夏休みの旅行先にはどこを選ぶべきか。歴史評論家の香原斗志さんは「このタイミングで見ておかないといけない城郭がある」という。
■猛暑の中でお勧めしたい城とは
夏に城めぐりの計画を立てる人は多い。この時期こそ時間がとれる、という人も少なくないが、じつは、夏は必ずしも城めぐりに適した時期ではない。昨今の猛暑のなか、炎天下を何時間も歩くのは熱中症のリスクもある。
木陰が多い山城ならいいだろうか。いや、夏の山城は危険に遭遇するリスクが増す。先日、ある山城を訪れるかどうか迷い、地元でつくられた案内を見ていたら、夏に気をつけるべきものとして「ヤマビル、マダニ、スズメバチ、毒ヘビ、クマ」と書かれていて萎えた。
したがって、夏こそ平地や台地に築かれた近世城郭を訪れることを勧めたい。では、今年の夏ならではの楽しみ方ができる城、しかも、リスクを冒さずに訪問できる城はどこか。とっておきの7城をピックアップした。
第7位は江戸城(東京都千代田区)。放送中のNHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」の舞台でもあり、いま訪ねてこそ、田沼意次や意知ら登場人物に思いを馳せることもできる。
正門である大手門から入ると、将軍家の威信を示す巨石を積んだ石垣に、随所で圧倒される。検問所だった三つの番所のほか、天守焼失後は天守代用だった3重の富士見櫓、御休息所前多門など現存建造物も多い。
広大な本丸御殿の跡に立ち、将軍家治と田沼意次が将棋を打った中奥や、田沼意知が斬られた表の桔梗の間の位置を確認するのもいい。退出する際は、櫓門や高麗門が現存する平川門から出たい。ここは一橋治済ら御三卿の通用口で、負傷した田沼意知が運び出された門でもあった。
■現存天守を間近で見られるのはあと1年
第6位は弘前城(青森県弘前市)。文化8年(1811)に竣工した3重3階の小ぶりの天守は、現存12の天守のひとつで、見るならいまのうちといえる。
天守の重みで石垣がゆがみ、倒壊の恐れが生じたため、平成27年(2015)年に曳屋を行い、天守を本丸内部の仮天守台に移動。そのうえで石垣が積み直された。令和8年(2026)秋には石垣の修復が完了し、天守はもとの位置に戻される。
しかも、元の場所で天守が眺められるのも束の間で、弘前市は令和10年(2028)から数年にわたり、天守をシートで覆って保存修理する方針を示している。だったらなおさら、いま見ておきたい。
また、弘前城は旧城域がかなりよく保存され、5つの城門と3つの三重櫓など現存建造物も多く、天守以外にも見どころが豊富だ。
第5位には、6月26日にNHKで放送された「日本最強の城スペシャル」で「最強の城」に選ばれた津和野城(島根県津和野町)を挙げる。この城は標高362メートルの山上に築かれたれっきとした山城なので、冒頭で述べたことと矛盾するようだが、山城でも津和野城にかぎって夏にも訪れやすい。
■耐震工事で天守に入れなくなる前に
まず、山腹からリフトで登ることができる。また、城を遠望するとわかるが、山上に石垣がよく見える。曲輪周辺の木が伐採されているのだ。山上の曲輪はいずれも急峻な崖上に形成され、中世の山城のように表面が不当辺多角形をしながら、連続する石垣でしっかり固められている。しかも、木が伐採されているから、夏でも歩きやすく、石垣がよく見えるというわけだ。
最高所の三十間台からは、津和野の城下町を見下ろしたい。
第4位は対照的に、平地に築かれた平城の松本城(長野県松本市)。現存12天守のうち5重は姫路城のほか松本城だけで、真っ白い姫路城と対照的に、黒漆で黒光りする外観が味わい深い。大天守の左に渡櫓と乾小天守、右に辰巳櫓と月見櫓を従えたシルエットも、均整がとれて美しい。
大天守は慶長20(1615)年ごろの創建とされるが、乾小天守は文禄年間(1592~96)の建築の可能性が高い。そうであるなら日本最古の天守建築になる。
じつは、松本城天守は耐震性能の不足が指摘されており、令和10年(2028)度以降、1階から5階に鉄骨フレームを通すなどの耐震工事を行うことが計画されている。その間は天守のなかに入れなくなるというから、やはり訪れるならいまのうちだ。
■2026年3月に閉城
第3位の広島城(広島市中区)も平城だ。この城の天守は毛利輝元が、豊臣秀吉の大坂城や聚楽第を模して建てたといわれ、戦前まで現存していたが、昭和20年(1945)8月6日午前8時15分、上空600メートルで炸裂した原子爆弾の爆風で、一瞬にして残骸の山になってしまった。
焼けはしなかったので、平時であれば木材を保存し、のちに復元することもできたかもしれない。だが、原爆投下直後の状況で、木材の管理など望むべくもなく、すべてバラックを建てるための建材や薪として持ち去られてしまった。
