接待の席では「とりあえずビール」が無難とされてきた。だが、その一杯が相手企業との関係性を左右することもある。
東洋経済記者の山川清弘さんは「重要なのは銘柄そのものより、その背景を理解しているかどうかだ」という――。(第1回)
※本稿は、山川清弘『教養としての 三菱・三井・住友』(飛鳥新社)の一部を再編集したものです。
■知らないと怖いビールのビジネスマナー
接待や会食などにおいて、「相手先が三菱グループならキリンビール、三井グループならサッポロビール、住友グループならアサヒビールが注文できる店を選べ」という不文律は、日本のビジネス界で長らく常識とされてきました。
これは非公式ながら、三菱グループ内での宴会や取引先との贈答、婚礼の際の選定などで、キリン製品が優先される傾向にあることを示しています。ただし、この「三者三様」の力関係は、実態を詳しく見ると少し様子が異なります。
たとえば「住友=アサヒ」というイメージは、かつて経営難に陥ったアサヒビールを住友銀行(現・三井住友銀行)が中心となって再建を支援した歴史的経緯から定着したものです。しかし実際には、アサヒビールは住友グループの主要企業(住友グループ広報委員会加盟社)として位置づけられているわけではありません。
三井グループとサッポロビールの関係についても、近年ではそこまで強い縛りはないと言われています。これに対し、三菱グループとキリンビールの結束は、金融機関や重工業などグループの中心企業にまで深く浸透しているのが特徴です。
■キリンと三菱の「特別な絆」
アンケートでは「最近はこだわらない」という声も散見されるものの、三菱グループの「食」の顔役としてのキリンの存在感は依然として圧倒的です。伝統的な「御三家」を筆頭に、グループ全体の厚い信頼を背負っているからこそ、キリンは三菱という巨大組織の象徴であり続けているのです。
キリンビールを製造するキリンHDも、三菱グループの「金曜会」メンバーです。
キリンHDの源流は、1885年に横浜で設立された外国人居留地発のジャパン・ブルワリー・カンパニー(JBC)という独立した会社にさかのぼります。
三菱グループの支援によって「麒麟麦酒(きりんビール)」が創業したという説もありますが、実際には、JBCの事業を1907年に麒麟麦酒が引き継ぐ形で設立されました。
麒麟麦酒が、JBCを引き継ぐにあたり、麒麟麦酒のシンボルである伝説の生き物「きりん」という縁起の良いブランド名と、独立した企業としての公共性を尊重したため、あえて特定の財閥名を冠しませんでした。
麒麟麦酒の設立には三菱の岩崎家が深く関与し、資本的な支援を行いました。しかし、これは三菱の事業として立ち上げたのではなく、独立した有望な会社に出資し、その経営に関与するという形で進められました。
■絶対王者が陥った「成功体験」という罠
これにより、キリンHDは三菱グループの結束の核である「三菱金曜会」の席を得ながらも、社風や意思決定において、ビール会社としての独自性を強く保ち続けることになったのです。アサヒスーパードライが台頭するまで、戦後長きにわたりキリンは国内ビール市場で首位を保持していたという王座の歴史があります。
しかし、その圧倒的な地位が、後に大きな苦い教訓を生むことになります。1990年代、アサヒビールの「アサヒスーパードライ」が大人気となり、キリンビールにとっては大きな脅威となりましたが、当時のキリンビール社内には、伝統的な看板商品である「キリンラガービール」への強いこだわりがありました。
当時の佐藤安弘社長が現場を回った際、若手社員から「ラガーと一番搾り、どちらを売るべきか」と質問されたところ、上司の課長が「ラガーはどうなっているんだ?」と叱責したというエピソードが残っています。
このエピソードは、「お客さんの気に入ったものを買っていただく」という商売の基本よりも、「自社の歴史ある商品(ラガー)にこだわる」という内向きな考えが現場に残っていたことを示しています。この、客の嗜好を読み誤ったラガー偏重が、キリンビールのシェア低下を招いた苦い教訓となりました。

■「稼げているうちに壊す」という経営判断
シェア低下と高コスト体質に悩む中、キリンは思い切った構造改革に踏み切ります。東京、広島、京都、高崎の国内4工場閉鎖という、極めて大胆な決断でした。これらの工場は、閉鎖当時赤字になっていたわけではありません。
しかし、高度経済成長期に生産量が急増したため、その後の国内市場の規模に対しては供給能力が明らかに過剰であり、コスト削減が不可欠でした。キリンHDは長年ビール事業に重きを置いてきましたが、2000年代以降、その事業ポートフォリオを大きく変え始めます。
傘下にワインのメルシャン、清涼飲料のキリンビバレッジ、医薬の協和キリンなどを擁し、「食から医へ」というスローガンのもと、ヘルスサイエンス領域の拡大に注力しています。
また、ビールや医薬の礎となった発酵バイオテクノロジーという独自の技術を活かし、プラズマ乳酸菌などの素材を販売するヘルスサイエンス事業を、ビール・飲料、医薬に次ぐ第三の柱として育成することに集中しています。
■新商品「晴れ風」が爆売れしたワケ
当時の磯崎功典社長(現・会長)は、将来的に同事業で5000億円の売上収益を目指すという高い目標を掲げ、「私が今退いたら、この火は消える可能性がある」と強い覚悟を語っています。そして、このヘルスサイエンス事業の成長のために、2019年には健康食品大手ファンケルと資本業務提携し、2025年には完全子会社化へと踏み切りました。
これは、「内脂サポート」などの有力ブランドや、オーストラリアのブラックモアズ社とのシナジーを生み出し、アジア太平洋地域で最大級のヘルスサイエンス・カンパニーを目指すための最重要戦略です。しかし、キリンHDの拡大は医療分野のみに留まりません。
2024年4月には、17年ぶりのスタンダードビール「晴れ風」を発売。
これは、「一番搾り」とは違う飲み方をするビールを開発したいという戦略のもと、酸味や苦みを抑え、飲みやすさに振り切った商品でした。
「晴れ風」は発売1週間で100万ケースという驚異的な売上を達成しました。さらに2025年10月には、「晴れ風」に続く新たな次世代ビール、「キリングッドエール」を発売。ブランドリーダーに人気バンド・Mrs. GREEN APPLEの大森元貴氏が就任するなど、若者のビール離れを引き留める新しい戦略が、今後どうなるか注目です。

----------

山川 清弘(やまかわ・きよひろ)

東洋経済 記者

1967年、東京都生まれ。91年、早稲田大学政治経済学部経済学科卒業。東洋経済新報社に入社後、記者として放送、ゼネコン、銀行、コンビニ、旅行など担当。98~99年、英オックスフォード大学に留学(ロイター・フェロー)。『会社四季報プロ500』編集長、『会社四季報』副編集長、『週刊東洋経済プラス』編集長などを経て「会社四季報オンライン」編集部編集委員。日本証券アナリスト協会認定アナリスト、日本テクニカルアナリスト協会認定テクニカルアナリスト。著書に『世界のメディア王 マードックの謎』(今井澂氏との共著、東洋経済新報社)、『ホテル御三家 帝国ホテル、オークラ、ニューオータニ』(幻冬舎新書)など。

----------

(東洋経済 記者 山川 清弘)
編集部おすすめ