株式会社石垣という社名をご存知の方は、多くはないでしょう。当社は、1958年の創業以来、固液分離技術を中心に、水インフラと産業の分野で環境に貢献するソリューションを社会に提供してきた会社です。
例えば、下水処理場で使われる汚泥脱水機や河川に設置される浸水対策用ポンプなど、独自性に優れた技術を世に送り出し、自然環境と社会を支え続けています。

(開発・設計・製造の中核拠点、香川県坂出工場)
下水道業界で、石垣は「スクリュープレス」の代名詞として認知されています。石垣が開発した「ISGK型 圧入式スクリュープレス脱水機」は、日本国内の下水処理場で納入台数トップシェアを誇る下水汚泥脱水機です。
下水処理の最終工程では、泥状の下水汚泥を脱水機で絞って水分を少なくします。残った固体(以下「脱水ケーキ」という)は、リサイクルしたりゴミとして処分されたりしています。
この時、リサイクルや処分をしやすくするために、できるだけ水分を少なくすることが求められます。
今から約30年前に世界初の革新的な技術として開発され、以後、日本の下水汚泥処理業界を牽引してきた「ISGK型 圧入式スクリュープレス脱水機」の開発リーダーである三谷幸利とサブリーダー本田伸夫のふたりに開発ストーリーを聞きました。

(現在の主力機種「ISGKV型 ハイブリッド型圧入式スクリュープレス」)
■時代の流れに迫られた新技術開発
三谷:1990年頃、下水汚泥脱水機の主流は「ベルトプレス」でした。1970年代に当社が得意としていた「真空脱水機」や「加圧脱水機」は、この業界では過去のものとなっていました。「ベルトプレス」は、上下2枚のろ布で汚泥を挟み、それをロールの間を通すことで脱水する仕組みです。当時、「ベルトプレス」は競争が激しく、後発の当社は苦戦していました。「ベルトプレス」に対抗する「遠心脱水機」も出ていました。そこで、「ベルトプレス」でもなく「遠心脱水機」でもない新しい脱水機の開発が課題でした。

(1990年頃、主流だった「ベルトプレス」。汚泥を挟んだろ布をロールの間を通して脱水する。脱水性能は良いが、消耗品であるろ布がネックだった)
■製紙用の機械を下水汚泥用に改良せよ
三谷:私が当社の創業者で当時社長であった石垣榮一(故人、以下「社長」という)から「下水汚泥向けのスクリュープレス」を開発するようにと命を受けたのは、1989年の夏のことです。当時主流だったベルトプレスの欠点は「ろ布」に集約されていました。維持管理性が悪く、コストが高いのです。脱水性能は良いのですが、ろ布が高価な消耗品であること、交換作業の負荷が高いこと、運転動力が大きいこと、目詰まりを防ぐために多量の洗浄水が必要であったことなどの多くの欠点がありました。
脱水性能はより高く、ろ布を使用しない、維持管理が容易で低動力低振動、建設コスト低減。ベルトプレスを凌駕する新しい脱水技術を追求する必要がありました。

(開発リーダー 三谷幸利)
「スクリュープレス」は、出口に向けて狭くなる円筒状のスクリュー軸と外筒スクリーンの間に汚泥を供給し、中のスクリュー軸を回転させることで脱水する仕組みです。既存の技術で、当時は、製紙廃水処理や紙・パルプ工業、魚肉類すり身加工用などに用いられていました。ろ過材はろ布ではなく、金属製のスクリーンです。これを下水汚泥脱水機として、開発することが私の使命でした。
創業者である石垣榮一社長は、優れた技術者でもありました。

(「スクリュープレス」の構造。出口に向けて狭くなるスクリュー軸と外筒スクリーンの間に汚泥を圧入し、スクリュー軸を回転されることで脱水する。雑巾を絞るようなイメージ。絞った水を「ろ液」という)
■言葉では軽いが、実際は果てしなく難しい「改良」
本田:1990年、スクリュープレスの開発メンバーに加わりました。37歳の時でした。既存の技術を別の用途向けに改良する―。
言葉の上では、非常に簡単そうに聞こえます。しかし、技術者であれば分かると思いますが、決して簡単なことではありません。
従来のスクリュープレスは、繊維質が多く脱水が容易なスラリー(泥状の液体)を対象としたもので、難脱水性スラリーである下水汚泥には適さないものでした。難脱水性汚泥に適応するように改良を重ねていくわけですが、これが試練の連続でした。「ISGK型 圧入式スクリュープレス脱水機」の納入初号機は、「Ⅲ型」です。つまり、「Ⅰ型」と「Ⅱ型」は、開発はできたが、世に出すことができなかったということです。

