大手牛丼チェーンでは、看板商品である牛丼の値上がりが目立つ。食と農に詳しいライターの市村敏伸さんは「むしろこれまでが安すぎた。
牛丼は国際情勢に振り回されやすい商品なので、今後もさらなる値上がりが考えられる」という――。
■なぜ牛丼の価格が280円→498円に上がっているのか
「うまい、やすい、はやい」。日本人にはお馴染みの牛丼大手・吉野家のキャッチフレーズだ。
吉野家の公式ホームページによると、このキャッチフレーズが確立したのは2001年のこと。それまでは「うまい、はやい、やすい」の順番だったが、「うまいとやすいの両立」をより重視するため、「やすい」と「はやい」の順番を逆転させたという。
このエピソードが象徴するように、牛丼にとって「安い」は大切なアイデンティティだ。しかし、そのアイデンティティも今や危機に瀕している。
吉野家が現在のキャッチフレーズを確立させた2001年当時、同社の牛丼並盛は1杯280円(税込)で提供されていた。その後、いわゆるBSE問題などによる混乱はありつつも、2013年ごろまでは1杯280円(税込)で販売されていたが、ここ数年はハイペースでの値上がりが続いている。現在の牛丼並盛の価格(店内飲食・税込)は498円と、500円の大台まであと一歩のところまで迫ってきている。
この値上がりは吉野家に限ったことではない。すき家の牛丼並盛は480円、松屋の牛めし並盛は460円と、大手各社の価格水準は一様に上がってきている(いずれも2025年7月現在の店内飲食・税込価格)。

■天丼の値上げ幅と比べると…
昨今はコメをはじめ物価高が著しいが、すべてのファストフードでここまでの値上げが起きているわけではない。牛丼チェーンと同じく、コメを使用する天丼チェーン・てんやの価格動向を見てみよう。もちろん、てんやも値上げはしているものの、過去10年間の天丼1杯あたりの価格変化(税込)は500円から620円と、牛丼チェーンと比較すると値上げ幅はそこまで大きくない。では、なぜ牛丼はそこまで値上がりしているのか。その理由はごく簡単で、牛丼の主役とも言える牛肉の価格が急激に高騰しているためだ。
■「うちの言い値で好きなように調達できた」
大手牛丼チェーンの多くは、米国産のショートプレートと呼ばれる部位の牛肉を原材料に用いている。ショートプレートは、いわゆるバラ肉にあたる部位で脂肪が多く、ステーキなどが好まれる米国内ではそれほど需要がない。
その状況に目をつけたのが、かつての吉野家だった。ショートプレートは牛丼向きの味わいで、なおかつ安い。牛丼チェーンにとって、これほど魅力的な食材は他にない。
そして現実に、米国産ショートプレートの流通は日本の牛丼チェーンが支配することとなった。米国でのショートプレートの加工規格は日本の牛丼チェーンのスライサーの幅に合わせて改良され、吉野家の経営トップも「うちの言い値で好きなように調達できた」と当時の状況を振り返っている。

つまり、牛丼を象徴する「安い」というアイデンティティは、米国の畜産・食肉業界の都合の上に成り立っていたのである。
言い換えると、米国での状況が変われば、そのアイデンティティも終焉(しゅうえん)を迎える。ここ数年の牛丼チェーンでの相次ぐ値上げは、まさに米国の畜産業界の動向を反映した動きとなっている。
現在、日本の牛丼価格に大きな影響を与えているのが、米国内での牛の飼養頭数の減少だ。米国内の牛の飼養頭数は2019年以降、一貫して減少しており、2025年1月時点では約8666万頭と、1951年以来の最低水準となっている。
■「サイクルの谷」がかなり深くなった
この状況を背景に、日本が輸入する米国産ショートプレートの価格は急激に高騰している。2020年度は1キロ667円の卸売価格だったところが、2024年度は1キロ1274円と、わずか5年で倍近い金額にまで跳ね上がっている。
ただ、畜産事情に明るい人であれば、牛の飼養頭数に一定のサイクルがあることをご存知だろう。いわゆる「キャトルサイクル」と呼ばれる現象だ。つまり、一定の間隔で牛の頭数が増えたり減ったりするわけだが、その理由はこうだ。
まず、牛肉の価格が高くなると、農家は「今なら儲かる」と考え、飼養頭数を増やす。しかし、牛は出荷できるようになるまで数年かかるため、増えた家畜が出荷される頃には市場環境が変わり、牛肉の供給過剰によって価格は下がる。
そうなると、農家は牛を減らすため、数年後には牛肉が不足し、また価格が上がる。この繰り返しによって牛の飼養頭数が一定の間隔で増減する。これがキャトルサイクルの理屈だ。
このサイクルに当てはめると、現在の状況は牛の飼養頭数が増え始める前段階にあたる。そのため、少し我慢すれば、また牛の頭数が増えると考えることもできそうに思える。ただ、今回の頭数減少で生じた「サイクルの谷」はかなり深く、かつてのような状況には戻らない可能性もある。
■「将来の母牛」までもが減少
サイクルの谷がいつも以上に深くなってしまっている理由は、気候変動による干ばつの影響だ。
近年、テキサス州をはじめ、米国の肉牛地帯では干ばつが深刻になっており、牧草の生育にかなりの悪影響が生じている。また、牧草に代わるエサの価格も高騰しているため、農家としてはコストがかさむ前に牛を出荷しようという心理が働く。
結果として頭数減少がこれまでにないペースで進んでおり、なかでも深刻なのは、将来の肉牛を産むために飼われている繁殖雌牛の減少だ。当たり前のことだが、雌牛が減れば、それだけ将来的な肉牛の供給も減ってしまう。米国内の繁殖雌牛の頭数は2019年から2025年にかけて10%以上減少しており、肉牛の生産基盤そのものが縮小してしまっている。

