姑とうまく付き合うにはどうすればいいのか。2025年2月に93歳で逝去した作家・曽野綾子さんは「義両親に対して、40代からやめたことがある」という。
没後に見つかった未発表原稿を収録した『自分らしく生きるということ』(河出書房新社)より、一部を抜粋して紹介する――。
■安定を好んだ夫・三浦朱門の両親
田園調布の家は大正の末に建った家。古くて、天井が高い、すき間だらけ、ということは換気がいいということなんですけど。そういう家が建っていて、それは私が子どもの頃に移ってきた時には、盆栽屋さんをしていらした方のお家だったのです。そのお家はもっと大きかったんですけど、三浦朱門の親たちが来た時に私たちは半分しか買えなかったわけです。
どうにか三浦の両親が生きて住んでいることは可能だったわけです。古い家だけど、住む人も明治生まれが2人。おもしろいのは、年寄りというのは、欠け茶碗みたいな安定を持つのです。
だから、それを変えないであげて、見た目は悪いけれど、そのまんまそっとしてあげて、ちょっと暖かい装置とか、ちょっと台所がやりいいようにとか、その程度の小改変をしていくと、年寄りはそれで結構安定して生きられるところがあるのです。
その家は、ちょうどランドセルぐらいの大きさの板を下見板に並べた家です。小津安二郎さんの映画の世界のちょっと前ぐらいの、そういう家だったんです。私は途中で、「建て替えましょうか」と何度か言ったのです。

というのは、それは舅・姑への愛じゃなくて自分の勝手なのですが、寒いところで作業するのが嫌いなんです。だから姑の家に行くと寒い。お見舞いというか、2人の仕事をしに行くと「うう、寒い」となるのがいやだったのです。
■建て替えも布団も「死ぬから不要」と言う姑
自分が暖かいところでやりたいと思って変えようとしたら、「私はもうすぐ死にますから、要りません」って姑が言うわけです。70ぐらいから、それをずっと言っているわけです。半世紀も前に遺言をしているという方でしたから。でも、おめでたいことなんです。
私は初め、世間を気にしたのです。まず、布団をやわらかいものにしてあげようと思った。自分が好きだから。ところが、昔の方は、コチコチの重い布団が好きなんです。
私たちは軽薄にフワフワのを使っているでしょう。
こっちへ行くとコチンコチン。私、最初はいやだなと思ったんです。それは、実際自分がいいと思っているものを姑もいいと思うだろうと、それが半分です。
もう半分は、ホームドクターなんかが見えると、「あそこの家の嫁さんは自分だけいいことして、舅と姑はほっとく」と言われるのもいやだなと思ったんです。30代ぐらいまではそうでした。
でもそのうちにやめてしまいました。当人がいいというのが結局は全部いいのだと思うようになったのです。この頃、友だちでもなんでもみんなそうです。その人がいいということが一番いいんです。忖度(そんたく)しないというのは、もしかすると日本人としてはマイナスなのかもしれません。
■相手がしてほしいことだけをする
普通は忖度して、それがよくできた人というわけでしょう? 私、疲れちゃうからやめたのです。わりと早く。
40代ぐらいから、もう忖度しなくなった。
その人がいいっていうことだけ、してくださいっていうことだけ、して差し上げよう、させていただこうと。私もしてほしい時には、直接言おうと思うようになりました。ですから、舅がそう言ったら、「ああそうですか」ということになったわけです。
とにかく、終戦の時から時が止まったのではないかと思うような老人の生活環境が続きました。それでも、「死ぬ、死ぬ」と言っていた姑が89歳で、舅の方が92ですから、とってもよかったんだと思います。
主人の姉の夫という人が、「ほっとくのがいいんだよ、いいんだよ」と言ってくだすったの。やっぱりそういう客観性がないと、もうちょっと家の中を整えるとか、「ああは言ってもこうしろ」となると、私も迷いますね。自分の親じゃないから。
ひび入りの茶碗が最後までそーっと、という感じだったんです。三浦朱門が書いているらしいんですけれど、2人とも管人間にせず、入院させないで我が家で、昔の人のように、だんだん食べなくなってある日死んだ、という感じです。
■人ができることには限りがある
姑の方は私たちが旅行に行っていていない時に亡くなったのです。
うちは交代で出ることにしていたのです。私が外国に出たら朱門がいる、朱門が出る時は私がいるというような感じで。
でもその時はたまたま両方とも外国に行く時でしたので、息子が夏休みだったので夫婦で来てくれていました。別に何というわけではないんだけれど、「元気? 生きてる?」なんて顔出して、「生きてらぁ」なんて言ってまた遊びに行っちゃうわけです。
ほんとうに元気だし、こんなに元気なのに東京にいたってしょうがないやと思ったらしいんです。それで妻子を連れて東北に遊びにいこうと急に思い立って、ここに12時に定時の連絡を必ず入れていた。「ばあさん元気?」と聞く、「お元気ですよ」と。
別に何もないので2時に盛岡のホテルに入って、「今晩はここに泊まります」っていうことでした。そして次に連絡場所を入れたら、「さっき亡くなった」と、そういうことだったのです。
私は息子に、それは人の力ではできないことであって、よかったのよ、と言ったんです。舅の方は、だんだん食べなくなっていって、最期の時は、私は「点滴すべきかな」とちょっと思ったのですね。ところがいいホームドクターで毎日来てくだすって、何かちょっと注射ぐらいしてくださった。

