水谷豊が主演を務める「相棒」(テレビ朝日系)は、2000年の放送開始以降、シーズン23まで続く人気ドラマだ。ドラマ離れといわれる時代に、なぜ支持されるのか。
東映の仁義なき戦い 吹けよ風、呼べよ嵐』(プレジデント社)を出した野地秩嘉さんが解説する――。
■映画だけで会社を存続してきたわけではない
東映は本編の映画を製作する会社だ。だが、本編の映画だけで会社を存続させてきたわけではない。
テレビドラマや配信といった各種映像事業の売り上げがある。映像以外では催事(ライブショー、東映太秦映画村)、観光不動産(不動産賃貸とホテル)、建築内装事業がある。こうした5つの事業分野で稼いでいるのが東映だ。建築内装事業では、マンション建設、老健施設改修など様々なことをやっている。映画のプロデューサーが片手間に個人の住宅を建てる仕事をしているわけでもなければ、壁にペンキを塗っているわけでもない。ちゃんと専門の社員がいる。
東映は設立以来、映像分野では劇場映画を4400作品以上、テレビ映画を3万9000話以上、配信映画を600話以上、製作してきている。数えてみれば映像のなかでもっとも製作本数が多いのはテレビ映画なのである。
東映は当初から東宝、松竹といった同業他社に先駆けてテレビ映画に進出していた。
それは創業時の社長、大川博がアメリカを視察して、テレビの興隆を間近で見てきたからだ。日本教育テレビ(現テレビ朝日)が設立された時には資本参加し、社内にテレビ課を設けた。東映テレビ・プロダクションを設立して東京撮影所と京都撮影所でテレビ映画の制作を開始した。
■子ども向け、現代もの、時代劇
東映が作ったテレビシリーズは子ども向け、現代もの、時代劇の3つに分けられる。
子ども向けの代表は今も続く仮面ライダーとスーパー戦隊のシリーズだ。
現代もの映画は波島進、中山昭二が出ていた『特別機動捜査隊』(1961年~1977年)、丹波哲郎主演で沖縄では瞬間視聴率が95%と言われた『キイハンター』(1968年~1973年)、お父さんと少年たちが凝視した『プレイガール』(1969年~1974年)などだ。
『プレイガール』の主演は沢たまきで、他に八代万智子、應蘭芳、緑魔子、真理明美、桑原幸子、范文雀、高毬子、浜かおる、大信田礼子、西尾三枝子が出ている。沢たまきはのちに国会議員になった。應蘭芳はクレイジーケンバンドの横山剣が「OH! LANGFANG」という楽曲にしている。よほどファンだったのだろう。桑原幸子は作家、西木正明夫人だ。范文雀は『サインはV』で知られるようになったが、お父さんと少年は『サインはV』より『プレイガール』だった。
范文雀のエキゾチックなお色気にノックアウトされたのである。
■テレビ時代劇も
『プレイガール』のことを書くと、ついつい長くなってしまうが、東映のテレビシリーズ現代ものはこれだけではない。
中年の魅力を発散させた天知茂が主役の『非情のライセンス』(1973年~1980年)、丹波哲郎が出た『Gメン’75』(1975年~1982年)。二谷英明、西田敏行が共演した『特捜最前線』(1977年~1987年)、藤田まことの顔を思いだす『はぐれ刑事純情派』(1988年~2005年)、そして沢口靖子の『科捜研の女』(1999年~現在)……。誰もが見たことのある作品ばかりだ。
そして、テレビ時代劇もいくつもある。これこそ東映の得意とするところだ。松方弘樹の父親で殺陣が上手な近衛十四郎が主演した『素浪人 月影兵庫』(1965年~1968年)。素浪人シリーズは子どもたちも喜んで見る時代劇だった。近衛演じる月影兵庫が猫が嫌いで、いつも、手にクルミを握って鳴らしているといった子どもたちが真似をしたくなるディテールがあった。月影兵庫の真似とはチャンバラとくるみを鳴らすしぐさだった。
大川橋蔵の『銭形平次』(1966年~1984年)も子どもたちが見、そして真似をした。
テレビを見た子どもたちは銭形平次が銭を投げて悪人を退治する様子に似せて、穴の開いた五円玉を投げあった。大川橋蔵演ずる銭形平次は穴の開いた硬貨をひもに通して腰に下げていたからだ。親や教師からは「お金を投げるとは何事か」と怒られ、「銭形平次は教育上、よろしくないから見ないように」と通達を出す小学校もあった。
■『桃太郎侍』、『名奉行 遠山の金さん』も
高橋英樹の『桃太郎侍』(1976年~1981年)松平健の『暴れん坊将軍』(1978年~2004年)、近衛十四郎の息子、松方弘樹が演じた『名奉行 遠山の金さん』(1988年~1996年)。いずれも家庭で見るチャンバラだ。それでも剣戟は本物だった。
東映は映画では「テレビには映せない」バイオレンス、エロの要素をふんだんに盛り込んだそれを製作した。けれど、テレビドラマではふたつの要素を抑制して、それでいて個性的なドラマに仕立てあげた。長く続いたドラマが多いのは制作スタッフがさじ加減を熟知しているからだ。『プレイガール』などはあからさまなヌードは出さなかったが、製作者はぎりぎりまでサービスした。お父さんと少年は「もうちょっと頑張ってほしい」と天に祈りながらブラウン管のなかのプレイガールたちの絶対領域を見つめたのである。
■勧善懲悪のハッピーエンドストーリー
テレビドラマのシリーズの物語の基本は勧善懲悪だ。
子ども向けのヒーローもの、現代もの、時代劇のいずれにも通底していた。『スーパー戦隊』であれ、『特捜最前線』であれ、『キイハンター』『プレイガール』であっても勧善懲悪のハッピーエンドストーリーだ。いずれも集団の時代劇とも言える。
そして、ひとりひとりが善の組織に集まり、それぞれ違うキャラクターの人間が悪に立ち向かう。『七人の侍』のようなドラマトゥルギーだ。さらに『忠臣蔵』の要素も加えてある。地道な捜査を重ね、我慢して、辛抱したうえでやっと犯人を逮捕する。犯人逮捕には全メンバーが集合する。つまり、討ち入りシーンがラストを飾る。東映テレビドラマの作劇には時代劇で得たヒットの法則が詰め込まれている。
■「相棒」は東映映画DNAの結晶
東映テレビドラマが時代劇で得た法則をもっとも受け継いでいるのがテレビ朝日と共同で制作している「相棒」(2000年~)だろう。
前述の京都撮影所長、小嶋雄嗣は「相棒は東映にとって大切なドラマシリーズです」と言った。

