※本稿は、伊藤将人『移動と階級』(講談社現代新書)の一部を再編集したものです。
■移動弱者は「負け組」なのか?
「若いうちにたくさん旅行したほうが成長するよ」「海外インターンシップや海外留学しておくと、就活で有利だよ」――10代20代の頃、人生の先輩に何度も言われる言葉だ。
実際、多くの企業では海外留学やインターンは加点の対象となる。もちろん、外国語ができるというビジネススキルの証明になるからだが、それ以外にも高く評価される理由はありそうだ。同程度の英語スキルで、同じ内容のインターンシップをしていても、海外に行った人のほうが評価されやすいということは多々あるだろう。
古くから、「成功は移動距離に比例する」「成功者は移動量が多い」といった類いの格言がある。これが本当ならば、好きなときに、好きな場所に、好きな方法で行ける、移動資本が高い人(移動強者)は「成功者」であると言えるかもしれない。
逆に、移動したくてもできない、移動手段が限られている、生まれた地から出たことのない移動資本が低い人(移動弱者)は、「凡人」もしくは「負け組」なのかもしれない。
しかし、果たして本当にそんなことはあるだろうか? たくさん移動を経験すると、人生が有利に進むのだろうか? 移動資本が高ければ、人は成功者になれるのだろうか?
■移動に価値を見出す成功者たち
実業家の堀江貴文は、現在は業界の壁を軽やかに飛び越える「越境者」が求められる時代にあると言う。そして、こうした時代には、いくつもの異なることを同時にこなせる「多動力」が最も重要な能力であると主張する。
作家でお笑い芸人の西野亮廣は、「移動に投資したときに人は成長する」と言う。ある日のブログでは、「以前、20代の社員に『移動距離がバグってるヤツが勝つ』と言ったら、『分かりました!』と返ってきて、次の日の朝には金沢に飛んでて、そして、そこで得たことを、今、自分達の事業の一つに落とし込んでいます」と、すぐに遠くまで移動したことで事業へと結びついたエピソードを良い例として紹介している。
■普段接していないものから知見が得られる
作家で編集者の長倉顕太が2024年に書いた『移動する人はうまくいく』(すばる舎)は、移動強者=成功者を全面に押し出したことでヒットした。ある業界の成功者でありトップランナーであると自称する著者は、「移動力」という考え方を提唱する。それは、環境を切り替える力であり、環境を変えることで、行動が変わり、人生が変わり、成功する力だという。
他にも、「人生は移動距離で決まる」「学力も社会での稼ぎも、その人間の移動距離で決まる」「ヤンキーがイマイチ伸びないのは移動距離が少ないからで、投資して移動させることでヤンキーも高校生も伸びる」なんて、言い切る経営者や実業家もいる。
移動することで成功する、移動することで成長する、移動することで人生が変わる――成功者と言われる人の中には、類似の主張をする人は多くいる。
さらに、『世界標準の経営理論』(ダイヤモンド社)などで知られる経営学者の入山章栄も、インタビューの中で「発想力は移動距離に比例する」と語っている。異質な知と知を結びつけるのがイノベーションであり、そのためには普段接していないものを見つけ、そこから知見を得なければならない。
入山によれば、発想力に優れた人はさまざまなイベントに出たり、遠くに旅行に行ったりしており、発想力はその人の移動距離に比例するのかもしれないというわけである。
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■生産性やタイパを高める“移動時間術”
移動と成功をめぐる議論には、もう一つ、よく聞くパターンがある。それは、「移動中の時間を無駄にしない人が成功する」という“移動時間術”に関するものである。
その多くは、生産性やタイパ(タイムパフォーマンス)の向上を達成するために、移動中に実践するべきことを教えてくれる。よくあるのは、移動時間は読書するべき、最新ニュースをチェックするべき、メールの返信は移動中に行うべきなどの“ハック”である。
一見すると、これらはスマホが登場し、Z世代のタイパ重視が叫ばれる現代固有の主張に思われるが、調べてみると数十年前の本でも同じような主張はされていた。
