フジテレビの清水賢治社長が、親会社のフジ・メディア・ホールディングスの社長に就任した。名実ともに“清水体制”となったフジテレビは、これからどうなるのか。
元テレビマンで桜美林大学教授の田淵俊彦さんは「“フジのドン”と呼ばれた日枝久氏が去り、徐々に変化の兆しが見えてきた。清水社長に華々しさはないが、フジを本気で変えようとしているようだ」という――。
■フジのかつての宿敵・ホリエモンと対談
事の発端は、ある動画だった。フジテレビ社長・清水賢治氏と実業家・堀江貴文氏が、情報経営イノベーション専門職大学の特別授業に揃って登壇し、「メディアの未来と社会との共創」をテーマに対話を交わしたと、フジテレビなどが報じた。
その映像を見た多くの人が、「あれ? フジテレビとホリエモンはかつて激しく対立していたのでは?」と疑問を抱いたに違いない。かく言う私もその一人だった。
2005年、堀江氏率いるライブドアは、フジサンケイグループの中核であるニッポン放送の株式を大量取得し、地上波テレビの支配構造に風穴を開けようとした。当時のフジテレビは、旧メディア秩序を死守する「守旧派」として堀江氏の「急進的改革」に強く抵抗。この対立構図は、「既得権益 vs 技術革新」というメディア史の典型例として記憶されている。
ところが今回、両者はその記憶を乗り越え、同じ壇上で未来を語った。そこに、清水氏が込めた真意とは何か。
2025年1月28日、清水氏はフジテレビ社長に就任。
当時、社内外での評判は限定的だった。「アニメや映画の人」「現場とは距離がある」という声が多く、社会一般的には「アニメや海外コンテンツの担当」という印象が先行していた。
記者会見でも「再生・改革に向けて」といったアジェンダを淡々と繰り返し、メディア界では「お題目社長」と皮肉られるほどだった。私自身も当時、「どうせ真実は明かされないんだろう」という諦念のような感覚で、その姿勢に失望を覚えていた。
■単なる話題づくりではない
だが、ホリエモンとの再会は、その印象を覆す契機となった。清水氏がこの対談に込めた意図は、「旧体制の象徴としてのフジテレビ」が、自ら制度構造を再設計し、「開かれた公共空間」へと変わるという意思表明にほかならない。堀江氏との同席は、単なる話題づくりではない。むしろ「かつての対立者に向き合う」という姿勢そのものが、「敵対から対話へ」というメディアの本質的な変化を象徴する演出と言っていい。
対話では両者に共通する課題意識が垣間見えた。「編成から制作までを統合すべき」「AIがメディア構造そのものを更新する」といった言葉は、思想の違いこそあれ、未来に向かって交差するビジョンを感じさせた。清水氏は「視聴率至上主義の脱却」「公共性への再定義」「制度の責任化」に言及し、堀江氏は「非中央集権的な個人発信」「技術主導による革新」を語った。
両者のアプローチには緊張関係がある。
堀江氏の加速主義に対し、清水氏は慎重な制度設計を選ぶ。しかし、過去の激突を経験したからこそ、今の彼らは「共通の地平」で語り合うことができるのだ。
さらに印象的だったのは、学生たちをその場に招き入れ、「メディアの未来は、あなたたちとの共創である」と宣言した構えだ。それは単なる授業ではなく、「制度と技術」「公共性と個人性」「敵対と対話」といった二項対立を乗り越え、新しいメディア空間の可能性を示す装置となっていた。
■「清水体制」での変化の兆し
清水氏は、「フジのドン」と呼ばれた日枝久氏が去った後、「清水体制」の構築に着手した。その成果は徐々に表れつつある。たとえば「制作局」と「編成局」を廃止し、両部門を統合する組織改編を断行。背景には、中居正広氏の性加害問題への対応がある。
清水氏は制作と編成の「癒着」が問題の根底にあると見たのだろう。その構造を断ち切り、責任を可視化する制度設計に踏み切った。この再編は、番組企画段階での倫理チェック体制の整備にもつながると評価したい。
とりわけ注目すべきは、「視聴率至上主義」からの転換だ。
営業利益が伸び悩む地上波市場において、数字だけを指針にしても展望は開けない。視聴率から質と公共性へ軸を移すという選択は、目利きとしての冷静さと大胆さを兼ね備えた手腕を物語っている。
こうした清水氏の改革は、「華々しい演出」ではなく「地道な制度構築」によって進められている。その振る舞いは、外から見れば「逃げ」や「守り」に映るかもしれない。だが私には、むしろ彼の姿勢に「ダークホース的胆力」が宿っているように感じられる。
清水氏は「コンテンツ畑」の人物であり、バラエティ番組の制作現場とは物理的にも心理的にも距離がある。この距離感があることで、「忖度(そんたく)」や「馴れ合い」に巻き込まれず、冷静に状況を把握できたのだろう。就任直後の不祥事対応では、「制作現場への影響を最小化する」という方針を貫いた。その姿勢には、コンテンツ価値を見極めてきた経験者としての審美眼と倫理観がうかがえる。
■検証番組は「自己弁護」と批判されたが…
検証番組「検証 フジテレビ問題 ~反省と再生・改革~」(7月6日午前10時~11時45分放送)の冒頭で、瑠璃紺のビロード幕を背にひとり頭を下げた謝罪は、無駄な演出を排した静けさに満ちていた。その沈黙と所作は、却って謝罪の重みを視聴者に預ける空間をつくり出していた。
テレビという演出過多の場において、「演出しない」という選択は強い意志の表れだ。
記者会見で多くを語らず、淡々と「お題目」を繰り返す姿勢もまた、混乱を鎮めるための「構造的沈黙」だったのではないか。
感情的に責任を背負い過ぎることが制作現場への萎縮や自己検閲を招くと判断し、清水氏は「語らないことで守る」という方法を選んだ。それは、演出の不足ではなく、意図された制御である。
社内では、「改革」という言葉の繰り返しがサインとして機能しつつある。私が最近聞いた社員たちの評価も好転している。「よくやってる」「真摯(しんし)な姿勢」「現場への理解がある」といった声が相次いだ。華々しさよりも、静かな統率によって組織を動かす。その態度こそ、「ダークホース」の予兆なのである。
メディアは「見える行動」を評価しがちだ。しかし組織の再生において重要なのは、「見えにくい行動」の積み重ねだ。謝罪の様式、語り口の配慮、制作会社への細やかなケア――これらが表面的には頼りなく映ったとしても、実は彼がフジテレビという巨大メディアを“傷つけずに”動かすための最適解だったとしたらどうだろう。
「お題目社長」の肖像を、もう一度、逆光で照らしてみる。
そこには、ダークホースとしての清水氏の、隠された力が浮かび上がってくる。
■熱狂のない「静かな統率者」の手腕
最後に、「清水氏は『第二の日枝氏』になるのか」という問いを、考えてみたい。清水氏は「第二の日枝氏」のように権力を集約する道も選べただろう。しかし彼が取ったのは、制度の再設計によって公共性の再定義を図る「静かな統率者」としての道だった。その振る舞いは、旧体制を焼却する炎ではなく、冷やした鉄を再び鍛える炉である。
「ドン」になるか、「改革者」になるか――それは肩書きではなく、制度に刻まれた倫理と、社会に開かれた対話の深さによって決まる。そして今、フジテレビの新たな公共空間は、かつての対立者との語らいから、未来の共創者との設計図へと、静かに歩みを進めている。
その歩みは、熱狂ではなく冷静さによって鍛えられた道であり、失望のなかから編み出された希望でもある。もしフジテレビが本気で変わろうとしているのなら――そしてその兆しが清水氏の「演出しない統率」に宿っているのだとすれば――私たちは、もう一度、公共性という名の炉に火をくべる準備をすべきなのかもしれない。

