※本稿は、エイミー・C・エドモンドソン『失敗できる組織』(早川書房)の一部を再編集したものです。
■失敗を褒める企業は珍しくなくなった
世界中の企業がイノベーションを生み出せるかどうかは、いかに失敗するかにかかっている。今日では失敗を褒めたたえる企業はかつてほど珍しくなくなった。だが私が2002年秋にマサチューセッツ州チャタムで開かれたデザイン業界のカンファレンスで失敗について講演したときには、聴衆からどんな反応を受けるか予想できなかった。
ステージを降りると、もの問いたげな表情の参加者が近づいてきた。デザイン会社IDEO(アイディオ)のデザイナーで、ボストン支社長だったダグラス(ダグ)・デイトンだ。真面目そうで思慮深い人物に見えたが、明らかに何か引っかかっているようだった。40代半ばのデイトンは黒髪に中肉中背、穏やかで言葉を選びながら話した。
支社のあるチームが老舗マットレスメーカーのシモンズから請け負ったプロジェクトを進めているが、うまくいっていないようだ、という。自分とチームがそこからどんな教訓を学ぶべきか、理解するのを手伝ってくれないかとダグは尋ねた。喜んでお引き受けするし、ハーバード・ビジネススクール用に正式なケーススタディを書かせてもらえたらなおありがたい、と私は答えた。
自社の失敗について調査し、文章にしたいという私の申し出にダグが「イエス」と答えた事実そのものが、IDEOという会社について多くを物語っている。失敗を研究したいという私に門戸を開く経営者はさほど多くない。私の知るかぎりIDEOほど賢い失敗の精神を体現している企業はない。
■失敗に対するポジティブな姿勢
当時のIDEOは国際的に高い評価を受けていた小さなイノベーション・コンサルティング会社で、世界中に12の「スタジオ」を有していた。設立されたのは「フェイル・ファスト(速く失敗せよ)」の哲学が浸透しているシリコンバレーの中心部にあるパロアルトだ。1991年にスタンフォード大学の工学教授デビッド・ケリーと著名な工業デザイナーのビル・モグリッジがそれぞれの小さな会社を合併させたのがはじまりだ。
以来IDEOの従業員はさまざまな専門分野にまたがるチームを組み、驚くほど多様な家庭用、商業用、工業用の製品、サービス、環境をデザインしてきた。
広く使われているイノベーションの例を挙げると、コンピュータ用マウス(当初はアップルのために設計・開発された)、個人用ビデオレコーダー「TiVo」用にデザインされた親指を立てたり下げたりするサイン(今ではソーシャルメディア・プラットフォームで当たり前に使われている)、イーライリリーのためにデザインした使い捨ての充填済みインスリン注射器などがある。
これだけでもパソコン、医療機器からユーザーインターフェースまで、IDEOの業務の幅広さがよくわかる。
同社の成功要因はたくさんある。最も顕著なのが、工学(機械工学、電気工学、ソフトウエア工学)、工業デザイン、プロトタイプ機械加工、ヒューマンファクター建築など、幅広い分野の専門性を有していることだ。だが成功要因として最も重要なのは、失敗に対するポジティブな姿勢かもしれない。
■「早く成功するために速く失敗しろ」
従業員はそれぞれの専門知識を評価されているが、それ以上に重視されているのがうまくいかないかもしれない新しい事柄に挑戦する姿勢だ。各チームの背中を押すIDEOのモットーの一つが「早く成功するために速く失敗しろ」だ。2000年までCEOを務めたデビッド・ケリーは頻繁にパロアルトのスタジオを歩き回り、「早く成功するために速く失敗しろよ」と明るく声をかけていたことで知られる。
イノベーションのプロジェクトで失敗が必要なのは自明であるにもかかわらず、有能な若い社員たちは失敗を嫌うちっぽけな感情が邪魔をして身動きがとれなくなってしまうことを理解していたのだ。
社員の多くは学生時代を「オールA」で通してきたような者ばかりだ。「失敗は楽しそうだが、自分がやるもんじゃない」という考えが染みついている。
彼らが頭で理解していることを感情的に受け入れ、リスクの高い実験に取り組むためには、ケリーの頻繁な明るい声かけが必要だったのだ。2000年から2019年までCEOを務めたティム・ブラウンは、2005年の私とのインタビューでこう説明した。
