昨年から米の価格は高騰したが、備蓄米が大量放出されたことで、いったんは落ち着きを見せている。農業インフルエンサーのSITO.さんは「備蓄米の放出にはメリットとデメリットの両方がある。
今後は、それ以外の方法で需要と供給のバランスを取り、米価を安定させていく必要がある」という――。
■備蓄米の総放出量は、81万トン
日本政府が備蓄米の放出に踏み切ったのは、今年2月頃。昨年より続いていた米価の高騰が、新米が流通するようになってもなかなか収束しないため、事態に対応するべく行われました。その総量は実に81万トンで、既に61万トンが放出済みです。
最近では、5kgあたり約2000円の備蓄米が、日本全国のスーパーやコンビニ、ホームセンター、ネットショップなどで盛んに販売されています。今年5月に小泉進次郎氏が農水大臣に就いてから備蓄米の放出がスピード感を持って行われ、米が消費者にとって安価で手に取りやすくなりました。ニュースなどでは「これでお米が買える」と喜びの声が伝えられています。
その一方で、1993年の大凶作の経験から始まった政府備蓄米制度のあり方を考えると、今般の備蓄米運用には問題点もあり、各方面から疑問の声が上がっているのが実情です。
■そもそも備蓄米とは何か
そもそも備蓄米制度は「食糧法(正式名称:主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律)」に基づき、当初から「食料安全保障政策」のひとつという位置付けで施行された経緯があります。実際の条件や細則は「米穀の需給及び価格の安定に関する基本指針」によって決定されており、具体的には「①大凶作や連続する不作による米不足」「②輸入途絶や不作以外の災害時における米の供給減」が備蓄米放出の理由として挙げられているのです。
備蓄米は、常時約100万トンあり、平時は毎年20万トンずつを買い入れ、備蓄保存が一定期間経過した米を飼料用や加工業務用、子ども食堂、フードバンクなどに販売・無償提供することで入れ替えていく方式を取っています。つまり、これまで備蓄米制度は、あくまで「米の不足」に対処するものでした。
「米の価格」については、作柄(農作物の生育または収穫高の程度)や在庫量、市場の状況や消費動向のように、備蓄米放出の必要性を判断する上でのひとつの目安に過ぎなかったのです。これが本来備蓄米制度が「価格調整政策」ではなく「需給調整政策(=食料安全保障政策)」である所以(ゆえん)でした。
■「買い戻し条件付き」の競争入札
ところが、長期化する米価高騰が社会問題となり、メディアに取り沙汰されるようになると、令和7年1月の「米穀の需給及び価格の安定に関する基本指針」において、主食米の円滑な流通に支障が生じる場合に備蓄米の放出ができるように内容が変更されました。これにより、2月に備蓄米放出が正式に決定し、通常は食用米として流通しない備蓄米が市場に放出されることになったわけです。
実際にスーパーなどの店頭に備蓄米が並び始めたのは3月下旬以降でしたが、この時の備蓄米の放出は一定期間後に同じ量を政府が買い戻す「買い戻し条件付き」で競争入札が行われました。
しかし、米の価格高騰は収まらず、今年5月に農水大臣が小泉進次郎氏に代わってすぐに「買い戻し条件を伴わない随意契約による直接取引」となりました。これにより、今日スーパーには小泉農水大臣が目標とした5kg2000円程度の備蓄米が並ぶようになったわけです。このように需給調整政策であった備蓄米制度が、今は価格調整政策に使われています。
■備蓄米放出のメリットとデメリット
備蓄米放出のメリットは、災害などにより米が不足したときに供給量を一時的に増やし、米を必要とする消費者に行きわたらせることで、社会的混乱を防げることです。実際、東日本大震災などの大規模災害時に活用されたように、地震・台風・豪雨などの災害で物流が止まったとき、備蓄米を速やかに放出して避難所や被災地に迅速に食料を供給することで、人々を安心させることができます。
今回の備蓄米放出においては、副次的な「価格調整機能」が役立ちました。評価は分かれるところですが、米の供給量を増やすことで価格のこれ以上の暴騰を抑えたと見ることができます。
また、政府が小売業者に備蓄米を5kg2000円程度で販売するよう強く要請した結果、物価高騰に苦しむ消費者の経済的負担を軽減できたといえるでしょう。
しかし、備蓄米の放出にはデメリットもあります。放出による供給量の増加は、確実に米価を押し下げますが、その程度によっては米を作る農家の経営を圧迫します。だからこそ、政府は当初、買い戻し条件を付けることで放出した分の再回収を約束する「米の貸し出し」のようなやり方を考えました。政府が増やした供給分を回収することで、競争市場の健全性を担保しようとしたのです。これは当時の江藤農水大臣が備蓄米制度はあくまで価格調整政策ではなく、需給調整政策であることを重視していたがゆえの方法といえます。
■いわゆる「小泉備蓄米」の政治的意図
ところが、今では買い戻し条件のない備蓄米が安価に出回っています。この、いわゆる「小泉備蓄米」は、さまざまな政治的意図を孕(はら)んだものだと私は考えます。
まず、米高騰に際して政府ができることは「米の購入に係る経済的支援」か「備蓄米の放出による市場価格の低下」です。前者は大きな財源を必要としバラマキとの批判を受けやすいですが、後者は既に政府の資産として存在する備蓄米を活用することで供給不足に直接対処する形を取ることができるため納得感を得やすいやり方といえます。随意契約の直接取引という形式で迅速に市場に供給したことにより速攻的に消費者の助けとなるだけでなく、在庫の有効活用という名目も立ち、「フードロス対策」「SDGs」の観点からも有利。現金給付等の支援策と比べ、政治的コスト(批判)が少ないのは明白です。

