
サッカー選手に移籍はつきもの。特により大きなクラブに誘いを受けた場合、給与の面でも大きなアップに繋がるだけに、断る選手はそれほどいない。
今回は『Fourfourtwo』から「ビッグクラブの誘いを断って愛するクラブに忠誠を誓った選手たち」をご紹介する。
フランチェスコ・トッティ
断ったクラブ:レアル・マドリー
フランチェスコ・トッティはキャリア全体を愛するローマで過ごした「ワン・クラブ・マン」であり、786試合に出場して307ゴールという驚異的な成功を収めた「エル・プリンチペ」である。
全盛期のトッティはレアル・マドリーから関心を受けており、彼自身も「80%移籍するつもりだった」というほどに気持ちが傾いたこともあったとのこと。ただ最終的には彼はそのオファーを断り、ローマへの忠誠心を保った。
アラン・シアラー

断ったクラブ:マンチェスター・ユナイテッドなど
2017年にロメル・ルカクがマンチェスター・ユナイテッドに加入したとき、「世界最大のクラブにノーといえる人がいるだろうか?」とコメントしていた。そこでアラン・シアラーは「そうか私はバルセロナも断った」とツイートしていた。
アラン・シアラーはブラックバーンでプレミアリーグ制覇を成し遂げ、その後故郷のクラブであるニューカッスルへと移籍した。その際には数々のビッグクラブから誘いを受け、マンチェスター・ユナイテッドに移籍するための住居もすでに決めていたという。
ジェイミー・ヴァーディ

断ったクラブ:アーセナルなど
2015-16シーズンにレスター・シティがプレミアリーグで優勝した後、そのエースであったジェイミー・ヴァーディにはアーセナルからのオファーが舞い込んだ。契約解除条項を満たした2000万ポンドの移籍金が提示されていたという。
もちろん彼もその誘いに誘惑されたとのことだが、エンゴロ・カンテやリヤド・マフレズ、ダニー・ドリンクウォーターらが退団していくなかで彼はレスター・シティに忠誠を誓い続けることを決めた。そして昨年2部へと降格したときもだ。
アントニオ・ディ・ナターレ

断ったクラブ:ローマ、ユヴェントス
イタリアの名ストライカーであるアントニオ・ディ・ナターレ。エンポリでキャリアをスタートさせ、2004年にウディネーゼへと加入した。それから12年間に渡って同クラブのエースとして活躍し、セリエA屈指の点取り屋として長く存在感を見せた。
イタリア代表でも42試合に出場した彼にはローマやユヴェントスから継続的にオファーを受けていたが、ディ・ナターレはウディネで家族が幸せだったことから退団を拒否し、愛するクラブに留まり続けた。
ダリヨ・スルナ

断ったクラブ:バルセロナ
クロアチアの名キャプテンであるダリヨ・スルナ。彼のキャリアのほとんどはウクライナリーグのシャフタール・ドネツクに捧げられ、2003年から2018年までの15年間を過ごし、500試合以上に出場した。
2016年にダニ・アウヴェスが退団したバルセロナは、彼の獲得に本気を出していたと伝えられている。しかしスルナはシャフタール・ドネツクとの契約を更新し、「バルセロナでチャンピオンズリーグを制覇するよりも、ここでリーグ優勝したいと会長に伝えた」と答えていた。
イケル・ムニアイン

断ったクラブ:バルセロナ、リヴァプールなど
バスク地方の魂を象徴するアスレティック・ビルバオには、クラブに長く忠誠を誓い続ける選手が多い。そして現在のクラブにおいてイケル・ムニアインこそがそれを体現している。
16歳でプロデビューした彼はすでに公式戦500試合以上に出場している「ワン・クラブ・マン」。若い頃はバルセロナに誘われ、そしてトッテナムやリヴァプールからオファーも受けていたが、それを断ってアスレティック・ビルバオへの愛を示し続けている。