幅跳び界のエース・橋岡優輝の背後には、華麗なるスポーツ一族の存在がある。父・利行さんは棒高跳で5m55の日本記録を打ち立て、日本選手権7度制覇を成し遂げた名選手。
世界選手権の決勝で敗れた日も、パリ五輪で予選敗退した日も、利行さんと直美さんは静かに寄り添った。元トップアスリートの2人だからこそできた“干渉しない支え方”。勝者のメンタリティ、逆境への向き合い方、そして東京・国立競技場で13日からスタートする世界選手権へのエールを2人に聞いた。
(インタビュー・構成=松原渓[REAL SPORTS編集部]、写真提供=西村尚己/アフロスポーツ)
国際舞台で示した成長と強さ
――優輝選手は高校2年から記録を伸ばし、高校3年でインターハイ、国体、日本ジュニアの3冠を達成しました。その後、大学2年生の時にU20世界陸上で優勝し、アジア大会(4位)や日本選手権(6大会優勝)、世界選手権(8位入賞)など国際大会で大きな成果を挙げました。当時の飛躍をどのようにご覧になっていましたか?
利行:U20世界選手権で優勝したのは大きかったと思います。アジア選手権でも優勝して、20歳で世界選手権(2019年ドーハ)に出場して8位に入りました。私たちが経験できなかったオリンピックの舞台も経験していて、純粋にすごいなと思います。
直美:高校や大学時代に培った基本の動きがしっかりしていて、それが幅跳びに生きていると感じます。競技者として見て、踏み切りで関節が緩まず、走ってきたパワーをそのまま踏み切りにつなげられる技術が強みだと思います。
――ご両親から見て、優輝選手はどんなメンタリティを持っていますか?
利行:メンタルは強いんじゃないでしょうか。私たちの前では弱いところを見せませんし、オンとオフの切り替えがうまいんだと思います。家では陸上の話はあまりせず、ゲームや漫画の話をして過ごしていますが、その分、競技への集中力を高めてメンタルの強さにつながっていると思います。
直美:競技経験が浅いと、海外の試合は雰囲気にのまれて力を発揮できないことも多いと思いますが、彼は高校時代から一人で遠征して自己ベストに近い記録を残していました。どこでも淡々とやるべきことをやれるのは強いなと思います。
――日本大学での競技生活をどう見ていましたか?
利行:進路は本人の判断に任せていました。八王子高校の渡辺先生も日大の出身なので、森長正樹先生との指導にも通じる部分があったと思います。だからこそ、高校でつくった基礎を大学でも継続して強化できて良かったと思います。
敗戦の日に選んだ“寄り添う”サポート
――結果が出なかった時、ご家庭でどんな声をかけてこられましたか?
直美:2人とも競技者だったので、負けた時の悔しさやつらさはよくわかります。だからこそ、そういう時はあえて競技のことには触れませんでした。自分も触れられたくなかったので、共感できる部分があります。
利行:2022年の世界選手権では予選トップ通過から決勝で失敗し、2023年は予選敗退、パリ五輪も予選敗退でした。特にパリの後は落ち込んでいましたが、一緒にフランスで食事や買い物をする程度でした。気は遣いましたけどね(笑)。私たちが何かアドバイスしたとか、そんなことはなく、逆に彼の方が気を遣ってくれていたのかもしれません。
直美:パリの時は、初めて「もう引退しようかな」と言っていました。それぐらい、自分でもこれまで以上にうまくいかなかった試合だったんだろうなと思いました。ただ、その時は「そう、好きなようにすればいいよ」「それも一つの選択肢だよね」と話したんです。これで競技をやめることはないだろうな、と思っていましたし、気持ちが落ち着けばまた前向きに競技に取り組めると思いましたから。気持ちの整理がつかない苦しさや、それを吐き出したい時もあると思います。そういう時は、本人が消化するまでは「ダメだよ、やめずに頑張りな」みたいなことは言わないようにしています。
――ケガやリハビリの時も、あえて距離感を保って見守るスタンスは貫いていたのですか?
直美:そうですね。彼が見てもらっているトレーナーさんは、私たちが現役の時にもお世話になっていた方です。
――食事面ではどのようなサポートを?
利行:ジャンプ種目なので体重管理が大切だと思い、食事は妻に任せていました。
直美:私は大学時代に体重が増えて苦労したので、彼には同じ思いをさせたくないと思っていました。脂肪分を摂りすぎず、タンパク質を多めにするなど工夫して、ハンバーグのつなぎを豆腐にしたり、いろいろな食材をバランス良く食べられるように考えて食卓に出していました。
育児の記憶と親族から受ける“横の刺激”
――つらかったこと、うれしかったことも含めて、一番印象に残っているのはどんな出来事ですか?
