■カナダACTがセブンへの買収提案を撤回
2025年7月17日(日本時間)、北米のコンビニ大手アリマンタシォン・クシュタール社(カナダ 以下、ACT)が、セブン&アイ・ホールディングス(以下、セブン)への買収提案を撤回したことを発表した。世界トップシェア、北米でもトップシェアを持つセブンに北米2位のシェアを持つACTが買収を提案した案件であるが、企業価値ではセブンをはるかに上回るグローバル企業に、日本を代表する小売大手が買収される、というこれまでにない話に、日本国内ではかなり大きな話題となっていたことはご存じであろう。
ACTはセブンとの協議に基づいて買収を提案していく方針を明らかにして、既にACTとセブンとの間では交渉も行われていたのだが、双方の話が折り合わず、ACTとしては建設的な協議の欠如を理由に撤回するのだと説明された。これに対して、セブン側は協議の合意を目指して、誠実かつ建設的な協議を行ってきた、と反論しており、双方の主張は食い違っている。撤回を踏まえて、セブンは、単独での価値創造の施策を今後も継続して遂行していく、としている。この状態をどのように理解すればいいのだろうか。
■市場が求めていたのは「北米コンビニを中心にした買収」
報道によれば、セブンとの交渉が長引いた結果、ACTの業績も北米セブン同様、芳しくなく、同社の株価は年初から14%ほど下落していたという状況にあり、それも撤回の要因となったとされる。実際、この撤回の発表後、ACTの株価は一時18%以上上昇、買収資金が自社株買いにまわるとして好感された、のだという。
ACTの株価はセブンの買収提案公表後、大きく下落し、その後は一時持ち直しながらもじりじりと右肩下がりで推移していたのだが、それはセブンを丸ごと買収することの非効率を市場が嫌ったということと解釈していた。その想定だと、セブンの非コンビニ事業を切り離し、そしてさらには投資効率、シナジーも高いと考えられる北米コンビニを中心とした買収にすることが、市場に求められていたという解釈もできる、ということだ。
■「協議に基づく買収提案」を撤回する意味
ここで確認しておくべきは、ACTは「協議に基づく買収提案」を撤回する、と言っているのであって、買収を撤回すると言っているわけではない。敵対的買収に関して問われ、考えていないと答えているが、それは今すぐにはしない、という意味であろう。当初から言っていたように、敵対的買収をするための資金調達の準備はできていた、のならば、今でもその選択肢は手元にあるだろう。
では、何のために協議をしていたのであろうか。それは、提案後のセブンの動きを振り返って、何が変わったのか、を考えれば見えてくる。①不採算部門である非コンビニ部門をヨークHDとして切り離した、②買収防衛に向けて様々な手法を実施しようとしたがコンビニ集中強化という現行策に落ち着いた、③米国コンビニ事業のIPOを実施する、といったことが前とは異なる状況だといえるだろう。
協議の期間とは、セブンが可能な限りの買収防衛策を検討してたどり着いた企業価値が今の時価総額5兆円ちょっと(ピークで6兆円ほど)であること、つまりはACTが資金調達可能額としている7~8兆円の範囲内である、ということを相互で確認する結果に至るための時間だった、と解釈することもできる。
■「米国コンビニ事業の上場」という策が織り込まれた
セブンは株価を上げるために収益性の高いコンビニに事業範囲を絞り、その他の事業を分離した。それはACTにとって必要な事業ではないため、不要な事業を換価してくれたという意味で、望ましい結果となっているだろう。様々な買収防衛策が検討されたものの、創業家による非上場化などで結果的に成立はしなかったため、もう現行施策以外に画期的な案は出尽くしたことがわかったことも、ACTにとっては望ましい結果となっている。劇的な企業価値向上など現実的に難しく、今の企業価値を踏まえつつ、収益改善を行うほか目新しい手はないことも明かになっていた、ということである。
そして最も重要なことは、企業価値向上のための施策として、米国コンビニ事業の上場という策が織り込まれたことであろう。米国コンビニ事業の事業価値を市場に問い、その真の価値を明らかにすることによって、セブン全体の企業価値向上を実現するという、至極まっとうな策である。
ただ、上場するということは、米国コンビニ事業の価値が市場によって合理的に値付けされることであり、また、この事業だけを買収するという新たな提案が可能になった、ことも意味する。これまでいろいろな企業価値向上策を実施してきたセブンにとって、もうこれ以外の万策は尽きているのである。これが何を意味することかは、もうお分かりの方も多いであろう。
■米国のコンビニは「閉鎖空間」で勝負している
