｢最高の吸引力｣は5000回超の失敗から生まれた…ダイソン創業者が語る｢失敗だらけの人生｣の教訓

10万円以上もする高級掃除機を世界で売り続ける、ダイソン。その成功の裏には、5127回もの試作という気の遠くなるような失敗の歴史があった。海外メディアに「私の人生は失敗の人生」と語る創業者のジェームズ・ダイソン氏の“成功哲学”とは――。■常識だった「紙パック式」への疑問その革新的な掃除機は、今や単なる家電を超えたブランド価値を放っている。イギリスの発明家兼デザイナー、ジェームズ・ダイソン氏が世に送り出したスティック型掃除機メーカー、ダイソンの商品群だ。紙パック不要で強力な吸引力を実現するサイクロン方式に、集塵したゴミが一目でわかる透明なクリアビン、そして誇らしげに存在感を放つカラフルなデザイン。その特長の一つ一つが、掃除機業界の慣習に真っ向から挑戦するかのようだ。イギリスで創業され、現在はシンガポールに拠点を構える国際企業となったダイソン社。しかし、正式な起業前にダイソン氏が初めての大ヒットを飛ばしたのは、意外にも1986年の日本市場だった。英ガーディアン紙は2016年の記事で、ダイソン氏へのインタビューを掲載。そのなかでダイソン氏は、当時の軌跡を振り返っている。1970年代後半に彼は、史上最強の吸引力を謳う紙パック式掃除機を購入したものの、「吸引力が弱まり、バッグが破れてしまい、イライラした」という。当時の消費者は頻繁に紙パックを交換しなければならなかったが、何を隠そうこの紙パックこそ業界の貴重な収益源であり、消費者は年間5億ポンド（現在のレートで約970億円）を支払い続けていたという。■日本でのヒットが成功への第一歩になった改善を決意したダイソン氏は、15年の歳月を投じて試作品の完成に漕ぎ着ける。だが、長引いた開発により多額の借金を抱えたうえ、後述のようにイギリスの既存の業界各社からはそっぽを向かれる始末。そこへライセンスの使用を打診したのが、日本の商社・エイペックス社だった。すぐさま飛行機に飛び乗り、日本で徹夜での会議を数回重ねた甲斐あって、ダイソン氏のアイデアは「G-force」の製品名で製品化。当初のデザイン案とは異なる鮮やかなピンクのボディーとなったが、結果として日本市場で大ヒットを収めた。軌道に乗ったダイソン氏はG-forceから約2年後、ダイソン社として初のサイクロン式掃除機「DC01」をイギリスで発売する。1階が作業場、2階が事務所という小さな小屋に、エンジニア集団がギチギチに詰まって製品開発を続けた。これが現在まで続くダイソンブランドの最初の一歩となった。■いまでは「ステータスシンボル」現在ではダイソンの製品群は掃除機の枠を超え、一種のステータスシンボルとなった。米ニューヨーク・タイムズ紙は、ダイソンの掃除機が若い世代にとって「ステータスシンボルであり、家庭生活の成功の証、そして世代の必需品」になっていると表現している。記事によると、ブルックリンで恋人と約51m2のワンルームに住むというソフトウェアエンジニアのドナ・チェンさん（26）は、「もし火事になったとき、ベッド、彼氏、ダイソンのどれかを選ばなければならないとしたら、私は（最新世代のスティック型掃除機）ダイソンV15を選ぶ」と話す。もちろんジョークを交えた誇張表現ではあるが、恋人に匹敵するほど大切な存在というわけだ。ダイソンのコードレス掃除機は、2010年頃から広く販売されていた。しかし同紙によると、若い世代が300ドルから1000ドル（約4万3000円から14万4000円）を支払う価値があると考えるようになったのは、つい最近のことだという。現在では相当に惚れ込んでいるユーザーもいるようだ。フィラデルフィアの大学院生アンドリュー・グエンさん（26）は、自身のダイソンを「ほとんど奇妙なほどセクシー」とまで表現している。なぜここまで愛されるのか。同紙は、アメリカでは住宅の購入や早期退職など従来であれば人生の目標とされていたものが、若いミレニアル世代やZ世代にとって手が届きにくくなっていると指摘。ダイソンのコードレス掃除機など高価格帯の家電が、より手に入れやすい現実的な目標になってきていると分析する。家は買えなくても、せめて質の高い掃除機で生活の質を上げたい。こうした願いの受け皿という意味でも、ダイソンは単なる家電の枠を超え、一種の夢の象徴となっている。■失敗続きで困窮の日々、妻と一銭一銭を数えたこのように絶大な支持を集めるダイソンだが、製品化までの道のりは想像を絶する困難なものだった。