(開発サブリーダー 本田伸夫)
■ハードとソフトの両面から手繰り寄せた最適解
本田:難脱水性汚泥は、大きい圧力をかけると汚泥中の固体がスクリーン穴をすり抜けて、ろ液の中に逃げてしまう。一方、小さい圧力では少しの目詰まりでろ液が排出しにくくなる。また、脱水ケーキの出口側で圧力が大きいと、脱水ケーキが詰まって排出できない。下水汚泥は非常にデリケートな脱水を必要とするスラリーなのです。試行錯誤の結果、機械の構造だけでなく、調質といって薬品を用いて汚泥を脱水しやすいように制御する作業、機械と調質―ハードとソフトの両面から総合的に取り組む必要があることがわかりました。そこで、実験開発部門に応援を求め、ハード面とソフト面から議論を重ねました。後に電気設計部門も開発チームに加わりました。
下水汚泥は繊維質が少ないため軟弱だから、機械で脱水する前に薬品を用いて「凝集フロック」という固体を作る調質を行います。
下水汚泥に応じたスクリュープレスの機構はもちろん、スクリュープレスに適した調質と凝集フロックに適した圧力。
時に双方の意見がぶつかることもありました。しかし、各分野に精通した開発メンバーが集まったおかげで、それぞれがひとりよがりにならずに一体となって取り組むことができました。ハード、ソフト、どちらか一方では完成にたどりつけなかったと思います。

(左が調質前の汚泥、右が薬品を添加して調質した汚泥。フワフワした固体が「凝集フロック」。最適な調質に着目し、ハードとソフト両面から開発を行った)
■下水汚泥にまみれて
本田:最初は工場の片隅で、ふたりで試作機を組み立てていました。他の社員が全員帰ってしまい、真っ暗になってしまったことも度々ありました。試作機ができると下水処理場から汚泥を分けてもらい、何度も脱水試験をして改良しました。スクリュープレスの特徴として、部分的にスクリーン穴からろ液が水鉄砲のように勢いよく飛び出してくることがあります。試作機で初めて下水汚泥を使った脱水試験を行った時です。スクリーンから少しずつろ液が排出されると、皆、夢中になって見守りました。集中するあまり、社長はズボンが濡れるのにも気付かず…。

(ろ液排出の様子。よく見ると、サッシの真横から勢いよく水が飛び出している。試験中、この「水鉄砲」を何度も浴びた)
■下水汚泥処理にスクリュープレスを。石垣が汚泥脱水の常識を変える!
三谷:下水汚泥に適応するように何度もチャレンジしました。完成したと実感したのは、調質の最適解が得られ、スクリーンの目詰まりなどが解消し、無人運転ができるようになった時でした。汚泥に応じた微圧による制御とスクリーン洗浄の効率化です。試作機で狙い通りの効果が出て、実機でも絶対に同じものができるだろうと。下水汚泥処理における汚泥脱水法は、ろ布と遠心による脱水が常識でした。そこに私たちが初めてスクリュープレスによる脱水法を持ち込んだのです。下水汚泥処理の常識を覆した瞬間です。
それまでの下水汚泥処理は、安定して運転できることが重要でした。私たちが生み出した「ISGK型 圧入式スクリュープレス脱水機」は、安定した連続運転は言うまでもなく、省エネルギーで環境負荷と運転コストを低減し、運転に関わる方々の作業環境も向上させました。地球環境、自治体、作業員、あらゆるステークホルダーに恩恵があるのです。世に無かった技術を生み出し、それが地球環境や人の役に立つ―。技術者にとって、無上の喜びです。

