※本稿は、樋口恭介『反逆の仕事論 AI時代を生き抜くための“はみ出す力”の鍛え方』(PHP研究所)の一部を再編集したものです。
■自分なりの世界観やものの見方の育み方
プラスになる経験を積むために大事なのは「自分にとって異分野」であることです。世の中から見てどうこうというよりも、自分から見て異質であること、初めてやってみることであることのほうがずっと重要だと言えます。
もしあなたにそれなりの登山経験があり、一方海にはまったく入ったことがないと仮定すると、海外の名のある山への登山を敢行するよりも、国内で手軽な海水浴場に繰り出したほうがよっぽど意義深い経験になる可能性もあるのです。
そうした視点で「異分野の経験」を日々積み重ねていれば、脳内にある経験のストックが増え、ものの見方が変わっていくことでしょう。
そうした経験のうち、最も身近で手堅い例は、
「これまで足を運んだことのない土地に赴くこと」
かと思います。風景が変わる様子を眺めながら時間をかけて移動し、初めて通る道を歩き、その土地の喧噪や匂いを感じ、食べたことがない食事を味わう。そういった体験のことですね。
そんな「自分の中になかった知見を得る経験」を重ねることで、自分なりの世界観やものの見方を育んでいきましょう。そうすることで、内面に少しずつアイデアの種が蓄積します。
ぼんやり散歩をしているときや、無心で風呂に入っているときなどに、ふと以前目にしたものや経験したことの感覚や印象がよみがえり、それが自分のやりたいこととうまくリンクする――。
不思議なもので、アイデアというものはそんなふうにして唐突に形を成すことが多々あります。
■日常の中で「初めての経験」を重ねるコツ
とはいえ、会社勤めをしていると、遠出をするのもそう簡単ではないのが実情。会社で役職を持っていたり、家族がいたりする方であればなおさらです。
そこでお勧めしたいのが、日常の中に旅先のような「異空間」を見つけ出してしまうことです。
もちろん、本当にパラレルワールド的な異空間を見つける、なんてSFめいた話をする気はありません。自分が「異空間」と認識するものを、身近な場所で見つけ出そう、という意味です。
例を挙げると、子どもは日常空間を「異空間」に変え、自分たちの遊び場に変える天才です。みなさんの中にも、車道脇の路側帯や横断歩道などの白線を使って「ここから落ちたら地獄」というようなゲームをしたことがある方も多いでしょう。
その他にも、歩道が二色に色分けされているような道があれば「こっちの色だけ踏んで進む」だとか、ドーナツ型のくぼみがあるような坂道では「つま先立ちで、ドーナツの中だけ踏んで進む」だとか、誰に教わったわけでもないのに色々なルールを作り、勝手に遊び始めるのが子どもです。
これらは、日常の風景を自らの脳内で勝手に「異空間」に書き換えてしまう行為だと言えるでしょう。
さすがに大の大人が白線の上をずっと歩いてみるわけにはいきませんが、大人もこうして「ちょっと頭の使い方を変えて、日常の景色をいつもと違うものにする」ようなことを、日常的に大真面目にするべきです。
中でも手軽にできるのは、シンプルに「いつもと違う道に出る」ことと、「いつもと違う時間に出歩く」ことです。
■残業帰りに、真夜中のオフィス街をぐるっと一周する
僕自身、小学生の頃に悪友とつるんで真夜中に外をうろついてみた日のことが、いまだに忘れられません。
夜中と言っても繁華街に繰り出したわけではなく、田舎の何もない場所で、言ってしまえば昼間は日常的に遊んでいるようなエリアだったのですが、深夜になると見えてくるものがまったく違うのです。
爆音と共に走り去っていく暴走族だとか、捨て置かれたエロ本だとか、そういうものがあるだけで、知っているはずの道がまったく知らない道かのように感じられました。
みなさんも、さすがに小学生にとっての「夜道」ほどのインパクトを得るのは難しいとは思いますが、少しルーティンからズレたことをするだけで、いくらでも新しい経験をすることができるでしょう。
残業帰りに、誰もいなくなった真夜中のオフィス街をぐるっと一周するだけでも、都会の暗闇で遭難する体験を味わえます。
