フェンシング・女子サーブル個人で世界選手権2連覇中の女王・江村美咲。来年のパリ五輪で金メダル候補と目される彼女は、両親、兄弟も競技者というフェンシング一家に育った。
(インタビュー・構成=松原渓[REAL SPORTS編集部]、トップ写真=AP/アフロ、本文写真提供=一般社団法人ミス日本協会)
戦術を使えるようになってフェンシングが面白くなった
――江村選手はお父様がフルーレ元日本代表選手で、お母様もエペで世界選手権に出場経験がある選手だったそうですね。ご兄弟も競技をやっているということで、まさにフェンシング一家ですが、小さい頃からフェンシングとどんなふうに向き合ってきたんですか?
江村:小学生の時に、最初はなんとなく始めました。勝つために努力するタイプでもなかったですし、ただ、学校で「フェンシングやってるんだ、かっこいい」って言われるのがうれしいだけで、なんとなくやっていたんです。それでも続けられたのは、父が練習を強要することなく厳しくもしなかったし、気が向いたら練習させてくれる感じで。父もいろいろと工夫して、ゲーム感覚で練習していたので、そのおかげでやめずに続けられたのかなと思います。
――ちなみに、他にスポーツはやっていたんですか?
江村:溺れない程度にスイミングぐらいで、本格的に他のスポーツをやったことはないですね。
――フェンシングに本格的に取り組んだのはいつぐらいだったんでしょうか?
江村:本格的にやり始めたのは中学の頃ですが、本当にフェンシングを好きになったのは高校生くらいですね。戦術をわかり始めてから、本当の面白さがわかるようになりました。
――目にも止まらぬスピード感の中で頭脳戦が繰り広げられているんですね。戦術のどんなところに面白さを感じたのですか?
江村:あんなに激しい動作の中で繊細な駆け引きが繰り広げられていて、相手と噛み合う、噛み合わないっていうのがあるんです。
――スポーツ界のチェスってすごくかっこいいですね。その中で自分の強みを見つけたのは、いつ頃だったんですか?
江村:身長が日本人では高い方だったので、高校生ぐらいまでは、そのリードを生かしたアタックが得意なのかなって思っていたんです。ただ、大学生になって、リーチが長い割に、そんなにアタックが決まっていないなと気づいて(笑)。じゃあなぜ勝てているのかな?と思った時に、特に秀でているものはなく、ただこれがすごく下手、っていうものもなくて。そこに戦術とかアイデアがあるバランス型のプレーが自分の強みだと思っています。
フェンシングの強さは運動神経と比例しない
――ご両親のDNAもあると思いますが、練習や試合を重ねる中で身につけてきたものが大きそうですね。
江村:どちらかといえば小さい頃から反射神経はあるほうだったんですけど、運動神経はフェンシングの合宿で測定しても、割と下のほうでした。体を鍛えたからフェンシングが強くなったというよりは、フェンシングが強くなっていく中で、測定の数値も上がっていった感じです。フェンシングの強さって、運動神経と比例しないんですよ。女性でも男性みたいに筋肉質な選手もいるし、筋肉どこにあるの?っていうぐらいスラッとしている選手もいて、ぽっちゃりしていてもよく動ける選手はいるので。見た目ではわからないですし、本当に誰が強くなるかわからない競技だなと思います。
――江村選手は170cmと体格にも恵まれていますが、食事はご両親のサポートも大きかったのでしょうか?
江村:食事に関しては、母がすごく気を遣ってバランスの良いご飯を作ってくれて、コンディション面では支えてもらいましたね。シンプルに体力をつけたり、練習に取り組む集中力をつけたり、ケガをしにくい体づくりをする上でも、食事はかなり大きいと思います。
――江村選手もコロナ禍でスポーツフードスペシャリストの資格を取られたんですよね。日頃から意識が変わりましたか?
江村:体重とかは別にすごい管理が厳しいわけではないですし、私自身もそんなに高い意識があったわけじゃないんですが、コロナ禍で時間があって、自炊もするので資格を取りました。バランスよくしっかり3食食べることと、いい睡眠をとることにはすごく大切にしています。
ミス日本・和田静郎特別顕彰を受賞「人間力のある選手に」
――ハードな競技生活の中でも、東京五輪の年には中央大学法学部を卒業されています。学業との両立で大変だったことはありますか?
江村:1年生の時は特に授業が多く、多摩キャンパスだったので、練習場から大学まで通学に片道2時間かかっていました。朝練習に行ってから授業に行って、また練習に行って、という感じで、お昼ごはんも時間がなくて駅のホームで食べたりしていましたね。
――中央大学に進学した理由はなんだったのですか?
江村:中央大はまだ女子のフェンシング部の歴史が浅かったので、自分が新しい歴史をつくりたいというチャレンジ精神がありました。ただ、スポーツ推薦で入学したのですが、テストが毎年世界選手権の時期と被ってなかなか受けられなくて、レポートで提出させてもらったり……。いろいろな先生の理解があって卒業することができました。
――今年1月には、ミス日本の「和田静郎特別顕彰」を受賞されました。「美と健康の素晴らしい資質を持った女性」に送られる賞だそうですが、受賞した時のお気持ちは?
江村:受賞が決定してから連絡をいただのですが、びっくりしましたね。
パリ五輪金メダルへの道のり
――来年のパリ五輪に向けて、個人的な目標を教えてください。
江村:個人と団体で2つの金メダルを目標にしています。
――オリンピックでのメダルは、世界選手権とはまた違った高いハードルがあるのですか?
江村:はい。女子でもまだフェンシングのメダリストはいないですし、サーブルでもいないので。サーブルは初めてメダルの可能性があるオリンピックになったので、ぜひ取りたいですね。
――練習の取り組みで、これまでと変えたことはありますか?
江村:常に変わり続けることは大事だと思っています。相手によっても、自分のコンディションによっても、その日にできることとできないこと、その相手に対してできることとできないことがあるので。それを柔軟に、的確に見極めて、その都度戦っていきたいと思っています。
――ライバルから研究されている中で戦う難しさもあると思いますが、メダルへの道のりはどのようにイメージしていますか?
江村:去年、世界選手権に優勝してから今年まで、周りからだけでなく自分でも自分に強いプレッシャーをかけてきました。
――日本フェンシング界の歴史を塗り替えてきましたが、パリ五輪の先も含めて、今後の目標や、考えているキャリアプランはありますか?
江村:今はまだ、パリ以降については具体的には考えていないですが、引退するまでに、もっと自分の好きな自分になれるように努力し続けることと、フェンシングを楽しみ続けることが目標です。
――最後に、パリ五輪で自分のこんなところを見てほしい、という部分をアピールお願いします!
江村:フェンシングって、ルールは少しわかりにくいかもしれませんが、実際に生で見たら、迫力や面白さを感じていただけるのではないかと思います。私は、フェンシング自体はもちろんですが、トレーニングウェアやアクセサリーなどのファッションを楽しんだり、リップをつけたりして、競技をしている時も自分の好きな自分でいたいという気持ちがあって。そういうところも楽しんでいるんだな、と温かい目で見ていただけたらうれしいですね。
<了>
【連載前編】女子フェンシング界の歴史を塗り替えた24歳。パリ五輪金メダル候補・江村美咲が逆境乗り越え身につけた「強さ」
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[PROFILE]
江村美咲(えむら・みさき)
1998年11月20日生まれ、大分県出身。