他方、小泉備蓄米には負の側面もあります。まず、先に述べたように米価の下落による米農家の収益悪化です。備蓄米の放出が安易に行われれば、長期的には生産者の離農につながり、米の自給率低下を招く恐れがあります。もうひとつは「政府備蓄米制度」の信頼性低下です。需給調整政策という本来の趣旨から逸脱し、価格調整政策のために放出するのは、下手をすれば制度の濫用と捉えられかねません。「国民が米を食べられず、生活に窮する事態まで待て」というわけではありませんが、今回の備蓄米放出タイミングにおいて健全な食生活に支障をきたすレベルの米不足が発生していたのかは疑問が残ります。主食も多様化し、米の消費が年々減少していく中で、備蓄米を放出する以外の方法がなかったでしょうか。
■なぜ米は今まで安価だったのか
ところで、なぜ今まで米は安かったのでしょうか。もっとも大きな要因は、米に対する需要の減退です。近年は国民の米離れに歯止めがかからず、1960年代に110kgを超えていた一人当たりの年間消費量は、2020年代ではわずか50kg台にまで減少しています。しかし、需要に応じてすぐに生産量を減らすことはできないため、需要量と供給量にギャップが生まれ、価格が下落しやすくなりました。
もうひとつの要因は、日本の稲作農業の非効率性です。
近年、大規模化・効率化が進んできてはいるものの、依然として小規模かつ高コストの稲作を行う農家も多く存在しています。これらは収益性が低いために兼業農家が多く、「副収入としての稲作」が維持されてきました。つまり一定数、市場で積極的に利益を出そうとしない生産者が存在することによって、価格の下支え圧力が弱いという実態があります。
しかしこうした兼業農家が日本の稲作を支えてきたことも、また事実です。今後さらに高齢化が進み、リタイアする兼業農家が増えれば、ある程度は効率化が進むと考えられますが、山がちな国土ではそれにも限界があり、適切な支援がなければ米価高騰が慢性化する可能性は否定できません。
■5kgあたり2500~3000円程度が妥当
昔と違って農業機械や生産資材、人件費などが高騰する現在、農家の経営継続が可能な収益を考えると、米の適正価格は生産者米価で60kgあたり2万円を基本とするのが妥当だろうと思います。
となると、銘柄や売り手にもよりますが、店頭販売価格は5kgあたり2500~3500円程度が想定されます。この価格帯を考えると、確かに去年から今年にかけて米価は急騰したといえるでしょう。ただし、近年の生産者米価が60kgあたり1万円台と長らく低迷していたことを踏まえると、上げ幅の全てを「高騰」と捉えるのではなく、ある程度は「回復」したと捉えるべきだと思います。
これまでの安さに慣れてしまっている消費者にとっては受け入れ難いことかもしれませんが、今後は5kgあたり1500~2000円の米が流通することはないでしょう。むしろ、以前は米が安すぎる異常事態であったという認識を持ってもらえるよう、生産者と国はきちんと伝えていかなければならないと思います。安い米価は、もう過去のものなのです。

