令和8(2026)年度税制改正大綱に盛り込まれた「ミニマム税」の税率引き上げが、富裕層に激震を走らせている。さらに、海外に逃げたところで「筒抜け」になる国際的な情報交換の仕組みもあり、容赦ない富裕層の退路を断つ動きにはあちこちから悲鳴が聞こえてきます。

■儲けが1億でも100億でも税率20%
そもそも「ミニマム税」とは、超富裕層をターゲットにする課税強化のルールを指します。正式名称は「極めて高い水準の所得に対する負担の適正化措置」といい、令和7年分(2025年分)の所得から適用が始まったばかりの制度です。
この制度は、いわゆる「1億円の壁」と呼ばれる問題を是正するために導入されました。これまで合計所得が1億円を超えると、所得税の負担率(実効税率)が逆に低下する現象がありました。
日本の所得税は、給与所得などの総合課税所得に対して最高税率45%が適用され、これに復興特別所得税(所得税額×2.1%)と住民税10%を合わせると最高約55.945%の負担となります。このように、総合課税所得は、「金持ちほど税率が高くなる」という形になっています。
ところが、富裕層が多く所有する株式の売却益や配当には一律20.315%(所得税15%+復興特別所得税0.315%+住民税5%)の分離課税が適用されます。つまり、株で1万円儲かった人も、100億円儲かった人も、税率は約20%にとどまります。
富裕層の多くは、この税率構造を使うことで、「高所得でありながら税負担率は低い」という状態を作り出しているのです。
この状態を是正するために、ミニマム税が導入されました。
■ミニマム税「22.5%→30%」の衝撃
ミニマム税は、「一定水準を超える高所得者について、最低限の所得税負担を確保する」しくみです。
現在の法律では、その年分の基準所得金額(総所得と分離課税の各種所得を足し合わせた金額)が3億3000万円を超える個人がミニマム税の対象となっています。

そして、通常どおり所得税を計算したうえで、「基準所得金額から控除額(3.3億円)を引いた部分に22.5%を掛けた金額を、“最低限負担すべき税額”として、所得税を上乗せする仕組みです。
令和8年(2026年)度税制改正大綱では、この計算式が「(基準所得金額-1.65億円)×30%-基準所得税額」に見直され、2027年(令和9年)分の所得税から適用される予定です。
つまり、控除額を3.3億円から1.65億円に半減させるだけでなく、税率も30%に引き上げる。ミニマム税の対象者が広がるとともに、高い税率で追加負担が生じる設計になっています。
これがどれほどのインパクトか、具体的な数字で見てみましょう(かなり簡略化した試算であることをご了承ください)。
たとえば、保有していた株式を売却し、5億円の譲渡益が出たケースを考えます。
現行ルールでは、「(5億円-3.3億円)×22.5%」で計算される約3825万円がミニマム税がかかるボーダーラインとなります。通常の所得税率(15.315%)で税額を計算すると、5億円×15.315%=約7658万円ですから、ミニマム税は発生しません。
一方、新ルールでは「(5億円-1.65億円)×30%=約1億50万円」がミニマム税のボーダーラインとなり、通常の税率で計算した税額7658万円を超えてしまいます。
するとミニマム税の対象となり、税負担は約1億50万円に上ります。もともとの税額に2392万円が加算された形です。
これはあくまで単純化したケースですが、5億円規模でもミニマム税により数千万円単位の追加負担が生じ得ることがわかります。
所得がさらに大きくなれば、それに応じてミニマム税の追加負担も膨らむ可能性があります。
■2026年がデッドライン
新税率の適用開始が2027年1月からということは、逆に言えば、今年2026年12月末までに株式を売却すれば、現行の税率で済みます。
この猶予期間に、いま富裕層の間で起きているのが、「保有株式の駆け込み売却」です。含み益を多く抱えるオーナー経営者や投資家は、新税率が適用される前に利益を確定させようと動いています。
また、事業承継やM&A(企業の合併・買収)の前倒しも行われています。中小企業のオーナー経営者が自社株を後継者に譲渡したり、第三者に売却したりする場合、株式譲渡益が発生します。
新税率の適用前に事業承継を完了させれば、税負担を大幅に抑えられるため、M&A仲介会社や税理士事務所には「2026年中に話をまとめたい」という相談が急増しているといいます。
特に中小企業のオーナー経営者にとって、自社株の評価額が数億円から数十億円に達するケースは珍しくありません。事業承継税制の特例措置(贈与税・相続税の納税猶予制度)を活用する方法もありますが、後継者がいない場合は第三者へのM&Aが現実的な選択肢となります。
2027年以降に30%のミニマム税が適用されるか、現行の22.5%で済むかによって、手取り額に数千万円から億単位の差を生みますから、今まさに富裕層は尻を叩かれているわけです。
■「日本脱出」は本当に得なのか
ミニマム税の引き上げを前にして、一部の富裕層が検討するのが「日本脱出」。つまり、海外に移住して日本の課税を逃れるという作戦です。