ただ、パソコンとインターネット、そしてスマートフォンの登場と普及が、これらを利用できる人々、駆使して仕事をする人々の生活様式や働き方、さらには自己と他者の新しい関係の形式をもたらすようになったことは明らかである。
パソコンやスマートフォン、電子タブレットやスマートウォッチなどといった「小型化されたモビリティーズ」は、高まる「移動しながらの生活」を促し続けている。
■退屈で無駄な時間から、生産的な時間へ
小型化されたモビリティーズに侵食された世界では、移動時間は、移動をしながら遂行される仕事、ビジネス、レジャーなどの活動を中心にまわるようになっている。
つまり、今日の輸送システムと新しい情報伝達技術の間に存在する複雑な結びつきが意味するのは、移動時間は個人にとって退屈で、非生産的で、無駄な時間ではなく、むしろ、職業上あるいは私的な活動において生産的に使われているという事実である。
小型化されたモビリティーズが登場する以前も、船の上で会議をしたり、電車で書類を読んだりする人もいた。しかし小型化されたモビリティーズの普及と新しい情報伝達技術が生み出した即時性、グローバルなデジタル・ネットワークの広がりは、以前の移動時間術とは次元を異にするレベルで、移動時間を生産的な時間へと変えた。
生産性の向上と無駄の排除が高い価値を持つようになった現在、小型化されたモビリティーズの登場と普及が合流したことで、ますます成功するための移動時間術が広く支持を得ているのである。
■「何もしない移動」は価値が低いという風潮
こうした流れは、個人レベルの実践にとどまらず、商品やサービスの世界も侵食している。たとえば、コロナ禍を経て、鉄道各社が車内で作業する人向けの車両を導入・拡充したことは象徴的である。
JR東日本はワーク&スタディ優先車両TRAIN DESKを導入したが、紹介文に登場する一節「新幹線での移動時間を、仕事や勉強・読書などの自分時間として有意義に活用したい皆さまへ。」は、移動時間の生産性向上=有意義とする価値観を提示している。
でも立ち止まって考えてみると、不思議な話である。
しかし、こうした広告とサービスは、明確に「何もしない移動」「成長や仕事につながらない移動」を価値の低いもの、移動中に作業や仕事ができることを意義の高いものと位置付けている。生産性やタイパの向上を目的とする移動時間術は、それ自体が“生産性至上主義”と結びつき、商品化され、提供されているのである。
なお、今回、全国2949人が回答した独自調査からは、「移動時間は無駄だ」「移動時間には生産的な活動をしたい」と考える人の割合は、年収が高いほど強い傾向が示唆された。移動時間の捉え方にも、社会階層間で違いがあるようだ。
■「私は移動したから成功した」と言うが…
ここまでみてきたように、「成功したいなら移動せよ」という主張は、多くの場合、自身が移動とネットワーキングによって成功し、移動時間でさえも無駄にしなかったという自信と自負によって支えられている。
そうした自信と自負は、実力もしくは能力によって達成されたと認識される傾向にある。表現を変えよう。移動をめぐる格差や不平等が存在する社会において、高い移動性を有し、それを実現する人々の多くは、自身の移動資本やネットワーク資本、それらがもたらした成功を、“道徳的に正当なもの”だと思っているのである。
なぜこうした発想に至るのか。
しかし、実はほかにも「成功したいなら移動せよ、なぜなら私はたくさん移動したから成功したのだ」という確信と論理を支える一種のイデオロギーが存在する。それが、能力主義(メリトクラシー)である。
■だれもが自由に移動できる世界は実現不可
能力主義は、イギリスの社会学者マイケル・ヤングが著書『メリトクラシー』(講談社エディトリアル)で世に送り出した概念である。個人の能力に基づいて社会的地位や権力が分配されるべきという理念と、それに基づく社会を意味する。
それでは、能力主義という観点から人々の移動を考えてみよう。
階級や階層を超えて、すべての人が能力・実力だけに基づいて移動する/できる平等な機会を手に入れたら、どんな世界になるだろうか。