「東映にとっていい映画とは当たる映画のことです。『相棒』は映画でもヒットしました。実写でのヒットは『相棒』『男たちの大和/YAMATO』が双璧なんです。ふたつともこんなに当たるとは思いませんでしたっていうぐらい当たった。なぜ、当たったかといえば、空気なのかな。空気っていうのはつまり、リズムがいいなってこと。撮影現場で空気、リズムがいい映画はヒットするように思います。そこにいて気持ちいいかどうかですね。そして、現場の空気、リズムを作っているのはキャメラマンであったり、照明部であったり、その組によって違います。監督が率先して引っ張っていく組がある一方、監督は何もしないでキャメラマンが引っ張っていく現場もある」
■所長が語る「プロ」の仕事
「私が見ていて、この人たちはプロだなって思うことがありました。まあ、現場にいればいつでもスタッフをプロだなと思って見ているのですが、その時は違う意味でプロ根性を感じました。ある女優さんが真冬のボウリング場でロケをしたんです。
女優さんは『広いから寒いんじゃないの?』と心配していました。制作部の人間は『大丈夫です。下が温浴施設になってますから暖かいです』と答えたんですよ。ところが、当日、行ってみたら、温浴施設は休館していた。ボウリング場も休館日だから借りることができたわけです。
私も一緒だったけれど、めっちゃめちゃ寒かった。入った瞬間に『寒いじゃない!』って、女優さんはまあ怒りますよ。制作部が暖かいと言っていたのにほんとに寒かったのだから。その時です。照明の親方が、いきなり着ていたジャンパーとセーター脱いで、シャツ一枚になった。『暑いな、ここ暑いな、みんな。暑いだろ、脱げ脱げ』って言った。その様子を見て、女優さんも苦笑いしながら仕事に入ってくれました。ああいった気合を見せられるとほんとプロが作っていることがわかります」
■平均視聴率20%超というあり得ない数字
相棒シリーズの最高視聴率は2011年2月23日放送の「監察対象 杉下右京」で、23.7%を記録した(ビデオリサーチ関東地区調べ)。この時のシーズン9は視聴率がよく、平均視聴率が20%を超えるという、近年のテレビドラマではまずあり得ない数字だった。
「相棒」がこれほどウケたのは東映に脈々と流れる時代劇の作劇術が生きていることと、時間をかけて脚本を執筆しているから細部まで丁寧に作られているからだ。そして、水谷豊が演じる主人公、警視庁特命係の杉下右京の役回りはさながら大石内蔵助だ。水谷豊はアクションで魅せるわけではない。情報を集め、考え、推理する。彼は相棒と捜査チームを事件解決の方向へ向けてリードしていく。集団のリーダーなのである。辛抱して考えて、また考えて、少しずつ準備を整えていく。そして、少しずつ謎を解き明かした末に討ち入り、つまり、犯人逮捕に至る。
劇中、小料理屋に行き女将と話しをするのは山科にいた大石内蔵助が伏見、祇園のお茶屋へ通ったのと似ていなくもない。
水谷が演じる杉下は優秀なキャリア警察官だが、周囲から敬遠されている様子も平時の大石内蔵助に見えなくもない。「特命係」というセクション名自体が閑職と取れる。それは昼行燈(ひるあんどん)と陰で呼ばれていた大石を彷彿させる。やや牽強付会ではあるが、そこに東映の流儀を感じる。
■杉下右京のアリア
「相棒」を見ていて感心するのは水谷豊のよどみないセリフ回しだ。かつて、渥美清は「寅さん」シリーズのなかで朗々と長いセリフを語った。「寅のアリア」と呼ばれ、イタリアのオペラ歌手のようだとされた。水谷豊は事件の謎解きを渥美清のように独唱する。歌うようなリズムに乗ったセリフ回しだ。
歌手の和田アキ子は「森繁(久彌)のお父さんに教わった」とドラマのセリフについて次のように教えてくれた。
「歌は語るように、セリフは歌うように」
水谷豊は歌手でもある。森繁久彌から教わったことはないだろうが、セリフについて自分なりに研究したのだろう。前述の渥美清の演技の特色も体技ではなく、セリフ回しとそれを支える驚異の記憶力だった。以下はTBSにいたプロデューサー鴨下信一の話である。
