関西万博で出展されている「培養肉」が注目されている。3Dバイオプリント技術により、牛肉赤身の間に脂肪が入り込んだ霜降り肉や、最高級のフィレ肉シャトーブリアンのステーキなど、牛・豚・鶏の人工肉を自在に作れるという。
将来的な世界的な食糧不足への一助になることも期待されているが、一部ではその存在を忌避する動きもある。どういうことなのか。ジャーナリストの鵜飼秀徳さんがリポートする――。
■人工の霜降り肉やシャトーブリアンも食べられる未来
近年、「培養肉」が注目を浴びている。大阪・関西万博の「大阪ヘルスケアパビリオン」でも3Dバイオプリント技術による培養肉が展示され、話題になっている。
培養肉を製造するひとつの手法として、例えば、採取した動物の細胞から筋肉や脂肪、血管を培養し、実際の食肉の配置と同じように各繊維を組み合わせるというものがある。3Dバイオプリンターを使って、食肉として形成していく技術などが開発されている。
この技術によって、牛肉、豚肉、鶏肉、混合肉などさまざまな食肉をつくることが可能になる。赤身の間に脂肪が入り込んだ霜降り肉や、最高級のフィレ肉シャトーブリアンのステーキなど、お好みに合わせて自在に生み出すことができる。肉を自由にデザインして形成することもできるようだ。
前出パビリオンでは、赤身と脂肪分を市松模様に分けて形成されたものも展示されている。将来的に多くの家庭のキッチンに専用のミートメーカーが置かれる時代が来れば、スーパーで肉を買う必要がなくなるかもしれない。

■「白いご飯の上にのせて食べたい」「焼き肉店のにおい」
7月上旬には、その香りを体験する催しも開かれた。未来の食卓の姿を実感してもらおうと、牛から採取した筋肉の細胞を培養して作った数センチ四方の培養肉を実際に焼いた。「ジュー」という音とともに、こうばしい香りが広がると「白いご飯の上にのせて食べたい」「焼き肉店の前を通った時のにおいだ」といった声が出たそうだ。
培養肉の普及は、世界的な食糧不足への一助になることが期待されている。国連によれば、世界人口は現在の約80億人から、25年後の2050年までには約97億人に激増する見通しという。人口増加の中心はアフリカや南アジアなどの開発途上地域。そこでは、深刻な「タンパク質不足」に陥ることが懸念されている。
国連食糧農業機関(FAO)の報告では、2050年には世界全体で必要となる食用タンパク質量が現在より60~70%も増加するとの指摘がある。特に動物性タンパク源が需給逼迫を招くとみられている。こうした食糧難への備えとしても、培養肉の開発が急がれているというわけだ。
培養肉の普及は「いのち」の救済にもつながる。家畜を飼育して屠殺する必要がなくなるわけだから。
中長期的視座に立てば、家畜の飼育によって排出される温室効果ガスの抑制がなされることなども、メリットとして挙げられる。
このように、培養肉は未来の食を変える可能性を秘めた画期的な技術であり「夢の食材」にもなりうるが、その一方で、ネガティブな反応も国内外で出ている。
■培養肉を生産・販売すると、罰金は最大1000万円超
例えば、従来の畜産農家や関連産業への影響を防ぐ動きや、食文化や国民の健康を守るために禁止や制限を設ける動きだ。実際、イタリアでは、培養肉の生産や販売を禁止する法案が可決された。イタリア下院は2023年11月、培養肉などの細胞性食品・飼料の生産や販売を禁止する法案を可決した。違反すると、最大6万ユーロ(現在のレートで1000万円超)の罰金が科されるという。
食の安全性についても、未検証な部分がある。肉を作る際に不可欠な培養液に使用される成分や、製造過程での衛生管理などが懸念されているのだ。培養肉の生産コストについても、従来の畜産肉に比べて高額になると見込まれている。
さらに、一部の宗教では培養肉を食べることに抵抗を感じる場合もある。「人工培養でできた豚肉は、ムスリムにとって許容されるのか」「培養肉は仏教の殺生にあたらないか」といった指摘があがっているのだ。
ご存じのように、イスラム教(イスラム法)では、豚肉を食することを禁じている。
それは、コーラン(クルアーン)において、豚肉は「不浄」であり、禁じられていると明確に述べられているからだ。
「かれがあなたがたに、(食べることを)禁じられるものは、死肉、血、豚肉、およびアッラー以外(の名)で供えられたものである」(第2章173節)

