J2の大分トリニータは18日、片野坂知宏監督との契約を双方合意のもと、8月18日付で解除することになったと発表した。

片野坂氏は1971年4月18日生まれの54歳。

鹿児島県鹿児島市出身で、鹿児島実業高校から1990年にマツダへ加入。そのままサンフレッチェ広島の一員となると、サイドバックとして1994年のJリーグステージ優勝にも貢献した。

その後、柏レイソルや大分トリニータ、ガンバ大阪などでプレーし、2003年に大分で現役を引退した片野坂氏。そのまま指導者の道へ進み、G大阪や広島でコーチとして経験を積んだのち、2016年に大分の監督に就任した。

当時、チームはJ3へ降格したばかりだったが、1年でのJ2復帰を果たすと、2年後にはJ1復帰を達成。さらに、独特なポゼッションスタイルからの「疑似カウンター」でJ1を席巻し、復帰初年度の2019年にはJ1で9位という好成績を残す。

2022年にはG大阪の監督に就任するも、その年の8月に解任。2024年、3年ぶりに大分の監督に復帰したものの、1年目はJ2で16位に終わり、今季もここまで16位と残留争いを余儀なくされていた。

以下は契約解除が決まった片野坂氏のコメント。

「大分トリニータに関わる全ての皆様へ日頃から大分トリニータへのご支援ご声援ありがとうございます。

この度、大分トリニータを退任する事になりました。

ファン・サポーターの方々、スポンサーの方々並びに大分トリニータに関わる全ての皆様、そして選手・スタッフ、小澤社長、吉岡SD、クラブ関係者の方々、これまで指揮を執らせていただき、また支えていただき本当にありがとうございました、心から感謝しております。

このような状況で大分トリニータを離れる事やもっと良い形で次にバトンを渡す事ができず大変悔しく寂しい思いではありますが、結果が全ての世界なので当然だと思います。チームを勝たせられなかった責任と私の力不足です、本当に申し訳ありませんでした。

次の指揮官が必ずこの状況を打破してくれると期待しております。必ず乗り越えれる、必ず勝てる、選手・スタッフを、大分トリニータを信じております。

大好きな大分、大好きな大分トリニータのこれからより一層の発展を心より願っております。

これまで支えていただき本当にありがとうございました。

また引き続き大分トリニータへのご支援ご声援をよろしくお願い致します。

『感謝』

片野坂 知宏」

この投稿を受けて、SNSで感謝の気持ちを綴ったのが、のど飴で知られる製薬会社の浅田飴だ。

最初に大分を率いた2018年、片野坂氏が試合中の指示などにより、毎試合声を枯らしていた様子をサポーターが見かね、監督ののどを守ってほしいと浅田飴にSNS上で呼びかけたことから両者の関係がスタート。

クラブがすぐさま連絡を取ると、プレゼントされた浅田飴を片野坂氏が試合中に持ちながら指示を送る姿などが話題となり、正式に浅田飴が大分をスポンサードするに至った。

そうした縁もあってか、片野坂氏への思い入れが強い浅田飴は契約解除を受け、こんなリポストをしていた。

「片野坂監督(泣き顔の絵文字)

監督との出会い、J1昇格、天皇杯...たくさんの素晴らしい景色を見せて頂きありがとうございました!

まずはゆっくり休んでくださいね。

そしてまたどこかで、片さんの躍動するお姿が見られる日を楽しみにしております!」

片野坂氏の後任として、竹中穣ヘッドコーチが監督に就任した大分トリニータ。次戦は23日(土)、いわきFCとアウェイで対戦する。

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