■なぜ私的な写真が流出したのか
「八代亜紀のフルヌード付きCD」の販売は、なぜ、止められないのか?
歌手の八代亜紀は2023年12月に亡くなった(享年73)が、彼女の眠りを覚ますような“事件”が大きな波紋を呼んでいる。
新たなCDが鹿児島市にある小さなレコード会社「ニューセンチュリーレコード」(早川寛社長)から4月21日に発売されたが、その売り文句にはこう書いてある。

「お宝として 八代亜紀が24~25歳の時に同棲していたT社のNディレクターによってポラロイドカメラで撮影されたフルヌード写真2枚が掲載されています」

 

一枚はベッドに横たわっている姿と、もう一枚は全裸だという。

なぜ、このような写真が流出したのだろう。
週刊新潮(5月1・8日号)によれば、1982年当時、八代は「テイチク」から新興の「センチュリーレコード」に電撃移籍したという。
「テイチク」にいたN制作部長が始めた会社で、N氏には妻子がいたが、一部メディアで八代はN氏の愛人だと報じられたそうだ。
だが2人の関係は長くは続かず、1986年に八代は「日本コロムビア」に移籍して しまう。八代のいなくなったN氏の会社は経営不振に陥り、N氏は早川氏から原盤権や八代の写真などを担保に1500万円借りたが、結局、99年に潰れてしまったという。
■「売れてますよ。もうパニック状態」
早川氏は、その時、担保にした原盤権やN氏が撮っていた写真などの権利をN氏から譲り受けたというのである。
しかし、「センチュリー」の元社員にいわせると、会社にチンピラ風の連中が2、3人来て、テープや所蔵品をごっそり持ち出していったというのだ。早川氏が差し向けたのではないかともいっている。
問題になっている写真が撮られたのはN氏と交際中。「八代は、フィルムを三つほど買ってきて“これで撮って”と恋人に撮影を依頼したのだという」(新潮)
CD発売が予告されると、たちまち反対署名が集まり、八代の出身地・熊本県の木村敬知事も「許しがたい」と発言して、大騒動になっている。

八代の肖像権などは、遺言によって「八代ミュージック&ギャラリー」(大野誠社長)にあるそうだ。同社は発売元に対して猛抗議したというが、早川氏はまったく応じないという。
彼は新潮に対してこう豪語したそうだ。
「(CDは)売れてますよ。もうパニック状態。通販だけですが、1枚3700円で送料は無料です。今はガタガタうるさいの(注・八代ミュージックのこと)が揺さぶりをかけているもんだからCD店では販売保留になっているけど、法律的には何の問題もありませんから」
■週刊新潮が報じた「早川社長の正体」
さらに早川氏は社のホームページで、こうもいっている。
「マスゴミ&クレーマー達により ウソ八百の新ネタが目を出しているようですが 話しを大きくして困ったものです」
早川氏とはどんな人物なのか? 新潮によれば、早川氏にはこんな過去があると報じている。
早川氏は昔、芸能事務所をつくっていて、1999年に「青山エンターテイメント」と名前を変えたが、翌年の11月に所属タレントが早川氏を刑事告訴したことがあったというのである。
4人のアイドルグループ「フォーラッシュ」のうち3人が、早川社長から売春を強要されたと訴えたというのだ。
新潮はそのうちの一人に話を聞いている。彼女によれば、オーデション雑誌を見て応募したという。
すぐに曲も用意されていてレコーディングも始まったそうだ。だが、実際は以前CDを発売できなかったグループの曲を使いまわしているだけだったという。
しかし、早川社長からはレコーディング代、作詞作曲代、ヘアメーク代と100万円単位で請求が来たという。
バイトをしながら懸命に返済するも、限界が来て辞めようとしたが、辞めさせてもらえず、どうしても辞めるというなら数百万円払えといわれたそうだ。
払えないなら、「芸能界で身体を売るなんて当たり前」だと、売春をするように仕向けられたとも話している。
■頑なに発売にこだわる社長の言い分は
「早川に手なずけられた子は、実際に缶詰会社の社長の愛人をやらされていました。その子はAVにも出演させられていた。また、他の子は旅行会社の社長から社員扱いで給料を払うから愛人になれと言われていました。もう我慢がならず警察に駆け込んだのです」
売春は未遂に終わったため告訴は和解になったが、民事裁判では約300万円の賠償判決が下された。だが、早川社長はカネがないといい張り、100万円ほどしか払っていないという。
早川氏は40年近くもたっている八代の写真を出す理由を、こういっているそうだ。
「去年の3月にも追悼盤を出したのですが、その後、目黒区(東京)にあった八代さんの豪邸が人手に渡ったことに腹が立ったんです。
ぼくとしては八代さんの思い出をもっと長く残してほしかった。豪邸売却と同時期に彼女の個人事務所が解散し、別会社が立ち上がったことを知って、いったい何が起こっているのか? と。自分なりに調べて、八代さんの財産を食いつぶそうとしている人がいるんじゃないかと思った次第です」(NEWSポストセブン03.17 06:59
■早川氏と大野氏の“私怨”が絡んでいるのか…
これは現在、八代の権利を管理している大野氏に向けてのようだ。大野氏は「弊社には、商品化することや封入特典に写真を使うことに関しての許諾申請は来ていません。通常であれば(著作権や複製権などを管理する)音楽出版社に確認があるはずですが、そもそも今回のような特典が入ることに音楽出版社が許諾を出すのかという疑問が残ります。原盤の権利元がニューセンチュリーレコードさんにあるのかどうかも含め、事実関係を確認中です」(同)
この騒動、早川氏と大野氏の“私怨”が絡んでいるようにもみえるのだが……。
新潮を読む限り、写真を撮影したのは早川氏ではなく、その元恋人だったN氏だが、彼は八代のプライベート写真が売られていることを知っているのだろうか?
早川氏のようなやり方は「リベンジポルノ」ではないかともいわれている。これは、交際中に撮影した性的画像や動画を、復讐や嫌がらせ目的で、被撮影者の同意なしにインターネットなどで不特定多数に公開する行為だ。
朝日新聞デジタル(4月15日 18時40分)は、こう報じている。
「CD販売について、性暴力被害に詳しい伊藤和子弁護士は『リベンジポルノに該当し、違法となる可能性がある』と指摘する。(中略)
伊藤氏は『本人の許諾なく死後に発売されれば、それは、死者の尊厳を踏みにじることになる。遺族による告訴があれば、刑事事件になる可能性は十分にある』と話す」
■元フライデー編集長が振り返る“昭和の騒動”
大手のタワーレコードや楽天ブックス、アマゾンはこのCDの注文を中止しているようだ。