「あなたがたに禁じられたものは、死肉、(流れる)血、豚肉、アッラー以外の名を唱え(殺され)たもの」(第5章3節)
まとめると、イスラムにおける禁忌(ハラーム)食品には以下のようなものがある。
死肉(自然死した動物)、血液、アッラーの名を唱えずに屠(ほふ)られた肉、捕食性の獣・猛禽類の肉、麻薬や有害物質を含む食品(健康を害するもの)などである。なお、治療などの緊急性がある場合は、「必要性が禁を解除する」という原則の下、限定的に許容されることもあるという。
■「培養肉の豚肉をムスリムが食すのはOKか」
筆者は宗教法人日本ムスリム協会にたいし、質問状を送った。同協会は海外への輸出を目的とした製品において、ハラール認証(イスラム法において食べることが許される食材や料理の認証)を行っている団体である。
まず、「培養肉の豚肉をムスリムが食することは許容できるかどうか」の点について聞いた。培養肉の豚が「不浄」といえるかどうか。その解釈を知りたいところだ。日本ムスリム協会が回答した。
「培養肉の豚肉は、ムスリムにとって許容されることはありません。理由としては、たとえ生産過程が非伝統的であっても、その起源が『豚』由来である限り、それが変化したとしても、イスラーム法で禁じられている存在から派生したものと見なされるからです」
「イスラーム法では、豚は明確に『不浄』であり、全面的に禁じられた存在とされています。
クルアーン6章145節にその不浄性が示されています。『わたしに啓示されたものには、食べ度いのに食べることを禁じられたものはない。只死肉、流れ出る血、豚肉――それは不浄である――と、アッラー以外の名が唱えられたものは除かれる。だが止むを得ず、また違犯の意思なく法を越えないものは、本当にあなたの主は、寛容にして慈悲深くあられる』」(原文ママ)

なるほど、確かに培養肉製造は、家畜の肉塊を採取することから始まる。ゆえに、豚肉を培養して容量を増やしても、「不浄な豚」であることには変わりはないというわけだ。
興味深いのは近年、イスラム教団において「培養肉」についての議論や検討会などが実施されているということだった。ムスリムにとって人工培養によってつくられた肉、とりわけ豚肉は、ハラール(合法)かどうかは重要な関心事だ。そのため、さまざまなイスラム機関や研究者、ファトワー(宗教的判断)機関が取り組んでいるという。
■ユダヤ教や一部の新宗教などでは食の禁忌が存在
協会側は、シンガポールのイスラム評議会(MUIS)が公式に発表した培養肉に関するファトワーがあることを教えてくれた。MUISは培養肉を「条件付きでハラール」と正式に認定しているという。ただし、条件として「細胞起源がイスラム的に合法な動物(牛や鶏)」「培養に用いられる培地・成分もすべてハラールであること」「最終製品が無毒かつ衛生的であること」が必要だとのことだ。
日本ムスリム協会は「科学技術の進展自体は歓迎されるべき」としながらも、「倫理的・宗教的枠組みを超えてまで技術を応用すべきではない」との立場を併記しており、宗教と技術との間に明確な線引きを求めている。

ムスリム人口は16億人と世界人口の23%を占める。将来の宗教人口の推移では、現在最大宗教であるキリスト教を抜いて、2050年には28億人に達することが見込まれている。
同時にハラール食品市場は、成長し続けることが予測される。現在、2兆7000億ドル程度の市場規模が、2033年には6兆ドル近くに達する可能性がある。これは世界中の食品産業にとって巨大なビジネスチャンスといえる。
培養肉の宗教的解釈をめぐってはイスラム教以外にも今後、多くの宗教で議論の俎上に上がりそうだ。仏教やキリスト教などにおいても「食べる」という行為は、多分に宗教的意味を帯びているからだ。
仏教においては、肉を食すること自体へのタブー感はあまり大きくない。『梵網経』には、生きとし生ける者の肉を食することは、罪ではあるものの、悔い改めることで許されるとしている。つまり、仏教では完全な肉食の禁止をうたっている訳ではない。
日本の仏教では、江戸時代までは幕府などの政治権力によって、僧侶の「肉食」が禁じられていた。だが、これも明治期に入り、新政府による太政官布告によって、僧侶の肉食が解禁になっている。

さらに仏教には無用に「いのち」を奪ってはならない「不殺生戒」という戒めがある。不殺生戒にのっとれば、僧侶が自ら殺生を犯すことはダメだが、托鉢などで信者から肉をいただき、食する分には問題がないという解釈が成り立つ。培養肉であれば、「殺生を伴わない肉」としてより抵抗感なく、仏教の現場で使われていくことだろう。
キリスト教においては、本物の肉であろうが、培養肉であろうがあまり関係がない。欧米人が積極的に肉料理を嗜好するように、食に関する制約は比較的緩やかであるからだ。イエス・キリストも菜食主義者ではなかったし、新約聖書でも肉食を許可している。
イスラム教以外でも世界には、食へのタブーを設けている宗教はかなりある。ユダヤ教や一部の新宗教などでは食の禁忌が存在する。いずれにしても、培養肉を社会実装していく場合には、宗教を意識した運用が必要といえるだろう。

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鵜飼 秀徳(うかい・ひでのり)

浄土宗僧侶/ジャーナリスト

1974年生まれ。成城大学卒業。新聞記者、経済誌記者などを経て独立。「現代社会と宗教」をテーマに取材、発信を続ける。著書に『寺院消滅』(日経BP)、『仏教抹殺』(文春新書)近著に『仏教の大東亜戦争』(文春新書)、『お寺の日本地図 名刹古刹でめぐる47都道府県』(文春新書)。浄土宗正覚寺住職、大正大学招聘教授、佛教大学・東京農業大学非常勤講師、(一社)良いお寺研究会代表理事、(公財)全日本仏教会広報委員など。

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(浄土宗僧侶/ジャーナリスト 鵜飼 秀徳)
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