TBSのドラマ『対岸の家事』が話題だ。生活史研究家の阿古真理さんは「従来、専業主婦が主役のドラマは“主婦っていいよね”と思わせるなど、主婦という生き方に焦点を当てる傾向があったが、今作では現代社会が抱えるひずみをあぶり出そうとしている」という――。

■専業主婦は絶滅危惧種?
4月1日に放送が始まった、専業主婦が主役の『対岸の家事』は、TBSによる家事ドラマ第4弾。2016年に家事は「タダ」ではないと主張した『逃げるは恥だが役に立つ』、2020年に家政夫に頼る女性を描いた『私の家政夫ナギサさん』、2024年に家事しない宣言をした女性が主役の『西園寺さんは家事をしない』を放送した。今回は、ナギサさんでバリキャリだが家事がほぼできない女性を演じた多部未華子が、真逆のマメな専業主婦の村上詩穂を演じる。TBSは、ドラマで家事の位置づけを問い続けているのだろうか。
従来、専業主婦が主役のドラマは、「主婦っていいよね」と思わせるなど、主婦という生き方に焦点を当てる傾向があったように思う。しかし本作は、4月22日放送の第4話が終わった時点で詩穂は、基本的に悩み多き周囲に寄り添う助っ人なキャラで、狂言回し的な存在。本作の場合、主婦を鏡とすることで現代社会のひずみをあぶりだすことを試みているように見える。それはどんなひずみで、解決は可能なのだろうか。改めて考えてみたい。
第4話以降、詩穂が寄り添い考える問題は、自身の過去への屈託も含め広がっていきそうだが、第3話までは子育てを巡る課題に焦点が当てられている。ざっと確認してみよう。
第1話で詩穂は、2歳の苺(永井花奈)を連れて行った子育て支援センターで、育休中の長野礼子(江口のりこ)と出会う。
一度帰りかけたのちに忘れ物を取りに戻った詩穂は、礼子が「今は便利な家電だっていっぱいあるし、家事なんて片手間でできるのに」「主婦なんて絶滅危惧種」と話す姿を目撃してしまう。礼子は詩穂が住むマンションの隣室に引っ越してくるが、気まずさからお互いに避けてしまう。
■女性が家事だけに専念できる余裕はこの国にはもうない?
2年後、詩穂は礼子が3歳の篤正(寿昌磨)に閉め出され、熱を出した1歳の星夏(吉玉帆花)を抱いたまま、玄関先で「ゲームオーバー」とつぶやくのを目撃する。その後、篤正がベランダから落ちるのを防いだ詩穂は礼子と親しくなり、実は礼子が家事を回せず苦しんでいることを知る。
第2話では、詩穂はいつも行く児童公園で、1歳の佳恋(五十嵐美桜)を連れた中谷達也(ディーン・フジオカ)と知り合う。中谷は厚生労働省の役人で2年の有休を取っていた。
詩穂が専業主婦だと知った中谷は、「低成長、超少子高齢化。養わなければならない人間がどんどん増えているこの時代に、女性が家事だけに専念できる余裕はこの国にはもうないんです」「専業主婦は贅沢です」と言い切る。とはいえ、互いの孤独回避と子どものため、2人はSNSのアドレスを交換しパパ友・ママ友になる。
第3話、礼子の娘、息子が順におたふく風邪にかかる。保育園に預けられなくなった礼子は、窮余の策として、家族全員免疫がある詩穂の家で数日間、子どもを預かってもらう。その事実を知った中谷は、顔見知り程度の礼子に「対価を払うべき」と忠告する。