私は、八代亜紀というと映画『駅 STATION』(1981年)のあの場面が蘇る。自分が逮捕した人間が死刑を前に、これまでの温情を感謝する手紙をよこした。その墓参りのために北海道の小さな町に来た高倉健が、雪に埋もれた小さな酒場にふらっと入る。倍賞千恵子が一人でやっている店で、小さなテレビからは八代亜紀の『舟唄』が流れている。
倍賞と健さんは、それを聞きながら静かに酒を飲む。こんな居酒屋があったら、なけなしのカネをはたいても呑みに行きたい。長年そう思っているが、実現はしていない。
八代亜紀のヌード写真騒動で思い出したことがある。私がフライデーや週刊現代の編集長時代には、リベンジポルノという言葉はなかったが、今だったら出せなかったかもしれない一冊の写真集のことだ。
私がフライデー編集長の1992年のことだった。当時“魔性の女”といわれていた女優、荻野目慶子の写真集である。
荻野目は14歳で市原悦子と共演した舞台「奇跡の人」でデビューして、“天才少女”と絶賛され、映画『南極物語』(1983年)で国民的人気を得た。

だが、映画監督のKと不倫関係になって、それをKの妻の知るところとなり、泥沼の三角関係に陥っていた。
悩んだ末に荻野目がKに別れを告げた直後、Kは荻野目の自宅マンションで首つり自殺をしてしまったのだ。第一発見者は荻野目だった。1990年4月のことだった。
■ある日、荻野目の事務所社長がやってきて…
荻野目は謝罪会見を開いた。日刊ゲンダイデジタル(2016/09/30 07:00)によれば、会見に出席した芸能リポーター・川内天子氏は、声を震わせながら、当時こう語っていた。
「愛人が自室で自殺した様子を、淡々と語るんです。小柄な荻野目の全身から、妖気が立ち上っていました。本物の魔性です」
当時、多くのメディアが、「監督が荻野目の自宅で密に撮っていた写真がある。その中には彼女の全裸ヌードもあるそうだ」と報じた。フライデーも取材させたが、真偽のほどはわからなかった。
それから1年以上がたったある日、某編集部員が「荻野目のプロダクションの社長が会いたいといってきています」と伝えに来た。