「ブレイク以前の渥美清の売り込みだったが、5、6年して初めて演出した時、名刺を渡したことはもちろん、その時の廊下の情景なんかを克明に記憶しているのに驚いた。異様な記憶力で、これなら台本のセリフなんかすぐ覚えるだろうと思った。2回ぐらい読めばOKだったらしい。このへんはお互いに認め合っていた藤山寛美もそうで(2時間ドラマを2回読んで覚えた現場にいたから証人になれる)、菊田一夫、渋谷天外、淀橋太郎、小野田勇、花登筐など遅筆の大先生も多かった喜劇界でもの覚えは生きる術だった」
■水谷豊と渥美清のセリフ回し
水谷豊もまた記憶力が素晴らしくいいのだろう。まずはセリフをきちんと覚えている。
そして、セリフ回しは渥美清のそれと似ている。渥美清のセリフ術は次のようなものだった。これも鴨下信一の分析である。
「渥美も同じで、いわゆる『寅のアリア』といわれる一人語りは(「男はつらいよ」シリーズでは)毎回の呼び物だった。もちろん『結構毛だらけ猫灰だらけ』『四谷赤坂麹町、チャラチャラ流れるお茶の水、粋なねえちゃん立ち小便』等タンカ売いから派生したおなじみのセリフもあり、『それを言っちゃおしめえよ』や言い負かされたときの『貴様、さしずめインテリだな』等のキメぜりふ、これは下町弁の歯切れもあるが、かかる間がいいのだ。『ナニ、美少女。美の少ない女、そいつあ、ブスだな』とか『ナニ、西部劇。コロンブスが太平洋からアメリカに上がりゃあ、東部劇だろ』といった〈言い換え〉のアドリブがフランス座時代の得意技で、これを速射砲のように打ち出すのだそうだ」(『昭和芸能史 傑物列伝』)
「相棒」がウケる番組となり、視聴率がいいのはストーリーもさることながら、やはり水谷豊のセリフ術がある。
■もうひとつ大切な「顔」
加えて、もうひとつ大切なのは水谷豊の顔だ。高倉健の映画を何本も演出していた監督、降旗康男の口癖は「健さんはアイドルのように撮る」だった。山口百恵のテレビドラマを何本も演出していた降旗は「健さんも百恵ちゃんもアップを多くする。黙っているところを撮る」と言っていた。
「ふたりとも顔つきがいいからアイドルのように撮る。アイドルを撮る時に重要なのは身体よりもとにかく顔を撮ること」
元SMAPでは草彅剛について降旗監督は「顔つきがいい」と評価していた。草彅剛は高倉健の最後の映画で降旗作品の『あなたへ』に請われて出演している。
「SMAPのメンバーでもこの人は顔が貧相だから映画には向かない」と評した人もいた。
映画監督はつねに俳優の顔、セリフ、体の動きを見ている。そして、俳優の顔つきがよくなければヒット作品にはなりにくい。

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野地 秩嘉(のじ・つねよし)

ノンフィクション作家

1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『トヨタの危機管理 どんな時代でも「黒字化」できる底力』(プレジデント社)、『高倉健インタヴューズ』『日本一のまかないレシピ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヨーロッパ美食旅行』『京味物語』『ビートルズを呼んだ男』『トヨタ物語』(千住博解説、新潮文庫)、『名門再生 太平洋クラブ物語』(プレジデント社)、『伊藤忠 財閥系を超えた最強商人』(ダイヤモンド社)など著書多数。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。旅の雑誌『ノジュール』(JTBパブリッシング)にて「巨匠の名画を訪ねて」を連載中。

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(ノンフィクション作家 野地 秩嘉)
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