なぜ日本語は外国人から不思議な言語と思われることが多いのか。日本在住歴25年の応用言語学者で北九州市立大学准教授のアン・クレシーニさんは、「例えば、『歩いていけなくもない』は結局行けるのか、行けないのか。
※本稿は、アン・クレシーニ『世にも奇妙な日本語の謎』(フォレスト出版)の一部を再編集したものです。
■助けて! 日本語の「二重否定」がイミフです
外国人にとって、ハードルが高い日本語のひとつに「二重否定」がある。「二重否定」という表現は、あまり馴染みがないかもしれないが、もしあなたが日本人なら、きっと1日に何度も無意識に使っているはず。
「現金しか使えません」
「わからなくはない」
「駅まで歩いて行けなくはない」
「やりたくないわけでもないけど」
つまり、2つの否定の単語をひとつの文の中で使うことを「二重否定」と呼ぶ。
外国人は、「駅まで歩いて行けなくはない」なんて言われると、「歩いて行けるの?」「行けないの?」「どっち?」「マジで勘弁してくれ!」と叫びたくなる。
「駅まで歩いて行けなくはない」は、こういうニュアンスだ。
「駅までは歩いて行ける」
「けれど、遠い」
「時間がかかる」
「坂が多いからやめとき!」
「めんどくさい」
「雨が降っているからバスで行ったほうがいい」
こうしたさまざまなニュアンスが含まれている。
つまり、英語のbutみたいな感じだ。ただ、そのbutが「暗黙の了解」にあるのが日本語の世界。英語で表現すればこうだ。
“The station is within walking distance.”
(but it’s kinda far.)
“The station is in walking distance.”
(but it will take at least 30 minutes.)
“The station is in walking distance.”
( but it’s uphill the whole way so I wouldn’t do it if I were you.)
“The station is in walking distance.”
(but it’s a pain in the neck to get there.)
“The station is in walking distance.”
(but it is raining, so maybe you should take the bus.)
日本語の母国語話者は、このbutのニュアンスがわかっているけれど、外国人には、なかなかわからないから困惑する。
「現金しか使えません」
それなら、なぜ「現金だけ使えます」と言わないのか?
Why Japanese people?
そして、たまにそれは、「現金だけしか使えません」という表現にもなる。誰か、助けて!
■「あの島へは行けるんですか」「行けないことはない」
私が住んでいる福岡県宗像(むなかた)市には沖ノ島という世界遺産がある。島全体が神様だから、神職だけしか入ることができない。一般人は船から見ることができるけど、上陸は禁止されている。
数年前に、宗像市はPRパンフレットを作成した。そのパンフレットの表紙では、観光客が沖ノ島を指差しながら、神職に尋ねている。
「あの島へは行けるんですか」
「行けないことはない」
こう返事していた。福岡県民や宗像市民はそれを見たら、きっと納得する。「確かに!」と。けれど、外国人のみならず、福岡県外に住む日本人にとっては意味不明だ。「何で? 遠いから? 船が出てないから? 危ない場所なの?」みたいに思うかもしれない。
私はこの日本語らしさに思わず大笑いした。日本語の奥深い世界に入ってから20年以上も経たけど、日本語のおかしさに大笑いできるようになった自分に少し希望が湧いてきた。
ワンチャン、このあいまいな言語がいつか完全に理解できるようになるかもしれない、と。
■「が」が問題だ……「私は教師です」と「私が教師です」
多くの日本語の学習者は、一生懸命日本語の文法を「勉強」するけれど、いつの間にか、自信を持って、今まで悩まされていた表現を自然に使えるようになる。日本に長く住めば住むほど、なんとなく日本語を正しく使えるようになる。
しかし、そんな日本語のベテランでも、永遠の強敵がいる。それが、日本語の助詞だ。特に、「が」と「は」はヤバい。
日本人のあなたが、もし日本語学習者にどうやって「が」と「は」を使い分けるのかと聞かれたら、説明できるだろうか。おそらく、説明できない人が続出するはずだ。
その人がある言語の話者だからといって、その言語を「教える」ことができるとは限らない。助詞の「が」と「は」、「に」と「で」など、赤ちゃんのときから、それらの助詞を無意識に使っているから、ほとんどの人は使い分けの難しさについて意識はしていない。
「私は教師です」
「私が教師です」
この2つは意味がまったく違う。
でも、どう違うかを具体的に説明できますか?
