JR東日本は3月14日、運賃を平均7.1%値上げした。消費税に伴うものを除くと約40年ぶりで、民営化後はじめての大型値上げとなる。
データアナリストの佐々木城夛さんは「運賃改定で真っ先に割を食うのは会社員だ。その影響は、通勤の定期代が上がるだけではない」という――。
■JR東日本「運賃改定」の深刻すぎる影響
3月14日から実施されたJR東日本の運賃改定(以下「運賃改定」と省略する)は、利用者に負担感をもたらし、ネット上にも怨嗟の声が散見される。その影響は一時的なものにとどまらずに幅広く長く続き、様々な箇所に波及して消費者に負担を強いる可能性がある。
厚生労働省が3月9日に公表した26年1月の実質賃金は13カ月ぶりにプラスとなったものの、それが実感できている消費者ばかりではないだろう。その12日前の2月25日に公表された年別動向で、25年の実質賃金が24年比-1.3%となり、前年比マイナスが4年連続となった事実のほうが体感値に近いと感じる消費者も多いのではないか(図表1)。
今回の運賃改定はそんな中でもたらされた値上げのため、税金や社会保険料ではないものの、実質的な可処分所得減少要因と受け取る向きも多いことだろう。
その結果、①「JR東日本への支払運賃を抑える(=乗車区間や頻度を減らす・乗らなくなる)」、②「支払運賃に充当するため他の出費を抑える」動きがもたらされ、そうした積み重ねが消費者に負の相関をもたらすと見込む。
■「会社からの通勤手当でカバーされる」は甘い
本稿では、推定にあたり、JR東日本の主要利用者を(ア)通勤者、(イ)通学者、(ウ)高齢者、に区分する。
運賃改定で真っ先に割を食うのは(ア)通勤者だ。多くのビジネスパーソンは「定期代が上がっても、会社から支給される通勤手当でカバーされる」と考えているかもしれないが、それは甘い。従業員の出勤負担を補助する通勤手当は、25年の厚生労働省の調査で90.2%の企業・団体での支給実績が確認されているが、法律的な義務はない。
このため上限額を含む支給条件は、事業者側の裁量に委ねられている。
実態としては、多少通勤時間が伸びても、最も安価な公共交通機関とするよう勤務先から指示されている通勤者も多い。筆者の知人の防衛メーカー勤務者も、都内信用金庫勤務者も異口同音にこの条件が課されているとコメントしている。
これは、税務上認められる非課税限度額が「通勤のための運賃・時間・距離等の事情に照らして、最も経済的かつ合理的な経路および方法で通勤した場合の通勤定期券などの金額」とされているためだ(国税庁タックスアンサーNo.2582)。今般の運賃改定に伴い、JR東日本から通勤定期代がより安価な別の鉄道会社への経路変更を求められ、そうした中で通勤時間の延長などを余儀なくされる対象者も現れるだろう。
■通勤手当をめぐる「厳しい現実」
やや古いデータだが、労働政策研究・研修機構の13年の調査(※公表は14年だが公的な調査としては最新)では、上限を設定している事業者での平均額は1カ月あたり3万4260円だった模様だ。
一方、実際の通勤手当の支給企業割合や支給額は、2010年から25年にかけて、ほぼ横ばいの水準にある(図表2)。大手民鉄16社とJR東日本を含むJR各社は、2014・19年にも料金改定(値上げ)を行っているが、2015年の支給額が値上げ前の2010年を下回るなど、実績とは必ずしも同調していない。
この背景に、(a)調査対象者が同一ではない、(b)値上げによって事業者の支給上限額を超えたため上限額以上の支給がなされない、(c)通勤者が運賃の安い経路が使用できる住所に転居した、など相当数の要因が考えられる。それらの一方、通勤手当を増額した報道や調査結果はほとんどみられなかった。
■「バス運賃」が追い打ちをかける
筆者も約30年間サラリーマンを経験したが、その間に人事部門から通勤手当増額を通知された記憶はない。本稿記述に先立って、厚生労働省や労働団体を含む複数先に取材を行ったが、ベースアップのデータが相当数みられる一方で、通勤手当に関するデータはいずれも保有していなかった。
過去の実情としても要求に盛り込まれることは相対的に少なく、今般の運賃改定に沿って通勤手当の支給額を増額した事業者の数や割合のデータはないようだ。
上記を踏まえれば、かねてからの賃上げ圧力や物価高の中で勃発したイラン戦争の影響も予見され、今回の運賃改定分をそのまま上乗せする事業者はむしろ例外的な比率にとどまるだろう。結果として、上限を超えた分は「自腹」となる。実質的な手取りの減少だ。
今回の料金改定に伴い、JR東日本の最寄り駅から自宅までの経路にバスなどの二次交通を利用し、通勤手当の支給額の上限一杯としていたような通勤者にとっては、手当の支給額を超過する可能性が高まる。あまり報道されていないが、今般の運賃改定に前後して、京浜急行バス(3月18日)、東武バスセントラル(3月28日)、神奈川中央交通(4月4日)などの運賃も値上げされる。これらの動きも、通勤手当上限額との余裕を縮めることになる。
■自転車交通違反「青切符」の余波
これらの結果、二次交通利用者には、駅徒歩圏内への転居のほか、駅までの経路を自転車や徒歩などに切り替える動きがもたらされるだろう。総じて厳しい経営状況にある路線バス事業者にとって、通勤定期利用者は重要なリピーターだが、その利用者が減る逆風となる。減便の動きに直結することで、運行本数が減るなど利用者利便が低下する可能性を見込む。
一方で、自転車利用通勤者の増加は、駅最寄りの公設駐輪場などの抽選倍率を高める。駐輪場の定期利用が満車になれば、駅周辺に放置自転車が増え、生活利便性を低下させることにもなろう。