礼子はベビーシッター代として8万円を詩穂に渡すが、後日返されてしまう。それでも寄り添おうとする詩穂は、礼子の苦しみは目撃者がいなければなかったことにされる、大海原に降る雨のようだと解説し、職場にもSOSを出すべきだと助言する。
■家事とケアを無視して社会を回す「資本主義というシステム」
その後、礼子は職場の「肩代わり制度」で仕事をサポートしてくれた後輩の今井尚記(松本怜生)が、愛犬の病気に悩みこっそり泣く姿を見てしまう。「これは海に降る雨だ」と感じた礼子が事情を聞くと、「弱音もグチも吐かない」人に弱い自分は見せられなかった、と言われる。
礼子は詩穂と親しくなった際、初対面のときに主婦を「絶滅危惧種」と決めつけたのは、仕事も育児も両方やると決めた自分を否定したくなくて強がった、と明かす。詩穂と中谷が距離を縮めたきっかけも、娘の病気だった。
子どもが危険にさらされたとき、気が合わないと思った大人同士が近づく展開が興味深い。このくだりで象徴されているのが、命である。子どもの命を守るために、保護者たちは連帯するのだ。
しかし、手を差し伸べた詩穂に「対価」の現金を払うのは適切だろうか。詩穂がビジネスパーソンの中谷や礼子の言い分を理解できないのは、世間知らずだからだろうか。
稼ぐことは生活するうえで不可欠だが、家事とケアは命を守るために不可欠だ。
しかし、資本主義というシステムは、海の上に降る雨のように、家事とケアをなかったことにして社会を回す。だから、誰もが健康で働ける前提が崩れると、人は立ち往生してしまう。
■主婦が受け取るべき対価とは
主婦がたくさんいた時代は、主婦たちが陰でアクシデントの解決を引き受けていたから、企業側は「なかったこと」にできた。しかし、今は主婦が「絶滅危惧種」で必ずしも隣の詩穂ちゃんはいないから、礼子のようなワーキングマザーは「ゲームオーバー」になれば、自身が絶滅危惧種に「降りる」ほかないのだろうか。
詩穂が病気の子どもを預かった件で中谷は、礼子に「対価を払うべき」と言う前に、詩穂にも「対価をもらうべき」と言っている。詩穂はその考え方に違和感を抱き、謝礼を拒絶している。
それは『逃げ恥』の森山みくりが、家事代行サービスだから支払っていたギャラを、結婚することで帳消しにしようとする恋人の津崎平匡に、「それは『好き』の搾取です」と言い放ったのとは逆の態度に見えるが、実は同じ価値観に基づいた別の側面である。
本作の第4話で、礼子が実家から届いた段ボールいっぱいの野菜を、たくさん詩穂におすそ分けし、詩穂は「いいんですか?」と言いながら喜んで受け取る。つまりこういうことなのだ。困ったときはお互いさま、うれしいことはシェアする。それが友情や隣人愛や家族・夫婦・恋人の関係性で、根底にあるのは無償の愛である。
■大事な営みを主婦に押しつけてきた日本に現れた変化
愛情を注いだ相手に、愛の証に対する謝礼を払われたら、好意を拒絶することになる。
逆に、お金をもらうべき仕事に、愛情とすり替えて支払わないのは搾取だ。
資本主義が生活の隅々まで浸透してしまえば、すべての困りごとはお金と労働で解決する、味気ない世界になってしまう。お金をもらわない主婦として働く詩穂は、お金に換算できない愛の世界を表現する存在を象徴している。
とはいえ、私たちは資本主義が生活の大半を占める時代を生きている。その中で愛を含める方法論も、少しずつドラマは示している。
第3話で紹介された、育児や介護で休む人をサポートしたら手当を出す肩代わり(肩を貸す)制度がそれで、近年いくつかの企業で実践され始めている。2018年刊行の原作小説でその制度の設定はなく、礼子が詩穂に病気の子どもを預かってもらう期間は、ドラマより長い。
主婦/主夫に大事な営みを押しつけてきた日本も、少しずつ、社会を再構築し始めているのかもしれない。誰もが無理のない生活を送るためにも、私たちはまず、詩穂ちゃんが言うように「SOSを出す」ことから始めるべきではないだろうか。

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阿古 真理(あこ・まり)

生活史研究家

1968年生まれ。兵庫県出身。くらし文化研究所主宰。
食のトレンドと生活史、ジェンダー、写真などのジャンルで執筆。著書に『母と娘はなぜ対立するのか』『昭和育ちのおいしい記憶』『昭和の洋食 平成のカフェ飯』『「和食」って何?』(以上、筑摩書房)、『小林カツ代と栗原はるみ』『料理は女の義務ですか』(以上、新潮社)、『パクチーとアジア飯』(中央公論新社)、『なぜ日本のフランスパンは世界一になったのか』(NHK出版)、『平成・令和食ブーム総ざらい』(集英社インターナショナル)、『料理に対する「ねばならない」を捨てたら、うつの自分を受け入れられた。』(幻冬舎)などがある。

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(生活史研究家 阿古 真理)
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