損したくないはずなのに、自ら損する行動をとってしまうのはなぜなのか。多摩大学大学院客員教授の冨島佑允さんは「人間は必ずしも合理的な判断ができるわけではない。
自分が得することよりも、損することを重く受け止めがちな傾向がある」という――。(第3回)
※本稿は、冨島佑允『人生の選択を外さない数理モデル思考のススメ』(アルク)の一部を再編集したものです。
■「不合理な行動」は人類共通の法則
人は誰しも、自分から進んで損したいなどとは思っていません。けれども、客観的に見れば損な行動をとってしまうことがあります。次のような話をどこかで聞いたことはありませんか?
・友人の投資話を信じて次々と借金をする。

・カジノで大負けしたのに、「次こそは」と、さらにつぎ込む。

・恋人をあきらめきれず、復縁を求めてストーカーまがいのことをする。
誰しも損はしたくないはずなのに、損をこじらせるような行動を取るのはなぜでしょうか? 他人がこうした不合理な行動をとっているのを見ると、「バカだなぁ……」と思うかもしれません。しかし、こうした不合理さは誰もが持っているものであり、人類共通の法則ですらあるのです。
伝統的な経済学では「人間は不合理である」という事実が無視されてきました。経済学者たちは長い間、人間を合理的な存在だとみなして経済理論を構築してきたのです。つまり、経済学は「自分の利益を最大化するために合理的な判断を下す」という人間像を前提にしてきました。
このような人間像は、人間(ホモ・サピエンス)を単純化することで経済理論をつくりやすくするためのものであり、「ホモ・エコノミクス(経済人)」と呼ぶこともあります。
■人間はリスクを回避しようとする傾向がある
心理学者のダニエル・カーネマンとエイモス・トベルスキーは、人間をホモ・エコノミクス(完全に合理的な存在)とみなす当時の経済学に疑問を抱いていました。そこで、経済学の大前提であるホモ・エコノミクスの考え方を検証するため、大規模な心理学実験を行いました。カーネマンの実験は、例えば次のようなものです。質問1について、みなさんはどちらを選ぶでしょうか?
質問1 みなさんはAとBのどちらを選びますか?
選択肢A:無条件で1万円を受け取れる。

選択肢B:コインを投げて表が出れば2万1000円を受け取れる。裏が出れば何も受け取れない。

この質問をすると、大部分の人が選択肢Aを選ぶとされます。不確実なBよりも、より確実に利益が得られるAを選ぶということです。ポイントは、選択肢Bは五分五分の確率で2万1000円を受け取れるので、平均的には1万500円を得られる選択肢であり、選択肢Aよりも利益が高いという点です。
それにもかかわらず多くの人がAを選ぶのは、人間は不確かな選択肢を避ける傾向、つまりリスクを回避しようとする「リスク回避的」な傾向を持つからです。リスク回避自体は、合理的な判断といえます。
というのも、不確実な選択肢は悪い方に転ぶ可能性もあるわけですから(選択肢Bを選んだのにコインの裏が出る)、金額が少し下がってもより確実な選択肢Aを選ぶことは、合理的な判断といえるからです。
■「損失」を感じると、リスクをとる
では、質問2はどうでしょうか?
質問2 みなさんはAとBのどちらを選びますか?
選択肢A:無条件で1万円を没収される。