24年3月公表の「駅周辺における放置自転車等の実態調査の集計結果」では、東京都のJR新小岩駅や金町駅、千葉県の東金駅周辺などで多くの放置自転車が溢れている実情が報告されている。運賃改定後には、同様の現象が各地に広がることが懸念される。
追い打ちをかけるように、26年4月からは16歳以上の自転車交通違反への「青切符」制度が導入される。政府広報でも悪質・危険な違反の例として酒気帯び運転が挙げられているが、自動車の運転免許証を持つ違反者には、最長6カ月の免許停止処分を受ける可能性がある。「仕事で車を使う人間」にとっては一発アウトの死活問題だ。
■割安な私鉄へ移行し、混雑率上昇の懸念
さらに恐ろしいのは、自転車で来店したと知りながら酒を提供した店側も罰則の対象となることだ。ベッドタウンの駅前には帰宅時の通勤客を見込んだ居酒屋が珍しくないが、通勤手段をバスなどから自転車に切り替える通勤者には「帰りは自転車だから飲めない」という判断が働く。SNSなどでも罰金増額に「怖すぎる」という声が広がっているためだ。よって自転車通勤層の比率が増えれば、酒類を出す店の売り上げが激減しかねない。運賃値上げが、回り回って駅前のネオンを消すことになるのだ。
(イ)通学者とその親にとっても、負担増のインパクトは計り知れない。例えば、JRの「新宿―八王子」間の6カ月通学定期は3万8780円だったところ、運賃改定後は1万円近く値上げされて4万8050円となる。
このため、「新宿―京王八王子」間が2万4360円である京王電鉄が、検索広告の出稿などで割安をアピールしている。結果として、相当数が京王電鉄に移行する見込みのため、利用者には混雑率の上昇が懸念される。
■学生にとって定期代高騰は「死活問題」
本稿では、通学者の中でも相対的に移動距離の長い「大学生」に着目したい。24年11月に日本学生支援機構から公表されたデータによれば、22年時点の大学昼間部に占める自宅からの通学生は59.1%の模様だ。大学授業料の上昇傾向に伴い、下宿生の比率は低下傾向にある。人口が多く大学も集中している首都圏内出身者には、下宿費などの負担回避のため、通学時間を要してでも自宅から通学できる範囲内の首都圏の大学に進学を希望する保護者が多くなることだろう。
それでなくとも保護者の負担感は重いようで、大学生の収入に占める保護者などからの小遣いは減少傾向にあり、保護者が負担することも多い交通費を合算しても、24年が15年を下回る(図表3)。
勤務者とは異なり、交通費補助制度のない大学生にとって、定期代の高騰は死活問題だ。1月30日に国土交通省鉄道局がまとめた運輸審議会用の説明資料にも、長距離通学する大学生への負担増に反発する声が相当数認められる。運賃改定後には負担増を嫌気して、近隣の進学先を選択する動きなど「乗車区間の短縮圧力」が働くことになろう。これは、長距離通学時のお供だった「駅ナカの売店やコンビニ」での買い物が減ることを意味する。塵も積もれば、閉店の遠因となる可能性も十分ある。