■点滴より「口から一口」がいい理由
私が点滴のことを言ったら、「いやぁ、このままでいいんじゃないですか。できるだけ口に入れてあげて」と言われた。口数の極度に足りない方なのです、ドクターは。そうおっしゃるので、私もそのままにしていたら、とても穏やかに亡くなったのです。
後からちょっと心に引っ掛かって、「あの時、もう少し点滴をやったらどうだったのかな」と思ったりしました。そしたら、日野原重明先生にお会いした時、先生は全然そのいきさつはご存じないんだけど、その話になったんです。
人間にはホメオスタシスという、全体で調節する装置があって、点滴をするとそれを狂わせちゃうんだそうです。だけど口から入れると、一口でも入ったものはホメオスタシスに計算される。「だから、何でもいいから口に入れてあげて」っておっしゃったのです。
点滴だと、まずカロリー過剰になる。やり方によるでしょうけれど。それから、水分過剰になる。
肺胞が水びたしになっちゃって、息がつらくなる。そのホメオスタシスをいかにも自然に、みんなが楽しそうにして、1さじでも何か口から入るということの方がいいとおっしゃったホームドクターはまったく正しかったのです。私、いい先生に巡り会った。口数の少ない方だけどなんていいドクターなんだろうと思って、感謝したんです。
■「冷房が嫌い」も本人の自由でいい
舅が亡くなってから何日ぐらいか、10日か2週間か経ったら、豪雨となったのです。そしたら、それまで全然漏らなかった家が漏り出した。だから私、その家が頑張って、頑張って、もう息絶え絶えだったのに、頑張っていたような気がしたのです。舅を中に入れているために。
それまで家の維持もいい加減にやっていました。というのは、付き添いの方が通るところの根太がもし落っこちて、彼女が怪我したら困るでしょ。だから大工さんに言って、とにかく怪我人がないようにしてくださいって、根太直しだけお願いしてたのです。
姑は冷房嫌い、暖房嫌い。冷房なんか、ことに嫌いです。でも最後は、やっぱり冷房を入れないから、姑の場合は9月1日に亡くなったという考え方もあるのです。それについても、ベストはあり得ない。わからないから。でも、姑は自然の中で生きたいとおっしゃっていた。
義兄が出てきて、「あれは当人が選んだんですよ」という意味のことを言われた。だから、本当にチョイスです、当人の。それはベストかどうか知らないけれど、好みだったんだからと思いました。それで、その家を壊したのです。60何年、さすがに雨が漏り出したから。それを直す理由がないでしょ、住む人もいないから。

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曽野 綾子(その・あやこ)

作家

1931年、東京都生まれ。作家。本名は三浦知壽子。カトリックのクリスチャン。聖心女子大学英文科を卒業後、1954年に『遠来の客たち』で芥川賞候補となり、作家デビュー。1995年から2005年まで日本財団会長を務め、国際協力・福祉事業に携わるほか、2009年から2013年まで日本郵政社外取締役を務める。

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(作家 曽野 綾子)
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