英語で「助詞」をparticlesと言う。
このparticlesだけをテーマにした数百ページもの書籍があるし、YouTubeには数えきれないほど、たくさんの解説動画がアップされている。日本語を勉強し始めて25年も経つけれど、正直よくわからない場合が多いし、自信がない。
あれ……自信がない、自信はない、どっちだっけ?
■日本語の助詞のルールを整理してみる
日本語の助詞について、今から簡単なルールを説明する。このルールをまとめるに至って初めて、私は日本語の助詞を理解できたかもしれない!
助詞のルール①伝えたい情報はどこにあるか?
「あの人が社長だ」
→他の人は社長じゃなくて、あの人が社長だよ!
“That guy (not someone else) is the President.”
「あの人は社長だ」
→あの人は社員じゃなくて社長だよ!
“That guy is the PRESIDENT OF THE COMPANY‼”
助詞のルール②新しい情報は「が」 すでにある情報は「は」
「富士山がきれい」
→ホテルから見ている富士山が、とてもきれいって感じ。
“Wow! Look at Mt. Fuji! It is so beautiful.”
「富士山はきれい」
→富士山がきれいであることは、みんな知っている。
“Mt. Fuji is beautiful (and everyone knows it).”
助詞のルール③現象をそのまま言うときは「が」 判断や評価をするときは「は」
「雪が降っている」
→実際に見ている光景。
“It is snowing.”
「福岡でも雪は降る」
→福岡でも雪が降ると思うよ!
“It snows in Fukuoka too.”
助詞のルール④従属節・名詞修飾節は「が」
「アンちゃんがうちに来たとき、私は出ていた」
“When Annechan came over, I wasn’t home.”
「これは私が描いた絵です」
“This is a picture I drew.”
助詞のルール⑤対比を表す場合は「は」
「英語はできますが、フランス語はできません」
“I can speak English but not French.”
助詞のルール⑥排他を表す場合は「が」
「まりさんが経理担当だ」
→つまり、他の人は担当じゃない。
“Mari (not John) is in charge of accounting.”
助詞のルール⑦対象を表す場合は「が」
「寿司が大好きだ」
“I love sushi.”
「好き」とか「嫌い」の前には「が」がくると学んだけれど、実はいつもそうとは限らない。
「私は寿司が大好きです」
「私は寿司を好きになった日をよく覚えている」
正しい日本語は「私は寿司が好きになった日をよく覚えています」だけど、どちらでもいいみたい。
ああ! この「どちらでもいい」が一番難しい! いや、正しくは「どちらでもいいは一番難しい」かな? わからなくなった。
一応、このようなルールはたくさんあるが、日本語ネイティブの人は意識して考えたことがないはずだ。なんとなく、どちらがふさわしいのかが、体感的にわかっている。
■話し言葉は楽勝なのに文章になると「助詞」に悩む
最近、面白いことに気づいた。私の話し方はけっこうマシンガントークだ。もしかしたら、日本生まれの日本人より早口かもしれない。話しているときは、あまり「が」と「は」に悩まない。というか、悩む余裕がない。
けれど、文章を書いているとき、すごく悩む。Xやインスタに投稿する前は、必ず日本語話者の娘たちに文章を見てもらう。「ね、これって『は?』やっぱり『が?』」と。
間違っていることが非常に多いです。
多分、「考えてしまう」ことが問題だ。
日本語話者ですら、文章を書くときにはミスが多いと、編集者の友人が教えてくれた。ちょっと安心した。
これからはあまり考えないようにするけれど、多分、編集者がこの文章を校正する際には、「が」と「は」の間違いが山ほどあることだろう。
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アン・クレシーニ
応用言語学者・北九州市立大学准教授
アメリカ・バージニア州出身。日本在住歴25年。メアリーワシントン大学卒、オールドドミニオン大学大学院にて応用言語学修士取得。福岡県宗像市在住。宗像市応援大使。流暢な博多弁を話し、日本と日本語をこよなく愛する。2023年に日本に帰化。
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(応用言語学者・北九州市立大学准教授 アン・クレシーニ)
『私は教師です』なのか、『私が教師です』なのか。困惑することが多い」という――。
※本稿は、アン・クレシーニ『世にも奇妙な日本語の謎』(フォレスト出版)の一部を再編集したものです。
■助けて! 日本語の「二重否定」がイミフです
外国人にとって、ハードルが高い日本語のひとつに「二重否定」がある。「二重否定」という表現は、あまり馴染みがないかもしれないが、もしあなたが日本人なら、きっと1日に何度も無意識に使っているはず。
「現金しか使えません」
「わからなくはない」
「駅まで歩いて行けなくはない」
「やりたくないわけでもないけど」
つまり、2つの否定の単語をひとつの文の中で使うことを「二重否定」と呼ぶ。
外国人は、「駅まで歩いて行けなくはない」なんて言われると、「歩いて行けるの?」「行けないの?」「どっち?」「マジで勘弁してくれ!」と叫びたくなる。
「駅まで歩いて行けなくはない」は、こういうニュアンスだ。
「駅までは歩いて行ける」
「けれど、遠い」
「時間がかかる」
「坂が多いからやめとき!」
「めんどくさい」
「雨が降っているからバスで行ったほうがいい」
こうしたさまざまなニュアンスが含まれている。
つまり、英語のbutみたいな感じだ。ただ、そのbutが「暗黙の了解」にあるのが日本語の世界。英語で表現すればこうだ。
“The station is within walking distance.”