米ニューヨーク・マガジンによると、ダイソン氏が掃除機の改良に取り組み始めたのは1978年のこと。紙パック式に代わるアイデアを求めていた彼は、偶然訪れた地元の製材所で、高さ約9メートルの円錐形の遠心分離機を目にする。渦巻き状に空気を流すことでほこりを分離する様子を見て、同じ技術を掃除機に応用できないかと考えた。しかし、アイデアを実現するまでの道のりは険しかった。同誌に対してダイソン氏は「（試作の）2627回目を数えるまでには、妻と私は本当に一銭一銭を数えるような状態になった」と明かしている。さらに、「3727回目に達する頃には、妻は生活費を稼ごうと、美術の教室を始めた」と続けた。米ビジネス誌Inc.の取材を受けたダイソン氏は、妻について「彼女は素晴らしかった」と感謝を示している。一方、掃除機というすでに完成された製品の改良に大金を投じる姿を見て、「他のほとんどの人は私が狂っていると思っていた」と振り返る。周囲から狂人扱いされながらも諦めずに試作を重ね、15年かけて5127個のプロトタイプを作り続けた。その結果、ついに実用的なサイクロン式掃除機の完成に至る。狂気とまで呼ばれた執念が、世界を変える発明を生み出した。■失敗は最良の薬である度重なる失敗にもかかわらず、なぜ彼は諦めなかったのか。そこには独自の哲学があった。英BBCはダイソン氏の成功の秘訣について、「そこから学ぶものがある限り、失敗は最良の薬である」という言葉で表現している。彼は米ウォール・ストリート・ジャーナル紙のインタビューでも「私の人生は失敗の人生だ」と明言しており、失敗を決して恥とは捉えていない。同インタビューでダイソン氏は、「賢い人ならば学校で、最初から正解を出すよう求められます。しかし、こうした賢い人は、身をもって失敗を経験しませんし、失敗を克服した経験もないということになります」と指摘。一方で、「学校や大学を出た後の人生では、（うまくいっていない）物事を機能させることが重要になります」と続けた。失敗に突き当たることでしか得られない知見があるというわけだ。英タイムズ紙のインタビューでも、ダイソン氏は失敗を肯定的に捉えている。「私は失敗が大好き。なぜなら、興味深いからです」と語る彼は、作家や映画製作者など分野を問わず、成功したいなら失敗の人生を送ることが必要だと説く。■「サイクロン式は論外」と言われた…ダイソン氏が突き当たった壁数々の実りある失敗を経て、サイクロン式掃除機を完成させたダイソン氏。だが、製品技術の完成は、新たな戦いの幕開けに過ぎなかった。特許取得済みのサイクロン技術を搭載した最初の直立型掃除機「DC01」の完成後、ダイソン氏は技術に大きな自信を持っていた。大手メーカーへのライセンス供与も、簡単に進むはずだと考えた。革新的な技術なのだから、誰もが飛びつくはずだ、と。しかし現実は違った。メーカーが契約を渋った理由は、意外なものだった。ダイソン氏はニューヨーク・マガジンに、「掃除機メーカーたちは、バッグとフィルターからの利益に依存する、カミソリと替刃のようなビジネスモデルを構築していたのです」と説明する。すなわち、カミソリ本体を比較的安価に売り、専用の替刃で後から収益を上げるビジネスモデルだ。掃除機業界でも交換用紙パックは企業に大きな利益をもたらしており、これを排したサイクロン式など論外というわけだ。ダイソン氏はBBCに、「エレクトロラックス、ホットポイント、ミーレ、シーメンス、ボッシュ、AEG、フィリップス……。全社に断られました」と語る。この苦境から救ったのが、冒頭で示した日本企業とのライセンス契約であった。■失敗を恐れる風潮が、人々を貧しくする失敗を恐れずに挑戦し続けたことで、結果としてダイソン氏は成功を掴んだ。もしも狂人と揶揄する声を気にしたり、既存の商習慣を守りたい業界各社に屈したりしていたならば、今日世界で愛されるダイソン製品は存在しなかっただろう。だが、失敗を恐れず挑戦する文化は、いまイギリスで危機に瀕しているという。タイムズ紙のインタビューで、ダイソン氏はイギリスのエンジニアリングの現状に深い懸念を示している。ダイソン氏は同紙に「パーティーで『お仕事は？』と聞かれて、『エンジニアで、ものづくりをしています』と答えると、人々は離れていってしまうのです」と語る。エンジニアという職業は、その貢献度に反し、必ずしも社会的に評価されない場合がある。同紙によると、ダイソンが本社を構えるシンガポールでは、卒業生の40％がエンジニアになる。これに対し、イギリスではわずか4％だ。