中国の若年層に深刻な失業危機が広がっている。面子を重視する中国社会では、失業状態を家族に知られたくない事情があるようだ。
苦しい若者たちの拠り所となっているのが、オフィススペースを提供し「出勤しているふり」ができるサービス。料金を払ってまで“会社”へと足を運ぶ実態を、香港メディアなどが伝えている――。
■オックスフォード大学院卒のフード配達員が話題に
いまや中国では、いかに高学歴であろうと職に就けるとは限らない。ソーシャルメディアで話題を呼んでいるのが、一人のエリート男性の奮闘だ。
香港英字紙のサウスチャイナ・モーニング・ポストによると、福建省出身の39歳、ディン・ユエンジャオさんは、「最高学歴のフードデリバリー配達員」と呼ばれている。清華大学、北京大学、シンガポールの南洋理工大学、英オックスフォード大学を渡り歩き、4つの学位を手中に収めた。
しかし昨年3月、シンガポール国立大学での博士研究員としての契約が終了すると、厳しい現実が待っていた。多数の履歴書を送り、10回以上の面接を受けたが、希望に合う仕事は見つからなかった。そこで彼はシンガポールでフードデリバリーの配達員として活動を開始。1日10時間働き、週に約700シンガポールドル(約8万1000円)を稼いだ。
「安定した仕事です。この収入で家族を養えますから。
一生懸命働けば、まともな生活ができる。悪い仕事ではありません」とディンさんはソーシャルメディアで語っている。その後、故郷の中国に戻った彼は、北京版ウーバーイーツとも言うべき大手フード配送プラットフォーム「美団(メイトゥアン)」の配達員として働いている。
■中国SNSで問われる「教育の意味」
ディンさんの境遇に共感する人々は多い。最近、大学入試を終えたばかりの学生たちを励ます動画を投稿すると、瞬時に話題となった。「(入試で)良い結果が出なくても、悲観的になったり、落胆したりしないでください。もし良い成績だったとしても、ほとんどの仕事では大きな違いはないということを心に留めておいてください」
ポジティブなメッセージを発信するディンさんだが、彼の境遇は中国のソーシャルメディアで議論の的となっている。「教育の意味とは、一体何なのだろう?」とあるネットユーザーは書き込んだ。世界トップクラスの大学を出て、望まなかった配達員の仕事をこなす。この現実が、今まさに大学で学び職を探している中国の若者たちの心理をかき乱している。
■若年失業率は「改善」したというが…
こうした事例はほんの一部だ。中国政府発表の統計を見ても、中国の若年層に迫り来る雇用危機がいかに深刻かが分かる。

ロイター通信は中国国家統計局の最新データを取りあげ、今年5月の16歳から24歳の失業率(学生を除く)は14.9%と、11カ月ぶりの低水準を記録したと報じている。一見、状況は改善したかに見える。
しかし、この「改善」は額面通りには受け取れない。サウスチャイナ・モーニング・ポストによると、中国の若年失業率は2023年6月に過去最高の21.3%を記録し、その後当局は突如として統計の公表を停止。数カ月後に新しい算出方法で発表を再開したが、その数字は最新データで14.9%になるなど、不自然な「改善」が見られる。
ウォール・ストリート・ジャーナル紙によると、新方式では大学で学ぶ約6200万人の学生を失業者から除外したという。学生を除外すれば分母が減り、見かけ上の失業率は下がる。しかし仕事を探している学生の存在は消えない。
統計には表れない現実を、英BBCが取材した若者の事例が物語る。25歳のスン・ジャンさんは、金融の修士号を持ちながら南京市の火鍋レストランでウェイターとして働いている。
「投資銀行で働き、たくさんお金を稼ぐのが夢でした」と語るスンさん。
中国は毎年数百万人の大学卒業生を輩出している一方、働き口は十分でない。
記事によると、専門分野での就職が困難な多くの大学卒業生は、資格に見合わない仕事に従事しており、「家族や友人から批判を受けている」という。
■重慶にある「偽装旅行会社」の一日
統計が雇用危機を包み隠しているのと同じく、若者たちは自らの失業状態を覆い隠そうとしている。その需要に応える奇妙なビジネスが、家族や友人に出勤したふりをして体面を保てる「偽装出勤サービス」だ。
中国・重慶のビジネス街の中心部にある、一見すると普通のオフィス。しかしよく見ると異様な光景だ。受付に人はおらず、パソコンの電源は入っていない。それでも約15人が毎日ここに「出勤」している。
現場を取材したフランス公共放送のフランス24によると、利用者たちは1日約1030円を支払い、8時間までここで過ごせる。この場所は元々旅行代理店だった。その背景を活かし、今でも架空の旅行代理店がここで営業しているという設定だ。
壁には架空の「マカオツアー企画」というポスターまで貼り出されているが、これは利用者に「オフィスで働いている感覚」を実感してもらうための演出だ。料金を払ってオフィスへ赴いた利用者たちは、業務をこなしているフリをすることができる。