(but it’s kinda far.)
“The station is in walking distance.”
(but it will take at least 30 minutes.)
“The station is in walking distance.”
( but it’s uphill the whole way so I wouldn’t do it if I were you.)
“The station is in walking distance.”
(but it’s a pain in the neck to get there.)
“The station is in walking distance.”
(but it is raining, so maybe you should take the bus.)
日本語の母国語話者は、このbutのニュアンスがわかっているけれど、外国人には、なかなかわからないから困惑する。
「現金しか使えません」
それなら、なぜ「現金だけ使えます」と言わないのか?
Why Japanese people?
そして、たまにそれは、「現金だけしか使えません」という表現にもなる。誰か、助けて!
■「あの島へは行けるんですか」「行けないことはない」
私が住んでいる福岡県宗像(むなかた)市には沖ノ島という世界遺産がある。島全体が神様だから、神職だけしか入ることができない。一般人は船から見ることができるけど、上陸は禁止されている。
数年前に、宗像市はPRパンフレットを作成した。そのパンフレットの表紙では、観光客が沖ノ島を指差しながら、神職に尋ねている。
「あの島へは行けるんですか」
「行けないことはない」
こう返事していた。福岡県民や宗像市民はそれを見たら、きっと納得する。「確かに!」と。けれど、外国人のみならず、福岡県外に住む日本人にとっては意味不明だ。「何で? 遠いから? 船が出てないから? 危ない場所なの?」みたいに思うかもしれない。
私はこの日本語らしさに思わず大笑いした。日本語の奥深い世界に入ってから20年以上も経たけど、日本語のおかしさに大笑いできるようになった自分に少し希望が湧いてきた。
ワンチャン、このあいまいな言語がいつか完全に理解できるようになるかもしれない、と。
■「が」が問題だ……「私は教師です」と「私が教師です」
多くの日本語の学習者は、一生懸命日本語の文法を「勉強」するけれど、いつの間にか、自信を持って、今まで悩まされていた表現を自然に使えるようになる。日本に長く住めば住むほど、なんとなく日本語を正しく使えるようになる。
しかし、そんな日本語のベテランでも、永遠の強敵がいる。それが、日本語の助詞だ。特に、「が」と「は」はヤバい。
日本人のあなたが、もし日本語学習者にどうやって「が」と「は」を使い分けるのかと聞かれたら、説明できるだろうか。おそらく、説明できない人が続出するはずだ。
その人がある言語の話者だからといって、その言語を「教える」ことができるとは限らない。助詞の「が」と「は」、「に」と「で」など、赤ちゃんのときから、それらの助詞を無意識に使っているから、ほとんどの人は使い分けの難しさについて意識はしていない。
「私は教師です」
「私が教師です」
この2つは意味がまったく違う。
でも、どう違うかを具体的に説明できますか?
英語で「助詞」をparticlesと言う。
このparticlesだけをテーマにした数百ページもの書籍があるし、YouTubeには数えきれないほど、たくさんの解説動画がアップされている。日本語を勉強し始めて25年も経つけれど、正直よくわからない場合が多いし、自信がない。
あれ……自信がない、自信はない、どっちだっけ?
■日本語の助詞のルールを整理してみる
日本語の助詞について、今から簡単なルールを説明する。このルールをまとめるに至って初めて、私は日本語の助詞を理解できたかもしれない!
助詞のルール①伝えたい情報はどこにあるか?
「あの人が社長だ」
→他の人は社長じゃなくて、あの人が社長だよ!
“That guy (not someone else) is the President.”