■米価高騰の原因は需給バランスの乱れ
なお、昨年からの米価高騰の直接の原因は、需給バランスの乱れです。令和5、6年産の米の供給が想定された需要を下回ったことで、民間在庫が大幅に減少し、需要に対して供給が不足したから価格が上がったのです。米は保存のきく作物なので、こうした過去の生産減の影響が時限装置のように後でやってくることがあります。
基本的には需要と供給は年間を通して一定の数量で推移しますが、大幅に減少した民間在庫から考えても、各卸売業者等が売り先への恒常的な供給のため在庫の確保に走ったこと、各種メディアが必要以上に米不足を煽ったことによって過剰需要が発生し、需給バランスが崩れていたと考えます。
そしてそれに対する備蓄米の放出が当初競争入札によるものだったために、需要に即応できるスピードを有していなかったことは事実です。果たして、随意契約による直接取引が始まってしばらくが経ちますが、今後の備蓄米運用も含めて解決しなければならない課題は多いのではないでしょうか。
■需給バランスを調整する政策を講じるべき
やはり5kg5000円という米価高騰は異常です。政府が何も対処しなければ、間違いなく国民からの信頼は失墜していたでしょう。他方、米農家に与えた不安についても決して無理解でなく、今回のトランプ関税における日米合意において、政府が米のさらなる輸入増加を阻止した点は評価されるべきだと思います。
しかし私がもっとも危惧しているのは、備蓄米の「再備蓄」に係る問題です。今回の放出で、約100万トンの備蓄米のうちの80万トン以上の米が喪失するというのは、供給途絶リスクのセーフティネットとしてある備蓄米制度がほとんど機能しないだろうことを意味しています。備蓄米放出における「買い戻し条件」をなくした以上、再備蓄の見通しも不透明なままです。

米の市場価格が高止まりしている状態で再備蓄を行う場合はコストがかさみ、備蓄米制度を長期的に維持できなくなるかもしれません。政策として本来安く排出される備蓄米を活用し、比較的低コストで米の供給を増やし消費者に届けられたのは評価すべきです。しかし備蓄米の再備蓄のためのコストがかさめば当然国民の批判の的になりますし、かといって市場価格が下落するのを待っているうちに大規模災害が起きて米の供給が途絶したら大変なことになります。
今年、政府は米の作付面積の拡大から56万トンの増産を見込んでいますが、高温や旱魃(かんばつ)の影響が懸念されています。さらに先日、2024年産の米の需要量は、当初見通しの674万トンより多い711万トンだったという試算を発表しました。国や農水省は、今一度、米の価格高騰の原因をきちんと分析し、長期的な視点で需給バランスを調整する政策を講じるべきではないでしょうか。

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SITO.(シト)

農家、農業インフルエンサー

19993年、愛知県生まれ。キャベツとタマネギを栽培する露地野菜農家で、農業インフルエンサー。就農前から日本農業の諸課題に関心を持ち、生産現場の知見と幅広い農業情報を融合しながら「農業とそれに携わる人たちの持続可能な社会」を模索し続けている。また、農業分野にまつわる誤情報やデマと戦う姿勢を貫き、学術的な知見と実践的な経験の両面から、正確な情報発信に努めている。

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(農家、農業インフルエンサー SITO.)
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