選択肢B:コインを投げて表が出れば2万1000円を没収される。裏が出れば何も奪われない。

質問2では、選択肢Aを選ぶと確実に1万円を失います。一方、選択肢Bは五分五分の確率で2万1000円を失うので、平均で1万500円を失う選択肢ということになります。人間がリスク回避的なのであれば、選択肢Aの方が不確実性もないし、選択肢Bよりも平均して失う金額が少ないので、多くの人が選択肢Aを選びそうなものです。しかし実際に聞いてみると、質問2では大部分の人が選択肢Bを選びます。このように、リスクの高い選択肢を敢えて選ぶ傾向のことを、「リスク愛好的」と呼びます。
以上の心理学実験の結果を見てみると、人間は「利益」についてはリスク回避的に振る舞い、「損失」についてはリスク愛好的に振る舞うということになります。
質問2で選択肢Bを選んでしまうのは、不合理であるといえます。なぜなら選択肢Bは、選択肢Aよりも収入が悪い(損失額が大きい)うえにリスクもあるからです。
しかし、多くの人が選択肢Bを選んでしまいます。その理由は、人が無意識に損失の確定を回避しようとしているからだと考えられています。
■“ギャンブルの負けをギャンブルで取り返す”ようなもの
選択肢Aは選んだ瞬間に損失が確定しますが、選択肢Bは選んだ時点では損失が確定せず、コイン投げの結果次第で損失を回避できる可能性が残っています。そのため、損失の確定を避けようとして選択肢Bを選ぶというのです。このように、損失を回避したがる性質のことを「損失回避性」と呼びます。
こうした話は、どこかで聞いたことがあるのではないでしょうか? 例えば、ギャンブルの負けをギャンブルで取り返そうとする行動です。「損失を回避したい」と願うあまりに、自分が損をしたという事実を認められず、損を取り返そうとして深みにはまっていくことがありますが、それはまさに損失回避性の事例です。
カーネマンとトベルスキーは心理学実験を通じて不合理な行動の法則性を発見していきました。不合理さに法則性があるというのも奇妙な話ですが、先ほどの実験結果のように、不合理性については、多くの人が同じような傾向を持つことがさまざまな心理学実験によってわかってきています。
カーネマンとトベルスキーはこうした研究に基づいて、1979年に「プロスペクト理論」という新しい経済理論を提唱しました。この業績により、カーネマンは2002年にノーベル経済学賞に選ばれています。
■満足を「どう感じるか」が出発点
それまでの経済学では、「人間は合理的であり、経済学的にもっとも得な選択肢を常に選ぶことができる」とみなされていました。
しかし現実の人間は、先述の例のように不合理な判断をしてしまうことがあります。こうした不合理な側面も含めて説明できるのがプロスペクト理論なのです。
プロスペクト理論は、経済学と心理学を結び付けた興味深い理論です。経済学では、「人は自分の満足のために消費行動をする」と考えます。プロスペクト理論に限らず、従来の経済学も含めてこのような考え方をします。私たちがモノやサービスを購入するのは、それを消費することで自分の満足度を高めたいからなのだと解釈するのです。ですので、人が満足を「どう感じるか」ということが議論の出発点になります。
プロスペクト理論では、人の満足の感じ方には次の3つの特徴があると考えます。これらのうち、②は従来の経済学から採用されていたものですが、①と③はプロスペクト理論において新たに追加された要素です。カーネマンとトベルスキーが行った心理学実験のデータから導き出されたものです。
① 参照点依存性:人は今の状況(=参照点)を基準に損得を判断する。