しかし、復興の象徴としての再建が、戦災で焼失したほかの城に先がけて決まり、昭和33年(1958)3月、鉄筋コンクリート造で外観を復元した天守が竣工した。だが、それから60年以上が経過して老朽化が進み、耐震診断の結果、震度6強程度の地震で倒壊の可能性があると指摘された。
このため木造復元が計画されているが、ひとまず現行の天守は2026年3月をもって閉城することが決まった。鉄筋コンクリート造ながら外壁には下見板として木材が貼られるなど、外観はあまり手抜きがなく造り込まれており、いまが見納めである。
■できたばかりの新施設
第2位は大坂城(大阪市中央区)だが、見たいのは「大阪城天守閣」ではない。その南東方向、現存する金蔵の東側に2025年4月1日にオープンした「大阪城豊臣石垣館」を訪れたい。そこで見られる石垣は、現在の大坂城のものとかなり異なり、自然石をほとんど加工していない「野面積み」で積まれている。
昭和59年(1984)に発見されたこの石垣は、豊臣秀吉が築いた大坂城本丸のうち、秀吉らの奥御殿や天守が建っていた「詰ノ丸」の南東隅の石垣だ。というのも、豊臣大坂城は慶長20年(1615)の大坂夏の陣で灰燼に帰したのち、地中に埋め尽くされてしまった。その一部がいま、鑑賞できるようになったのだ。
現在の大坂城は、元和6年(1620)から寛永6年(1629)まで足かけ9年をかけ、徳川幕府が主に西国大名を動員して築いたもので、石垣も当時頂点に達していた技術で積まれた。隅角部には直方体の石の長辺と短編を交互に積み上げる算木積が採用され、築石が規格化された石垣の高さは、高いところで30メートルを超える。
まだ石材の採取法が確立していておらず、古墳時代の石棺や古代寺院の礎石なども手当たり次第に積み上げた、豊臣大坂城の素朴な石垣。それを見てから徳川の大坂城を眺めると、技術の進歩はもとより、豊臣のイメージを消し去って自身の力を誇示しようとする、徳川のすさまじい執念が実感できる。
■熊本城の復旧の様子を眺める
いよいよ第1位だが、熊本城を推したい。周知のとおり、平成28年(2016)4月14日と16日の2度にわたり、最大震度7の巨大地震に見舞われた熊本城は、石垣が50カ所で崩落し、地盤沈下や地割れも70カ所で発生し、国の重要文化財に指定されていた13棟の現存建造物は、いずれも大きく損傷した。現在、復旧の途上だが、すべてが復旧するのは令和34年(2052)になるという。
だが、その途上を観察するのは意義がある。現在のところ、鉄筋コンクリート造の大小天守のほか、国の重要文化財の長塀と、北の入口に建つやはり重要文化財の監物櫓は復旧が完了した。また、「奇跡の一本石垣」が話題になった飯田丸五階櫓の石垣も、すでに積み直され、ふたたび櫓が建つのが待たれている。
一方、まだまだ石垣が崩れたままの箇所も多く、そこにもとのとおりに、まさにパズルのように石をはめ込み、しかも強度を高めるという難作業を思うと、気が遠くなる。
被災状況や復旧の様子は、地上約6メートルの高さに設置された、全長350メートルの仮設の特別見学通路から眺めることができる。また、この通路のおかげで、いまの熊本城は真夏でも歩きやすい。
現状を眺めることで、熊本城というかけがえのない文化遺産の価値にも、復旧作業の意義にも、あらためて気づけるのではないだろうか。すると、1~2年、3~4年で作業がどれだけ進んだか知りたくて、また訪れたくなる。
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香原 斗志(かはら・とし)
歴史評論家、音楽評論家
神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。日本中世史、近世史が中心だが守備範囲は広い。著書に『お城の値打ち』(新潮新書)、 『カラー版 東京で見つける江戸』(平凡社新書)。ヨーロッパの音楽、美術、建築にも精通し、オペラをはじめとするクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』、『魅惑のオペラ歌手50 歌声のカタログ』(ともにアルテスパブリッシング)など。
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(歴史評論家、音楽評論家 香原 斗志)
香原さんが選んだ「いま訪れるべき日本のお城ランキング」2025年夏編をお届けする――。
■猛暑の中でお勧めしたい城とは
夏に城めぐりの計画を立てる人は多い。この時期こそ時間がとれる、という人も少なくないが、じつは、夏は必ずしも城めぐりに適した時期ではない。昨今の猛暑のなか、炎天下を何時間も歩くのは熱中症のリスクもある。