ここで、米国のコンビニと日本型コンビニのビジネスモデルは、かなり異なっている、ということについても私見を述べておく。米国コンビニと日本型コンビニの見た目は似ているが、ざっくり言うと、米国は砂漠のハイウエイにあるガソリンスタンドの売店だ。売上の約6割はガソリンで、次の街まで何時間もかかる環境下で燃料と食料という必需品を売っているのであり、ある意味、買い損ねると生命の危険さえ考えねばならない、という究極の「閉鎖商圏」で商売している。
日本でも鉄道駅構内や高速道路のサービスエリアなどこれに近い場所はあるものの、その切迫性が比較にならないことは考えるまでもないだろう。日本では、三大都市圏に過半の人口が密集居住し、残りの大半も都市部に暮らしている世界有数の都市密集型の国である。
そこにある日本型コンビニは、密集した店舗網が前提で、さらに商品、サービスレベルの向上を競いつづけて進化して、今や社会インフラ機能も担うほど日本の生活に入り込んでいる。砂漠オアシス的商売と比べると、インフラ投資がかなり重くのしかかるのであり、米国型コンビニと比べれば、その投資収益性はかなり低くなることは避けられない。
そのサービスレベルの高さはインバウンド訪日客の多くから、お褒めの言葉をいただくほどなのではあるが、それは海外の常識からすれば過剰サービスだということの裏返しでもある。グローバルにコンビニを展開する企業からみれば、日本以外の国に横展開するにはオーバースペックだ、ということだろう。
■ACTの思惑通りに追い込まれたとしか見えない
グローバルコンビニ企業にとって、投資効率がよく、グローバルに横展開可能な米国コンビニは投資に適しているが、日本型コンビニを買収することはステークホルダーへの説明が難しい、ということになる。はっきり言ってしまえば、セブンについても北米コンビニ事業だけ買収することが、最も企業価値を向上させる選択肢である、ということである。もしそうだとすれば、セブンの北米事業が上場する≒欲しい北米だけ買収しやすくなる、という意味でもACTにとって望ましい結果となっている、と考えることが妥当であろう。
2024年8月に始まったACTの買収提案は、セブンに非コンビニ企業群をヨークHDとして分離させ、非上場化などの買収防衛策の選択肢がないことを実証し、北米コンビニを上場させる方針を引き出した。この流れを見る限り、ACTが北米コンビニだけを買収提案することが可能になった、という状況であり、セブンがACTの思惑通りに追い込まれた、という風にしか見えない。
■グローバル企業の凄みを感じるばかり
ACTは当初、7兆円ほどでのセブン全体での買収を提示していたのだが、もし上場後の北米コンビニのみの買収方針に転換するのなら、投資金額をかなり少なくできる可能性もある。かつて、セブンは北米でスピードウェイの買収を成功させたことで北米のトップシェアを確立したのであるが、セブンと旧スピードウェイをまとめて手に入れられるチャンスを北米2位のACTが見過ごすはずはなかろう。当初からここに追い込むことを想定していたとすれば、その目的は達せられたから小休止するのであり、グローバル企業の凄みを感じるばかりである。
2025年8月には、セブンは事業方針について改めて説明するのだという。事業面での施策が様々説明されるのであろうが、北米事業の上場が軸となることに変わりはあるまい。
いろいろな策を講じながら、この現状に至っているセブンが切札として実施するのだから、これはセブンにとっての「本土決戦」ともいうべき最終防衛策ということであろう。そしてこれは妄想だが、もし北米が他社から買収提案を受けたとしても、国内コンビニという本土だけは守ることができる可能性を残すことでもある、ともみえるのだ。
■北米上場が実現した後に再始動してもおかしくない
ということを踏まえれば、ACTが効率的に北米でのシェアアップを実現するためには、今は静観し米国コンビニ事業の上場が実行されるのを待ってから状況を踏まえて検討すればいいのである。
今回は買収提案撤回という事実しかないのだが、北米上場が実現した後、この案件は再始動してもおかしくない、と思うのである。セブンにとっても、全社買収されるのがいいか、北米だけが買収されるのがいいか、そんなことは改めて問うまでもなかろう。
なんて、ACT撤退のニュースを聞いた後、直後の感想を書いてみたが、その後の報道は本件終了を踏まえた教訓に移っており、こんなストーリーはきっと妄想に過ぎないのだろう。ただ、上場が成立した後、なにが起きるのか、起きないのか、よく見てみよう、とひとり思っているのである。
----------
中井 彰人(なかい・あきひと)
流通アナリスト
みずほ銀行産業調査部を経て、nakaja lab代表取締役。執筆、講演活動を中心に、ベンチャー支援、地方活性化支援なども手掛ける。著書『図解即戦力 小売業界』(技術評論社)、共著『小売ビジネス』(クロスメディア・パブリッシング)。東洋経済オンラインアワード2023ニューウエーヴ賞受賞。
----------
(流通アナリスト 中井 彰人)