社長と都内某所で会った。彼は「荻野目の写真集を出したい」といった。フライデーでカメラマンを用意して特撮するのかと聞くと、すでに写真はあるという。
どんな写真かを聞いたが、それには答えなかった。条件は、写真は荻野目自身がセレクトする。このことは絶対他に漏らしてもらっては困るということだった。
ピンときたが、そこでは何もいわなかった。
■撮影者のほとばしるような“情愛”が見てとれた
しばらくたって、荻野目が社長と一緒に編集部を尋ねてきた。小柄で、今にも消え入りそうなという言葉があるが、まさに、そんな女性だった。だが、話すうちに、この女性の中にはふつふつと滾(たぎ)る黒い情念のようなものがあると感じられた。
写真は素人が撮ったものではなかった。写真から、この撮影者の荻野目に対するほとばしるような“情愛”が見てとれた。
荻野目に、「この写真を撮ったのは誰か」「どこで撮られたものか」などと聞いたが、彼女は終始無言のままだった。
彼女が置いていった写真を机の上に並べ、どうしたものかと思案した。週刊誌屋としては、「荻野目の亡くなった愛人が撮った秘蔵の写真を初公開」と謳(うた)えれば、売れることは間違いない。
だが、荻野目のプロダクションの社長は、そういう売り方はやめてくれ、「そうでないと写真は引き上げる」と強硬姿勢を崩さなかった。
私は決断した。写真集の帯や新聞広告には「荻野目の愛人が撮った写真」とは謳わない。しかし、パブリシティーでは「それらしいことを匂わせる」という条件を荻野目に提示した。
そこでも、荻野目はほとんど口を開くことがなかった。その写真が彼女の愛人が撮ったものだという言質も、私には与えなかった。
■撮影者の設定、印税の扱い、遺族への対応…
出すと決めたが、一番の問題は写真集に載せる撮影者を誰にするかということだった。荻野目の愛人の名前を使うことはできない。
悩んだ末に、「写楽」とした。浮世絵師・東洲斎写楽には今でも謎が多いといわれるから、謎の撮影者という意味を込めたつもりだった。
もう一つ困ったのは、撮影者に払う「印税」をどうするかということだった。K氏の奥さんが受取人になるのだろうが、もし、奥さん側が「写真を出さないでくれ」といってきたらどうするか。先方に手紙を出したが返事は来なかった。
社の顧問弁護士たちと相談のうえ、写楽名義で印税を供託しておこうということになった。写真が出た後、遺族側から申し出があれば、それで対処する。
写真集のタイトルは『SURRENDER』(放棄)。荻野目がつけた。なかなか意味深である。だが、講談社初のヘア付きヌード写真集(ヘア・ヌードという言葉はまだなかった。それは私が週刊現代へ移ってから、私が考えたネーミングだから)であるため、会社の上層部はなかなか出版の許可を出さなかった。
ようやく初版10万部、定価2800円と決まった。
すぐに、私が昔からよく知っている週刊文春の花田紀凱編集長に会いに行き、荻野目の愛人が残した写真集を出すので、記事にしてくれないかと頼んだ。
花田編集長は、「面白いじゃないか」と、文春で取り上げることを約束してくれた。
■早川氏はどれだけ配慮し、慎重を期したのか
だが、一難去ってまた一難。発売が次週の月曜日なのに、前の週の役員会で社長が「撮影者の名前を出せない写真集を講談社が出すわけにはいかない」と発言。急遽、発売中止になってしまったのだ。
上の了解はだいぶ前にとってあったのに今さら……と、ガックリ。だが、そこに神風が吹いた。その週の木曜日発売の文春の早刷りが役員たちの間に回ったのである。そこには、「荻野目慶子 自殺した愛人が撮ったヘア写真をフライデー公開!」と大きな活字が躍っていたのである。
再び役員会が招集され、これだけ報じられて出版をやめたら、また何か書かれるかもしれない。それならいっそ出版に踏み切ったほうがという意見が大勢を占めたと、私の上司から伝えられた。
写真集は20万部を超すベストセラーになり、後に、荻野目は「写真は愛人が撮った」と認めた。
八代亜紀のCDを出したレコード会社の早川氏に問いたい。あなたは八代亜紀のプライベートなヌード写真を出すにあたって、どれだけ配慮し、慎重を期したのか。
そうでなければ、あなたのやっていることは「単なる金儲け」「故人の尊厳を踏みにじる行為」だと断じざるを得ない。

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元木 昌彦(もとき・まさひこ)

ジャーナリスト

1945年生まれ。講談社で『フライデー』『週刊現代』『Web現代』の編集長を歴任する。上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。主な著書に『編集者の学校』(講談社編著)『編集者の教室』(徳間書店)『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)、近著に『野垂れ死に ある講談社・雑誌編集者の回想』(現代書館)などがある。

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(ジャーナリスト 元木 昌彦)
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