※本稿は、加藤諦三『不安をしずめる心理学』(PHP研究所)の一部を再編集したものです。
■病気になりたいという願望
子どもの頃、学校に行きたくない時に「行きたくない」と言って、親に「行きなさい」と怒られた経験はありませんか。
しかし、病気になれば別です。親が学校に電話をかけてくれて「休んでいい」と言ってもらえる。病気にさえなれば、いま直面している不安な状況からは逃れられ、会いたくないみんなにも会わずにすませることができたのです。
これは、身体化症候群です。
心理学者のロロ・メイはこのように述べています。
「またきわめて興味のあることは、人々が表向きに器質的な病気になるとき、不安が消えていく傾向にあるということである。」(『不安の人間学』〈著〉、小野泰博〈訳〉、誠信書房、67頁)
自分の力が試されるというのは不安です。しかし病気になれれば、その試練を大きな顔をして逃れることができます。そこで腹痛、片頭痛、過敏性腸症候群を発症するケースが、実は多いのです。
「ドクターショッピング」という言葉があります。これは、お医者さんから、お医者さんへ渡り歩くことです。
お医者さんから別のお医者さんへ渡り歩くのは、病気を治すためではありません。「あなた病気ですよ」と言ってもらい安心するために、お医者さん回りをするのです。ですから、医学的に病気でなくても、「病気ですよ」と言ってさえもらえれば不安がなくなります。
実際に病気になるよりも、心の不安に耐えているほうが、実はもっとしんどいということです。病気になれば、自分の価値が脅かされることがなくなります。だから、「あなたは、こういう病気です」と言ってもらい、不安から逃れようとするのです。
■心の不安よりも、身体の病気のほうが心理的に楽
自分の実力を試される場面というのは、非常に不安になります。だから、さまざまな口実を設けて逃れたり、身体化症候群のような器質的な反応を示すことで、その心理的な不安から逃れようとします。
症状はさまざまです。共通するのは「本当の病気ではない」が、「症状はある」ということです。
その症状の目的について、ロロ・メイはこう言っています。
「症状の目的は、せきとめられたリビドーから、生物体を守ることではなくて、むしろ、不安発生状況から個体を保護するためである。」(前掲書『不安の人間学』68頁)
試験を受けなければならない、会議で発表しなければならないなど、人は生きていく上で数々の不安な場面に出会います。
そうした時に我々は、心を守るために身体のほうを病気にするのです。繰り返しますが、これは心の不安よりも、身体の病気のほうが心理的に楽だということです。不安のほうがつらいので、その不安から逃れるためであれば、その場では病気になってもいいということなのです。
器質的に病気になることで、意識の上では「これで自分の価値が脅かされることはない」という安心が得られます。まさに肉体的な病気が本人を心理的に保護したということです。
つまり、仕事ができない不安を「私は胃が弱いから仕事ができない」と言うことで、一時的な安心を得ているのです。
■「病気がちな子は、家族が敵」
「もう一つ重要な点は、情動的あるいは心的不調よりも、気管の病気になることの方がはるかにうけいれられやすいものだと考えられている。
いわばこのことは、現代文化には、不安その他の情動ストレスが、きわめてしばしば身体的形態をとるという事実と関連があるのももっともなことである。」(同『不安の人間学』64頁)
「不安その他の情動ストレス」から、胃潰瘍になる人もいるでしょうし、がんになる人もいるでしょう。ストレスから眠れなくなり体調を崩す人は多く、睡眠不足のせいで免疫力が落ちてどうしても病気になりがちです。
「もし生物体がうまく逃げることができるならば、恐怖は病気に導かれることはない。もし逃れることができず、解決できない葛藤状態のままでいることを強いられるならば、恐怖は不安に変わり、そのとき精神身体的変化は不安を伴うかもしれない。」(同『不安の人間学』65頁)
園児の心の病を治すことに長けた幼稚園の先生が、「病気がちな子は、家族が敵」と言っていました。怒りをいつも表現できず、溜め込んで病気になっているのです。
「怒りは闘争、あるいは他の直接的形態で表現されるなら病気には達しない。」(同『不安の人間学』65-66頁)
「learned illness」といいますが、「子どもの頃に『病気になると、こういういいことがある』ことを学習させると、弱さを武器にして生き始めるので絶対にダメ」とその幼稚園の先生は言っていました。
「病気になるということは、葛藤状況解決の一方法である。」(同『不安の人間学』68頁)
■新型うつ病になると会社を休める
「新型うつ病」が流行ったことがありました。それこそNHKでも特集されるなど、メディアで大きく取り上げられました。
しかし、本当は「新型うつ病」などという病気はありません。あれはメディアの報道に乗せられた精神科医が作り出した、実際にはまったくない病気です。
「新型うつ病」といわれている病気については、アメリカの医学者アーロン・ベックの『Depression』(未邦訳)という本を読めば分かります。『Depression』には、新型うつ病の「新型」といわれる症状がすべて出ています。
なぜ新型うつ病になるかというと、「うつ病」と言えば、会社を休めるからです。何だかよく分からなくても「うつ病です」と言えば会社を休める。だから、新しいうつ病が出てきたというのです。
アーロン・ベックの『Depression』では、それを「ローカライズ」という言葉で説明しています。これも心の不調よりも、身体の不調のほうが受け入れやすいということです。
学生が学校を欠席するのでも、ビジネスパーソンが会社を休むのでも、病気と言えば認められます。すると、公然と休むために「病気」と言うようになるのです。
先ほどのロロ・メイの話の続きに戻りますが、こんなことを言っています。
「いわばこのことは、現代文化には、不安その他の情動的ストレスが、きわめてしばしば身体的形態をとるという事実と関連があるのももっともなことである。」(前掲書『不安の人間学』64頁)
しかし、心の葛藤を解決しなければ、薬を飲んでもお医者さんに行っても体調は引き続き悪いままです。
■病気という形態でつくられた「さとり世代」
心の問題が難しいのは、肉体の問題とは違って、病気だと言えば病気になってしまうことです。
例えば、39度の熱がある時には本人も病気だと分かっていますし、周りも病気だと判断します。まさか高熱があるのに、トレーニングで走る人はいません。こういう場合は、自分にも他人にも病気ということが分かります。
ところが心の病気は見えないので、本人が「私、病気です」と言うと他人からは分からなくても、それで病気になってしまうのです。
こうした身体的形態をとる事実は、現代を理解する上で非常に重要です。というのも、病気ではないのに病気という形態をとって、「新型うつ病」「さとり世代」といった、まったく違った事実が作り上げられてしまうからです。
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加藤 諦三(かとう・たいぞう)
早稲田大学名誉教授
ハーバード大学ライシャワー研究所客員研究員。
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(早稲田大学名誉教授 加藤 諦三)