「社内全体に『やってみろ、なんとかしろ、うまくやれ! われわれはいつでもキミを全力でサポートする用意はあるが、自分でなんとかできると信じているぞ』という空気がある」。賢い失敗を重視する姿勢が長年IDEOの成功の原動力となってきたことはよく知られている。
■失敗のほとんどは舞台裏で起こる
しかしそんなにたくさん失敗しながら、IDEOはどうやって誰もが羨むような評判を維持しているのか。
答えはシンプルだ。
しかもそれは複数の専門分野から知識を集め、規律ある反復的チームワークのなかで起こる。またIDEOは「速くたくさん失敗しろ」と熱心に呼びかけるデビッド・ケリーを筆頭に、会社のリーダー層がリスクテイクのための心理的安全性を醸成することに真剣に取り組んできた職場でもある。
2002年11月初旬、当時マサチューセッツ州レキシントンにあったIDEOのボストン・スタジオを初めて訪問した私は、「アイランド」と呼ばれる周囲より一段高くなったアーチ形通路のてっぺんに立った。そこからは広々としたカラフルかつ雑然とした空間で、カオスのような活動が起きているのが一望できた。
デザイナー、エンジニア、ヒューマンファクターの専門家たちが、小さなチームごとに顧客企業のためのイノベーション・プロジェクトに取り組んでいる。この非公開の場で彼らは好きなだけミスを犯し、リスクをとり、失敗し、再び挑戦することができた。
「プロトタイプ・ラボ」と呼ばれる社内でも数少ない個室の一つはこの日、一日中使われなかった。あまり好ましい兆候ではない。その一因はシモンズのプロジェクトが、機械工チームに作るべきものを具体的に指示できなかったからだ。
■顧客には「失敗」が見えないようになっている
最終的にイノベーションを生み出すことに成功するプロジェクトは、その過程でいくつもの失敗を経験する。それはイノベーションというものが、確かな解決策がまだ生み出されていない未知の領域で起こるからだ。
そしてジェニファー・ヒームストラの研究所や、ジェームズ・ウエストが発明に取り組んだベル研究所がそうであったように、こうした失敗のほぼすべては世間の目に触れないところで起こる。
こんなふうにも言い換えられる。IDEOで起こる失敗のスポンサーであるクライアント企業は、実際に失敗が起こるさまをデザイナーの肩越しにのぞき込んでいるわけではない。待ちわびた顧客にプロジェクトが届くころには、成功まちがいなしの状態になっている。これは優れたイノベーション部門のリスク低減戦略の一つだ。
■昔は「後は任せた」が主流だった
私と出会った頃、ダグ・デイトンはIDEOの事業をイノベーション戦略サービスにも広げようとしていた。企業から個別の新製品のデザインを請け負うだけでなく、企業がイノベーションを起こすべき製品分野を見きわめる手伝いもしようというのだ。こうした実験は最終的にIDEOのビジネスモデルの刷新につながるはずだが、ビジネスモデルの実験でも成功に至る過程で失敗は起こる。
従来「典型的なプロジェクトは、顧客が必要な製品を説明する3~10ページの仕様書を持ってくるところから始まり(中略)『あとはやっておいてくれ』という流れだった」とダグは説明した。そしてIDEOは言われたとおりに仕事をする。だが2000年代初頭になると、顧客は「プロセスの早い段階からIDEOを巻き込み、製品のためのコンテキストづくりにも協力を求めるようになった」。
■シモンズのプロジェクトが失敗に終わった理由
シモンズも新しいマットレスのデザインを依頼したのではなく、寝具産業における新たな機会を見つけるためにIDEOを雇った。IDEOが最終的な製品のアイデアをプレゼンしたときには、シモンズの経営陣からとても好意的な反応があった。だがそれ以降何カ月もフォローアップがないままだという。
デイトンはしぶしぶプロジェクトは失敗だったのだと結論づけた。IDEOチームが出したアイデアはクリエイティブで実現可能であったものの、シモンズはそれを実行に移していなかった。何が間違っていたのだろう?