「あの人は社長だ」
→あの人は社員じゃなくて社長だよ!
“That guy is the PRESIDENT OF THE COMPANY‼”
助詞のルール②新しい情報は「が」 すでにある情報は「は」
「富士山がきれい」
→ホテルから見ている富士山が、とてもきれいって感じ。
“Wow! Look at Mt. Fuji! It is so beautiful.”
「富士山はきれい」
→富士山がきれいであることは、みんな知っている。
“Mt. Fuji is beautiful (and everyone knows it).”
助詞のルール③現象をそのまま言うときは「が」 判断や評価をするときは「は」
「雪が降っている」
→実際に見ている光景。
“It is snowing.”
「福岡でも雪は降る」
→福岡でも雪が降ると思うよ!
“It snows in Fukuoka too.”
助詞のルール④従属節・名詞修飾節は「が」
「アンちゃんがうちに来たとき、私は出ていた」
“When Annechan came over, I wasn’t home.”
「これは私が描いた絵です」
“This is a picture I drew.”
助詞のルール⑤対比を表す場合は「は」
「英語はできますが、フランス語はできません」
“I can speak English but not French.”
助詞のルール⑥排他を表す場合は「が」
「まりさんが経理担当だ」
→つまり、他の人は担当じゃない。
“Mari (not John) is in charge of accounting.”
助詞のルール⑦対象を表す場合は「が」
「寿司が大好きだ」
“I love sushi.”
「好き」とか「嫌い」の前には「が」がくると学んだけれど、実はいつもそうとは限らない。
「私は寿司が大好きです」
「私は寿司を好きになった日をよく覚えている」
正しい日本語は「私は寿司が好きになった日をよく覚えています」だけど、どちらでもいいみたい。
ああ! この「どちらでもいい」が一番難しい! いや、正しくは「どちらでもいいは一番難しい」かな? わからなくなった。
一応、このようなルールはたくさんあるが、日本語ネイティブの人は意識して考えたことがないはずだ。なんとなく、どちらがふさわしいのかが、体感的にわかっている。
■話し言葉は楽勝なのに文章になると「助詞」に悩む
最近、面白いことに気づいた。私の話し方はけっこうマシンガントークだ。もしかしたら、日本生まれの日本人より早口かもしれない。話しているときは、あまり「が」と「は」に悩まない。というか、悩む余裕がない。
けれど、文章を書いているとき、すごく悩む。Xやインスタに投稿する前は、必ず日本語話者の娘たちに文章を見てもらう。「ね、これって『は?』やっぱり『が?』」と。
間違っていることが非常に多いです。
多分、「考えてしまう」ことが問題だ。
会話では、日本語ネイティブと同じ感覚で話しているから悩まないし、多分間違わない。けれど、文章にするときは、妙に意識して書くから、とたんに自信がなくなる。
日本語話者ですら、文章を書くときにはミスが多いと、編集者の友人が教えてくれた。ちょっと安心した。
これからはあまり考えないようにするけれど、多分、編集者がこの文章を校正する際には、「が」と「は」の間違いが山ほどあることだろう。
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アン・クレシーニ
応用言語学者・北九州市立大学准教授
アメリカ・バージニア州出身。日本在住歴25年。メアリーワシントン大学卒、オールドドミニオン大学大学院にて応用言語学修士取得。福岡県宗像市在住。宗像市応援大使。流暢な博多弁を話し、日本と日本語をこよなく愛する。2023年に日本に帰化。
研究と並行し、バイリンガルブロガー、スピーカー、ラジオパーソナリティ、テレビコメンテーターとして多方面で活躍。西日本新聞で日本の文化と言葉についてつづる「アンちゃんの日本GO!」を連載中。自身で発見した日本の面白いことを、博多弁と英語でつづるブログ「アンちゃんから見るニッポン」が人気。文章を書くことと講演会は生き甲斐。TEDxFukuokaに登壇(2018・2020)。著書『なぜ日本人はupsetを必ず誤訳するのか』(アルク)、『教えて! 宮本さん 日本人が無意識に使う日本語が不思議すぎる!』(サンマーク出版)、『ペットボトルは英語じゃないって知っとうと⁉』(ぴあ)、『アンちゃんの日本が好きすぎてたまらんバイ!』(合同会社リボンシップ)、『ネイティブが教えるアメリカ英語フレーズ1000』(コスモピア)など多数。
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(応用言語学者・北九州市立大学准教授 アン・クレシーニ)
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