木陰が多い山城ならいいだろうか。いや、夏の山城は危険に遭遇するリスクが増す。先日、ある山城を訪れるかどうか迷い、地元でつくられた案内を見ていたら、夏に気をつけるべきものとして「ヤマビル、マダニ、スズメバチ、毒ヘビ、クマ」と書かれていて萎えた。
したがって、夏こそ平地や台地に築かれた近世城郭を訪れることを勧めたい。では、今年の夏ならではの楽しみ方ができる城、しかも、リスクを冒さずに訪問できる城はどこか。とっておきの7城をピックアップした。
第7位は江戸城(東京都千代田区)。放送中のNHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」の舞台でもあり、いま訪ねてこそ、田沼意次や意知ら登場人物に思いを馳せることもできる。
とくに勧めたいのは、皇居東御苑として公開されている旧本丸、二の丸、三の丸だ。原則として年末年始と天皇誕生日、月曜日、金曜日以外は無料で公開されている。
正門である大手門から入ると、将軍家の威信を示す巨石を積んだ石垣に、随所で圧倒される。検問所だった三つの番所のほか、天守焼失後は天守代用だった3重の富士見櫓、御休息所前多門など現存建造物も多い。
広大な本丸御殿の跡に立ち、将軍家治と田沼意次が将棋を打った中奥や、田沼意知が斬られた表の桔梗の間の位置を確認するのもいい。退出する際は、櫓門や高麗門が現存する平川門から出たい。ここは一橋治済ら御三卿の通用口で、負傷した田沼意知が運び出された門でもあった。
■現存天守を間近で見られるのはあと1年
第6位は弘前城(青森県弘前市)。文化8年(1811)に竣工した3重3階の小ぶりの天守は、現存12の天守のひとつで、見るならいまのうちといえる。
天守の重みで石垣がゆがみ、倒壊の恐れが生じたため、平成27年(2015)年に曳屋を行い、天守を本丸内部の仮天守台に移動。そのうえで石垣が積み直された。令和8年(2026)秋には石垣の修復が完了し、天守はもとの位置に戻される。
ということは、本丸の内側で天守を四方から間近で眺められるのは、あと1年だけだ。
しかも、元の場所で天守が眺められるのも束の間で、弘前市は令和10年(2028)から数年にわたり、天守をシートで覆って保存修理する方針を示している。だったらなおさら、いま見ておきたい。
また、弘前城は旧城域がかなりよく保存され、5つの城門と3つの三重櫓など現存建造物も多く、天守以外にも見どころが豊富だ。
第5位には、6月26日にNHKで放送された「日本最強の城スペシャル」で「最強の城」に選ばれた津和野城(島根県津和野町)を挙げる。この城は標高362メートルの山上に築かれたれっきとした山城なので、冒頭で述べたことと矛盾するようだが、山城でも津和野城にかぎって夏にも訪れやすい。
■耐震工事で天守に入れなくなる前に
まず、山腹からリフトで登ることができる。また、城を遠望するとわかるが、山上に石垣がよく見える。曲輪周辺の木が伐採されているのだ。山上の曲輪はいずれも急峻な崖上に形成され、中世の山城のように表面が不当辺多角形をしながら、連続する石垣でしっかり固められている。しかも、木が伐採されているから、夏でも歩きやすく、石垣がよく見えるというわけだ。
最高所の三十間台からは、津和野の城下町を見下ろしたい。
赤茶色の石州瓦が葺かれた家々が建ち並び、日本の城下町では例外的に高い建物が少ない。
第4位は対照的に、平地に築かれた平城の松本城(長野県松本市)。現存12天守のうち5重は姫路城のほか松本城だけで、真っ白い姫路城と対照的に、黒漆で黒光りする外観が味わい深い。大天守の左に渡櫓と乾小天守、右に辰巳櫓と月見櫓を従えたシルエットも、均整がとれて美しい。
大天守は慶長20(1615)年ごろの創建とされるが、乾小天守は文禄年間(1592~96)の建築の可能性が高い。そうであるなら日本最古の天守建築になる。
じつは、松本城天守は耐震性能の不足が指摘されており、令和10年(2028)度以降、1階から5階に鉄骨フレームを通すなどの耐震工事を行うことが計画されている。その間は天守のなかに入れなくなるというから、やはり訪れるならいまのうちだ。
■2026年3月に閉城
第3位の広島城(広島市中区)も平城だ。この城の天守は毛利輝元が、豊臣秀吉の大坂城や聚楽第を模して建てたといわれ、戦前まで現存していたが、昭和20年(1945)8月6日午前8時15分、上空600メートルで炸裂した原子爆弾の爆風で、一瞬にして残骸の山になってしまった。
焼けはしなかったので、平時であれば木材を保存し、のちに復元することもできたかもしれない。だが、原爆投下直後の状況で、木材の管理など望むべくもなく、すべてバラックを建てるための建材や薪として持ち去られてしまった。