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田淵 俊彦(たぶち・としひこ)

元テレビ東京社員、桜美林大学芸術文化学群ビジュアル・アーツ専修教授

1964年兵庫県生まれ。慶應義塾大学法学部を卒業後、テレビ東京に入社。世界各地の秘境を訪ねるドキュメンタリーを手掛けて、訪れた国は100カ国以上。
「連合赤軍」「高齢初犯」「ストーカー加害者」をテーマにした社会派ドキュメンタリーのほか、ドラマのプロデュースも手掛ける。2023年3月にテレビ東京を退社し、現在は桜美林大学芸術文化学群ビジュアル・アーツ専修教授。著書に『混沌時代の新・テレビ論』(ポプラ新書)、『弱者の勝利学 不利な条件を強みに変える“テレ東流”逆転発想の秘密』(方丈社)、『発達障害と少年犯罪』(新潮新書)、『ストーカー加害者 私から、逃げてください』(河出書房新社)、『秘境に学ぶ幸せのかたち』(講談社)など。日本文藝家協会正会員、日本映像学会正会員、日本メディア学会、芸術科学会正会員、日本フードサービス学会正会員、放送批評懇談会正会員。映像を通じてさまざまな情報発信をする、株式会社35プロデュースを設立した。

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(元テレビ東京社員、桜美林大学芸術文化学群ビジュアル・アーツ専修教授 田淵 俊彦)
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