確かに、世界にはキャピタルゲイン(株式売却益)に課税しない国や地域があります。シンガポール、UAE(ドバイ)、マレーシア、香港などがその代表です。日本で高い税金を取られるなら、いっそ税率ゼロの国に移住してから株を売ればいいという考えもあるでしょう。
ところが、日本の国税当局は、「そうはさせない」とばかりに、さまざまな制度をすでに整備済みです。その中でも切り札と言えるのが、「国外転出時課税」、いわゆる出国税です。
2015年7月に導入されたこの制度は、1億円以上の有価証券等を保有する個人が日本を出国する際、「まだ売却していない含み益」に対して課税するという強烈な仕組みです。
具体的には、出国時点の時価から取得価額を差し引いた「未実現利益」に対して、所得税15.315%(復興特別所得税を含む)が課されます。
たとえば、取得価額1億円の株式が出国時に5億円に値上がりしていた場合、含み益4億円に対して約6100万円の所得税が課されます。まだ1円も利益を確定していないのに、です。
「出国税を払ってでも、税金がかからない海外へ出た方が得では?」と考える人もいるでしょう。しかし、ことはそう単純ではありません。
出国税を払って海外に移住し、その後株式を売却して無税で利益を得たとしても、出国税として支払った分は戻ってきません。

しかも、出国後に株価が下がった場合、実際には利益が出ていないのに税金だけ払った、という事態にもなりかねないのです(一定の要件を満たせば更正の請求は可能ですが、手続きは煩雑です)。
出国税の適用対象となるのは、「出国時までの10年間のうち5年以上、日本に住所または居所を有していた個人」です。逆に言えば、「5年未満しか日本にいなかった外国人が帰国する」ケースなどには適用されません。しかし、日本で生まれ育った日本人の大半は、当然この要件に該当するでしょう。
出国税・移住コスト・居住国の税制を総合すると、割に合わないケースが少なくありません。「日本脱出」は、これらのハードルを考慮し、なおメリットがあまりある場合にのみ経済合理性があります。
■海外に逃げても「丸見え」の現実
仮に出国税を払い、海外への移住を果たしたとしましょう。これで日本の国税当局の目が届かなくなると思ったら大間違いです。国税当局はさまざまな形で富裕層に対する監視を強化しています。
まず、国外送金等調書の存在があります。日本の金融機関を通じて100万円を超える海外送金や海外からの受金があった場合、その金融機関は税務署に「国外送金等調書」を提出する義務があります。日本に残した資産を海外に送金すれば、税務署はその事実をリアルタイムに近い形で把握できるのです。

