部下と仕事を進めるとき、どんなことに気を付ければいいのか。大阪体育大学の土屋裕睦教授による『アスリートのための「こころ」の強化書』(草思社)より、大学の運動部で起きた新入部員と在学生の間に起きた「寒稽古」をめぐるトラブルのケースを紹介する――。

■「その練習ほんとうにやらなければいけないんですか?」
ムサシさん(男性、21歳)は、全日本学生選手権大会を何度も制した実績のある強豪大学でキャプテンを務める格技種目のアスリートです。ある年の10月、「新入部員のことで……」とスポーツメンタルトレーニング指導士である筆者を訪ねて相談に来てくれました。
ムサシさんによると、新入部員たちが2カ月後に予定されている「寒稽古」に向けて大きな戸惑いを感じているようで心配であるとのことでした。この寒稽古は、早朝の厳寒環境下で、質・量ともに厳しいトレーニングが連日繰り返されるもので、参加する部員たちには技術的・体力的・心理的にアスリートとして大きく成長することが期待されている、この部の伝統行事だといいます。
特に、その年に入学した部員たちの中には将来性のある有望な選手が多かったことから、卒業生(OBやOG)たちの期待も大きく、寒稽古の機会に新入部員たちを鍛えてやろう、といった思いも新入部員たちに伝わっていたようです。
しかし新入部員たちにとって、大学での寒稽古は初めての経験であり、成長の機会であると同時に、やり遂げなければならないという心理的なプレッシャーに押し潰されそうになっている者もいるとのことでした。
実際、卒業生に鍛えられることの不安から、新入部員の中には本来のなりたい自分を見失い、キャプテンであるムサシさんに退部の相談を申し出ている者もいるとのことでした。
そこで筆者はムサシさんと共同で、新入部員たちが寒稽古というストレスをうまく乗り切れるようメンタルサポートを実施することにしました。
具体的には、新入部員たちが必要とする心理的技法を学習できるような、独自の心理教育プログラムを開発し、それを彼らに提供することで、新入部員自身が自律的・主体的に寒稽古に向かい合い、それぞれの方法でやり遂げてもらえるよう支援することにしました。
■聞き取りでわかった新入部員の本音
1 心理アセスメントの実施
プログラムの開発に先立って、新入部員たちが必要とする心理的技法がどのようなものかを明らかにするために、心理アセスメントを実施しました。
具体的には、日々の練習やトレーニングに対してどのような心構えで臨んでいるかについて、1年生から4年生まで、全部員に対して自由記述方式の質問紙調査を行い、学年ごとに記載内容を分析しました。
その結果、新入部員たちの記載内容は「何を求められているのかが分からない」「不安が先立って課題に取り組めない」「やり遂げられる自信がない」「目標もなくただ耐えているだけ」「強気になれない」「相談する相手がいない」のように、総じてあいまいで、消極的な記述が多いのが特徴でした。

一方、上級生たちは「毎日の稽古で気づきがある」「自分の問題点を明確にして取り組んでいる」「やり切れると信じて取り組む」「長期目標と短期目標を決めている」「よし、やるぞというポジティブな気持ち」「同学年の絆」のように明確で積極的な記述が多く、新入部員たちとは対照的でした。
これらの比較から、新入部員たちに必要な心理的課題は①自己への気づきの向上、②問題への直面化、③自信の向上、④適切な目標の設定、⑤積極的思考、⑥同学年のチームワーク向上であり、それらを達成できるような心理技法の学習が有効であると考えられました。
■ストレスは稽古そのものではない
2 ストレスマネジメントプログラムの作成
前述の心理アセスメント結果に基づき、表10-1に示すようなストレスマネジメントのための心理教育プログラムを開発しました。
まず、①自己への気づきのセッションでは、自己理解のための心理技法として活用されているライフライン(人生年表)を作成し、これまでの競技人生の振り返りとこれから歩むべき方向性について、自己理解を深めてもらいました。
②問題への直面化のセッションでは、架空の新入部員、Xさんの悩みが書かれた日誌が提示され、アルバート・エリス教授の論理療法の枠組みに則り、Xさんへのアドバイスを考える時間を設け、自分の考え方次第で結果が変わることを学習しました。
③自信の向上のセッションでは、新入部員同士でメッセージカードを交換し、自分の長所を自身はどう捉えているのか、そして他者は自分の長所をどう評価してくれているのか、について「ジョハリの窓(註 自己を4つの領域(窓)に分けることで、自分と他人との認識のズレや自己開示の重要性を理解する心理学のモデル)」の考え方から検討してもらいました。
④目標の設定では、まず新入部員が4月に乗り越えた春合宿について振り返った後に、クラスタリングの手法を用いて今日からできる目標を考えてもらいました。
⑤積極的思考のセッションでは、ストレスマネジメントの基本的な考え方、すなわちストレッサー(寒稽古)がストレス反応(憂うつ)を引き起こしているのではなく、ストレッサーへの捉え方(認知)や取り組み方(対処)によって結果が変わることを学習しました。特に積極的な思考によって結果もポジティブなものになることを確認しました。
最後に、⑥チームワークのセッションでは、「これからの私」のタイトルで目標を肯定的に自己宣言し(アファメーション)、同時に仲間へのメッセージ(エール)を送り、相互のチームワークを確認してから、全体のセッションを終えました。
■大事なのは「どう認知するか」
理論解説 1 ストレスとは何か
本章では、ムサシさんと一緒に開発した格技系新入部員用のストレスマネジメントプログラムを紹介しました。このプログラムは、新入部員たちの心理的な課題に対応した独自性の高いユニークなものですが、プログラム全体を通じて見ると、ストレスマネジメントの基本的な考え方に則して作られています。

