私事になるが、先日引っ越しをした。さまざまな手続きがあり「昭和51年…」と自分の生年月日を久しぶりに何度も書いた。
健康診断に行った。看護師から本人確認のため生年月日を問われ、「昭和51年…」と答えた。いつも西暦か元号か迷うのだが、元号で答えている。
北朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国にも年号がある。「主体(チュチェ)」という。北朝鮮の根幹をなす思想「主体思想」から取ったもので、金日成主席の生年1912年を主体元年とする。今年は主体113年。金日成主席の3回忌に当たる1997年9月に使用が開始された。朝鮮労働党の機関紙である労働新聞や毎年専門書店のご主人の厚意でいただく北朝鮮のカレンダーにも主体年号と西暦が並んでいた。
学生時代、北朝鮮への関心を深めていたころに現れたこの年号に愛着を感じていた。2010年に訪朝した際、金日成主席の銅像の立つ万寿台で北朝鮮の案内員に聞いたことがある。「私は日本では昭和51年生まれ、1976年生まれと使い分けますが、朝鮮では主体〇年生まれという言い方をしますか?」と。
1997年は北朝鮮にとって苦難の行軍と呼ばれる未曽有の経済難と食糧難のさなかだった。
銅像に参拝する制服姿の生徒らがいた。「あれは中学生ですね」という案内員の言葉に驚いた。男女別に背の高い順に2列に並んでいた生徒らはちょうど主体年号の始まった1997年くらいに生まれているはずだ。背の低い生徒らの身長は120センチ台ではなかったか。小学1年生と言われても驚かないくらい小柄だった。深刻な食料難の影響だろう。主体年号の生まれた直後、それ以降に生まれた彼らのことを、私は主体キッズ(チュチェ・キッズ)と呼んでいる。苦難の行軍と呼ばれ、北朝鮮経済が致命的なダメージを受けた時期。配給が滞り、餓死者も出たという苦しい時期を境に世代の壁があるのではないか。北朝鮮内でも大きな価値観の変化があったはずだという仮説の下に。
その主体年号の使用が中止されたというニュースが10月半ばに流れた。朝鮮労働党の機関紙・労働新聞の公式サイトから主体年号が消え、数日後に朝鮮中央通信の公式サイトからも消えた。朝鮮総連の機関紙・朝鮮新報からも消えた。

このニュースが流れた直後に在日コリアンの友人に伝えると、「本国からも所属する組織からも何の指示も出ていない。今日も主体年号で書いた書類を提出したが、ボツになるのだろうか」「最近、本国の方針の変化が急で、何をしたいのか分からない」と戸惑っていた。今も主体年号を正式に廃止したという宣言はない。なし崩し的に消えている。
かつて金正恩総書記の指示の下に「平壌時間」が登場したことがある。現在、日本と北朝鮮と韓国の間に時差はないが、かつて30分の時差があった。
金正恩総書記は2015年8月15日、日本からの解放70周年を機に、日本統治前の30分の時差をつけた平壌時間を採用した。時を取り戻したのだ。まるで時間泥棒から時間を取り戻したM・エンデの「モモ」のように。
翌2016年、平壌に着いた私はまず腕時計の針を平壌時間に合わせた。その時期はiPhoneの時計のアプリで平壌を選ぶと30分の時差がついた。平壌時間について北朝鮮の案内員に聞くと、「子どもが小さかったころに『太陽は正午に最も高度が高くなるのだよ』と教えてもぽかんとしていたけど、平壌時間を導入してから『お父さんのいう通りだったね』と納得してくれた」と誇らし気に話してくれた。しかし、この平壌時間は2018年に廃止される。北朝鮮と韓国の関係が一時的に改善し、「北と南の間に時差があるのは胸が痛む」「時刻から南北統一を」という金正恩総書記の判断で再び日本と韓国、北朝鮮の間に時差はなくなった。
日本でも余暇を増やすことを目的に「国民の祝日に関する法律の一部を改正する法律」によって「成人の日」と「体育の日」が、「国民の祝日に関する法律及び老人福祉法の一部を改正する法律」によって「海の日」と「敬老の日」がそれぞれ月曜日に移動した。
今回の主体年号の使用中止についてまだ公式発表はないが、来年のカレンダーはどうなるのだろう。北朝鮮のカレンダーは年によって祝日が現れたり消えたりする。金正日総書記の誕生日2月16日は光明星節、金日成主席の誕生日4月15日は太陽節とそれぞれ祝日になっているが、太陽節という名称が変わったという一部報道がある。その名称はカレンダー上ではどうなっているのか。現在は平日のままの金正恩総書記の誕生日とされる1月8日は祝日になるのか。そしてカレンダーに主体114年という表記はあるのか。
私はカレンダーを作る写真印刷関係の職場で働いたことがあるが、この時期の暦の変更は対応が厳しい。すでに印刷して流通を控えている時期だ。そのような事態に備え、日本のカレンダーには欄外に小さく祝日は異なる場合があると書かれているが、北朝鮮のカレンダーにはそのような記載がない。