このプロジェクトはIDEOの新たな戦略サービス事業のテストケースとして最適だと思われた。ありふれた製品カテゴリー(寝具)の枠を打ち砕き、新たな機会を見つけるというのはまさにデザイナーを夢中にさせるような課題だった。失敗の原因は努力不足ではなかった。
あらゆる年代の顧客にインタビューを実施し、マットレス店を訪問し、マットレスの配送業者に同行して作業を見守るなど、プロジェクトチームはベッドはもちろん睡眠の関連分野についてさまざまな視点から学習した。その結果、「若いノマド層」というこれまで業界から見過ごされてきたグループを見つけた。きわめて活動的なライフスタイルを送る18~30歳の単身者で、寝具など大きくて扱いづらく、値段も高すぎると考えていた。
大きな一生モノの買い物はしたくない。
こうした洞察に基づいて、チームはまったく新しい製品のアイデアを思いついた。マットレスとベッドフレームの一体型で、個性的なビジュアル、折り畳み式、簡単に移動できる軽量モジュールといった特徴を兼ね備えていた。だがシモンズはこうしたアイデアを一つも実行しなかった。
■「非公開」が失敗につながった
最終的にシモンズ・プロジェクトの失敗からダグは重要な教訓を学んだ。戦略サービスを通じて顧客企業がアイデアを行動に転換する(たとえば新しい製品ラインを立ち上げるなど)のを支援しようと思うのであれば、これまでのように顧客を締め出して非公開で仕事をするわけにはいかないということだ。
IDEOの提案は、顧客がイメージし、実行できるものでなければならない。IDEOとして企業組織のなかでアイデアを通す方法を学ぶ必要があることが明白になった、とのちにティム・ブラウンは語っている。それにはプロジェクトチームにクライアントから人材を1~2人受け入れなければならない。
ダグらはまもなく失敗を成功に変える方法を見つけた。戦略サービス事業を拡大するなかで、IDEOは自らのイノベーションプロセスにクライアントを巻き込むようになったのだ。シモンズとのプロジェクトが失敗した一因は、IDEOが顧客の製造部門の生産体制を理解していなかったことにあった。
製品イノベーション事業においては、非公開のアプローチが顧客の失敗を防ぐうえで大いに役立ったが、戦略イノベーション事業においてはそれが裏目に出たのだ。同じ失敗を繰り返さないため、IDEOはデザイン、工学、ヒューマンファクターの専門家のスキルを補完するような、経営の学位を持つ人材を採用しはじめた。そして顧客企業が失敗を上手に実践できるように顧客と協力するようになった。
■学びへの意欲がイノベーションを起こす
IDEOが自分たちのすばらしいアイデアを理解しない顧客を責めて終わりにしていてもおかしくなかった。シモンズを悪者にすることもできたはずだ。だがデイトンらは自分たちのどのような行動が失敗につながったか、どうすればよかったかを振り返った。この学ぼうとする意欲が、顧客が新しい方法でイノベーションを起こすのを支援するというビジネスモデルへの進出に役立った。
一流の失敗実践者に共通する特徴を理解することは大いに参考になる。すでに見てきたように、そこには純粋な好奇心、実験することへの意欲、失敗に親しむといった要素が含まれる。彼らが失敗に耐え、うまくつきあおうとする動機づけとなるのが、新たな問題を解決し、自らの技能を高めたいという尽きることのない意欲だ。
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エイミー・C・エドモンドソン
ハーバード・ビジネススクール教授
リーダーシップ、チーム、組織学習の研究と教育に従事。1999年に発表した論文で「心理的安全性」を提唱し、世に広めた。また2011年以来、経営思想家ランキング「Thinkers50」に選出され続けている。
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(ハーバード・ビジネススクール教授 エイミー・C・エドモンドソン)