その考え方の基本は、ストレスを引き起こす可能性のある出来事(ストレッサー)と、その結果として心身に生じるストレス反応を区別している点にあります。
当初、新入部員たちは、寒稽古がもうすぐ行われる、だから憂うつな気分やヘトヘトな気分になっていて、練習に積極的に取り組めていないと感じているようでした。
しかし、ストレスマネジメントの考えでは、出来事と結果の間には認知と情動のブラックボックスがあり、そこをうまく制御(マネジメント)することができれば、たとえ出来事は変わらなくても、結果は自分で変えることができると想定しています(図表1参照)。
例えば、同じ寒稽古という出来事(ストレッサー)に直面した場合、「自分には体力がない、やり切れる自信がない」と受け止めるか、あるいは「体力をつける機会なので挑戦する気持ちでやろう」と認知するかによって、出来事の捉え方や意味合いが変わってきます。
■プログラムを始めるために必要なこと
もし寒稽古に対して、「自分には体力がない、やり切れる自信がない」のような消極的な捉え方をすると、心臓がドキドキしたり表情がこわばったりするような心身の反応が生じ、その結果憂うつな気分やヘトヘトな気分に苛まれることになります(図1参照)。
一方、同じ寒稽古でも、「体力をつける機会なので挑戦する気持ち」のように受け止めることができれば、より積極的な対処が生まれ、結果的としてはつらつとした気分で向き合うことができるでしょう。
2 心理教育プログラムの展開方法
筆者はムサシさんとストレスマネジメントの基本的な考え方を確認した上で、これらを体験的に理解できるようなプログラム展開を考えました。
そこでは、新入部員たちが、より主体的で対話的で深い学びができることが重要であり、取り上げる話題はより彼らの体験に寄り添ったものである必要がありました。ややもすると、スポーツ現場で実施されている心理教育プログラムはどこかからの借り物のようなものが多く、アスリートが見るとそれらのプログラムは自分の課題とあまり関連していないように感じられることもあるようです。
例えば、民間や企業などで行われているチームビルディングのアクティビティよりは、アスリートの抱える悩みやストレスに直接関係する内容を扱う方が効果的です。
■架空の新入部員X
そのため本プログラムでは、例えば②問題への直面化のセッションにおいて、Xさんという架空の新入部員の悩みが書かれた日誌が提示されました。
そこには、大学入学後、高校時代との競技環境の違いに戸惑い、寒稽古に向けて意気消沈しているXさんの悩みが綴られていました。
新入部員たちはXさんの悩みを解決するために、「もっと自分の問題に向き合った方がよい」とか「真剣に考えるのはよいが深刻に考えるのはダメ」「考え方次第で結果は変わる」のようにアドバイスを書き込んでくれていました。
その後の議論を通じて、実はそれらのアドバイスこそ、自分たち自身がストレッサーに前向きに向き合うためのヒントであることに気づいてくれました。自分自身の課題に直接向き合うのはなかなか容易ではありませんが、Xさんという架空の選手に対してなら、より客観的かつ合理的なアドバイスができるという利点を活かした展開でした。新入部員たちは、口々により良い対処法について意見を出し合っていました。
なお、セッション終了後には、この架空のXさんが実はキャプテンであるムサシさんのことであり、新入部員たちがいろいろとアドバイスをしてくれた日誌は、実はキャプテンの1年生の頃のものだという「種明かし」を行いました。
新入部員たちはその事実に一様に驚き、どよめきました。自分たちの憧れで遠い存在に思えたキャプテンも、1年生の頃には同じような悩みを抱えていたこと、そしてそれを乗り越えながら成長したことを体験的に理解できたようでした。
■こころの成長にもつながる
3 ストレスマネジメントとこころの成長
このように見てくると、ストレスにはネガティブな側面だけでなく、それを乗り越えることで成長するといったポジティブな側面もあることに気づかされます。
1つの見方として、ストレス対処の方法が豊かになり、より自分らしく乗り越えるための心理的スキルが身につくといった側面があるでしょう。そのような心理的スキルは、生きる力(ライフスキル)とも呼ばれ、世界保健機関(World Health Organization:WHO)は「意思決定」「問題解決」「創造的思考」「批判的思考」「効果的コミュニケーション」「対人関係スキル」など10の内容を示しています。
