に戻す「正常化」というフェーズに入っています。例えば米国の場合、2022年から金利を引き上げ、市場に流れ出たマネーを回収するという政策を急ピッチで進めてきました。
ところが日銀は、いまだに大規模緩和策を継続した状態にあり、現時点においても大量のマネーが供給され続けています。

他国が大規模緩和策から撤退し、日銀だけが大量にじゃぶじゃぶとお金を市場に提供し続けることで、当然のことながら日本では今後もマネーが余剰となり、物価が上昇して円安になるという予想が成り立つことになります。実際、そうした予想を背景に円安と物価上昇が進んでいます。
日銀が大規模緩和策から撤退できないことには大きく分けて2つの理由があります。
ひとつは自民党内でアベノミクスを継続するべきだという強い声があったこと。もうひとつは、景気回復が実現できていない中で大規模緩和から撤退すると、経済に相当な逆風となる可能性が高く、政府が躊躇したからです。
■金融正常化に伴う副作用を多くの人が懸念
アベノミクスが始まった当初、一部から反対の声が上がっていましたから、自民党内部では強引に反対意見を封じ込め、実施をゴリ押ししたという経緯があります。
このため、一部の自民党議員やアベノミクスに賛同した専門家は、アベノミクスがうまくいかなかった現実をなかなか認めることができず、撤退の決断ができずにここまで来てしまいました。
しかしながら、経済政策とはまったく別の理由で旧安倍派議員に、いわゆる裏金問題が浮上したことで、同派は事実上、瓦解した状況にあります。加えて岸田文雄前首相が派閥解消宣言を行ったこともあり、派閥そのものも機能しなくなりました。
アベノミクスを強力に推進してきたのは安倍元首相を中心とした旧安倍派の議員たちですから、派閥の消滅とともに、アベノミクス継続を求める声も急速に萎んでいるのが現実です。
したがって、現在の自民党において、政治的理由でアベノミクスを継続すべきという声はかなり小さくなったと見てよいでしょう。そうすると大規模緩和策から撤退できない最大の理由は、やはり金融正常化に伴う副作用を多くの人が懸念しているからに他なりません。

■低金利時代の住宅ローンの落とし穴
繰り返しになりますが、日本では大規模緩和策がうまく機能せず、物価だけが上がり、経済は停滞したままで、賃金も上がらない状況が続いています。ここで金融を正常化しようと金利を上げてしまうと、様々な悪影響が各方面に及ぶことになります。
もっとも影響が大きいのはやはり住宅ローンでしょう。
日本では住宅ローン商品のほとんどが変動金利で提供されており、このタイプのローンを組んだ人は、金利が上昇すると、毎月の返済額もそれに合わせて増えていくことになります。
景気が拡大している状態であれば、賃金も上がっていきますから、金利が上がって毎月の返済額が増えても、家計にとってそれほど大きなダメージにはなりません。
しかし、不景気が続き、賃金が上がらない中で金利が上昇してしまうと、住宅ローンの返済額が増えた分のお金を捻出することができなくなってしまいます。
家計に余裕のある状態でローンを組んでいればそれほど大きな問題にはなりませんが、ギリギリの状態でローンを組んでいた人であれば、最悪の場合、返済が滞るケースが出てくるでしょう。
■住宅を手放しても、さらに借金に追われる
住宅ローンの利用者が借りたお金を返済できなくなった場合、物件を売却することになりますが、日本の場合、ここに大きな落とし穴があります。日本の住宅ローンのほとんどは、売却価格が下落しローン残高を下回った場合には、残額についても引き続き、返済を求められます。
つまりローンの返済ができなくなって住宅を手放しても、さらに借金に追われることになるのです。
一方、米国の住宅ローンは、仮に返済ができなくなった場合、不動産を銀行に渡せば、それですべての借金はチャラになります。
米国では消費者保護が徹底しているので、こうした措置が取られていますが、日本の住宅ローンは残額を払い切るまで返済義務が続くという厳しいものになっています。
こうした理由から金利上昇の影響は甚大にならざるを得ません。
当然のことながらローン返済に苦しむ人が増えれば、消費も停滞しますから景気にも悪影響及ぶでしょう。こうした事態が想定されることから、一部から金利の引き上げは行うべきではないという意見が出ているわけです。
同じことは企業にも当てはまります。
これまではゼロ金利に近い状態でしたから、企業はコストがほぼゼロでいくらでも資金を借りることができました。しかし金利が上昇すると、借り入れに対して相応の利子を支払う必要が出てきますから、企業にとっては利益を圧迫する結果となってしまいます。借り入れが過大な企業の場合、最悪、倒産というケースも出てくることでしょう。
■企業に対する救済措置はゾンビ企業を増やす
企業が倒産して労働者が放り出されてしまうと、労働者は路頭に迷うことになります。欧州各国では失業保険などが手厚く整備されており、再就職支援も豊富ですが、日本の場合には企業から放り出されてしまうと、労働者の自己責任で次の仕事を探さなければなりません。
企業の倒産が増えると生活困窮者の増加につながってしまいますから、政府はできるだけ企業を倒産させないよう公的資金を投入したり、銀行に対する指導を強化していました。このため、経営があまりうまくいっていない企業でも、延命できているケースが多かったのが実情です。
一部の専門家は、こうした企業に対する救済措置は、いわゆるゾンビ企業を増やす結果になるため、やめるべきだと提言しており、政府も過度な企業支援は停止する方向に舵を切ろうとしていました。
ところが、このタイミングでやってきたのがコロナ危機です。
コロナ危機に際しては、多くの企業が経営破綻する可能性がありましたから、政府はやむを得ず企業支援策を継続。コロナ後も企業はなかなか淘汰されず、引き続き政府や銀行の支援で延命している企業が数多く存在します。
ここで金利を急に上げてしまうと、企業の倒産が急激に増える可能性があり、金利の引き上げに慎重にならざるを得ないのです。

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加谷 珪一(かや・けいいち)

経済評論家

1969年宮城県生まれ。東北大学工学部卒業後、日経BP社に記者として入社。野村証券グループの投資ファンド運用会社に転じ、企業評価や投資業務を担当。その後独立。中央省庁や政府系金融機関などに対するコンサルティング業務に従事。現在は経済、金融、ビジネス、ITなど多方面の分野で執筆活動を行うほか、テレビやラジオで解説者やコメンテーターを務める。

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(経済評論家 加谷 珪一)
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