次に、国外財産調書制度です。毎年12月31日時点で5000万円を超える国外財産を保有する居住者は、翌年の6月30日までに国外財産調書を税務署に提出しなければなりません。
そして、何より強力なのがCRS(共通報告基準:Common Reporting Standard)です。
CRSとは、OECD(経済協力開発機構)が策定した、各国の金融機関が非居住者の口座情報を自動的に交換する国際的な枠組みです。日本は2018年9月から情報交換を開始しており、現在、100以上の国と地域が参加しています。
つまり、日本人がシンガポールの銀行に口座を開いて資産を移しても、シンガポールの金融機関がその口座情報を日本の国税庁に自動的に通知します。口座残高、利子・配当の受取額、金融資産の売却代金などの情報が、毎年、各国の税務当局間で共有されるのです。
「海外の銀行なら日本の税務署にバレない」という時代は、完全に終わりました。かつて「スイス銀行に預ければ安全」と信じられていた時代がありましたが、スイスも2018年からCRSに参加しており秘密口座の神話は崩壊しています。
実際、国税庁が2024年に公表した資料によると、CRSを通じて日本が受領した口座情報の件数は年々増加しており、この情報をもとにした税務調査で多額の申告漏れが発覚するケースが相次いでいます。
富裕層が海外に資産を隠そうとしても、CRS、国外送金等調書、国外財産調書という三重の包囲網が、逃げ道をふさいでいます。
「海外に逃げれば大丈夫」という時代は、すでに過去のものなのです。

■富裕層に国税当局は容赦しない
近年のインフレは、富裕層に大きな利益をもたらしています。
日経平均株価は2024年に史上最高値を更新し、直近の2026年2月には史上初の5万9000円台をつけました。都心の不動産価格も上昇を続けていますし、円安の恩恵で海外資産の円建て評価額も膨らみました。
このようなインフレ局面では、資産を持っている者ほど資産が増え、持っていない者との格差が広がります。
こうした状況を背景に、国税当局は今後ますます富裕層への監視体制を強化することが予想されます。
国税庁は「富裕層プロジェクトチーム」を各国税局に設置し、資産総額が特に大きい個人に対する重点的な調査を実施しています。国税庁が公表している「富裕層に対する調査状況」によると、富裕層に対する所得税の調査件数は近年増加傾向にあり、1件当たりの追徴税額も高額化しています。
さらに気になるのが、国税当局のDX(デジタルトランスフォーメーション)の進展です。AIやデータ分析を活用し、申告データ、不動産登記情報、国外送金等調書、CRS情報などを横断的に分析することで、申告漏れや脱税の端緒を効率的に発見する体制が整いつつあります。
■格差社会の「公平」を取り戻す一歩に?
ミニマム税の引き上げは、いわゆる「1億円の壁」問題への本格的な対応策と位置づけられます。年収1億円を境に所得税の実効税率が下がるという不公平は、長年にわたって指摘されてきました。今回の30%への引き上げは、その是正に向けた動きといえます。
もっとも、30%でもまだ給与所得者の最高税率(住民税込みで約55%)には遠く及びません。「まだ甘い」という意見があるのも事実でしょう。
しかし、あまりに高い税率を課せば、富裕層は本気で「日本脱出」を実行し、税収そのものが失われるというジレンマもあります。
国税当局としては、出国税やCRSで逃げ道をふさぎつつ、富裕層が「税金の負担が重くなっても日本に残るほうがマシ」と判断するギリギリの水準を探っているのかもしれません。

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小林 義崇(こばやし・よしたか)

フリーライター

1981年福岡県生まれ。西南学院大学商学部卒業。2004年に東京国税局の国税専門官として採用され、以後、都内の税務署、東京国税局、東京国税不服審判所において、相続税の調査や所得税の確定申告対応、不服審査業務等に従事。2017年7月、東京国税局を退職し、フリーライターに転身。書籍や雑誌、ウェブメディアを中心とする精力的な執筆活動に加え、お金に関するセミナーを行っている。『超改訂版 すみません、金利ってなんですか?』『僕らを守るお金の教室』(ともにサンマーク出版)、『元国税専門官がこっそり教える あなたの隣の億万長者』(ダイヤモンド社)、『2050年のインド経済 急成長する巨大市場の現在地と未来図』(NEXTRAVELER BOOKS)、『相続税調査でわかった 富裕層が大事にしている「お金の基本」』(講談社)ほか著書多数。

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(フリーライター 小林 義崇)
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