■日本への相互関税は当初の25%から15%へ
米国時間の7月22日、トランプ大統領はSNSに、日本と相互関税・自動車関税で合意したと投稿した。相互関税の税率は15%、当初発表された25%から引き下げとなった。
合意の詳細は不明な部分はあるものの、4月に米国が発動した自動車の25%の追加関税(これまでの2.5%と合計で27.5%)も15%に下げた。
そして7月31日には、日本を含む約70の国・地域に対して新たな相互関税を課す大統領令に署名した。7日後の8月7日に発動するとしている。
足元で、トランプ氏に不利なニュースが出ていることもあり、同氏は目先の支持確保に成果を急いだ面もあったのだろう。これまでの交渉経緯を見ると、すべてはトランプ氏次第であり、交渉の主な相手であるベッセント財務長官もトランプ氏の意向に従順だったことが分る。
今後もそうした状況は変わらないだろう。米国の政策はすべて、トランプ氏の考え方次第ということになる。
■トランプ関税は世界経済の足を引っ張る
これまで、自由貿易体制・経済連携協定の推進のため、関税率を引き下げるケースが多かった。米国は高付加価値のソフトウェア分野に、生産要素(ヒト、モノ、カネ)を注力した。ハードウェアの生産では台湾企業などと水平分業体制を構築し、個人消費や設備投資の拡大を実現した。
ところが、トランプ氏の登場で、そのトレンドは大きく変わった。重要なポイントは、トランプ政権の発足前よりも米国の関税率は大幅に上昇したことだ。
トランプ氏は、関税をかければ世界の企業が米国に投資を増やし、製造業は復活すると考えているのだろうが、世界経済に与えるマイナスの影響は重大だ。
トランプ氏は関税を引き上げて、ある意味では国境のハードルを高め、米国、そして世界経済の効率性を低下させることになりそうだ。それは、わが国をはじめ世界経済の足を引っ張ることになるだろう。トランプ氏は、世界経済にとって最も大きなリスク要因になったということだ。
■これまでにないトップダウンの関税交渉
ここへ来て、トランプ大統領は、わが国や一部の東南アジア諸国と関税交渉で“妥結”した。日米の関税交渉は、想定外に妥結に至ったとの指摘は多い。7月半ばまで、主に自動車めぐる日米の交渉はかなり難航しているとの見方が多かった。
わが国とトランプ政権の関税交渉は、これまでの協議の在り方と異なっている。1970年代以降の日米自動車摩擦や1980年代の日米半導体協議では、まず政府関係者が「何が問題で、解決策は何か」をひざ詰めで交渉を重ねた。それによって関税率や競争のルールを取りまとめ、トップがサインし協定が成立する。それが通常のやり方だった。
ところが、トランプ氏にやり方は大きく異なる。
今回の交渉の過程では、すべてはトランプ氏の方針次第であるは明らかだ。それは、7月23日のベッセント財務長官の発言が如実に示した。同氏は、日米の関税実施状況にトランプ大統領が不満を表明すれば、関税率を25%に戻す可能性があると警告した。
大国同士の交渉が一方的にトランプ氏によって決められる方式は、いかんせん不公平の誹(そし)りは免れないだろう。
■保守派の中にも「アンチトランプ」の芽
なぜ、今回、トランプ氏は妥結を急いだか。それは、足元の支持にやや陰りが見えていることも影響したのだろう。少女買春などで起訴され、自殺したジェフリー・エプスタイン元被告の事件を巡る関連書類の中には、トランプ氏の名前が複数回登場した。これは支持率にマイナスに作用する可能性がある。
また、大型の減税歳出法案に関して、保守派の重鎮であるスティーブ・バノン氏は低所得層向けのメディケイド削減を厳しく批判した。保守派の中にも、アンチトランプの芽が出ている。
トランプ大統領のインフレ対策に不満を感じる世論も増えた。GMの売り上げ減のように、関税の影響から個人消費に息切れ感も出始めた。
年末に向けて米国の景気が減速するリスクは上昇傾向と考えられる。
2026年春先以降、減税・歳出法案によって中間層以上の個人消費は一時的に底上げされる可能性はある。それまでの支持率のつなぎ留めに、トランプ氏は有権者に米国の製造業にプラスに働く手柄を立てようと、成果の誇示を急いだ可能性は高い。
■関税の引き上げで自由貿易体制に大打撃
ただ、鉄鋼・アルミの関税率は50%で変わらない。自動車も、トランプ政権以前の2.5%から15%になる。これまで関税を引き下げて国境のハードルを引き下げ、ヒト、モノ、カネのグローバルな流れを重視した米国の関税率は高くなる。しかも、それがトランプ氏の一存で変わる。