しかし、復興の象徴としての再建が、戦災で焼失したほかの城に先がけて決まり、昭和33年(1958)3月、鉄筋コンクリート造で外観を復元した天守が竣工した。だが、それから60年以上が経過して老朽化が進み、耐震診断の結果、震度6強程度の地震で倒壊の可能性があると指摘された。
このため木造復元が計画されているが、ひとまず現行の天守は2026年3月をもって閉城することが決まった。鉄筋コンクリート造ながら外壁には下見板として木材が貼られるなど、外観はあまり手抜きがなく造り込まれており、いまが見納めである。
■できたばかりの新施設
第2位は大坂城(大阪市中央区)だが、見たいのは「大阪城天守閣」ではない。その南東方向、現存する金蔵の東側に2025年4月1日にオープンした「大阪城豊臣石垣館」を訪れたい。そこで見られる石垣は、現在の大坂城のものとかなり異なり、自然石をほとんど加工していない「野面積み」で積まれている。
昭和59年(1984)に発見されたこの石垣は、豊臣秀吉が築いた大坂城本丸のうち、秀吉らの奥御殿や天守が建っていた「詰ノ丸」の南東隅の石垣だ。というのも、豊臣大坂城は慶長20年(1615)の大坂夏の陣で灰燼に帰したのち、地中に埋め尽くされてしまった。その一部がいま、鑑賞できるようになったのだ。
現在の大坂城は、元和6年(1620)から寛永6年(1629)まで足かけ9年をかけ、徳川幕府が主に西国大名を動員して築いたもので、石垣も当時頂点に達していた技術で積まれた。隅角部には直方体の石の長辺と短編を交互に積み上げる算木積が採用され、築石が規格化された石垣の高さは、高いところで30メートルを超える。
豊臣時代とは段違いのスケールで、大名たちが覇を競って集めた圧倒的な巨石も類を見ない。
まだ石材の採取法が確立していておらず、古墳時代の石棺や古代寺院の礎石なども手当たり次第に積み上げた、豊臣大坂城の素朴な石垣。それを見てから徳川の大坂城を眺めると、技術の進歩はもとより、豊臣のイメージを消し去って自身の力を誇示しようとする、徳川のすさまじい執念が実感できる。
■熊本城の復旧の様子を眺める
いよいよ第1位だが、熊本城を推したい。周知のとおり、平成28年(2016)4月14日と16日の2度にわたり、最大震度7の巨大地震に見舞われた熊本城は、石垣が50カ所で崩落し、地盤沈下や地割れも70カ所で発生し、国の重要文化財に指定されていた13棟の現存建造物は、いずれも大きく損傷した。現在、復旧の途上だが、すべてが復旧するのは令和34年(2052)になるという。
だが、その途上を観察するのは意義がある。現在のところ、鉄筋コンクリート造の大小天守のほか、国の重要文化財の長塀と、北の入口に建つやはり重要文化財の監物櫓は復旧が完了した。また、「奇跡の一本石垣」が話題になった飯田丸五階櫓の石垣も、すでに積み直され、ふたたび櫓が建つのが待たれている。
一方、まだまだ石垣が崩れたままの箇所も多く、そこにもとのとおりに、まさにパズルのように石をはめ込み、しかも強度を高めるという難作業を思うと、気が遠くなる。
被災状況や復旧の様子は、地上約6メートルの高さに設置された、全長350メートルの仮設の特別見学通路から眺めることができる。また、この通路のおかげで、いまの熊本城は真夏でも歩きやすい。
現状を眺めることで、熊本城というかけがえのない文化遺産の価値にも、復旧作業の意義にも、あらためて気づけるのではないだろうか。すると、1~2年、3~4年で作業がどれだけ進んだか知りたくて、また訪れたくなる。
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香原 斗志(かはら・とし)
歴史評論家、音楽評論家
神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。日本中世史、近世史が中心だが守備範囲は広い。著書に『お城の値打ち』(新潮新書)、 『カラー版 東京で見つける江戸』(平凡社新書)。ヨーロッパの音楽、美術、建築にも精通し、オペラをはじめとするクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』、『魅惑のオペラ歌手50 歌声のカタログ』(ともにアルテスパブリッシング)など。
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(歴史評論家、音楽評論家 香原 斗志)
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