② 満足度の逓減(ていげん):消費量が増えるにつれて満足度は増えにくくなる。


③ 損失回避性:人は利益を得ることより損を避けることを優先する。
では、①~③について詳しく見ていきましょう。
■「損得」は相対評価である
① 参照点依存性
人は、今の自分の状況を基準に損得を判断するという特徴です。例えば、勤務先の上司から、来年の年収が500万円になると伝えられたとしましょう。この金額を「損」と感じるか「得」と感じるかは、今の年収によって異なるはずです。
もし、今年の年収が400万円ならば、500万円は100万円の昇給を意味するため、100万円の「得」と感じることでしょう。一方、今年の年収が600万円だったとすれば、100万円の「損」と感じるでしょう。
つまり、人は自分の現状よりも悪くなることを「損」、よくなることを「得」と感じるのであり、損得は相対評価だということです。プロスペクト理論では、損得判断の分かれ目となる今の状況のことを「参照点」、損得の判断が参照点に依存するという性質を「参照点依存性」と呼びます。上記の例でいえば、今の年収が400万円の人の参照点は400万円、年収が600万円の人の参照点は600万円になります。
② 満足度の逓減
これは同じモノやサービスを繰り返し消費していると、だんだん飽きて満足度が上がりにくくなっていく性質のことです。例えば、社会人が仕事終わりに居酒屋でビールを飲んだならば、1杯目は五臓六腑にしみ渡るほどおいしく感じることでしょう。
しかし2杯目や3杯目は、1杯目ほどは感動せず、日本酒を飲んでみたくなったり、焼き鳥が食べたくなったりしてきます。
■満足度を高めるには多様な消費が必要
このように、人は1つの商品ばかりを消費していると、徐々に満足度の増加が緩やかになっていきます。要するに、飽きてくるのです。このような性質のことを、経済学の専門用語で「限界効用逓減則(げんかいこうようていげんそく)」といいます。限界効用逓減則の「効用」とは、満足度を意味する経済学の専門用語です。「満足」という言葉が日常語としてさまざまな意味を持つので、経済学において厳密な議論をするときは、「効用」という呼び名を使います。意味合いとしては満足度を表していると考えて差し支えありません。
また、「限界」とは、経済学では増加分を意味します。つまり、「限界効用」とは満足度の増加分を表す言葉であり、それが逓減(=次第に減ること)していくということです。
限界効用逓減則があるので、私たちは1つの商品だけでは満足しきれず、多様な消費を行います。例えば、今日のランチ代として1000円が使えるときに、それで1杯100円のコーヒーを10杯頼むよりも、パスタやコーヒー、デザートなど複数のメニューを注文する方が、満足度が高まるということです。
このように、現代社会が無数のモノやサービスで溢れかえっているのは、私たちが満足度を高めるために多様な消費が必要だからといえます。限界効用逓減則が、消費の多様性の源となっているのです。
■「得」よりも「損」に敏感
③ 損失回避性
これは利益の獲得よりも損失の回避を優先する性質のことです。損を避けたいという気持ちに支配されるあまり、損を取り返そうとして深みにはまってしまうことがあります。こうした損失回避を優先する性質のことを「損失回避性」といいます。
人がどう満足を感じるかを3つの特徴で整理しましたが、3つの特徴をグラフで表したものが、図表1の「価値関数」です。
図表1の曲線を見ると、参照点を境にグラフの形が変わっています。このグラフは、利得や損失を経験したときに感じる価値の大きさを表していて、横軸は利得や損失の度合い、縦軸は利得や損失を経験した人が感じる価値(=満足度)になります。参照点より右側は、人が金銭的な利益を得たり何かを消費したりして満足度が増える状況を表しています。右側に行くほど価値関数の傾きが緩やかになるのは、限界効用逓減則を表しています。つまり、利得が大きくなるにつれて、満足度が増えにくくなるということです。
価値関数で注目すべきは、参照点より左側(損失)です。左側は右側(利得)よりもグラフの傾きが急になっています。これは、人間は得よりも損に敏感であり、損失を認識すると急な坂を転がり落ちるように満足度が低下することを表しています。つまり、この部分は「損失回避性」を表現しています。
■「損」を2倍も重く受け止めている
プロスペクト理論では、人が得よりも損を何倍敏感に意識するかを、λ(ラムダ)というギリシャ文字で表します。λとは、ある利得を得たときの満足度(価値)の増加幅と、それと同じだけ損をした場合の満足度(価値)の減少幅の比率のことです。さまざまな研究によると、λの値はおよそ「2」だとされています。つまり、人は得より損を2倍も重く受け止めるということです。
損失回避性は、原始時代には生き残るために有利な性質だったと考えられます。太古の昔の狩猟生活では、マンモスなどの大物を仕留めればたくさんの肉が手に入りますが、大きな獲物ほど攻撃力も高くリスクが伴います。獲物に角で突かれて命を落とせば、自分も家族もおしまいです。古代の人間にとっては、利益追求よりも損失回避(大ケガや死亡の回避)の方が生きるうえで重要だったに違いありません。
だからこそ私たち人間の脳は、損失を回避したいという強い欲求に支配されています。しかし現代では、この損失回避性はしばしば適切ではない判断に繋がってしまうことがあります。例をいくつか挙げましょう。
■時にはあきらめも肝心である
【別れ話】
元恋人に激しく復縁を迫る行動は、損失回避性の表れといえます。自分にとって「損な状況(=恋人と別れる)」を確定したくないがために、よりを戻そうと奮闘する(=その人にとっての参照点である「付き合っている状態」に戻そうとする)わけです。それよりも、さっと見切りをつけて新しいパートナーを探す方が合理的かもしれません。
【結婚詐欺】
結婚前提のお付き合いを申し込んできた男性から「お金を貸してほしい」と頼まれ、少しならいいかと貸したところ、その後もいろいろな理由でお金を無心され、いつのまにか総額が数百万円に膨らんでしまったとします。そしてある日突然、音信不通に……。この例も、関係が壊れる(=損失が確定する)ことを回避したいという心理につけこんだ詐欺の戦略といえるでしょう。
【ビジネスの戦略】
プロスペクト理論はビジネスにも応用されています。例えば、期間限定セールスです。期間限定で安くなっている商品を見て「今、買わないと損」だと感じ、買う必要がないものを買ってしまった経験はないでしょうか? これも損失回避性に基づく販売戦略といえます。
また、営業トークにも活用されています。証券会社の営業部員が投資信託を客に売りたいときは、「資産運用で老後資金に余裕をつくりましょう」と利益に着目した説明をするよりも、「資産運用で老後資金が足りなくなることを防ぎましょう」と損失に着目した説明をした方が注意を引きやすいという使い方です。
いかがでしょうか? 私自身は、人間の複雑な心理がシンプルなグラフで表せたことに感動を覚えます。プロスペクト理論は「ときにはあきらめも肝心」という教訓を伝えてくれているのではないでしょうか。

----------

冨島 佑允(とみしま・ゆうすけ)

データサイエンティスト、多摩大学大学院客員教授

1982年福岡県生まれ。京都大学理学部卒業、東京大学大学院理学系研究科修了(素粒子物理学専攻)。MBA in Finance(一橋大学大学院)、CFA協会認定証券アナリスト。大学院時代は欧州原子核研究機構(CERN)で研究員として世界最大の素粒子実験プロジェクトに参加。修了後はメガバンクでクオンツ(金融に関する数理分析の専門職)として各種デリバティブや日本国債・日本株の運用を担当、ニューヨークのヘッジファンドを経て、2016年より保険会社の運用部門に勤務。2023年より多摩大学大学院客員教授。

----------

(データサイエンティスト、多摩大学大学院客員教授 冨島 佑允)
編集部おすすめ