※本稿は、栗下直也『脱力偉人伝――人生サボるが勝ち』(亜紀書房)の一部を再編集したものです。
■仕事を辞めたサラリーマンのリアル
2022(令和4)年末に会社を辞めた。正確には11月末だが、12月か11月かはあまり重要ではない。
それまでは働こうが働くまいが一定の給与が保障されていたが、働かなければゼロの身分になった。一方、どこかに毎日行く必要もなければ、やりたくない仕事は放棄できる。考え方によっては、やりたい放題である。
もちろん、40歳も超えていたので、「やってられないぞ、この野郎」と突発的に会社を辞めたわけではない。何年も前から辞めようと考えていたので、自分なりに退職後の展望はあった。
昼から釣りに出かけ、家に帰って、昼寝して、散歩がてら古本屋に立ち寄り、夜は釣った魚をあてに本を読みながら酒をガバガバ飲んで、そのまま寝る。生活に困らない程度に働く。
今、自分で書きながら「最高の生活じゃん」と再認識したが、全く実現できていない。考えてみれば、釣りは30年くらいしていないし、そもそも家の近くに魚を釣れる場所は皆無だ。
といくらでも、理想の生活を実現できない言い訳は思い浮かぶのだが、会社を辞めようが辞めまいが、小市民マインドあふれる自分はバリバリ働くわけでも釣りをするわけでもなく、タラタラと働いて日銭を稼ぎ、チマチマと酒を飲んでいる。
■本田宗一郎にも働かない時期があった
豪快に怠けることすらできない自分に呆れつつ、思うわけだ。本田宗一郎はすごいって。
おいおい、おまえ、何でここで本田宗一郎が出てくるんだよと激しく指摘されそうだが、べつに起業したいわけでも、車をつくりたいわけでも、ましてやF1に参戦したいわけでもない。
「世界のHONDA」は本田宗一郎に意地でも働かない「サボり期間」がなければ生まれなかったといっても過言ではないのだ。
本田宗一郎といえば本田技研工業(以後、ホンダ)の創業者だ。「人まねはするな」「役所には頼るな」「世界を目指せ」などいわゆるホンダイズムを徹底し、ホンダを世界企業に一代で躍進させた。
■トヨタにムカついていた宗一郎
宗一郎は1906(明治39)年、静岡県に生まれる。1922(大正11)年に高等小学校を出ると、東京・湯島の自動車修理工場「アート商会」に勤め、自動車の修理技術を身につけた。
1928(昭和3)年に故郷・天竜近くの浜松に戻り、アート商会浜松支店(後に東海精機重工業)を設立する。
やがて修理業に飽きたらず、自動車部品のピストンリング製造に乗り出す。ピストンリングはエンジンのピストンの外周にはめる部品だが、その納入先がトヨタだった。
トヨタとホンダといえば今ではライバルだが、当時は取引先だったわけだ。トヨタから部品に欠陥があると指摘された時、宗一郎はトヨタの工場に行き、ピストンを調べ、ピストンリングではなくピストンそのものに欠陥を見つけた。
「トヨタのピストンの方が悪いんだ、と言ってやった」と宗一郎は後に部下に語っている。1945(昭和20)年に戦争が終わると、自社(東海精機)の株をすべてトヨタに売り、縁を切る。
宗一郎は日本経済新聞の名物コーナー「私の履歴書」に「戦時中だったから小じゅうと的なトヨタの言うことを聞いていたが、戦争が終わったのだからこんどは自分の個性をのばした好き勝手なことをやりたいと思ったからである」と書いている。「小じゅうと」とはかなり辛らつだが、よほどムカついていたのだろう。
■妻子持ちの38歳で「ヒモ生活」に突入
そこから、ホンダのサクセスストーリーが始まるかと思いきや、宗一郎がホンダの前身となる「本田技術研究所」を始めるのは1946(昭和21)年の9月まで待たなければならない。
東海精機の株をトヨタに売却してから、1年余りのブランクがある。何をしていたのか。何もしなかった。
とはいえ、「何か少しはビジネスにつながることをやっていたでしょう」と思われるだろうが、本当に何もしなかった。
1945(昭和20)年9月に「人間休業宣言」として、「仕事はしない、1年間、遊んで暮らすから、食べさせて」と妻のさちに言い放ち、1年間何もしなかった。38歳の妻子持ちとは思えない発言である。
「会社を売ったのならば金があるし、生活に困りませんものね」と嫌味もいいたくなるが、それも違う。
東海精機の株は45万円で売った。だが、宗一郎は「これは大切なお金だから、つかっちゃいかん」と全く手を付けなかった。つまり、収入もなければ、資産も崩さない。
当然、さちは生活費を貰えなかったので、自宅敷地で野菜をつくり、米は自分の実家から調達した。この話だけを切り取ったら、宗一郎、マジでヒモであるが、実際、ヒモさながらの生活だった。
■軒下で1日中ぼーっとして、合成酒を飲む
