※本稿は、AKI猪瀬『ドジャースと12人の侍』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
■「勝ちたい」という思いに正直に動いた
2023年シーズンが終了してFA権を取得した大谷翔平。
その瞬間から全米を巻き込んだ「大谷翔平FA狂想曲」が始まった。
私は、大谷が2度目となる右肘手術を行い、2024年シーズンは一刀流となるためにロサンゼルス・エンゼルスに短期の大型契約で残留すると予想。慣れ親しんだ球団と施設で羽を休めてリハビリを行い、二刀流として完全復活を果たした後に大型契約で他球団へ移籍するのがベストな選択だと考えて、多くのメディアで持論を展開した。
結果はご存じのとおり、私の予想は木っ端微塵に吹き飛んだ。
大谷は、何もリスクはないが、スリルもない場所に留まるよりも、「勝ちたい」「ヒリヒリする9月を過ごしたい」という自分自身の思いに正直に動いたのである。
■「エンゼルス残留」を選ばなかった理由
FA市場に出た大谷の移籍先は、最終的に古巣のエンゼルス、本命のロサンゼルス・ドジャース、対抗のサンフランシスコ・ジャイアンツ、大穴のトロント・ブルージェイズの4チームに絞られた。実際に大谷は最終4チームの球場やスプリング・トレーニング施設を訪問。大谷が新天地に求めたことは、ただ一点「勝利すること」、もしくは「勝利のための努力ができる環境であること」。
最終盤まで古巣エンゼルスは、交渉のテーブルに残り続けたと言われている。
だが、大谷の「年俸や契約金の大半を後払いにして、そこで生まれる余剰金を戦力補強に使い、勝利できるチームを作ってほしい」との思いが、「(マイク・)トラウトにも(アンソニー・)レンドンにも後払いなど提示したことがない」とエンゼルスのオーナー、アート・モレノには届かず、大谷のドジャース入りの流れが一気に加速していった。
■ドジャース入団会見で語ったこと
2023年12月9日、大谷は自身のインスタグラムで「次のチームをドジャースに決めた。現役最後の日まで、ドジャースのためだけではなく、野球界のために努力し続けたい」とコメントを発表。
そして、アメリカ時間の12月14日、ドジャー・スタジアムで入団会見を行った。
「皆様、本日はお集まりいただきありがとうございます。まず最初にこのような機会をいただき、今回、選手としての自分を信じてくださったロサンゼルス・ドジャースのチームの皆さん、特にマーク・ウォルター、アンドリュー・フリードマン、スタン・カーステン、ブランドン・ゴームズ、デーブ・ロバーツ、この5人には本当に感謝しています。ありがとうございます。
そして、私にメジャーリーガーとしての最初のチャンスを与えてくださったエンゼルスの皆さん、本当に今振り返っても素晴らしく大切で忘れられない、そんな6年間を、そんな思い出をありがとうございました。また今回のFAに際しまして、本当に多くの方とお話をさせていただきました。他の球団も含めた球団関係者の全ての皆さんに心より感謝申し上げます。
明確な勝利を目指すビジョンと豊富な球団の歴史を持つこのロサンゼルス・ドジャースの一員になれる事を今は心よりうれしく思うと同時に、今すごく興奮しています。最後に日々お世話になっているエージェントのネズ・バレロを始め、いつも遠く日本から温かい声援を送ってくださるファンの皆様、本当にありがとうございます。
■大谷の心を動かしたドジャースフロント陣の言葉
その後、行われた質疑応答の中で、今回のFA狂想曲が終わりを告げた瞬間に関する質問があった。
「最後の最後の段階で、実際に何チームで悩んでいたのか、決断の決め手は」という質問に大谷は「何球団ということを僕の口からこの場で言っていいのか、ちょっと分からないので、そこは差しひかえさせていただくのと、先ほども言ったとおり、ドジャースがこれを持っているからというより、心に残っている言葉としてマーク・ウォルターさんを含めて、ドジャースが経験してきたこの10年間を彼らは全く成功だと思っていないと仰っていたので、それだけ勝ちたいという意思が強いんだなというのは、心に残ったかなと思います」と答えた。
交渉の段階でドジャースのフロント陣が発した「この10年間を成功だと思っていない」という言葉が、大谷の「勝ちたい」という気持ちと見事にシンクロして、ドジャース入りを決断したと推測できる。