あるいは、通勤ルートや家への帰り道で、ほんの少し回り道をしてみるのも有効です。自宅からほど近い場所や通い慣れた職場の近くにも、足を踏み入れたことのない場所は意外とあるもの。「普段歩かない時間に出歩く」「歩いたことのないルートを選ぶ」といった選択をしてみるだけで、「異空間」はいくらでも見つかります。
例えば、家の近くにあるのに入ったことがない路地や、降りたことのない3つ隣の駅の住宅街を歩くだけでも、想像以上に非日常な刺激が得られるものです。
もし機会があれば、工場の立ち並ぶ工業地帯や倉庫街のような、ヒューマンスケールから遠く離れた、機械のために作られたような巨大建築が並ぶところを歩いてみるのもお勧めです。
■身の回りに「異物」を置いてみる
もちろん、自分にとって異質なものやことに触れるコツは、外にしかないわけではありません。
例えば、身の回りにあえて「異物」を置いてみること。
2023年の「M-1グランプリ」で、漫才コンビの真空ジェシカが繰り出したつかみを覚えているでしょうか。
そう、
「どうもー、呪物コレクターと、呪物でーす」
「いや言うとしたらボク~!」
ですね。
まあ、このネタ自体は別に話とは関係ないのですが、この「呪物コレクター」というのは、実際に実在するそうです。
その方曰く、部屋に一つ「呪いの○○」を置き、常に視界に入るようにしておくだけで、ボンヤリと過ごしているときに「人生それでいいのか」という謎の緊張感が生まれるようになり、平穏な生活が適度に乱されるのだとか。
自室という、本来自分が親しんでいるものだけが並ぶ「自分の空間」であるはずの場所に、まるで世界の裂け目のように「呪いの品」が置かれていることで、自分を客観視する思考が生まれるのだといいます。
ですので、みなさんもまず「呪物」を買ってください……というのはさすがに冗談ですが、日々時間を過ごす家のどこかに、ぜひちょっとした「異物」を置いてみていただきたいと思います。
■代わり映えしない生活に「裂け目」を生み出す
例えば、ちょっと部屋の趣味と合わない人形だとか、アフリカかどこかの部族のお面のミニチュアだとか、怪しく光る石だとか、部屋の雰囲気ににつかわしくないフィギュアだとか……。目に入ったとき「ん?」と思うものであれば何でも構いません。
置き場所も、あまり物陰にならないところなら、自室やリビング、玄関、トイレなど、どこでも良いと思います。
もし、人形やお面はさすがにハードルが高いようなら、自分がまず着ないような色味・デザインの服を買い、クローゼットの見える場所に置いておく、といったことでもOKです。
子どもの頃や若い時代には色々トライしてみても、年を重ねるごとに少しずつ無難になり、自分の趣味に合うものばかりに落ち着くのがファッションというもの。
だからこそ、見るからに「これは着ないな」「着こなせないな」という服を一着買い、見える場所に置いておくのです。もちろん、それを着ろとは言いません。着替えのたびに目に入ればそれでまったくOKです。
普段の代わり映えしない生活に「裂け目」を生み出せるものならば、十分に「呪いの品」的な役目を果たしてくれるでしょう。
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樋口 恭介(ひぐち・きょうすけ)
SF作家、コンサルタント
外資系コンサルティング企業にアソシエイト・ディレクターとして勤務するかたわら、SFを社会実装することをミッションとするスタートアップanon inc.で Chief Sci-Fi Officer、東京大学大学院情報学環で客員准教授を歴任。『構造素子』で第5回ハヤカワSFコンテスト大賞を受賞。『未来は予測するものではなく創造するものである』で第4回八重洲本大賞を受賞。編著『異常論文』が2022年国内SF第1位。他に、anon press、anon records運営など。
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(SF作家、コンサルタント 樋口 恭介)