利用者の一人、21歳のダニー・ウーさんにとって、この演出が欠かせない。「職場の写真を撮ることがありますから。家族はいつも私が何をしているか聞いてくるので、証明になるんです」。彼女は取材中、壁に高々と掲げられた偽の旅行事業者登録証明書をスマホで写真に撮り、家族に送信していた。
利用者たちの過ごし方は様々だ。パソコンに向かって真剣な表情を作る人もいれば、トランプで遊ぶ人、そしてただ仲間との時間を楽しむ人もいる。デスクに集ってカードゲームに興じたかと思えば、ブラインドを下ろして社長室の広々とした机でうたた寝するなど、何をしても文句を言われることはない。
彼らにとっては、偽物でも「仕事」があることで、かろうじて自尊心を保てるのかもしれない。
■1日600円で「社員のふり」…各地で広がる偽装出勤ビジネス
重慶の事例は氷山の一角だ。中国全土で、失業者の体面を守るビジネスが急速に広がっている。
サウスチャイナ・モーニング・ポストによると、河北省のある企業はかなり安価なサービスを提供している。「1日29.9元(約600円)で午前10時から午後5時まで『勤務』でき、昼食付き」という内容だ。
一方、別の匿名のネットユーザーは、50元(約1000円)で「社長」として革張りの椅子に座り、写真撮影ができるオプションサービスを提供している。ネットの募集要項では「多くの大企業がリストラを進めている」とあり、失業者に居場所を提供したいと説明した。
スペイン有力日刊紙のエル・パイスは、北京の施設を訪問。法律事務所の看板が掛かっているが、中に足を踏み入れると、そこはコワーキングスペースになっている。施設の責任者は同紙に対し、「オンラインで話題になっているコンセプトをコピーした」と認め、弁護士たちがめったに使わないオフィスを賃貸することにしたと説明した。弁護士事務所への勤務を装った方が、フリーランスで仕事をするよりも体面が良いということだろうか。
都市部では月極めで利用できる施設も登場している。インドのANI通信が伝えた中国国営メディアの報道によると、月額約500元(約1万円)で机、椅子、照明、充電用コンセント、荷物用ロッカーが使える。本来は試験勉強用だったが、失業中の若者たちが「忙しそうに見せる」ために利用し始めたという。家で勉強していれば、家族からの小言で耳にタコができ、就職活動の進捗をしきりに尋ねられる。こうした家庭環境からの逃避先として人気だという。
■農村部でフード配達員になることを躊躇する理由
お金を払ってまで偽装出勤サービスを利用する若者たち。
中国社会特有の「面子」の大切さが、彼らをこうしたサービスへ駆り立てる。
都市部では恋人や家族に対する体面を保つ必要がある。サウスチャイナ・モーニング・ポストが取材した杭州市出身のジャー・ウェイさんは、勤めていた電子商取引会社が倒産した後、カフェに毎日のように通って時間をつぶしている。
「失業はストレスが大きいが、その暗い気持ちを家族に伝えたくなかった」と語るジャーさん。普段退社していた時刻になるとコーヒーショップを出るが、時には「残業」を装うため、遅くまで遠くをぶらついているという。
ことに農村部では、地域社会での評判が死活問題となる。ANI通信が伝えたところによると、広東省の農村出身のある若い男性は、地元の若者たちの多くが親に頼って生活していると証言している。多くはフードデリバリーの配達員として働いたりしているが、何より辛いのは、同じ町の人に会うことへの恐怖だ。「私の町のテイクアウト配達は、すべて他の町の若者がやっています。知り合いに会って笑われるのが怖いからです」と男性は語った。
中国の動画共有アプリ「抖音(ドウイン)」では、「#IPretendedToGoToWorkToday(今日も出勤したふりをした)」というハッシュタグ付きの動画が次々と投稿され、計1億回以上も再生されている。それだけ多くの人が共感し、同時に不安を抱いている証拠だ。