アスリートは、非アスリートに比較してこれらのライフスキルが高いことが知られており、競技生活で直面する様々なストレスへの対処経験が、これらのスキル獲得に結び付いているのではないかと考えられています。
ストレスとこころの成長については、もう1つの見方として、発達課題との関連からも考察が可能です。
発達課題とは、エリク・エリクソン博士が提唱する概念で、人生を乳児期から幼児期、学童期、青年期、成人期など大きく8つに区分したとき、それぞれに心理社会的な発達上の課題(危機)があるとする精神分析的な理論です。
本章で紹介した大学生であれば、「自分らしさとは何か?」「自分は何をしたいのか?」「自分は何者として生きていくべきか?」といった悩み(危機)に直面すると想定され、そこでの発達課題をアイデンティティ(自我同一性)と想定しました。
本章で紹介した新入部員たちのストレス対処の試みは、まさにアイデンティティ獲得への挑戦とも見て取れることから、この心理教育プログラムはライフスキルの獲得という見方の他に、心理社会的な発達課題への取り組みを支援することで、こころの成長を促そうとするプログラムであるという見方もできるかもしれません。
■マネジメントの結果は…
事例のその後
ストレスマネジメントプログラムを体験した新入部員たちは、自身の考え方や取り組み方次第で結果は変わることを信じ、不安を抱えながらも寒稽古を迎えました。
キャプテンであるムサシさんからは、新入部員たちが自主練をするなど、より自律的かつ主体的に取り組んでおり、また退部を検討していた新入部員も、より前向きな気持ちで取り組むようになったと報告してくれました。
寒稽古には、例年になく多くの卒業生(OBやOG)たちが参加し、質・量ともに負荷の高い稽古やトレーニングが実施されたようです。その中で、新入部員たちは同級生間の絆を深め、寒稽古をやり遂げてくれました。
本章で紹介したストレスマネジメントプログラムは、ライフラインの作成といったエクササイズを実施した後に、自由な討論を行っていますが、これは本書の第8章で紹介した「チームビルディング」の手法に準拠したものです。
つまり、エクササイズを通じてストレスマネジメントに役立つ心理技法を体験的に学びながら、それを誘発剤としてチームの集団機能を高めようとしたものでした。寒稽古をやり遂げただけでなく、その体験を通じて、同級生間の絆がいっそう深まり、この年代がその後チームの核となり、大学選手権優勝などの活躍をしてくれました。

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土屋 裕睦(つちや・ひろのぶ)

大阪体育大学教授

1964年生まれ。87年筑波大学体育専門学群卒業、89年同大大学院体育研究科コーチ学修了。
博士(体育科学)。筑波大学文部技官等を経て97年大阪体育大学着任、2008年より現職。公認心理師、スポーツメンタルトレーニング上級指導士として学生相談室やプロスポーツチームでカウンセリングを担当する他、JOCアントラージュ部会員・科学サポート部門員として日本代表チームのメンタルトレーニング指導を行い、パリ五輪には日本選手団として参加。文科省「スポーツ指導者の資質能力向上のための有識者会議」委員、日本スポーツ協会「コーチ育成のためのモデルコアカリキュラム作成」ワーキング座長を歴任。チームビルディングの研究で日本スポーツ心理学会賞、燃え尽き予防の研究で日本体育学会奨励賞、メンタルサポートの研究で日本カウンセリング学会松原記念賞受賞。著書に『ソーシャルサポートを活用したスポーツカウンセリング』(風間書房)、『スポーツメンタルトレーニング教本三訂版』『トレーニング指導者テキスト理論編3訂版』(共著、大修館書店)等。剣道教士七段。

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(大阪体育大学教授 土屋 裕睦)
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