■MLB最低年棒からの華々しいジャンプアップ
名門ドジャース入団と同時に全米のファンを驚かせたのが、巨額の契約とその内容だった。
大谷は、2017年12月8日に契約金231万5000ドルでロサンゼルス・エンゼルスとマイナー契約を結んだ。1年目の2018年はMLB最低年俸となる54万5000ドル。2019年は年俸65万ドル(最低年俸は55万5000ドル)、2020年は年俸70万ドル(最低年俸は56万3500ドルだが、コロナの影響で短縮シーズンだったために実質の最低年俸は20万8704ドル)。
デビューから3年が経ち、年俸調停の権利を手に入れた大谷は、330万ドルの年俸を希望。一方、エンゼルスは250万ドルを提示。両者の交渉が決裂した場合は第三者による年俸調停が開かれる手筈になっていたが、2021年2月8日、大谷とエンゼルスは2年850万ドルで契約に合意した。
2年契約終了後の2022年10月1日、大谷は年俸調停の権利を有する選手としては、史上最高額となる年俸3000万ドルでエンゼルスと契約(その後、フアン・ソト外野手が2024年1月11日にニューヨーク・ヤンキースと3100万ドルで契約を交わし大谷の最高額を更新)。
■FA契約の史上最高額を塗り替えた
そしてFAとなった大谷は、2023年12月11日、ドジャースと10年7億ドルで契約を結んだ。
大谷以前の最高額の契約は、2019年3月20日にマイク・トラウトがエンゼルスと結んだ12年4億2650万ドル。続くのが2020年7月22日にムーキー・ベッツがドジャースと結んだ12年3億6500万ドル。この両選手は、所属球団と契約延長での大型契約だった。
大谷のようなFA契約では、2022年12月7日に、アーロン・ジャッジがニューヨーク・ヤンキースと結んだ9年3億6000万ドルが最高額だった。ジャッジも所属球団だったヤンキースと契約したのだが、トラウトやベッツと違い、一度、FAとなってから契約している。
大谷の契約は、MLBはもとより、北米4大プロスポーツでも史上最高額の契約となった。そして、契約内容も「二刀流」と同様に唯一無二なのである。
■「総額の97%が後払い」は異例中の異例
ドジャースでは、ベッツが年俸総額3億6500万ドルのうち1億1500万ドルが後払い。フリーマンも年俸総額1億6200万ドルのうち5700万ドルが後払いになっているが、大谷は規格外の97%が後払いになるため、10年間の実質年俸はわずか200万ドルなのだ。2024年のMLB平均年俸が498万ドルだったことを考えると、大谷の年俸がいかに安価であるかが分かる。
大谷の97%の後払いは、10年契約が終了した翌年、2034年から2043年までの10年間、毎年7月1日に支払われる。
■聞いたこともない「契約破棄条項」
さらに年俸形態と同じく異例なのが、オプト・アウト(契約破棄条項)である。
スター選手の長期契約に含まれることが多いオプト・アウトとは、例えば10年契約を結んでいる選手が、5年目の終了時点で残りの契約を自ら破棄してFAになり、より良い契約を結び直すことができる権利。
大谷のオプト・アウトは、契約年数で発生するのではなく、ドジャース入団のキーマンとなったオーナーのマーク・ウォルターと編成部門の最高責任者アンドリュー・フリードマンが、ドジャースを辞めた場合に発生することになっている。自分自身の契約を他人の動向で決めるオプト・アウトを結んだ選手は、大谷以外に見聞きしたことがない。まさに異例中の異例といえるだろう。
しかし、ドジャース入団で幕を閉じた「大谷翔平FA狂想曲」も、これから始まる物語に比べたら、実に些細なことだった。本当の「狂想曲」は、大谷がドジャーブルーのユニフォームをまとい、フィールドに姿を見せてから始まるのだった。
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AKI猪瀬(あきいのせ)
MLBジャーナリスト
1970年生まれ。栃木県出身。89年にアメリカへ留学。
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(MLBジャーナリスト AKI猪瀬)