それは、世界経済にとって重大なマイナス要因だ。第2次世界大戦後、米国は旧西ドイツ、わが国の戦後復興を支援した。1971年のニクソンショック以降、米国はドルを切り下げる一方、中東地域ではドルによる石油取引代金の決済構造(ペトロダラー・システム)を構築した。米国は経済安全省体制を整備し、貿易相手国と関税率引き下げの協議を重ね、世界の自由貿易体制を促進した。
米国の企業は資本負担の重い製造分野よりも、効率性の高いソフトウェアの設計、開発を重視するようになった。
経済構造が変化する中で生まれたのが、今日のAI(人工知能)分野を牽引(けんいん)するエヌビディアだ。また、それをマイクロソフト、グーグルなどの企業が支えてきた。
■築いてきた強みを自ら削ぎ落とすことに
米IT先端企業は、台湾、韓国、中国の企業にハードウェアの製造を委託し、水平分業とともにグローバル化も進んだ。米国のソフトウェアを目にした、中国の消費者は米国のブランドにあこがれを抱いた。それは、米国のソフトパワーの一面だ。
わが国では、米国向けの自動車(特に、ハイブリッド自動車)の輸出、インバウンド需要の取り込みなどにより、景気の緩やかな持ち直しを実現した。こうした世界経済の成長が可能だったのは、米国が自由貿易を重視した副産物ともいえる。
米国はグローバル化を進め、経済連携協定などのルール策定を主導した。トランプ氏は、こうした米国の強みを自ら削ぎ落している。今回の日米関税交渉で、トランプ氏が“反グローバル化”の変化を増幅させたことは明らかだ。
■次のターゲットは半導体、そして医薬品
足元の世界経済を見ると、米国に代わる景気の牽引役は見当たらない。中国は不動産バブルの崩壊、デフレ圧力上昇で経済環境がかなり厳しい。
来年春先以降、米国個人消費が減税でかさ上げされたとしても、効果は一時的だろう。
関税率上昇で、世界の企業のコストは増加するはずだ。すでに、わが国では一部の自動車メーカーは米国での値上げを行った。米GMは関税負担を吸収するために、人件費が相対的に低いメキシコ、韓国からの輸出を続ける方針だ。
また、トランプ氏は、半導体、医薬品の関税率を引き上げる考えも持っている。特に、医薬品に関しては、ファイザーやアストラゼネカなど世界の巨大医薬品企業が、中国のバイオテクノロジー企業への投資を積み増している。
トランプ氏は、医薬品の分野でも米国での製造を増やすと主張している。しかし、同氏の主張と裏腹に、メガ・ファーマの対中依存度は上昇傾向にある。その中で関税を引き上げれば、医薬品のサプライチェーンは寸断され、世界的に医薬品不足が深刻化しかねない。
トランプ氏の政策は、自由貿易体制の瓦解、そして世界の人々の安心、安全な生活をも危険にさらしかねないリスクをはらむ。
■停滞中の日本経済にさらなる打撃
今後、米国の個人消費は関税による値上げで徐々に勢いを失うことが懸念される。それは、わが国の経済にとって大きなマイナスになるはずだ。
わが国は主に自動車の輸出、インバウンド需要の増加で景気を持たせてきた。ドランプ氏の政策リスクを嫌ったドル安・円高の進行は、インバウンド需要にマイナスだ。
また、トランプ氏が今後の経済環境、特に米国の製造業の景況感に不満を募らせ、わが国の自動車関税を再度引き上げる恐れは残る。人工知能開発に欠かせない画像処理半導体、知的財産の移転を巡り、対中制裁を拡充するリスクも高い。
わが国では、賃金の伸びを上回るスピードで物価が上昇していることもあり、個人消費に勢いはない。AIデータセンター建設や省人化投資で、国内の設備投資をそれなりにしたとしても、トランプ政権の政策リスクを抱えながらでは、わが国経済はなかなか明るさを実感できない状況が続きそうだ。

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真壁 昭夫(まかべ・あきお)

多摩大学特別招聘教授

1953年神奈川県生まれ。一橋大学商学部卒業後、第一勧業銀行(現みずほ銀行)入行。ロンドン大学経営学部大学院卒業後、メリル・リンチ社ニューヨーク本社出向。みずほ総研主席研究員、信州大学経済学部教授、法政大学院教授などを経て、2022年から現職。

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(多摩大学特別招聘教授 真壁 昭夫)
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