素直に考えれば、それは理想的な世界に思われる。社会階層が低い労働者階級の人々が、社会階層が高い特権階級の人々と肩を並べ、公正に競いあったうえで高い移動資本を獲得し、オンライン・オフラインを問わず好きなときに好きなところに移動できるようになり、移動資本を蓄積していくのだから。
しかし、残念ながら、能力主義はこのような理想的な移動をめぐる状況を実現できない。能力主義がはびこる眼の前の社会を見れば、わかることである。なぜなら、勝者の中にはおごりを、敗者の間には屈辱を育まずにはおかないからである。
■「今すぐ移動すればいい」は強者の論理
勝者は自分たちの移動や人脈、成功を「自分自身の能力や努力、優れた実績の結果に過ぎない」と考え、自分よりも移動しない人々を見下すだろう。
現に、「できないとか言ってないで、いますぐ移動すればいいのに」「海外に移動してチャレンジする勇気がないから成功しないんだ」といった言葉が、移動強者とでも呼べる人々から聞こえてくる。そして、成功していると感じない移動性が低い人々は、こうなった責任は自分にあると思ってしまう。
ヤングにとって能力主義は目指すべき理想ではなく、社会的軋轢を招く原因だったが、今日、移動をめぐる格差や不平等についてもそうした分断や軋轢を招く状況が広がっているのである。
結局、「成功したいなら移動せよ」という主張の何が問題なのか? 答えは、実力や能力以外の構造的な不平等や環境要因によっても、人々の移動資本やネットワーク資本は成り立っているからである。
■移動による成功も失敗も“自己責任”ではない
心身に障害があったり、目が離せない子どもがいたり介護が必要な家族がいたりすれば好きなときに出かけることはできない。稼ぎが少なく移動に充てられる金銭的な余裕がなければ海外旅行はおろか国内旅行も難しい。
移動をめぐる機会と可能性は、ジェンダーや階級社会階層、国籍、エスニシティ、生まれ育った地域といったものに強く規定され、影響を受ける。移動による成功も失敗も、決して“自己責任”ではないのだ。
もっと言えば、移動力を発揮して成功するという思想は、好きなときに好きな場所に移動できる、極めて限られた特権的な人間を中心とした思想なのである。
ある大学で担当している講義の中で、ここまでの話をしてみた。すると、「移動で多くのことを見て経験して視野が広くなっているはずなのに、なぜ、『移動しないの? 早くすればいいじゃん』というような態度をとる、視野が狭い人間になってしまうのですか?」と質問された。
理由は、能力主義と生存者バイアスにより、失敗した経験を脇において、自身の成功した経験のみを基準に判断してしまっているからだと考えられる。
移動をめぐる自己責任や能力主義、生存者バイアスから抜け出すには、移動が困難であったり、自分とは移動をめぐる状況が異なったりする人がこの世界にいることへの想像力を働かせることが大切だ。そして、移動をめぐる格差や不平等の実態を知ることが、過剰な移動崇拝と移動がもたらす成功神話を解体していくことにつながるはずである。
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伊藤 将人(いとう・まさと)
国際大学グローバル・コミュニケーション・センター研究員・講師
1996年生まれ。長野県出身。2019年長野大学環境ツーリズム学部卒業、2024年一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程修了。戦後日本における地方移住政策史の研究で博士号を取得(社会学、一橋大学)。立命館大学衣笠総合研究機構客員研究員、武蔵野大学アントレプレナーシップ研究所客員研究員、NTT東日本地域循環型ミライ研究所客員研究員。地方移住や関係人口、観光など地域を超える人の移動に関する研究や、持続可能なまちづくりのための研究・実践に長年携わる。著書に『数字とファクトから読み解く 地方移住プロモーション』(学芸出版社)がある。
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(国際大学グローバル・コミュニケーション・センター研究員・講師 伊藤 将人)