(1995年、完成を実感した試作機3号機。開発チームの三谷や本田はもちろん、社長や開発に携わった社員全員で喜び合った)
本田:初期段階では、先が見えない時もありましたが、「いつかはヒット商品に…」と、互いに希望だけは捨てずに議論し合いました。発案者である社長には「もっと、もっとできる」とハッパをかけられ、時に「ひとつひとつやっていこう」と励まされました。社長の諦めない精神と後押しがなければ、挫折していました。
■偶然が決め手となった初めての受注
本田:初号機は、1996年、小型のスクリュープレス脱水機をトラックに搭載した「移動脱水車」として滋賀県の湖東町(現・東近江市)に納入しました。この業界では実績が重要なので、初号機の納入は嬉しかったですね。
湖東町は、1995年夏の「下水道展」で、当社のスクリュープレスを知り、期限までに車搭載型の小型機で試験を行い、満足な結果を出すことを要求されていました。急遽、小型の車載ユニットを短期間で製作し、実証試験を行いました。ある時、試験運転中に私がその場を離れたことがありました。その時、たまたま、ある職員がふらりと現場に入って来られました。無人で連続運転ができている装置を目の当たりにして、非常に驚かれたそうです。その方は納入決定の鍵を握る職員でした。この偶然の出来事が初受注につながりました。

(1996年、「ISGK型 圧入式スクリュープレス脱水機」の初受注は、下水道が整備されていない地域の生活排水を脱水機搭載のトラックで地域を巡回し汚泥処理をする「移動脱水車」だった)
■お客様の評価がヒット商品への追い風に
三谷:その後、1997年に山形県の鶴岡浄化センターで実証試験を行うことが決まりました。既設の遠心脱水機からの更新です。当時、テスト機は小型機だけだったので、鶴岡市から大型機の実績がないことが不安点として挙がりました。そこで、通常の実証試験では異例である実機サイズのテスト機での実証試験を行いました。その結果、この実証試験を高く評価した鶴岡浄化センターの所長のインタビューが『日本下水道新聞』に掲載され、大きな追い風となりました。2000年に岩手県の都南浄化センターに大型機を納入しました。移動できる車搭載型ではなく、下水処理場への初納入です。
その後は、優秀省エネルギー機器「日本機械工業連合会会長賞」や優秀環境装置表彰「日本産業機械工業会会長賞」など、数々の賞を受賞。日本全国の下水処理場に展開していきました。今や国内のみならず、国際的にもこの技術が採用されています。

(1997年から2002年までの長期間実施した鶴岡浄化センターでの大型テスト機による実証試験の様子(左)。鶴岡市には実証試験後、新たに大型機を納入した。異例の実機サイズでの実証試験結果を鶴岡市が高く評価した新聞記事(右)がヒットへの足掛かりとなった)
■スクリュープレスは「過去の技術」ではなく、今後も進化を続ける
三谷:私たちが「ISGK型 圧入式スクリュープレス脱水機」を開発して、30年が経ちました。「ISGK型 圧入式スクリュープレス脱水機」は、現在、日本国内の下水処理場で最も採用されている下水汚泥脱水機です。下水汚泥処理の一時代を築いた技術だと自負しています。新しい技術も出ていますが、本技術をベースに改良を重ねていけば、将来も続いていく技術だと思っています。調質技術を向上し、薬品使用量の削減がもっとできれば、更に有効と思われます。
本田:薬品使用量の削減について当社は、既に「プラチナシステム」という脱水性能を向上する画期的なシステムを開発しています。今、若い技術者を間近で見ていますが、色々チャレンジして結果を出しています。頼もしいですよ。
「ISGK型 圧入式スクリュープレス脱水機」は省エネ、省資源化に傑出した機械です。脱炭素化やSDGsの精神にも合致しています。今後も更なる環境負荷の低減を追求し、進化していくでしょう。
下水道は、欠くことのできないインフラです。
石垣では、彼らに続く技術者が、今日も新しい技術を生み出そうと開発に励んでいます。

(左から開発リーダー三谷幸利、サブリーダー本田伸夫。石垣の工場では、約30年前に彼らが下水汚泥処理にイノベーションを起こした「ISGK型 圧入式スクリュープレス脱水機」が現在も作られている)