■国策「質の高い完全雇用」は遥か遠く
米政府系メディアのラジオ・フリー・アジアは、中国の習近平国家主席が2024年10月31日、党の理論誌『求是』に論文を発表し、「完全で質の高い雇用」を呼びかけ、「労働者の大多数の充実感、幸福感、安全感を促進する」と述べていたと指摘。反面、若者たちは1日600円を払い、うわべだけの労働の充実感を得ている。
皮肉なことに、中国政府は公務員を対象に、「仕事をしているふり」への処罰を広げている。ニューヨーク・タイムズ紙によると、中国の地方政府は業績の低い職員に「カタツムリ賞」を授与すると発表。公の場で恥をかきたくない中国人心理を利用し、職務に熱心に取り組むよう仕向けている。
だが、いくら鞭を振ってモチベーションを上げたくとも、実際の働き口がなくてはいかんともしがたい。中国の若者たちは成功を諦め、省エネなライフスタイルを選んでいる。こうした人々は自らを「老鼠人(ネズミ人間)」と呼び始めた。
■「ネズミ人間」を自称する若者たち
サウスチャイナ・モーニング・ポスト紙によると、「ネズミ人間」のスラングは今年2月、浙江省の若い女性がオンラインに投稿した動画から広まった。
彼女の一日はこうだ。起床後も3時間ほどはベッドに寝転んだまま過ごし、顔を洗ってからさらに5時間眠る。夕方に両親に起こされて初めて食事を摂り、深夜0時になるとようやく目が覚め、通販で届いた1週間分の荷物を開封。シャワーを浴びるのは午前2時だという。自らを下水道に住むネズミになぞらえ、「ネズミ人間」と名乗った。
ブルームバーグは、別の若い女性の日常を紹介している。この女性はふだん11時過ぎに起床し、13時を回ったころベッドから出てデリバリーの食事を摂る。14時20分に昼寝して、17時半にはデリバリーでミルクティーを注文。
18時10分になると自分の「赤ちゃん」(猫)に餌をやり、18時50分には早くもベッドに戻って身体を休める。その後、デリバリーの食事やドラマ鑑賞にいそしみ、2時半に就寝というスケジュールだ。このブロガーは「人間とはこんなにも幸せになれるものなのか」と締めくくった。
北京在住のリンさんは同紙に対し、「エネルギッシュで野心的に振る舞う必要はありません。私たちは誰かを感心させるために生きているのではない。快適であれば十分です」と語る。
ブルームバーグによると、この現象は2021年頃から始まった「寝そべり族」に続くものだ。習近平氏はこうしただらけた態度は慎むべきだと叱咤したが、2月時点で若者の6人に1人が失業している状況下で、若者たちは希望を見失っている。
オックスフォードを出た男性がフードデリバリーで意欲的に家族を養う一方、料金を払ってまで働くフリを演じる人々や、諦めてネズミ人間を自認する人々もいる。就職難の中国で、若者たちはそれぞれの生き方を模索している。

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青葉 やまと(あおば・やまと)

フリーライター・翻訳者

1982年生まれ。関西学院大学を卒業後、都内IT企業でエンジニアとして活動。6年間の業界経験ののち、2010年から文筆業に転身。技術知識を生かした技術翻訳ほか、IT・国際情勢などニュース記事の執筆を手がける。ウェブサイト『ニューズウィーク日本版』などで執筆中。

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(フリーライター・翻訳者 青葉 やまと)
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