ダイソン氏は同紙で「イギリスの大学を訪れてみてください。メディア研究の学部からは400人が卒業しますが、これに対してエンジニアはわずか30人ほどです」と嘆く。技術開発の難易度が上がっている昨今、エンジニアの育成は急務だ。「技術開発は今、はるかに困難で、はるかに複雑になっている」と述べ、「私たちがそうした人材を生み出さなければ、どんどん貧しくなっていくでしょう」と警鐘を鳴らした。■経験豊富な人材より、経験の浅い人材を選ぶ理由エンジニアリングの復権なくして、イノベーションの未来はない。だからこそダイソンは、常識にとらわれない人材を求める。ウォール・ストリート・ジャーナル紙は、ダイソン氏のユニークな採用哲学について報じている。一般的に企業は経験豊富な人材を求めるが、ダイソン氏の考えは正反対だ。「経験とは、どうやったら物事がうまくいったか、過去に見たことを意味します……しかし世界は、非常に急速に変化しているのです」。失敗の積み重ねを重視する方針と矛盾するようだが、常に新しい視点を取り入れることも重要ということだろう。実際の採用方針も徹底している。ダイソン氏は同紙で「私は常に学部生を採用してきました。今では高卒業生を採用し、（彼らを迎え入れる）自社の大学も持っています」と説明する。経験豊富な人材を選びたい誘惑に駆られることもあるが、実際には誰を採用しようと、結局は自社内でのトレーニングが必要になるという。ならば、むしろ経験の浅い人材が好都合だ。ダイソン氏は若い従業員について「彼らは分かりきったことをやりません。すでにやり遂げられているはずだったようなことは、しない。彼らは何か別のことを始める。それは（ありきたりな仕事よりも）はるかに興味深いのです」と評価している。自身の予想を超えた発想こそが次の革新を生む原動力となると、ダイソン氏は信じている。■イギリスで4分の1を解雇…避けられなかった国際競争イノベーションを原動力とし、掃除機のブランド化に成功したダイソン。革新的な企業だが、実は昨今、グローバルな競争の荒波に揉まれている。英フィナンシャル・タイムズ紙は昨年7月、ダイソンがイギリスの従業員の4分の1にあたる約1000人を削減すると報じた。同社のハンノ・キルナーCEOは、「ダイソンは、競争が熾烈化しているグローバル市場で事業を展開しています」と説明。「私たちは常に起業家精神と機敏さを持つ必要があることを知っています」と述べ、人員削減は「常に信じられないほど痛みを伴います」と、苦渋の判断だったと強調した。同紙によるとダイソンの最大市場はアジアであり、競合他社との競争は激化する一方だ。ダイソンの製品が発売された直後に類似製品が登場することもめずらしくないという。2019年には本社をシンガポールに移転し、イギリスでは事業の縮小が続いている。■学びある失敗ならば気を落とす必要はない目下苦戦中のダイソンだが、それでも同社のイノベーションと成長の軌跡は、失敗の価値の大切さを物語る。その成功は、一夜にしてなし得なかった。5000回以上もの失敗を乗り越え、大手メーカーが一様に提携を拒否する事態にめげず、常に既存製品との差別化を意識して革新性を追求した。ダイソン氏は現在も、同社の共同代表を務めている。トップが失敗に理解を示しているとあらば、現場の開発者としても挑戦的なプロダクトに取り組みやすいだろう。一方で日本国内を顧みれば、起業家精神が育まれにくい背景の一つに、失敗を許容しない文化があるとの声が聞かれる。大多数と異なる考えを持っていたり、一度でも事業に失敗したりすると、集団から阻害されやすいとの指摘だ。こうした議論に一定の妥当性が感じられる一方、ダイソン氏の「失敗の人生」が成功に不可欠であったように、10年先の成功を目指す心構えもときに必要となろう。国内でも社会や組織を広く見渡せば、きっとそこには、挑戦的な試みを静かに応援してくれる人物がいる。失敗が多少続いたとしても、そこから何かを学び取っている限り、決して意気消沈する必要はない。そんな心構えの大切さを、ダイソン氏の軌跡は教えてくれるかのようだ。----------青葉 やまと（あおば・やまと）フリーライター・翻訳者1982年生まれ。関西学院大学を卒業後、都内IT企業でエンジニアとして活動。6年間の業界経験ののち、2010年から文筆業に転身。技術知識を生かした技術翻訳ほか、IT・国際情勢などニュース記事の執筆を手がける。ウェブサイト『ニューズウィーク日本版』などで執筆中。----------（フリーライター・翻訳者 青葉 やまと）