利行:中3の全国中学校体育大会四種競技(110mハードル・砲丸投・400m・走高跳)で3位に入った時です。まさか3位になると思っていなかったので、素直に「良かったね」と家族で喜びました。高校以降も要所で優勝して、その都度喜び合いました。国際大会では2019年のアジア選手権で初優勝した時が強く印象に残っています。現地には行けませんでしたが、コーチからLINEで結果を聞いて家族で大喜びしました。U20世界選手権(2018)の金メダルや、ドーハの世界選手権(2019年、8位)も忘れられません。
直美:私が忘れられないのは、小学5年の時に体調を崩して1カ月入院したことです。その後も定期的に検診を受けていました。
――親族にもトップアスリートが多く、利行さん方の従兄弟にはサッカーの橋岡和樹・橋岡大樹兄弟がいます。刺激を受けることがあるのではないですか?
利行:弟の息子たちとはなかなかタイミングが合わず、一緒に過ごす機会は多くはありません。ただ、甥っ子たちとは同じマネジメント会社で、香川真司選手など他の競技のアスリートとも交流があるようです。そういった点で、競技の違う一流選手から刺激を受けているのではないでしょうか。また渡辺先生の子どもたちがまだ小さいので、優輝もかわいがっています。昔の陸上仲間や親戚が集まって1泊2日で過ごすこともあります。毎年そういう機会はありますね。
“地元・東京”で跳ぶ世界選手権へ
――優輝選手は2025年9月13日(土)~9月21日(日)に東京・国立競技場で開催される「第20回世界選手権」に出場します。どのようなエールを送りたいですか?
利行:今年は春先にケガもあり、なかなか思うようにいかない時期もあったと思います。ただ、精一杯頑張って、結果は別として、自分の力を発揮して納得のいく跳躍をしてほしいですね。
直美:地元で開かれる大会ですから、自分で納得できる結果を出してほしい。私も結果は別として、それだけを願っています。
――最後に、ジュニア世代の子どもと親御さんにメッセージをお願いします。
利行:陸上は種目が多いので、若い頃はいろんな種目を経験するのもいいと思います。優輝もいろんな種目を経験したことがその後の糧になっています。親御さんとして、まずは子どもたちが楽しめるような環境をつくってあげることが一番だと思います。
直美:子どもがやりたいことを伸び伸びできるように、可能性を信じて、親はどんな時も味方でいてあげてほしいです。親が前のめりになりすぎてしまう場合もあると思いますが、子どもが息苦しくならない距離感を持つことが大切だと思います。
【連載前編】アスリート一家に生まれて。走幅跳・橋岡優輝を支えた“2人の元日本代表”の「教えすぎない」子育て
<了>
「必ずやらなくてはいけない失敗だった」。橋岡優輝、世界陸上10位で入賞ならずも冷静に分析する理由
「“イケメンアスリート”として注目されること」に、橋岡優輝の率直な心情。ブレない信念の根幹とは
2部降格、ケガでの出遅れ…それでも再び輝き始めた橋岡大樹。
[連載:最強アスリートの親たち]女子陸上界のエース・田中希実を支えたランナー一家の絆。娘の才能を見守った父と歩んだ独自路線

[PROFILE]
橋岡優輝(はしおか・ゆうき)
1999年1月23日生まれ、埼玉県出身。男子走幅跳の日本代表。富士通所属。さいたま市立岸中学校で陸上を始め、八王子学園八王子高校で走幅跳に転向。日本大学在学中の2018年、世界U20選手権(タンペレ)で金メダルを獲得。同年アジア競技大会(ジャカルタ)では4位に入賞した。2019年にはアジア選手権(ドーハ)で優勝(8m22)、ユニバーシアード(ナポリ)でも優勝を果たし、世界選手権(ドーハ)では日本人初となる走幅跳での8位入賞を達成。2021年東京五輪では6位(8m10)。その後も世界選手権オレゴン大会(2022年)、ブダペスト大会(2023)、2024年パリ五輪と世界の舞台で挑戦を続ける。自己ベストは8m36。日本選手権優勝6回。2025年9月に東京で開催される世界選手権にも出場する。
[PROFILE]
橋岡利行(はしおか・としゆき)
1969年生まれ、埼玉県出身。男子棒高跳の元日本代表。自己記録5m55(当時の日本記録)を持ち、中学・高校・大学・社会人の各カテゴリーで優勝。日本選手権では7度の優勝を果たした。
[PROFILE]
橋岡直美(はしおか・なおみ/旧姓:城島)
1971年生まれ、埼玉県出身。女子100mハードル、走幅跳、三段跳で日本記録を樹立した経歴を持つ。中学時代には走幅跳で女子として初めて6mを超えるジャンプを記録し、三種競技Bで全中優勝。高校では100mハードルでインターハイ3連覇、日本選手権2連覇を達成。さらに走幅跳と三段跳でも全国タイトルを獲得し、多彩な種目で活躍した。現役時代は女子陸上界をけん引する存在だった。