■深刻な「ドミノ倒し」が起きる現場
そして、最も深刻なドミノ倒しが起きるのが「医療現場」である。26年2月1日現在の総人口に占める65歳以上の高齢者比率は29.39%だが、(列車に乗ることが日常化する)高校進学者以降の該当年齢である15歳以上に限った人口に占める65歳以上比率になると、33.01%となる。したがって、JR東日本の主要利用層も、三分の一は(ウ)高齢者と考えられる。
高齢者の外出動機として、まず連想されるのは通院だ。厚生労働省が25年9月に公表したデータからは、高齢世代に到達した後にも、加齢に伴って外来受診回数が増加する傾向が窺える(図表4)。
病院は、都市再生特別措置法上で都市の拠点となる都市機能誘導区域に立地を誘導すべき都市機能増進施設の1つに挙げられている。都市機能誘導区域に鉄道駅付近が指定されることが多いため、駅付近に病院が開設されることが多くなる。
この結果、病院最寄りの駅までJR東日本を乗車する高齢者も相当数に及んでいたところ、今般の運賃改定がもたらされた形だ。
■助成策は成田市の「交通系1万円」だけ
収入が年金などに限られる高齢者にとって、今回の運賃値上げは現役世代以上に重くのしかかる。高齢者の交通利用時には、路線バスやタクシー利用時に自治体などが助成を行う施策がみられる。その一方で、今回調査した限り、JR東日本の利用に直接的に助成する施策は見つからず、間接的な助成策でも成田市での運転免許返納者への返納時(一度)の交通系ICカード1万円相当の交付程度にとどまった。
2023年2月に全国保険医団体連合会が公表したデータによれば、75歳以上で医療機関を定期的に受診している人は97.4%に達する。
そうした中、経済的理由による受診控えが医療費窓口負担2割対象者で16.8%(およそ6人に1人)、1割対象者で12.7%(およそ8人に1人)に達している。理由としては窓口負担増のほか相次ぐ年金引き下げ、物価高騰が挙げられているが、調査を実施した2022年平均の消費者物価指数(生鮮食品を除く総合)は102.1であったが、26年2月は111.4だ。暮らしぶりがより厳しくなっている年金生活者が増えていることが想像に難くない。
■高齢者の「受診控え」が増える懸念
結果として何が起きるか。「これまで隔週で通院していたところを、3週間に1回に減らす」といった外来受診の絞り込み(受診控え)の増加である。
外来受診回数の減少は、病院側に再診料などの点数の算定機会を減らすことに直結する。25年12月の帝国データバンクの調査報告によれば、24年の病院の損益動向では、およそ6割が営業赤字の模様だ。のべ外来患者数の減少は、赤字傾向に拍車を掛けることになろう。
さらに、調剤薬局の収支にもマイナスの影響をもたらす。調剤技術料のうち調剤基本料は処方箋1枚につき1回だけ発生することになるため、1回の調剤時の投与日数が長くなれば、それだけ調剤基本料が受け取れなくなる。
別の切り口では、受診に交通費を要さないオンライン診療の利用比率も上昇するだろう。対面診療と交互に実施するローテーション形態などが普及する契機となる可能性もある。
■駅前の病院や調剤薬局も姿を消す
25年3月にNTTドコモモバイル社会研究所が発表したデータによれば、スマートフォンの所有割合が60歳台で94%、70歳台で85%に達している。高齢者にも、インターネットを介した通信販売のみならず、オークションやフリマアプリなどの利用も一定割合に達するリテラシー状況が認められるため、オンライン診療比率上昇も時間の問題と見込む(図表5)。
病院側には、オンライン診療時にも再診料などの点数が算定されるが、調剤薬局側は処方を依頼されない限り収益を獲得することはできない。
外来回数を抑えることで、外来受診に合わせて近隣の処方箋薬局を訪問し処方を依頼する機会も減るが、こうした調剤薬局の全てがオンライン調剤に対応できているわけではない。
相対的にシステム投資負担が重く、TOPPANのグループ会社などもオンライン薬局事業に参入している中での調剤薬局の競争環境は厳しいことが想像に難くない。調剤薬局全体の3割程度が赤字と言われる中で、今般の運賃改定を間接要因・遠因として経営が行き詰まる先が出てくる事態を見込む。
■たかが数百円の値上げが「街の風景」を変える
26年6月の診療報酬改定を前に、高齢医師の個人診療所の廃業が珍しくない模様でもある。駅前の病院や調剤薬局が姿を消し、駅周辺がさらに寂れる事態を憂慮する。
誤解を恐れずに言えば、今回の運賃改定によってもたらされる上記の事象は、「弱り目に祟り目」と受け取れる。前回の運賃区分見直し時期であった40年前と比べ、日本経済がそもそもの活力を失っている中で実施されたことが、過疎化や生活者の負担増などマイナス面を肥大させると予測せざるを得ないためだ。
収支構造が厳しい鉄道事業者はJR東日本だけではないため、近いうちに、他社にも同様の運賃改定が進む可能性がある。その一方で、今後ますます進む高齢化率の上昇は税収減による社会コストの上昇をもたらし、二次交通への交通費補助制度などの削減を余儀なくされる自治体が増えていくことだろう。それゆえに、人口減少が著しい自治体などでは、コンパクトシティ化の加速化などが避けられないと考える。

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佐々木 城夛(ささき・じょうた)

オペレーショナルデザイン取締役データアナリスト

1967年東京生まれ、90年慶應義塾大学法学部卒、系統中央機関へ。欧州系証券会社(在英国)・営業店長・研究部門主席研究員等を経て2021年4月独立。23年6月より現職。沼津信用金庫非常勤参与。メディア寄稿多数。

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(オペレーショナルデザイン取締役データアナリスト 佐々木 城夛)
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