どんな毎日だったのか。ドラム缶入りの医療用アルコールを買い、自家用の合成酒を作って友人と飲み、昼は尺八のけいこや将棋に励んだ。
さすがに見かねた妻のさちから「暇ならば草くらい抜いてくださいよ」といわれても、1本だけ抜いて、おしまいという日もあった。令和のサラリーマン家庭ならば離婚必至のふるまいだ。
あくまでも1年間だけの「休業」なので、全く隠居していたわけではない。頼まれれば、重い腰を上げた。磐田の警察学校で科学技術担当の講師として無給で教えた。講義の後は生徒たちと合成酒を飲んだ。
遠州灘の海岸で電気製塩してコメと交換したり、自宅の野菜畑の周りに野菜泥棒対策に電流鉄線の栅をつくったりした。だが、重い腰を上げたところで、その程度である。
さちは当時を振り返り、「本当に働かなかった。お父さんらしいのはアルコールに煎った麦と杉の葉を入れてウイスキーっぽく工夫するところ。
■「1年間のニート生活」に立派な意味
高等小学科校を出て以来、働きづめの宗一郎に何があったのか。彼は働かなかったが、一生懸命だった。働かない代わりに真剣に考えていた。
ぼーっとするのも、草むしりを頼まれ、1本しか抜かないふるまいも集中して考えていたからだ。酒を飲むのも、ポジティブに解釈すれば頭を冷やすのに必要な作業だった。なぜ、それほどまでに考える時間が必要だったのか。
彼には世間がわからなかった。戦後に価値観が180度変わった社会に宗一郎は違和感を抱いていた。
ついこの間まで、「天皇陛下、ばんざーい」と何も疑わずに繰り返し、鬼畜米英を竹やりで突こうとしていたのに、今や「ギブ ミー ア チョコレート」でアメリカ礼賛、民主主義礼賛である。
「欲しがりません、勝つまでは」が、勝てなくても欲しがってる。
仕事が嫌になったわけでも昼から酒を飲みたかったわけでもなく、世間の急激な変化に何も考えずに身をまかせられなかったのだ。1年間の休業は民主主義を、世の中の変化を考えるための期間だった。
■酔って芸者を2階から投げ飛ばす
その後の宗一郎の成功はみなさんもご存じのとおりだろう。自転車に補助エンジンをつけた「バタバタ」がヒットして、本格的なオートバイ生産を開始する。
1963(昭和38)年には4輪軽トラックT360を発売。以後、ホンダN360、シビックなどの乗用車も手がけ、世界的な自動車メーカーに成長する。原動力になったのが自由闊達で平等な社風だが、そうした土壌は宗一郎の1年と決して無縁ではない。
宗一郎は評伝などではアグレッシブな人物として描かれがちだ。
飲み会で芸者そっちのけで仕事の話をしていた部下を翌日呼び出し、「芸者の話は仕事の話より大事だろ」と雷を落としたかと思えば、自分は飲み会で酔っ払って芸者を2階から窓の外に投げ飛ばしてしまう。
確かに偉人の中でも精力的なタイプではあるが、同時に哲学の人でもあった。自分の休業の1年を振り返って「世間がわからないのに仕事をするというのは、地盤のやわらかいところに物を建てるみたいなことだからやめた方がいい」とし、民主主義が何かわかっていれば自分もすぐに仕事をしたと語っている。
■「何かをしない勇気」を持つことの大切さ
「本田宗一郎だから、サボれた」と思う人もいるだろう。「なんだかんだ言っても会社売ったお金があったから安心だったんでしょ」ともいえるかもしれないが、いずれも結果論だ。
会社を辞めて、釣りができる環境になっても釣りをしない人もいるし、会社が嫌で嫌でたまらないのに、辞められる金融資産があってもいつまでも辞めない人もいる。
サボれるか、サボれないかは「えいや」と跳べるかどうかなのであると私の経験を振り返ってもわかる。
現代においては何かをしない姿勢を貫くのは意外にも大変だ。必要かどうかはともかく誰もが盲目的に忙しなく動いている。動いていなければ「怠け者」と罵られる。
何も考えずに流されるのもひとつの生きざまだが、その流れの「そもそも論」に疑問を持ってしまったらその流れから離脱するのも悪くない。本田宗一郎は教えてくれる。長い人生、立ち止まって休むのも悪くない。
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栗下 直也(くりした・なおや)
ライター
1980年東京都生まれ。2005年、横浜国立大学大学院博士前期課程修了。専門紙記者を経て、22年に独立。おもな著書に『人生で大切なことは泥酔に学んだ』(左右社)がある。
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(ライター 栗下 直也)

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