さらに注目したいのは「現役の母牛」のみならず、「将来の母牛」までもが減っていることだ。出産を経験していない雌牛は未経産牛と呼ばれ、再び牛の飼養頭数を拡大傾向にのせるためには未経産牛を出荷せずに保留しておかなくてはいけない。だが、他の牛と同様に、現在の米国では未経産牛の頭数も減少傾向にあり、牛の総飼養頭数は今後しばらく減少し続けると見られている。
■「国産牛肉を使えばいい」とは言えない
米国の畜産業界の状況を見る限り、牛丼の価格は下がらない。むしろ、今後も上がっていく可能性があることはお分かりいただけただろう。
「でも、他の国から輸入したり、国産の牛肉を使ったりすればいいのでは?」という声もあると思う。だが、残念ながら話はそう簡単ではない。
まず、他の国から輸入するという選択肢を考えてみよう。現在も一部の大手牛丼チェーンは、オーストラリアなどから牛肉を調達している。こうした地域からの輸入を増やせばいいと思われるかもしれないが、牛肉が不足気味の米国に向けた輸出が増えており、豪州産牛肉も価格が上がってきている。
また、国産の牛肉で対応することも難しい。価格が低くないことはもちろんだが、日本人が牛丼で消費する牛肉の量は、とてもじゃないが国産でまかないきれるレベルではないのだ。

吉野家が過去に公開していた情報によると、同社が年間で消費する牛肉の量は牛350万頭分とされている。一方で、日本国内で年間に出荷される牛は約110万頭しかいない。吉野家は海外にも展開しているため、国内での需要は350万頭より少ないだろうが、仮に半分の175万頭だとしても、日本で年間に出荷される牛の頭数よりはるかに多い。つまり、日本中から牛バラ肉をかき集めても、吉野家1社分の需要すら満たせない可能性が高いのだ。
■懸念される中国の「爆買い」
では、これから牛丼の価格はどうなってしまうのか。このまま各社ともに600円台に突入し、いよいよ1000円へ向かっていくのかと心配してしまうところだ。
だが、実は牛丼の価格はこれまでも上がったり下がったりを繰り返してきた。たとえば、1990年代には牛丼並盛が400円台だったこともある。そう考えると、これからまた米国で牛肉の供給が回復すれば価格は落ち着くだろうと楽観視することができるようにも感じる。
ただ、仮に米国での牛肉の供給が元通りになったとしても、不安材料は残る。それは中国の存在だ。
中国ではショートプレートが火鍋の食材として人気だ。
これまで、ショートプレートの市場では日本が強い購買力を持っていたが、最近では中国勢に買い負けている情勢とも報じられている。
もっとも、直近では米中での貿易摩擦などの影響で、中国によるショートプレートの輸入はむしろ減少傾向にある。だが、今後、トランプ大統領が得意とする「ディール」によって貿易摩擦が解消に向かえば、中国による「爆買い」が再開するかもしれない。
そうなると、牛丼の価格は下がらず、長期的には「牛丼1杯で1000円」という時代がやってくることも十分に想定できる。
■かつての価格には二度と戻れないかもしれない
そもそも、農業に適した環境が少ない日本は、牛肉をファストフードとして消費することが当たり前にできる国ではない。ところが戦後のある時期に、需要の少ない米国産牛肉を運よく安価で調達できたという事情を背景に、庶民の食として牛丼が圧倒的な存在感を発揮するに至った。
たしかに牛丼は高くなったが、むしろこれまで安く牛丼を楽しめてきた期間がボーナスタイムだったと考えた方がいいのではないだろうか。
日本において牛丼を楽しむ上で、いかんともし難い国際情勢に振り回されることは覚悟しなくてはならない。そして残念なことに、現在の情勢を見る限り、かつてのような価格で牛丼を楽しめる日は二度とやって来ないのかもしれない。

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市村 敏伸(いちむら・としのぶ)

農と食のライター

1997年生、北海道大学大学院博士後期課程在学中。大学在学中からライターとして「現代ビジネス」、『週刊東洋経済』などに農と食にまつわる記事を寄稿。専門は農業経済学。

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(農と食のライター 市村 敏伸)
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